うる星やつら劇場版アニメシリーズの2作目、原作は高橋留美子の漫画。1981年版テレビアニメのチーフディレクターであった押井守が監督を務めた。オリジナルストーリーで制作された。
あれから40年、色褪せません。自信をもってお勧めします。
評論等で語りつくされていますので、目先を変えて作品中の科白を紹介します。
これが滅法面白い、たまりません。
★ まず 校長の説教シーン
ああ、誰が知るや、百尺下の水の心(宮本武蔵 吉川英治 1939年)
源義経→桃太郎(わざと間違えてますね?)
「ま、年に一度の学園祭ですから生徒諸君の自主管理の尊重という意味からもですな、
校長の私が、今さら口をさしはさむというのも、なんなのでありまして・・・。
しかしながら、かの親鸞も申しておりますように、善人なおもて往生す、
まして悪人においてをや。
人はみな、ただ一人旅に出て、ふり返らずに、泣かないで歩くのであります。
ああ、誰が知るや、百尺下の水の心・・・
人間誰しも悩み苦しみ過ち、そして、成長し桃太郎は
満州に渡ってジンギスカンになるのであります。
かの大ゲーテいわく、苦悩を経て、大いなる快楽に至れ、
と言うようなワケでして、何はともあれ、
全員ケガ一つせず何より無事、これ名馬であります。
くれぐれも安全第一で、そこんとこ、よろしく」
★序盤の給湯室のシーン。しのぶとラムの会話
本音をぶちまけています。ラムの言葉は伏線か?
しのぶ「それはね」
「つまり ある人がある人を気にして残ってるんで、
私としてはそのある人が気になるから残ってるわけよ」
「ただそのある人が気にしているある人は、
そのことに全然気づいてないわけ。これってわかる?」
ラム 「全然わからんチャ」
しのぶ「でしょうね。だからつかれるのよ、闘志がわかなくって。
ホント辛いわ」
( 面堂さんがあんた(ラム)を気にして残ってるんで、
私としてはあんたを追っかけてる面堂さんが気になるから
残ってるわけよ。
ただ面堂さんがあんたを追っかけまわしてても
あんたはそのことに全然気づいてないわけ。これってわかる?)
ラムのセリフ
「うち、ダーリンが好きなんだもん。
…お母さまやお父さまや、…や…とずーっとずーっと、
楽しく暮らしていきたいっちゃ。それがうちの夢だっちゃ」
じゃ今と同じじゃないと言われて、
「だから今、とても幸せなんだっちゃ」と。
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★ タクシーの運ちゃんに憑依した無邪気がサクラ先生に語る。
哲学的な科白、声優(藤岡琢也の大阪弁)たまりませんね。
「なまじ客観的な時間やら空間やら考えるさかい、ややこしいコトになるんちゃいまっか?
帯に短し、待つ身に長し、いいますやろ。
時間なんちゅうもんは、あんた、人間の意識の産物なんや思たらええのんやがな。
世界中に人間が一人もおらなんだら時計やカレンダーに何の意味があるちゅうねん!
過去から未来へキチンと行儀よう流れてる時間なんて
始めからないのんちゃいまっかいな、お客さん。
人間それ自体がいい加減なもんなんやから、時間がええ加減なんも当たり前や。
きっちりしとったら、それこそ異常でっせ。
確かなのはこうして流れる現在だけ。そう思うたらええのんちゃいまっか
★ 長科白ならお任せください(千葉茂の独壇場)原作では殆ど登場しませんが
アニメでは大活躍、魅力的なキャラクタ-。
「私の名はメガネ。かつては友引高校に通う平凡な一高校生であり、
退屈な日常と戦い続ける下駄履きの生活者であった。
だが、あの夜、ハリアーのコックピットから目撃したあの衝撃の光景が私の運命を大きく変えてしまった。
ハリアーであたるの家に強行着陸したその翌日から、
世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。
いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。
だが、なにかが違う。路上からは行き来する車の影が消え、
建売住宅の庭先にピアノの音もとだえ、牛丼屋のカウンターであわただしく食事をする人の姿もない。
この町に、いやこの世界に我々だけを残し、あの懐かしい人々は突然姿を消してしまったのだ。
数日を経ずして荒廃という名のときが駆け抜けていった。
かくも静かな、かくもあっけない終末をいったい誰が予想しえたであろう。
人類が過去数千年にわたり営々として築いた文明とともに、西暦は終わった。
しかし、残された我々にとって終末は新たなるはじまりにすぎない。
世界が終わりを告げたその日から、我々の生き延びるための戦いの日々が始まったのである。
奇妙なことに、あたるの家近くのコンビニエンスストアは、
押し寄せる荒廃をものともせず、その勇姿をとどめ、食料品、日用雑貨等の豊富なストックを誇っていた。
そして更に奇妙なことに、あたるの家には電気もガスも水道も依然として供給され続け、
驚くべきことに新聞すら配達されてくるのである。
当然我々は、人類の存続という大義名分のもとにあたるの家をその生活の拠点と定めた。
しかし何故かサクラ先生は早々と牛丼屋「はらたま」をオープンして、自活を宣言。
続いて竜之介親子、学校跡に浜茶屋をオープン。
そして面堂は、日がな一日戦車を乗り回し、おそらく欲求不満の解消であろう、
ときおり発砲を繰り返している。何が不満なのか知らんが、実に可愛くない。
あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。
しかし今、我々の築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。
我々は、衣食住を保証されたサバイバルを生き抜き、
かつて今までいかなる先達たちも実現し得なかった地上の楽園を、
あの永遠のシャングリラを実現するだろう。
ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり
人類の未来がひとえに我々の双肩にかかってあることを認識するとき、
めまいにも似た感動を禁じ得ない。」
メガネ著 友引前史第1巻 終末を越えて 序説第3章より抜粋」
★ クライマックスの夢のシーンで、あたるは少女(ラム?)に言う
「お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたいのさ。
わかんねぇだろうな。お嬢ちゃんも女だもんな。」
幼いラムの返事。どのようにもとれる深い言葉。
「責任とってね」