りょーつっぽい夢

どこかで仲のいいみんなと遊んでいる。そこへ空中に空飛ぶ個人用のヨットが降りてきてどこかの豪邸に入ってくる。一緒にカラスが空から財布を落としてくる一瞬一人でぽけっとないないか仲のいいみんなと等分にわけることも考えたが悪いことなので交番にあずけるように考える。だが財布をあけると見たこともない外国のコインばかりはいって紙幣が一枚もない。空飛ぶ個人用のヨットの持ち主が落としたものをカラスが見つけて持ち去ったのじゃないかと思った。豪邸に行き、そこの病弱な青年(男の子かそこらへんあいまい)にあい、この財布があなたのものか聞くとYESと答えて、病弱な青年と知りあいになる。

次の場面でカラスを捕まえる。カラスは最初さわいでいるが、やがて大人しくなり、懐いてくる。私は思い出した。このカラスは以前私が雛の頃から可愛がっていて、大きくなってカラスを野生に返したのだと思った。懐いているカラスを大空に返してやる。

小学校の頃習った木造の校舎に場面はかわる。学校の機能は崩壊し公民館みたいな機能にかわっている。それぞれの地域の人がめいめいに自分の好きなことをしている。その中に病弱な青年とおつきのものがいた。

そこへ私がこの地域や下町がどんなにいいものか青年とそのおつきのものに弁活爽やかに説得する。
まず綺麗なビニールで包装されたシャボン玉や駄菓子の品を指さしてこれはここらへんで作られた駄菓子で安い!と説得する。ところが青年の女の執事(アルプスの少女ハイジのロッテンマイヤー女史みたいな方が冷ややかな目で見て、これは正式な企業でつくられた衛生的な自分たちが容易した品物だと言った。そこで私は別の戦法を考える。近所で経営しているスーパー銭湯じゃなく、昔ながらの銭湯を紹介する。人間生まれたときはオギャーと泣いてみな裸と言った(私が昔作ったあほだら教の文句に似ているなと思った。ついでだからここで紹介しよう)
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「地獄極楽致死塵私欲」
★内容
 地獄極楽塵私欲
 三千世界の真ん中に
 愚かで楽しい
 人間世界がございます
人間世界の初まりは
アダムいざなみ
イブいざなぎ
お二人なかよく一目ぼれ
 惚れた晴れたの恋をして
お二人なかよくえっちする
十月十日で腹が張り
 おぎゃあとおややが生まれます
生まれてくる子は業持ち
なぜなら親は兄妹で
同じ血を引く間柄
これでは子供は業持ち
生まれて来るのはあたりまえ
 すっぽんぽんの赤ん坊
 生まれてすぐに乳吸って
 おやの滋養を盗みだし
生まれてすぐに罪つくり
それでもおやは苦にもせず
自分の滋養をやりまする
 子供は知らず乳を吸い
 大きくなっていきまする
親が与える可愛いおべべ
近所の子らに見せまする
これも己の業のために
己をよーく見せるため
近所のお子の姿見て
己は偉いと思います
しかしそれは間違いで
おべべの下は同じ姿
すっぽんぽんの裸です
 これも業というものか
 業はまさに愚かしい
子供は大きくなりまして
生まれ持った業のために
たくさん勉強致します
他人のお子をけ落とすために
受験勉強励みます
これも己の幸せ探し
未来に幸せ掴むために
一生懸命励みます
一に勉強二に勉強
三四がなくて五に便所
昼も寝ずに夜も寝ず
ただただ机に向かうだけ
 寝る暇なんぞございません
それではいつごろ寝るのでしょう
 春の日差しに照らされて
 小鳥がピイチク鳴く頃に
 己の名前を見つけだし
 喜び胴上げ手がすべり
 まっさかさまに落ちまする
 ずっすり眠って目をあけて
 見渡す限りの白い部屋
 白い壁ならシーツも白い
 ついでに頭も真っ白で
 これはどうしたいかなることか
 母親薮医者大あわて
 針を突き刺しレントゲン
 それでも頭は真っ白で
 母親わめいて身体をゆする
 それでも頭は真っ白で
 医者はがんばり点数かせぎ
 それでも元に戻りません
 母親薮医者さじなげて
 他の病院紹介状
 やっと眠れた安心の
 心がねじがゆるんたときに
 頭のねじもゆるんでね
 これで眠れるああ嬉し
 あははと笑いの幸せ響く
 やっと幸せつかんだよ
 こんな幸せあるものか
 母親なげき頭を抱え
 子供と同じ幸せ探し
 あははと笑って首をつる
 だけど子供は嬉しそう
 笑いころげてああ楽し
 これも業と云うものか
 業は誠に愚かしい
 古今東西変わらぬことは
人間一皮剥けば皆同じ
 親の腹からでた赤子
 すっぽんぽんで泣きまする
 にゃおんと泣けば猫の子で
 おぎゃあと泣けば人の子よ
 初め裸で泣く声おぎゃあ
 どいつもこいつも同じでござる
 それがどうしてわからぬことか
 ひねてひねられひねまくり
 人間世界は愚かでござる

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ここらあたりの歌を歌うことはりょーつよりフーテンの寅さんあたりがいいそうだなと思った。
これを聞いた女史は顔を赤くしてまあと答える。
やったなこれで1ポイント稼いだなと思った。
銭湯の良さを力説する。そこの銭湯はただの銭湯じゃなく温泉が湧き出している銭湯で銭湯のお湯を舐めてみれば塩からい味がするスーパー銭湯にはない本物の温泉の銭湯だと力説する。そしてその銭湯を行けば病気が治るとも力説する。そしてその銭湯には気難しい昔ながらおやじがいて、銭湯と一緒に昭和ロマンあふれる駄菓子屋も併設していると言った。
校舎でそれを聞いていた別の親子の女の子が黄色の糸でリリアンを編んでいる。女の子の母親にどこで手に入れましたかと聞いたら藤野屋で手に入れました。そしたら私が指摘するので言って下さいと言うとわかりましたと同意した。

しばらく話し合ったうち、青年がもういいよ私が紹介するところに連れて行ってくれと言った。
6時間授業だけど、1日ぐらいさぼって青年を案内するのもいいものだなと思った。

そこで突然我に帰り、リアルではそんなところ一切知らないのに気がついた。どうしようと思ったところで夢から覚めた。

doru の紹介

 私は興味があるものに対しては物凄い好奇心を持ちます。(私の部屋には一千冊程度書物をおいています。普通の家庭の私の部屋にはそれ以上おけません。しかたがないので図書館で書物をかなり借りて読んでいました) また興味をないものには一切関心を示しません。まあそれは誰でも同じだろうとそれなりに理解しているつもりです。 今、私は「山月記」の虎と同じような運命になっています。虎と同じように私にも人間的に欠陥があるだけじゃなく文書にも欠陥がありました。原稿用紙10枚ぐらいなら普通に書けてバブル時代は70~80%(社会道徳上に酷いものもお構いなく投稿していました)の確率で採用されて文書系においてはまさしく賞金稼ぎでした。ただ原稿用紙20枚ならちょっときつくで、新人作家の投稿基準となる原稿用紙50枚ならどうあがいても無理でした。 それに若い頃はかなり怠惰でした。例え文書に欠陥があっても全力で書けばほどほどの作家になっていたのじゃないかと思います。今になって悔やんでももう遅いです。 文章によく出てくるもとくんは、私が20代の頃からパソコン通信&インターネットでメールや掲示板でさまざまな意見交換をしてくれた男の人です。悲しいことに2015年に肺がんで逝ってしまいました。 あるサイトの掲示板に書いたいた私の文書を一部変更して引用します。 「生前もとくんは、私が書く文書は、書いている本人は普通だと思っているようだけど、もとくんや他の人から見れば異常な文書だと痛烈に批評してくれていました」  またそこの私のプロフィールにもとくんが書いていたことも一部変更して引用します。 「偽善を憎むあまり偽悪家を装っているが、毒舌家でもあるのでそーとーきつい言葉を口走ることありますけど根は優しくて正直者。人を裏切るということがありません」  もとくん、私と長い間つきあっていて、文章だけでなく、私の人間的な本質まで見抜いていたのじゃないかと思います。 今は「十億年のうたたね(日常編2003年前半)」だけだけど、命がつきるまで徐々に作品数を増やしていこうと思います。(補足ですが、2003年当時姪っ子は3歳です) ***************************************************************************************************************************** SF作家筒井氏大激怒「まんがを読むより小説を読め」 私はある病気が原因で、体力心身とも絶不調のときがありました。当然物語の質も落ちていわゆる作家のスランプ状態でした。そのとき朝日系のパソコン通信で物語を書いて新人賞(同期にノーベル賞候補になったと噂の川上 弘美先生の「神様」も掲載されていました)と言えるものがあり、もとくんが誘ってくれたけど、私はまともな物語が書けず、仕方がなくその頃見た夢の内容を物語風に少しアレンジして出しました。 だいたいの作家は、もうちょっと工夫すれば外国の誰それ(名前忘れた)の作品に似たものになるのじゃないかとほぼ平均的で好意的な意見をくれました。 ただそのとき審査委員長だったSF作家の筒井氏だけが私の作品を読んで大激怒しました。かなり酷い批評をしました。その怒りは激しくそこの朝日系のパソコン通信の中だけじゃなく怒りは飛び火していました。偶然私が本屋で立ち読みしていた他の雑誌でその朝日系の新人賞の感想を筒井氏に聞いた記事を見ました。その記事には川上 弘美先生の「神様」を大絶賛したのとまったく逆で(私の作品の名前は言わなかったけどを勘のいい私は自分の作品のことを言っているのだなと悟りました)大激怒してかなり酷い批評をして、川上 弘美先生と同じぐらいの行数を使っていたのじゃないかな。その当時コピー代は高かったし、山月記の虎と同じような運命になった私の高慢な自尊心を傷つけられて雑誌を買う気も起こりませんでした。その物語を書いた当時は私も若かったし、表現方法も稚拙だっだし、表面上は薄い紙かプラスティックのようなもので隠していました。でもその本質は、ある病気の一つの要因となった私と親との確執を描いた私自身の魂の物語でした。他の作家は見抜けかったけど、唯一筒井氏だけが見抜き、トラウマか無意識的なものか知らないけど、私の異常性を感じとって、生理的に嫌悪して大激怒した原因じゃないかと思います。 ***************************************************************************************************************************** p.s 11/7現在 1~4はもとくんと姪っ子をかえただけのオリジナルです。1週間以内に少し推敲して編集します。
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