『キリンヤガ』
マイク・レズニック著 ISBN4-15-011272-X
レビュー:[雀部]&[BOO] |
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ハヤカワ文庫SF | 820円 | '99/5/31 |
ヒューゴー賞・ローカス賞・SFマガジン読者賞他様々な賞を受賞した傑作短編集! | ||
設定:
絶滅寸前のアフリカの種族キユク。その伝統を西洋文明に侵されまいとして設立されたユートピア小惑星キリンヤガ。キユク族が、その純潔を守れるように日夜戦い続ける祈祷師コリバの目を通して描いた連作短編集。 アフリカ大好きオジサンの描く、西洋文明vsアフリカの伝統。近代科学vs自然との調和。描き方は単純にして明解。キーワードは、「わかっちゃいるけどやめられない」=「オレは、オレの道を行く!」
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[BOO] | この物語って、ヨーロッパで学問をおさめたコリバという男が、キリンヤガと名づけられた惑星で、自分の属する民族のみの伝統を固持しながら暮らしていく中、日々起こる出来事を解決していく様を描いた内容だと思うのですが、違っておりますでしょうヵ。
そして、彼と同じような民族主義者のみで移住をおこない、徹底的に情報を統制して、自分たち民族主義者にとって居心地のよい社会を築いていくのですよネ。また、民族主義者のみで構成された第一世代から、次の世代に移っていくようになると、当然出てくる別の考えを持つ者たちを弾圧し隔離してゆく・・・。 コレって、イラクのフセイン大統領とかマレーシアのマハティール首相といった現代の独裁者や、イランの保守的な宗教指導者たちの行動や理屈とたいした違いがないような気がします。そして、自分を支持する人々を一ケ所に隔離して、その無垢な子供たちは洗脳し、己の考えに反する者は消去するというやり方は、新興宗教そのもの。 民族主義者がどのように考えて行動しているのか理解するのには役立ちましたが、どうしてこうした内容のモノが、いくら物語として良い出来だとはいえ、こうも評価されるのか理解できません。 「目玉」と書かれているところからして、雀部さんはこのシリーズがお好きなのだと推察いたしました。よろしければ、どこらへんが評価されて日米の賞をとることになったのか教えていただけると助かります。(^^;) |
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[雀部] | 民族主義者という呼び方が適当かどうかはさておき、ある面から見ると概ねそのようなお話ですね。
このシリーズが日本で注目を浴びたのは、第二話の「空にふれた少女」からだと思います。学ぶことを禁じられた少女が自殺するこの話は読者の琴線に触れたとみえ、SFマガジン読者賞を受賞しました。 いたいけな少女を殺して読者の紅涙をしぼるというのは、あまりフェアな手とは思えなかったのですが、途中からちょっとトーンが変わり、コリバと《キリンヤガ》自体を包括し笑い飛ばすようなスタイルが見えてきてからはファンになりました(同じ意味でジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやりかた」もそれほど評価してません。まあ私も泣いた口ではあるのですが^^;) |
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[雀部] | ポール・アンダースンの初期の有名な短編に「救いの手」というのがあります。実は、《キリンヤガ》は切り口においてこの短編と同質のような気がしています。どんな話かというと・・・(もう、何十年も前の作品なのですが)
地球から遠く離れた星域にふたつのヒューマノイド種族が、地球の援助を受けて宇宙に進出し独自の文化圏を築いています。優雅で端正なクンダロア星人と、粗暴で威圧的なスコンタール星人です。このふたつの種族が戦いで疲労困憊し、お互いに地球の平和政策をのみ、今後の方針と、地球からの援助受け入れについての会議
スコンタールは絶望と荒廃、飢餓と疫病からどうにか抜け出し、五十年後、開闢以来の繁栄を誇るようになっていました。元大使と若き王は、秘密裏にクンダロア星に赴きます。そこで彼らが見たものは、圧倒的な群衆でした。多くは地球人ですが、圧倒的に多いはずのクンダロア人は、地球人と同じなりをしているため目立ちません。そこで、元大使は若き王に言い放ちます「まるで地球の典型的な都市です。もはや存在意義のあるものはありません。すべて地球の模倣か、過去の芸術の偽造だけです。一方スコンタールでは、独自の芸術や哲学、科学などが育ち、それを研究するために地球からも若人が派遣されてくるほどです」と。 ここで描かれているのは、常識的な意見(地球からのひも付きでない援助を受け入れて復興すること)が、作者のちょっと一般的ではないが、十分納得の出来る科学的な意見(圧倒的な異文化の干渉を受け入れると、その文化の独自性は失われてしまう)に論破され、まさに読者は足下をすくわれたような気にされるわけです(この感覚はいわゆるセンス・オヴ・ワンダーと言っても良いですね)
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[BOO] | なるほど、伝統とか文化の蓄積のない、アメリカらしい物の見方ですね。 | |
[雀部] | で、《キリンガヤ》なんですが・・・
ヨーロッパ文明の先例を受けた祈祷師コリバは、圧倒的な西洋文明を受け入れると自分の部族であるキクユの文化が失われてしまうことを危惧して、同胞と共にユートピアと信ずるものを建設します。そこで起こる諸問題の解決を通して、本当の人間の幸福とは何かを問いかけるのがこの作品だと思っています。最初は、私も偏屈な祈祷師のおっさんの目から見た異国情緒溢れるSFかと思っていたのですが、話の中で作者自らこのシリーズを笑い飛ばしているような記述を見て、途中から、お、これは確信犯だとの思いを深めました。 この作品がアメリカで受けるのは、一つにはそういった異国情緒と、あと先住民の権利を侵した反省(アメリカ・インディアン等。もちろん余所の戦争にアメリカによる正義を持ち出してしっぺ返しを喰ったベトナム戦争の影響もあると思います)と、こうしてキユクの文化を通して見られる意外なものの見方が、アメリカの伝統的な開拓精神、独立独歩の気風に意外とマッチしているからではないでしょうか。
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[BOO] | “キリンヤガ”で作者が描こうとしたこと、そして、日米でなぜこんなにウケたのかということについて、たいへんわかりやすく説明をしていただきましてありがとうございます。なるほど、そういうことだったのですネ。
たしかに、伝統とかオリエンタルなこととかに弱いとされているアメリカ人なら、ありそうなことであります。日本人が“泣き”に弱いのもたしかですから、第2作めでハマッテしまったのもわかります。(^_^;) BOOは物語を読む時に、たいていは語り手に同化して、その視点で見てゆきます。だものですから、あまりにもBOOの価値観と異なるコリバの思考と行動に、強い違和感を抱いてしまったのですナ。
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[雀部] | 第4話「マナモウキ」なんかに良く現れていると思われませんか?
特にラストで弟子のンデミの吐くセリフ。 またプロローグの「もうしぶんのない朝を、ジャッカルとともに」では、父と子の断絶が描かれてますが、これも見方を変えれば"息子一人も説得できない父親が、どうしてキユク族を導く祈祷師になれるのだろう"という著者の笑い声が聞こえてくるような気がします。ま、その通り苦労の連続なのですけどね^^; |
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[BOO] | まだ読みかえしていないのですけど、たしかに今回の物語の中でも、村長たちに問い詰められて答えることのできなくなるコリバの姿がありますものネ。レズニックの作者として目も、作中においてはコリバではなく、彼と対立する者たちの方にあるのでしょう。そのこともあって、妙になにかがズレた違和感を抱いてしまうのかもしれません。
また、自分の子供でさえも納得させられない者が指導者になること自体おかしなことだとして、このことをもってレズニックが“シリーズ全体を笑いとばしている”ということについては、BOOにわからなかったのはなぜか理解できました。
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[雀部] | ま、それはごもっともな意見で、その通りだと思います。
アメリカ文学の翻訳本を読んでいると、時々「自分のワイフを説得できないような男に、言われたくない」とかいう表現が出てきます。それで、私はこれはかの国では人口に膾炙したフレーズであると思っていたのでした。その延長で、息子を説得できない男も同類ではないだろうかと考えたわけで。 |
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[BOO] | 科学者でいくと、アインシュタインは奥さんと問題を抱えていましたけど、彼の功績にはなんら関係はありませんもの・・・。 | |
[雀部] | それは、哲学者の条件が悪妻を持つことと同じで、悪妻だったから功績があげられたと一般には言われてますね^^;
まあ、ともかくSF・ファンタジーファンなら、必読の一冊であることは、まちがいありません! |
[雀部] 48歳、歯科医、SF者、ハードSF研所員 ホームページは、http://www.sasabe.com [BOO] '63年生。趣味は映画鑑賞と、SF |