Chapter I Ragnarok
生命あるものはすべて、その生命の火をともし続けるために生きている。
然るに、人類は神の計画のために生きてきた。
『神』Dr.シンイチ・アカギ(2170年)
1 ドクター
私はドクター・カッパー・バーニー・ステイトという名で知られている。
私のこの時までの一生は、科学と革命とそして戦いにかけた日々でうめ尽くされ、それは今も変わってはいない。
私が今の名前を名乗る前、まだ私が渡良井哲也であったとき、私は、先祖からの長大な計画として伝えられていた、世界統一革命の中心人物として活躍した。それは、最後のつめで失敗し、私は二次的な計画として外からの脅威をもって地球世界の統一を目指そうと思い立った。結果は悲惨で、私は幾人もの友人を亡くし、私自身生身の肉体をも失うはめとなった。
そのときから、私は政治的なことから引退し、今の名を名乗り過去を捨て、科学に殉じる覚悟であった。たしかに、私はその後も小出拓大統領の選挙に干渉したし、我が愛すべき『坊や』、ピートの活躍に協力したこともあった。しかし、私にとって、その時点では科学こそ私の余生を慰め得る最上の物と信じて疑うことはなかった。そんなある時期、あの事件は起こったのだ。
2 二一六八年水星
シンイチ・アカギは一足先にキャンプの外に出てみんなを待っていた。水星の大気の無い空は常に暗い。そして日の当たる面は太陽系の惑星のうちでもっとも熱く、逆に日の当たらない面の方は絶対温度で計った方が早いほどの低温になる。いまはこの地帯はいわば黄昏状態になっていて、太陽は異常に近く感じられる地平線の近くに眩しく輝いている。
ほとんど光を反射してしまう銀色のフェイスガードを通して、ようやっと人造人間とそれに押される円筒体をアカギは見付けることができた。人造人間の方も彼に気付いたらしく、彼に対して手を振ってみせた。その二つの物体は、一見すると二百年ほども昔に流行ったというパルプ雑誌の登場人物のように見える。人造人間であるテドはかろうじて人型と判断できるが、それでもむしろちょっと高級な産業用ロボットといったいでたちで、今時めずらしい小型の起重機のようにみえる腕がいかつい肩から生えていた。しかし、彼の釣鐘状ののっぺりとした頭の真ん中についた、大きな一つの目の奥には、高い知性を秘めた生体脳が収められているのだ。
そのテドが押している円筒こそは、かつて正真正銘の人間だったドクター・カッパー・バーニー・ステイトその人であった。カッパー博士がかつて三惑星連合、つまり現在の太陽系政府を、地球のあらゆる勢力から独立させるのに貢献した一人であるというのは、今や公然の秘密といってもよいほどでもあるが、以前のまだ生身を持っていた当時の彼は名を変えてまでその事実を隠そうとしていた。というのも、その独立にかかわった要人たちは、初代と二代目のそれぞれの大統領を筆頭に、正体不明の勢力によってつぎつぎと暗殺されていたからである。
はじめのうちはカッパーも逃げおおせていたが、ある時、カッパーたちの研究所は宇宙船造船会社の連合からの圧力により金星の大学を追われ、火星のフォボスに幽閉されてしまうことになったのだ。直接の原因は彼らの研究のひとつである重力転換理論が造船業界の利益と衝突したことにあるのだが、その裏に例の組織がかかわっていることは明らかであった。フォボスに移ってからしばらくして、カッパーと同僚のロジャー・アレフ夫妻が、同じフォボス上にあった別の研究施設へ小型ロケットで移動する最中に原因不明の爆発事故に遭った。アレフ夫妻はその事故で即死したが、カッパーは辛うじて命をとりとめた。ただし、肉体を失い脳髄だけとなっていたのであったが。それは彼の父親の時代の話であった。
アカギはそのカッパーの、ビデオカメラのような形をしたレンズ眼が、太陽のひかりにかすんで見える青い星に向けられていることに気付いた。水星に調査団を引きつれてやってきてからかなりたつが、カッパーの視線は気がゆるむとすぐその方向に向けられていることにアカギは気付いていた。
「また、ピートのことを考えていたのですね。」
ピートことピーター・アレクサンダー・ジョン・アレフは、あの事件で亡くなったアレフ夫妻の忘れがたみであり、カッパーにとって息子同然の存在であった。そのピートは今、大犯罪者バーソロミュー・ジョハンスンの息子を追って地球に降りていたためこの調査には加わっていなかった。しかし、カッパーのこのような仕草のおかげで、アカギは目の前の物体を一つの人格として認めることができるのだ。
「大丈夫ですよ、カッパー。『便りの無いのは無事な証拠』っていうじゃないですか。」
「古い言葉をまた…。カールの影響か? それとも{裕郎}{ひろのり}の?」
「父からは性格と職業くらいしか受け継いでいませんよ。私は父とろくに話したことすらないのですよ。」
カッパーは黙ったままだった。
「カッパー、みんな集まったようです。」
カッパーの声とは別の人工的な声に、アカギは一瞬びっくりした。ヘルメット内に聞こえる声は方向感覚がまったくないから、ときどき戸惑ってしまう。
声の主はテドだった。作られてからの四十年近くの歳月のうちに、テドはすっかり人間くさくなってきている。それでも、アカギはいまもってテドが本当に感情を理解できているのか疑問に思うことがあった。つまり、テドが感情を持っているように見えるのは、それは単に組み込まれた人工知能が、記録された経験を条件に応じて繰り返しているだけなのではないだろうかと。
カッパーのようなより非人間的な存在の人間性を認めながら、より人間に近い形態をしたテドの感情に疑問をもつとは皮肉なもんだとアカギは思った。
テドの呼ぶ声に、カッパーが一瞬うなずいてみせたような気がしたが、アカギは頭を振ってそんな考えを降り払った。
人類が初めて水星に足跡を示したのは二十一世紀のことである。しかし、太陽系の隅々にまで人類が植民地を築いたとき、最後まで残ったのは水星と冥王星であった。とくに水星はその環境が極端に変化することから、一番植民に適していない土地だったのだ。そのためか、この水星上において、人類が文明の最初の炎をともすずっと以前から何者かが住んでいたことを示す証拠を、現在キャプテン・アレフとして知られるピート・アレフが二十四年前に発見した時以来、多くの考古学者の手によって他の惑星の遺跡が調査しつくされたあとになっても、最初に発見された水星の遺跡自身は最後まで手を触れられずにきたのだった。
今までの発掘調査によって、この遺蹟の中心部分にある『神の宮』と呼ばれる建造物以外はほとんど調査が終了し、いまはその『神の宮』の調査に入っていた。遺跡の周辺の地形は複雑で、キャンプを張るには適していなかったため、彼らはこうして毎回キャンプ地より歩いて遺跡まで通っていた。
調査隊は真っすぐ神の宮に向かった。アカギが先頭に立って最初の扉の前までたどりついた。アカギはその表面に浮き彫りにされている星型のうえに左手をかざして、右手で然るべき順序と回数にしたがって印を結んだ。
「今は亡きバーソロミュー・ジョハンスンがこれをみたら、きっと涙を流して喜んだことだろうな。」
テドの言葉の終わらないうちに扉は観音開きになって調査隊はその中に入った。
そこは、壁全体が照明になっていて、総勢十三名の調査団が全員はいると多少狭く感じられた。似たような仕掛けは他の惑星にある遺跡にもあって、それがエアロックの役を果たしていることもわかっていた。調査隊員全てが部屋に入りきったことを確認して、アカギが部屋の反対側の扉のうえに手をかざすと、今入ってきた扉は閉まり、ヘルメットを通じて空気の流れてくる音が聞こえてきた。この空気の成分は呼吸に支障が無いことを示していたが、その成分が安定して供給され続ける保障はどこにも無かったので、彼らはあえて気密服を着たまま作業することにしていた。
三つめの扉をくぐれば、そこは大部屋になっていて考古学的資料の宝庫となっていた。ここでスタッフは各班に別れて作業をはじめた。部屋の真ん中には直径十メートルぐらいの円柱がそそり立っていた。カッパーとアカギはそれにいま取り組んでいた。
「これは本当にあれだと思うか。」
「ええ、Mq一〇七号遺跡の壁画にかかれていたことに一致していますから。」
カッパーはその丸い壁面にそってレンズ眼を動かしながら不安そうにいった。
「私もそう思うのだが…。だが、我々にこの扉を開けることは、本当にできるのだろうか?」
「何をおっしゃるのですか、ドクター・ステイト。できるできないではなくて、我々はやり遂げなければならないのですよ。ここは『神』に伺いを立てる場だとあります。これは彼らの本星に対する通信機に違いありません。これが彼らの本星を知るきっかけを与えてくれるかもしれないのですよ。そうでなくとも、我々は大距離通信機を手に入れられるのです。」
「すると、きみは神というのが誤訳にすぎないという説に今も賛成なのだな。」
「ま、いずれわかることですよ。」
扉を開ける組合せを試すのはもちろん生身の肉体を持ったアカギの仕事となる。身振り手振りはテドにもできるが、テドは一つも扉を開けることができない。むろん、手足の使えぬカッパーは論外だが、原因不明の要素が働いているようであった。アカギは右の手を柱の模様の一つのうえにかざして、他の遺跡で解析したキーワードを唱えた。扉は相変わらずそのままである。
「他のリズムやアクセントを試してみるのだ。発音に関してはもう間違いはないはずだ。」
アカギとカッパーは何時間もかけて彼らの言語学的知識を総動員して扉と格闘した。そしてようやっと、アカギの何回目かの試行錯誤ののち、扉は音もなく消滅し三人は一斉に息を飲んだ。カッパーはさっそく今の発音に関する記録をとった。これは過去に実際に使われていた言語の発音に関するもっとも重要な証拠となるからである。
柱の一部は完全になくなっていて、その奥には小部屋がのぞいていた。テドがカッパーを押して先に入り、少し遅れてアカギも中に入った。アカギが中に入ると同時に壁は再びもとに戻り彼らは閉じこめられた形になった。
「これは通信機などではない。何か別の用途のために設けられたものだ!」
カッパーのレンズ眼はせわしなく動いてなかの状況を洩らさず記録しようとした。テドは輝きを放つ壁を不安そうに見つめている。
「まさか本当に神に対する通信機だとか…」
「馬鹿な。そんなことは有りえ…」
その時急に壁の輝きが強くなり、アカギはテドに対する反論を途中で飲み込んだ。
「カッパー、部屋のなかの電荷密度が急上昇しています。俺たちの体が帯電しはじめているんだ!」
すぐにテドは酔っ払ったようになってふらふらと倒れてしまったが、カッパー自身もそれを最後までみることはできなかった。カッパーの神経に接続されているすべてのラインに大容量の電流が流れこんできたのだ。カッパーの視界は真っ白になってしまい、何も感じられなくなってしまった。しかし、カッパーの脳機能自身は異常がなく、相変わらず冷静な判断を下し続けている。
「すると、テドの人工脳が電気信号に対する相性が一番よかったから、一番早く反応したというわけか。するとアカギは?」
カッパーの思考はしかし、突然巻き起こった『声』にかき消された。
『フォボスのアカギよ、ここは神聖な場所だ。ヘルメットははずすのだ』
カッパーは声に悪意を感じられなかったので、あえて抵抗しなかった。
「おまえは何者だ。」
『カッパー・ステイト、恐れることの無い者よ。私はおまえたちの先祖たちの神であり、この都市を作ったものたちの神でもある。
私は{最初}{アルパ}であり{最後}{オーメガ}であるものだ』
声の圧力が増して押しつぶさんほどになっていたが、この世に存在するもので、いや存在しないものならなおのこと、カッパーにプレッシャーを与えることのできるものはなかった。
『時は満ちた。おまえたちは間もなく大地の滅びを耳にするようになるだろう。そして、運命は解き放たれるのだ。』
すると、どこからか声高くラッパの音が鳴り響き、まるでベールが外されるようにその存在は遠ざかっていった。しばらくして、過負荷から立直ったカッパーの視力が回復してみると、壁の明かりがいつのまにかなくなっていた。
彼らの入ってきた穴は再びぽっかりと口を開け、外からの光が差し込んでいた。テドは尻餅をついたような格好で座り込み、アカギにいたっては、ひざまづいて頭を地に付け、震えていた。すると、彼らも同じような光景を目にしたのか!
「シンイチ、彼はいってしまった。頭をあげるのだ。」
アカギは恐る恐る顔をあげてカッパーのレンズ眼を見上げた。
「カッパー、あなたは何も感じないのですか? この部屋には神の一部分がさっきまで存在していたんですよ。」
「私はそのことよりも、彼のいった言葉の方が気になる。外の方が騒がしいようだ。ヘルメットを付けてついてきなさい。」
テドもようやっとショックから立直ると、カッパーを押して外に出た。外では、あるものは仕事をまるっきり放棄して泣き叫び、またあるものは仕事をうわの空でやっていた。その中の一人がカッパーたちに気付いたらしく、ヘルメットを床に叩きつけて彼らのもとにふらふらとやってきた。
「ついにおっぱじまりましたよ。」
それは世界が崩壊してから数時間後のことであった。
3 二一六八年地球
もう、ここに閉じこめられてからどのくらいの時間が経ったのかとピートは思った。
この閉鎖的なシェルターのなかで時間の経過を知る唯一の手段は手巻式の時計だけだった。その時計の針は今、一五周目に入ったところである。計算上は世界が滅びの時を迎えてから一週間が過ぎたことになる。しかし、時間感覚がおかしくなってしまった今では、数字は意味をなさなかった。このシェルターの持ち主フレッドが懐古主義者だったため、ここの時計はみんなぜんまい仕掛けの手巻式やふりこの時計だった。今、それらの時計の針には互いに数分のバラツキがあったが、どれが正しい時刻なのかわからないので、あわせることはできなかった。もし星が見えたなら、ピートはこの土地の正確な地方時を計算することができたが、外に出ることはもちろんできない。瞬間致死量とまではいかないとしても、非常に危険な放射能の嵐が吹き荒れているはずだからである。そして時間は時とともに不確定さを増していた。
「それにしても、ジョハンスンがあのネットワークを発見していたとは思わなかった。うちのスタッフがむかし書き替えたプログラムをついに解読してたんだ。ま、コンピュータに慣れた人間にとってはたいしたものではなかったからな。でも、やつがあれを発見しなければ、あの日のくるのを少しでも先にのばすことができたのに。」
フレッドが奥の部屋からお茶の容器を持って入ってきた。
「きみはいずれこのような日がくることを予想していたんだろ。」
フレッドはピートの目の前のソファに座ってお茶をカップに注いだ。花の香りのついた茶の独特なにおいが漂う。
「頼むから、そのお茶はやめてくれないか。それだけはどうしても馴染めないな。」
「ぜいたく言うな。これは紅茶よりもずっと健康にいいんだぞ。」
「これだけ放射能を浴びていて健康もなにもないものだがな。」
ピートは本来タフで絶望することの無い男だったのだが、そんな彼でさえ落ち込むほど現状は絶望的であり、彼はストレスがたまっていた。
放射能を浴びたといっても、それほど大した量ではないはずである。ただ、爆心地の比較的近くにこのシェルターが位置していたため、設計者が考えていたよりは大量の放射線が壁を通して流れこんでいるはずではある。二人ともすでに吐き気などの前駆症状はおさまっていたが、そろそろ第二段階の症状として血液の成分の異常が始まっているはずで、細菌感染に注意しなければならなくなっていた。
「そろそろこれからのことを考えた方がいいかもな。」
「そうだな。薬品類のストックは十分として、問題は食料だな。二人で約二ヵ月のストック量が確保されているが、放射線障害による消化器官の異常から二人ともそんなには食べられなくなるだろうから、三ヵ月以上はもつだろうか。」
「そもそも食欲がわくかどうか。」
ピートはのどまで出掛かった賛同のことばを途中で飲み込んだ。
「フレッド。食わなければ生きてはいけない。」
フレッドは茶を一口すすった。ストレスのたまっていたピートの方が先に胃腸をやられた。まだ、茶でも飲める分フレッドの方がましだった。
「まず第一に、他のシェルターとの連絡を取らなければならないんだが、しばらくは電波障害で無理だ。大気の様子がわからないから何とも言えないが。どっちにしろ、放射線の影響で爆心地の近くの電子機器はみんなおしゃかになってるはずだ。」
核反応にともなって生じる大抵の放射性物質(α線やβ線も含まれる)はシェルターの壁でほぼ食い止められる。ところが電磁場の一種であるγ線は厚い壁をも突き抜けて集積回路をこわしてしまう。ここの空調設備がぶ厚い鉛に囲まれていなかったら、今ごろふたりとも窒息していたことだろう。
「第二に新しい食糧の確保だ。幸いなことに、このシェルターには色々な植物の種が確保されている。強い照明さえあれば地下にトンネルを掘って食物の栽培も可能なはずだ。」
「望みは薄そうだな。」
「しかし、試してみなければ。」
いつもなら頼もしく聞こえるピートのことばも、今は空しく聞こえるだけだった。ピートはカップの茶のにおいをかいで顔をしかめた。整っていたピートの顔も、ここ数日の経験でやつれはて、不精髭が茂りはじめていた。目も落ち込み皮膚の艶も失せている。あの太陽系に並ぶものなしとまで言われた若者も、もはや体力の下降期にある中年なのだ。不可能を可能にするとまで言われたこの男の命運も、いまや尽きようとしているのだろうか。
フレッドの時計はそれからさらに三十周ほどした。
フレッドもピートも体がだるく微熱がずっとつづいた状態だった。二人とももはや何もする気力も残っていないような状態だった。
そんなとき、奇妙な客人がエアロックをくぐってやってきた。外はまだ危険な放射線の嵐がつづいているはずである。ところがその客人は対放射線の防護を一切していないようだった。ピートが持っていた放射線係数管にも自然の基準量以上の放射線は検出されなかった。その背の高い、浅黒く焼けた風変わりな客人は、つばの広いぼうしをぬいで二人に深々とお辞儀した。
「私は、魔術師アーサー師の弟子のひとりで、ヴィルハイムと申すものです。師の命により、遥か海を越えこの惨状を生き延びた人々の調査をするため西に向かう途中、あなた方の家に立ち寄らせていただきました。」
椅子に座り込んでぐったりしているフレッドの代わりに、ピートがヴィルハイムに質問した。
「あなたはどのようにしてこの『嵐』の中を生身で移動できたのですか?」
男は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「確かにこの広い世界を移動するのはたいへんなことです。私達はたまたまエアカーをもっていたために、こうして旅を続けることができているのです。燃料の補給にはてこずりましたがね。」
「いや、私の言いたいのは…」
「無論わかってますよ。私が放射能から守られている理由のことをお尋ねしたいのですよね。」
苦痛のなかにも科学的好奇心を喚起されたピートは熱心にうなずいてみせた。
「私達は{古}{いにしえ}より伝わる秘術を開放することに成功したのです。先の大戦のあとその力が私達を守ってくれているのです。」
「{マイ・ゴッド}{こりゃたまげた}! 聞いたかフレッド。バーソロミュー・ジョハンスンのことばは本当になってしまったんだ。魔法の復活だ!」
少ないことばから真実をつかんだピートの興奮した声に、ヴィルハイムは不思議そうな顔をした。
「ほほう? 普通、魔法というと、そんな馬鹿なという反応しか見られなかったのですがね。」
「あなたは俺に魔法を信じさせたいのかい、それともさせたくないのかい?
俺は科学的方法で、魔法を肯定する証明ができないが否定する証明もできない以上、その実際の作用自体がその存在を証明するものと信じている。」
ヴィルハイムは微笑んでみせただけだった。
「魔法の作用を妨げているのは、多くの人間の否定的な考えだって事は、いまでは超心理学の常識なんだ。数世紀前は未開民族の間で実際に魔法が使われていた事実を俺は知っている。それに太古の前人類は魔法文化だったことも、惑星の遺跡の発掘調査でわかってきているんだ。」
思わぬ事実に興奮するピートとは裏腹に、フレッドは釘をさした。
「しかし、しかしそれがどうしたというのだ。いま世界中に残っている食料を集めても、今年の冬すら越すことができるかどうか…」
魔法使いがフレッドをなだめた。
「食料の自給手段はすでに整いつつあるのですよ。地上に残された百〜二百人ほどの導師はこの日のくるのを予測して多量の食料を地下に貯えています。場所によっては植物の栽培も実験的に始められています。中でもとくにガブレリアが一番大きな供給源になるでしょう。」
「ガブレリア?」
聞き覚えのある名に、ピートは聞きなおした。
魔法使いはその時初めて眉をしかめてみせた。
「ガブレリア--ガブリエル・ジョハンスンの作りあげた街です。」
ヴィルハイムはフレッドのシェルターについていくつかの質問をすまし、できるかぎりの手当てを二人に残してから出ていった。ここに植物の種があることを聞いてたいそう喜んでいる様子だった。
彼の去ったあと、ピートはひとりで考える時間が多くなった。植物の屋内栽培--それも地下での--には多くの困難がともなうだろう。多数の種子がここのと同じに放射線を浴びていることもある。それに、この世界では技術者が絶対的に不足しているだろう。その多くが大都市と運命をともにしただろうから。ピートは、この中国の端からアーサー師のいるイングランドまで、歩いてゆくことが不可能な距離ではないことを知っていたが、また同時に今の放射線障害で貧血を起こしている彼が歩いてそこまでいきつくことのできないことも確かだった。だが、 このシェルターの倉庫には彼がここにくるときに使ったエアカーがあるはずだ。
ここ数日とうって変わってピートは精力的にその頭脳を回転させた。今までは明確な目標が見えなかった。しかし、今や彼にはできることがあった。そう、キャプテン・アレフはまだ死んではいないのだ!
彼を黄泉の国からの使者が迎えにくるその日までキャプテン・アレフはあきらめない。いや、その目標さえしっかりしていれば、その死の寸前まで彼は運命に戦いをのぞみ続けていることだろう。
客人の訪れてから彼らの時計で三日後。フレッドの寝ている間にピートは手紙をしたため、それをテーブルの上に置いた。エアカーでならイングランドまで二、三週間もかからないはずだ。その間の食料はエアカーに残された携帯食で間に合う。感染したときのための抗生物質だけが不安であるが、これは仕方がない。そうだ、重力転換装置をもっていこう。その隠された能力がこれからどうしても必要になることだろう。エアロックでピートは自分の宇宙服に手を延ばしかけて躊躇した。ガブレリアと称する街には相変わらずバーソロミュー・ジョハンスンの息子、あのガブリエル・ジョハンスンがいるのだ。彼の正体が知られていないほうが行動しやすいだろうその時より、ピーター・アレクサンダー・ジョン・アレフという名の、キャプテン・アレフと呼ばれた人物は歴史上から消えた。これは同時に、のちにアレフの平和と呼ばれるようになったひとつの時代の終わりでもあった。
4 ラグナレク
ここで一度、後にラグナレクと呼ばれるようになる、地球上で起きた最終戦争について触れねばなるまい。
中近東の回教勢力の崩壊のあと、世界は中国を中心とする東洋勢力圏と、EC-ロシアを中心とする西洋勢力圏に二極分化して相争っていた。アメリカ大陸は、この世紀の始めにカッパー博士達の起こした革命騒ぎの影響で、何十年も前から弱体化していて、東西勢力の植民地化してしまっていた。いつから中東やアメリカ大陸での局地戦争が始まったかは定かでない。しかし、それはやがてエスカレートしていき、ついに西暦二一六八年、両勢力は全面核戦争に突入し、地球の表の歴史は幕を閉じることになる。これが後に魔法使いたちによってラグナレクと呼ばれるようになった最終戦争の結幕である。この呼称は外の世界--後のエルドゥやイプシロン--にまで伝わり、一般化することになる。
ラグナレクの原因は複雑で、いまとなっては真相は闇のなかであるが、ガブレリアの語り部達の記憶する伝説によると、神の意志がある人物をして地上の人口を減少させしめ、残された人たちが魔法に目覚めるように仕組んだものだという。両文明間に魔術が広がるのがこの時期からであることからして、少なくともラグナレクが{魔術の歴史}{マーギーヒストーリエ}における大きなターニングポイントであることだけは確かである。
魔法が当時と違って社会一般において認められている現在、この説が学会でおおいに支持されていることを一言付け加えておこう。
なお、神話は憎しみをこめてこう語る。
ガブリエル・ジョハンスンこそが、その父の残した核ミサイルの制御装置を解き放った人物であると。つまり彼こそが神に選ばれ、その意志を代行したものだと。
イプシロン神話に詳しくない読者諸兄のために僭越ながら付け加えさせてもらうと、このジョハンスンは、現在聖人のひとりとして祭られている。
V.O.
5 二一六八年地球
あの丘で終わりにしよう。
いくつか目の丘を越えながらフレッドは思った。ピートはもう行ってしまったんだ。そう思いつつも彼は探さずにはいられなかった。
本当に孤独な毎日を、病んだ体を引きずって哲学的考察に費やするということが、どんな苦痛なのかピートはわからなかったのだろうか。これが平常時なら喜んで彼も孤独に甘んじよう。彼とて哲学者の端くれである。それこそ願ったりだ。しかし、つかれ切って死の恐怖と隣あわせのいまは、それは彼を狂気へと誘う。
何度目かの坂を昇るうち、ふとなにかの動く気配が感じられた。フレッドは弱った体をひきずってそっちの方へとかけていった。
それは人間の代わりに戦うように作られたと思われる一台のロボットだった。
フレッドは一瞬ぎょっとしたが、よくよく見ると何の武装もしていないし戦闘中枢も破壊されているようだった。それは数ヶ国語で何かわめいていた。
「…はれるや!
救イト栄光ト力トハ、我ラガ神ノモノナリ…。
我レ新シキ天ト地ヲ見タリ…。
見ヨ、我スベテヲ新タニセリ…事スデニ成就セリ。
我ハあるぱニシテおめがナリ。
…ガティガティパラガティ、パラサンガティ、ボーディスヴァーハ。アーメン、事スデニ成就セリ。ハレルヤァ! アァーメェーン!…」
フレッドは茫然としてわめき散らす物体を見下ろした。
「…事は成就せり、か…」