作成者別アーカイブ: doru

doru の紹介

 私は興味があるものに対しては物凄い好奇心を持ちます。(私の部屋には一千冊程度書物をおいています。普通の家庭の私の部屋にはそれ以上おけません。しかたがないので図書館で書物をかなり借りて読んでいました) また興味をないものには一切関心を示しません。まあそれは誰でも同じだろうとそれなりに理解しているつもりです。 今、私は「山月記」の虎と同じような運命になっています。虎と同じように私にも人間的に欠陥があるだけじゃなく文書にも欠陥がありました。原稿用紙10枚ぐらいなら普通に書けてバブル時代は70~80%(社会道徳上に酷いものもお構いなく投稿していました)の確率で採用されて文書系においてはまさしく賞金稼ぎでした。ただ原稿用紙20枚ならちょっときつくで、新人作家の投稿基準となる原稿用紙50枚ならどうあがいても無理でした。 それに若い頃はかなり怠惰でした。例え文書に欠陥があっても全力で書けばほどほどの作家になっていたのじゃないかと思います。今になって悔やんでももう遅いです。 文章によく出てくるもとくんは、私が20代の頃からパソコン通信&インターネットでメールや掲示板でさまざまな意見交換をしてくれた男の人です。悲しいことに2015年に肺がんで逝ってしまいました。 あるサイトの掲示板に書いたいた私の文書を一部変更して引用します。 「生前もとくんは、私が書く文書は、書いている本人は普通だと思っているようだけど、もとくんや他の人から見れば異常な文書だと痛烈に批評してくれていました」  またそこの私のプロフィールにもとくんが書いていたことも一部変更して引用します。 「偽善を憎むあまり偽悪家を装っているが、毒舌家でもあるのでそーとーきつい言葉を口走ることありますけど根は優しくて正直者。人を裏切るということがありません」  もとくん、私と長い間つきあっていて、文章だけでなく、私の人間的な本質まで見抜いていたのじゃないかと思います。 今は「十億年のうたたね(日常編2003年前半)」だけだけど、命がつきるまで徐々に作品数を増やしていこうと思います。(補足ですが、2003年当時姪っ子は3歳です) ***************************************************************************************************************************** SF作家筒井氏大激怒「まんがを読むより小説を読め」 私はある病気が原因で、体力心身とも絶不調のときがありました。当然物語の質も落ちていわゆる作家のスランプ状態でした。そのとき朝日系のパソコン通信で物語を書いて新人賞(同期にノーベル賞候補になったと噂の川上 弘美先生の「神様」も掲載されていました)と言えるものがあり、もとくんが誘ってくれたけど、私はまともな物語が書けず、仕方がなくその頃見た夢の内容を物語風に少しアレンジして出しました。 だいたいの作家は、もうちょっと工夫すれば外国の誰それ(名前忘れた)の作品に似たものになるのじゃないかとほぼ平均的で好意的な意見をくれました。 ただそのとき審査委員長だったSF作家の筒井氏だけが私の作品を読んで大激怒しました。かなり酷い批評をしました。その怒りは激しくそこの朝日系のパソコン通信の中だけじゃなく怒りは飛び火していました。偶然私が本屋で立ち読みしていた他の雑誌でその朝日系の新人賞の感想を筒井氏に聞いた記事を見ました。その記事には川上 弘美先生の「神様」を大絶賛したのとまったく逆で(私の作品の名前は言わなかったけどを勘のいい私は自分の作品のことを言っているのだなと悟りました)大激怒してかなり酷い批評をして、川上 弘美先生と同じぐらいの行数を使っていたのじゃないかな。その当時コピー代は高かったし、山月記の虎と同じような運命になった私の高慢な自尊心を傷つけられて雑誌を買う気も起こりませんでした。その物語を書いた当時は私も若かったし、表現方法も稚拙だっだし、表面上は薄い紙かプラスティックのようなもので隠していました。でもその本質は、ある病気の一つの要因となった私と親との確執を描いた私自身の魂の物語でした。他の作家は見抜けかったけど、唯一筒井氏だけが見抜き、トラウマか無意識的なものか知らないけど、私の異常性を感じとって、生理的に嫌悪して大激怒した原因じゃないかと思います。 ***************************************************************************************************************************** p.s 11/7現在 1~4はもとくんと姪っ子をかえただけのオリジナルです。1週間以内に少し推敲して編集します。

つぶれたイタリアンレストラン

私と妹がまだ若かったときの話です。車でちょっといたところにイタリアンレストランができました。そこで二人でスパゲッティを食べました。味はそんなに悪くなく満足して食べ終わったときに、店員の女がきて相席になりますがよろしいでしょうかと行ってきました。人がたくさんいるわけでもなく、私たち姉妹のまわりには5.6人の人しかいません。空いているテーブルも10個ぐらいありました。店員の女は馬鹿だからマニュアルどおりに対応したのだろうけど、私たち姉妹は二度とそこの店には行きませんでした。1年後そこのイタリアンレストランはつぶれました。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

新しい病院

数年前インフルエンザでいつも行っている病院に行ったらつぶれていました。そうしたらそこから200mのところに外科、皮膚科、肛門科と書かれている新しい病院を発見してみてもらいました。そのうちに内科を見るようになって最初の1年は人も少なかったですが、だんだん人が多くなって今は待つのに1時間かかります。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

うぐいすの幼鳥

毎朝7時頃近所の雑木林でうぐいすの幼鳥が鳴き声の練習をしています。 けきょけきょとかほーきょけきょけとか、まだまだ成鳥のようにうまく鳴くことができません。 下手なところを必死でうまく鳴こうとしているところが可愛らしくてたまりません。 早く上手になって夏までに連れ添いを見つけてほしい。毎朝鳴き声を聞きながらうぐいすの親のように暖かく見守っていきたいと思っています。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

ゲド戦記

ゲド戦記といっても指輪物語のような戦いの描写もでてこないし、ゲドが主人公として出てくるのは一巻の影との戦いだけである。 ジブリのゲド戦記は最悪の脚本であった。同じ少年少女に見せるのならゲド戦記一巻をそのまま脚本にして上映させればそこそこの人気が出たろうにおもう。 それはそれで、最後の5巻目の「アースシーの風」で、ゲド戦記そのものが崩壊しています。今まであってもよいことだと思っていた魔法が実は邪悪なものであり、魔法使いは死んだ後も(日本流で言えば成仏)天国にいけることはない。私がゲドだったら今までやってきたことは何だったの? と自己崩壊してしまいそうな物語であった。 ル=グィンもゲド戦記にはそこそこ力を注いでいたはずなのに、ゲド戦記=自己の物語として書いたはずなのに、自分の物語を全否定するような物語をよく書くものだと思った。 今は亡き心理学者の河合 隼雄先生(ユング派分析家)にゲド戦記の最終巻についてどう思うか本音のところを聞いてみたいところである。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

バレンタインデー好きですよ

バレンタインデーお菓子業界の陰謀であるのはわかっていますが、スーパーや百貨店がその時期になるとチョコレートを売ろうとやっきになっているので、その華やかさとか活気あふれるようすを見ているだけで楽しいです。同じくクリスマスとかのイベントも好きです。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

バブルの頃のチョコレート

若い頃仕事にいっていたころバブルの時期だったので、義理で職場の男性の同僚にもブランドのチョコレートを贈っていました。一つのケースに4個ぐらいしかはいっていなかったのだけど、そこそこの値段でした。ブランドであっても量が少なかったので、そんなに高いものとは思ってくれなかったようです。今だったら昔みたいに気張らずスーパーの板チョコを渡すか、たくさんチョコが入っている徳用チョコレートの方がよかったかなと思います

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

100円均のバレンタインチョコレート

3年前だったかな。某大手100円均の店でパッケージがとっても綺麗で中のチョコレートが美味しそうだったので自分用に買って食べたら、この世のものとは思えないほどの「激マズ」でした。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

夢の話>同級生の死去

そんなに仲が良くない悪くないいってみればただの同級生がでてきて家の中で文房具をいじっている夢をみました。ただそれだけの夢なのですが妙に気になって(旧姓)三○裕○ 死去でぐぐってみたのですが出ていませんでした。本人が生きているか電話で聞いてもいいけど、もし死んでいれば怖いのでやめときます。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

心を燃やしつくすような・・・

私の胸の奥では石炭の火みたいなものがくすぶっている。言いかえれば激情みたいなもので、いつ爆発してもいいものだ。しかしそれをすると社会では裁判ごとになり刑務所に入らなければならない。それなら私の得意な言葉で、表現したいのだけど、まだまだ修行が足らないのでこの燃え盛る石炭を表すような言葉はでてこない。 中学生や高校生が書く死ねとかおまんことか殺すとかいう言葉は小便臭くて書く気がしない。できればもっと昇華した文学の力を借りて書いてみたいものだ。 例えば、おごり高ぶった男が虎になる話「山月記」、芸術のためなら娘も焼いてしまう「地獄変」みたいな心を燃やしつくすような物語を書いてみたい。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。

誘拐犯になるところだった

姪っ子が三歳ぐらいのときに公園で遊ばせていました。そのとき四歳ぐらいの女の子が寄ってきて姪っ子のお世話をしてくれました。買い物にいく途中によった公園だったので、そろそろ買い物にいかないとなりません。四歳の女の子にそろそろ買い物に行くねと言ったら四歳の女の子はついていくというのです。そのまま連れて行ったら私が誘拐犯になってしまいます。四歳の女の子にそこで遊んでいてといって、離れたのですが、ずっとそこに待っていて暗くなるまで待っていて、待ちくたびれて泣きながら家に帰って四歳の女の子の心の傷になっているのじゃないかとちょっと心配しています。

カテゴリー: 未分類 | コメントは受け付けていません。