第3部 革命2(魔法物語)

第4章 夜明け

Chapter IV The Dawn
     アヴァロキテシヴァラ曰く、
     「すべては空にして、空はすなわちすべてである。
     すべては存在しないのだが、存在しないように見えても実は存在しているのだ。
     そのことを突き詰めて行くと、最高の真実の言葉に到達する。すなわち、
     『ガーティ・ガーティ・パーラガーティ・パーラサムガーティ・
     ボーディースヴァーハ!』」
              (マハ・プランジュニャ・パラミタ)

 午後の日差しは強い。岩の影が黒く浮き出て見えるほど、その日の太陽は眩しかった。
 でも、とニックは思った。ラグナレクの後に続いたあのフィンブルの永い暗黒の冬を生き延びた者にとって、この眩しすぎる日差しは神の福音のように思える。
 いつしか日は傾き、影が長くなりつつあることにニックは気付いた。一休みのつもりが思ったより長居をしてしまったようだ。彼が休んでいる岩の影の長さからすると、もし今晩も野宿するつもりならば、そろそろ用意をしなければならない頃合だった。砂漠地帯は昼夜の寒暖の差が激しいから、放射線の防護と温度の両方に気を配ったキャンプが必要で、その準備に手間取るからである。
 それでも、ニックは立ち上がって服に付いた砂を払うと、そばに立てかけておいた長剣をつかみ腰に付けた。放射線防護の助けになる重力転換器のフィールドをせばめて、ニックは魔力の結界の力を強める呪文を唱えた。昨夜一晩の宿を提供してくれたヨギの導師が、この先に「フェリスの宿」と呼ばれるシェルターがあると教えてくれていた。そして、アーサー師直伝の占いはそこに求めるものがあることを示していた。
 砂よけと酸素補給を兼ねたマスクをかぶって、ニックは光の中に足を進めた。半年以上前にアーサー師の〈洞〉――アーサー師亡き今も、こう呼ばれ続けている――を出て以来かぶりっぱなしのつばの広い帽子の破れ目から、日光が漏れて来る。
 八年ぐらい前に、アーサー師は自らガブレリアに潜入しようとしたのだが、さすがにその無謀な行為は失敗し、アーサー師はジョハンスンに殺されていた。それ以降は、ニックが名実共に魔法使い達の長となって、アーサー師の成し遂げられ無かった事をやろうとしていた。まずその先陣としてトムをガブレリアに送り込み、十分な準備の後で、今彼自身がこうしてガブレリアに乗り込もうとしていたのだった。
 彼は過去の技術を発見した技術者と言う触れ込みであった。経歴に疑問を持たせないように、ニックはガブリエル・ジョハンスン自身のよく知っている「遺跡」を利用することにした。そのために、一番の近道である大西洋を横切る事をやめて、わざわざ遠回りしてエジプトを経由し、さらにユーラシア大陸を横断してきたのだった。
 導師の言った事が正しければ、この辺りにシェルターがあるはずだとニックは見当を付けた。
 実のところシェルターの入口は、特にこのような砂地の上では見つかりにくいものである。それでも実際に不便を感じないのは、シェルターの住民は滅多にその外に出る必要はないし、時たま訪れる来訪者は物資の流通のために行き来する魔術師がほとんどであり、そのような魔術師は大抵、入口を捜すのに苦労しなかった。特にニックは地上でもっとも出入り回数の多いシェルターで四十年も修業して来た身である。それに彼は入口を捜すための仕掛けも持っていたので、陽が陰る大分前にシェルターを探し当てていた。
 ニックは剣の鞘で砂を掘り返した。十センチほど掘り返したところで鞘はなにかにぶつかった。
 実に運がいい。
 まわりの砂をよけて、完全に入口をさらけだしたニックは、他の旅行者がするように、その上で五芒星を切って感謝の祈りをすませてから、習慣通りに扉をノックして入口のふたを持ち上げた。穴の底からかすかな空調の音が聞こえる。とすればこのシェルターは生きている事になる。つまりは目的の物に違いない。梯子をつたって、彼は首の辺りまで穴の中に入り、それから注意深くふたを元の位置に戻した。それからニックはいつも腰のところに付けている重力転換器のセレクターを調節して、自分のまわりの重力を中和させてから、ゆっくりと手足を梯子からはなした。四、五メートルほどある穴の中を、彼の体はゆっくりと底までただよい降りて行った。底まで降りたところで彼は重力転換を切り、念のためエアロックになっている入口の空気を入れ替えた。
 扉が開くと、そこには一人の若い女性が彼を迎えに来ていた。
「フェリスの宿へようこそ、旅のお方。
 丁度これから夕食の支度をしようというところです。久しぶりに外の話が聞けるのが楽しみですわ。」
 ニックはマスクをはずしてから、旅人の慣例通りに自分の食料の一部を女に差し出し、おきまりの挨拶をした。
「あなたの上に太陽の恵みがありますように。私の名前はニック、ニコラス・フランシス=ロジャーと申します。訳あって都へと向かう道中であります。」
 このフィンブルの冬の間に生まれた挨拶に宿の女は同じ様式で答えた。
「あなたの上にこそ日の恵みあらんことを。私はこの宿の{主}{あるじ}のフェリス・クラヴィーレと申します。ご用がございましたら何でもお申し付けください。」

 食事が終わったところで、フェリスは貴重品の紅茶を入れてくれた。
 何十年振りかのお茶を味わいながらニックは口髭を撫で付けた。
「失礼ですが、お名前は誰かにもらったものですの?」
「ニコラスの名ですか? これは私の師匠の師匠の名前をもらったのです。」
「その人とお会いになったことはございます? 昔私の伯父に同じ名前の人がいまして、その人の姿はあなたとそっくりでしたわ。そう、あの人はあなたより少し年をとっていたのと口髭だけじゃなくて顎にも髭を生やしていましたが。もっともあの人と最後に会いましたのが「戦前」のことですから、あなたのような若い方では、お会いになったことは無いでしょうね。」
 若いと言われたことに対して笑みを浮かべながら、ニックは言い返した。
「そういうあなたも、かなりの若さに見えますよ。とても『戦前』の人には思えませんがね。」
「私の体は作られたものでして、『戦前』の技術によって私の体は二十代の若さを保っているのです。そのおかげで暮らしを立てることができているのですが。」
 フェリスの声は沈んだ。明らかにこのことを気に病んでいるようだった。
「もう大分前のことになりますが、私はある病気にかかりまして、この体に移る以外命を救う手段が無かったのです。そうして命を救って下さったのが伯父だったのです。」
 この時世においては、長生きすることは必ずしも幸福とは言え無かった。普通の人にとって長く生きることはそれだけ長い間苦痛を先に延ばすことでしか無かった。
 ニックは話題を変えることにした。
 壁に飾ってあった杖に彼は気付いた。
「あの杖はどちらで手に入れたものですか。」
「あれは以前、ある魔法使いが持って来てくれたものなのですが、彼が申すには、その杖をこのシェルターの外でニコラスと名乗る老人に渡され、私に届けるよう言われたとのことです。」
 ニックは微笑みながら言った。
「あの杖は大切に扱った方がいいですよ。かなりの年月に渡って使い込んだものらしい。ほら、杖の飾ってあるところの壁だけが新しい色をしているでしょう。それだけ強い力があの杖に宿っているというわけなのです。杖があなたの身を守ってくれるでしょう。
 いや、もしあの杖を贈られたのがあなたの伯父さんで、その人が私の知っているニコラスなら、彼はあなたを魔法使いにしたいのかも知れませんね。魔法の杖というのは、血縁にしか使えないんですよ。何れ然るべき時に然るべき人が現われてあなたを導いてくれることでしょう。」
 その言葉にフェリスははっとして見せたが、ニックは杖の方を見ていたのでそれには気付かなかった。
 ニックはその後彼の旅の話や、旅の途中で聞いて来たことなどをフェリスに話してきかせ、ようやっと床に就いた時には、夜はとっぷりとくれていた。

 フェリスはなかなか眠れ無かった。
 ニックが訪ねて来るちょうど前の晩に、彼女は伯父の夢を見ていた。伯父は、ニックの来訪を予言し、フェリスのとるべき態度について教えた。一瞬ではあるが彼女に未来のヴィジョンが見えた。フェリスはそれに対しまさかと思う反面、恐れもした。
 ニックは夢で伯父が告げていた人物に違い無かった。
 フェリスがこの宿を構えてから、暦の上では三十六年が経過していた。そもそも宿を始めたこと自体、夢のお告げであった。しかし、待ち続けるうち、彼女はそもそも何のためにここにいるのかわからなくなっていた。なぜ、夢など信じてここにとどまっているのか、自分を疑いたくなることもあった。ただ、その度に、夢の中の伯父のなにかを訴えるような目を思い出し、孤独と戦って来たのであった。いや、特に何をするという目標の無いこの生活に慣れ、甘んじることによって日々をこれとなく過ごしてきたというのが最近の彼女の姿だった。
 でも今になってなぜ? フェリスの宿は、物資交流の役を果たす魔法使い達の恰好の休息の場としてそれなりに役立っていた。しかし、ゆうべの夢はこの宿を放棄し、ニックについて旅をするよう告げていた。もう宿は必要ないというのだろうか。もしそうなら、一つの時代が終わろうとしているのかもしれない。
 そこまでフェリスが考えていたかどうかは定かでない。フェリスはいつしかまどろみの中に落ちていたから。ただ、彼女が決心したことだけは確かだった。
 次の日、フェリスは早く起きるとすぐ、旅じたくを始めた。
 長い金色の髪は邪魔にならないように結い、軽装に着替えた。どんな気候でも彼女に害をもたらすことは無いだろうが、一応酸素マスクは持って行こう。部屋には失われた世界の記念品や、当時の書物がひしめいていたが、今やフェリスはそれらに感傷を持た無かった。ただ、貴重な食料品だけは持って行かなければならない。朝食分を残して彼女はそれらすべてを荷造りした。
 残った材料で作った朝食が出来上がったところで、ニックを呼びにいったが、扉を開けたところでニックの暝想を破ってしまった。
「あら? 起きてらしたのですか。お食事の用意ができてますからどうぞ。」
 ニックは彼女の態度の変化にしばし呆然としていたが、笑みをもらすと、何もいわずに立ち上がった。

 フェリスが食事の席で一緒に行きたいと頼んできたとき、ニックが特に反対しなかったことで、フェリスは肩透かしを食ったような気がした。
 出発のしたくを整えたニックを見て、フェリスはくすりと笑った。
「あなた方旅の人たちは、魔法使いというよりは、中世の騎士みたいね。儀式服の代わりに鎖帷子を着込んで、ぼろぼろのマントを着込んで、…」
「空飛ぶほうきに乗る代わりに、剣を腰にさしているから?」
 ニックは赤い髭の下で笑みを浮かべた。
「冗談はともかくとして、これは身を守るために必要だからなのです。最近は特に放射能も弱くなって来たから、シェルターに住まない野盗が増え続けているのです。
 彼らはしかし、自分の運命に流されず、自分の手で自分の行く手を築いて行こうという、ある意味では勇敢な人達なのかもしれません。ある程度賢くなってしまうと、ああもがむしゃらに進んでいくことはでき無くなってしまうものです。でも、よく考えたうえで運命に従うのと、後先考えずに運命に逆らおうとするのと、どっちが賢いと言えるのでしょうね。」
 フェリスにはニックの真意がつかみかねたが、取り合えずシェルターの空調を止めて、入口を密閉しておいた。こうしておけばもし次に誰かがこのシェルターに来たとしてもすぐに使える。放射能は、大きな地震かなにかでシェルターが破壊されない限り中に入り込まないはずだ。
 こうして、二人は宿を後にし、東へと向かった。途中でフェリスの知り合いの導師に、宿を閉めることを伝え、ガブレリアを目指して旅を始めたのだった。
 旅は始めのうちは単調であった。砂漠地帯を抜けたところに、かつてのこの国の首都があったが、放射能がまだかなり濃かったので、そこをさけて北に向かい、ヒマラヤの大山脈を左に眺めながら海岸線に沿っての旅がしばらく続いたからである。フェリスの持って来た食料は、自走式のカートに載せられていたが、それが尽きようとしたときに、行く手三方が山に阻まれた場所に行きついた。
 いつしか空は再び雲に覆われていた。それでも気温は相変らず蒸し暑さを感じさせていた。空気中に残された炭酸ガスが熱を逃がさないためだった。
 近くの魔法使いのもとで補給した次の晩、キャンプでニックは、その魔法使いにもらった古い地図を取り出すと、これからのルートをどうするか考えた。それによると、このまま少し南に下れば昔の道路跡にたどりつくはずであった。多少道は蛇行しているが、無理に山脈を越えるよりは危険が少ないはずだ。
「フェリス。これから山道にさしかかるのと、気候の関係からしばらくあまり修業はでき無くなりますがよろしいですか?」
 ニックはフェリスに例の杖を持って行くように言い、道すがら彼の持てる限りの魔法をフェリスに伝授していた。ニックの編み出した、体系的で無駄をはぶいた独特の教え方と、彼女自身の適性から、フェリスはめきめきと実力を付けていた。今思うと、ニックは彼女を弟子とするためにわざわざ自分の元に寄ったのかもしれないと、最近フェリスは考えるようになっていた。なにしろ、ニックはあれ以来ほとんど途中の宿には泊まろうとしなかったからである。彼は宿に泊まる必要があまり無かったのである。
 山道を越えるのには、今までの二倍近くの時間がかかった。おまけに、途中で頼みの道路が氷河のため大幅に破壊され、行き先を見失ってしまったことも何回かあった。大体は氷河の跡を渡ったところに続きがあったおかげで旅を続けられたが、ついに、そうするわけにもいかなくなってしまった。核弾頭の流れ弾かなにかが落ちたらしく、辺りは広範囲にわたって破壊されていた。幸い、つい寸前に通り過ぎた都市の跡からの距離で、大体の位置はわかっていたので、少し戻って河に沿って下ることにした。
 この付近は思ったよりも野盗が多く、一度ならず襲われたが、その度にニックの魔法と剣に追い払われた。この山下りのおかげで、流石のニックも疲れを覚え、海岸線付近に住む魔法使いをたずね、そこで一時の休息をした。彼は一晩死んだように眠った。
 目が醒めたところで、ニックはその土地の魔法使いに礼を言い、少し食料を頒けてもらってからフェリスと旅を続けることにした。
 地図をフェリスに見せながら、ニックは説明した。
「これからしばらくが、これまでの旅のうちで最もつらいところです。というのも、かつてのラグナレクはこの北にある国を相手に戦われたものだからです。これから先、世界で一番放射能の強い地域を通過することになります。私達は、海岸線に沿って北上するとしましょう。攻撃の対象はみな内陸部にあったから現在はほとんどの部分が水没しているはずですから、多少は放射能をしのげるかも知れません。フェリスの体は多少放射能に強いとは言っても、ここでは魔法に頼った方が無難です。これからは、起きている時は四六時中呪文を唱え、寝る時は結界を張る必要があります。明け方と日没前の少しの時間だけ修業にあて、残りの時間で移動と休息をしましょう。」
 ニックの予言通り、それから日に日に放射能の濃度は増加していき、やがて完全に生命活動は見られ無くなって来た。ラグナレクからすでに五十年はたっているが、その当時発生した放射性物質は膨大な量であり、かつ半減期が長いため、今も大量の放射能を出し続けているのだ。
 地中深く掘り進めばあるいは生命活動も発見できたかもしれないが、掘り出された途端にその生命は死滅してしまうだろう。この土地は、ラグナレクの残した、文字通り死の土地なのである。
 やがて、フェリスが初めて見るような大河にさしかかった。
 海岸近くのここでは、それはちよっとした内海ぐらいの広さはあった。対岸がかすんで見えるようだ。二人はこれを渡るのに枯れ木を探して筏を組まなければならなかった。
 だが、この付近一帯は、核の攻撃目標の一つだったらしく、筏に使えそうな木は一つも残っていなかった。ニックが近くの都市の跡から発砲コンクリートをみつけ出さなかったら、二人は河の幅がせばまるまで、河を上る羽目になっていただろう。しかし、どちらにせよようやっと筏が組み終わるまで丸三日もそこに足止めされてしまった。
 筏が組み終わった日の晩、フェリスがふと目を覚ますと、ニックがキャンプの結界の中にいないのに気が付いた。
 まわりを見渡して、川岸の方にニックがいるのを見つけた。しばらく海の方を見つめていた彼は、ようやっとあきらめたかのように戻って来た。
 戻って来た彼にフェリスはそっと訊ねて見た。
「一体何を見てらしたのですか?」
 ニックはしばらく黙っていたが、やがて静かに語り出した。
「あの海岸のずっと向こうに島国がありました。その国の人達はその昔、日の出る処の国と自分達の国を呼んでいたのです。実は、私の祖父がそこの生まれで、私にはその国の人の血が四分の一混ざっているわけです。ふと自分のルーツのことを考えてしまいましてね。私の祖先でもあるその国の人たちは、何を考え何を生きがいにして生きていたのか……。私がこんな回りくどい道をたどって旅を始めたのも、自分の祖先について少し考えたかったかも知れませんね。」
 言い終わると、彼は再び見るともなしに海岸の方を眺めるのだった。いつしかつられてフェリスも海岸の、そしてその向こうにあったという国について思いを馳せるのだった。

 次の日早く、二人は河を渡った。流れはほとんど無いので流されることは無かったが、即席のかいはなかなか思う通り筏を動かしてくれなかったし、フェリスは二人分の対放射能の呪文を唱えていなければならなかったので、対岸についた時には昼ごろになっていた。そこからしばらく行ったところで、二人はシェルターを見つけた。
 そのとき、ニックはまわりの景色に見覚えがあることに気付いた。
「おどろいた、この辺りはひどく地形が変わっているのに、よくこのシェルターは無事でしたわね。」
 フェリスの言葉に、入口を調べていたニックが答えた。
「これは作業口です。本当はこのシェルターはもっと地下の方にあったのでしょうが、ラグナレクの時に地面がかなり掘り返され、工事の時に使われたこの入口が曝け出されたのでしょう。このタイプは地下数百メートルのところに設置されるものですから、かなりの土が飛び散ったということになりますね。でも、このシェルターは死んでます。それもごく最近のようだ。つまり、フィンブルの冬は生き延びたことになる。」
 入口にはすでに電源がきていなかったので、ニックは手動でそのロックを開けた。
 ニックが明かりを灯して中に入ると、フェリスが後に続いた。居間には誰もいなかったが、倉庫で二人は人影を認めた。明かりをかざしてよく見ると、それはただのロボットであることがわかった。動きを見せないことから動力が入っていないようである。ふいに、そのロボットの足元に目をやったフェリスが細い悲鳴を上げた。
 それは半分腐りかけた遺体であった。さすがのニックもこれには一瞬ぎょっとしたが、気を静めて、遺体を調べ始めた。辺りの強い放射線のためか、腐敗菌すら満足に活動をできなかったらしい。しかし、遺体は一部白骨化しており、それからは死因を推定することはでき無かった。
「ともかくこのままでは作業を進めることができない。フェリス、動力の確認をして、できたら空調のスィッチを入れてくれませんか。」
 フェリスは走るように部屋を出ていった。その間にニックはロボットの方を調べ始めた。すぐに、これがラグナレク前に使われていた戦略用ロボットであることがわかったが、戦闘判断中枢に異常をきたしており、戦略兵器として役に立たなくなっていた。このシェルターの持ち主は、このロボットを召し使いか、孤独をまぎらわす話相手といったように使っていたのだろう。
 電源は異常無かったらしい。部屋の明かりが点き、空調のかすかな音がしてきた。ニックが居間の方に行くとフェリスが待っていた。シェルターの空気が入れ替わったところでニックはマスクをとろうとしたが、妙な息苦しさを感じて、再びマスクをはめた。
「そうか。酸欠だ。」
 フェリスが不思議そうな顔でいるのに対して、彼は説明を始めた。
「このシェルターの設計者は、こうも長くシェルターに頼ることになることを想定していなかったので、酸素発生機を空調に組み込んでいなかったのです。ラグナレクのために炭酸ガスを出す動物の数は激減したが、同時に炭酸ガスを分解する植物の数も減ってしまいました。ラグナレクでは通常兵器も使用されたし、森が燃える時にも炭酸ガスは出ています。それに生命が生き残っている以上、炭酸ガスは常に発生しているはずですね。ほとんどのシェルターはそれに気付いて酸素発生機を後から取り付けましたが、中にはそれに気付かなかった人たちもいたのです。そしてそれらの人たちは酸欠で死んでいった。
 そうだ、それに違いない。酸欠状態に陥ったところで、遅ればせながらそのことに気付いたこのシェルターの持ち主は、苦しみを延ばさないようにと、空調を切った。もっともこれは意味が無かったが。空調の不調で亡くなったのなら、シェルターにエネルギーが残っているのはおかしいはずだ。」
 ニックは目を閉じてしばらくなにかを考えていたが、やがて目を上げ、フェリスに言った。
「とにかく、この人を葬って上げましょう。そのあとで、このロボットに少し話を聞いて見ますか。」
 ばらばらに崩れ落ちそうな遺体を布にくるんでやりながら、ふと、フェリスはニックが遺体に対してフレッドと呼びかけたような気がした。しかし、ニックはそのことに対して質問に答えてはくれなかった。

 ロボットに話を聞こうというニックの提案は無駄に終わった。こちらの言うことは理解できても、満足のいく応えを話すことができなかったのだ。
「でも、このまま置き去りにして行くのは可哀相です。」
 ニックはこれはただの機械だと言いかけたが、やめた。これから先まだ道程は長い。ロボットは荷物運びに使うことができる。そう考えて、ふと長い間荷物を背負ってきた肩をなぜてみた。歳の割に、魔法のおかげで彼はかなり若い肉体を保っている。しかしラグナレクからこのかた強いられてきた労役に、彼の肩の皮膚はすっかり堅くなっていた。彼には、彼の生きている間にラグナレク以前の暮らしが戻り得ないことを知っていた。いや、もし太陽系政府の調査団が自分達のことを見つけ出してくれれば。だが、政府は魔法のことを知り得ない以上、こちらの生存を信じようとはしないだろう。
 ニックはロボットにアレクサンドロスと名付けた。

 一行はそのまま海岸に沿って北上していった。さすがにフィンブルの冬と呼ばれた核の冬が去ってかなりがたつが、北に進むにつれ気温はどんどんさがって行き、地面は氷河に覆われていった。もっとも、この氷河がなかったら、この先の海峡を渡るのは大変な困難を伴ったことだろう。だが、ともかくどんな困難が待っていたとしても、ここまで来れば旅はもうすぐ終わるのだ。
 この地は、さすがにへんぴなところのためか、放射能の濃度もかなり低くなってきていた。後は考えるのは防寒設備のことだけですむ。しかも、防寒は初歩の魔法ですむのだ。そこで、ニックはフェリスの修業を再開した。
「もちろん、これらのことは本来なん十年もの年月をかけて習得すべきものだから、細かいところまではいき届かないでしょう。しかし、基本的なところは、この旅が終わる前にマスターしてしまいましょう。」
 そう言われてはじめて、フェリスはこの旅にも終わりがあったことを思い出した。一体自分がフェリスの宿の主をしていたのはいつのことだったのだろう。
 その晩は、めずらしく空が晴れわたり、星が満天に散りばめられていた。
 次の日は朝から天気が崩れだし、やがて雪がちらついてきた。
 いくらラグナレクから日を経たとはいえ、あれほどのフォールアウト(放射性降下物)がすべて消え失せてしまうということはありえなかった。幸い雪なら、払えば済むことである。雨には二人とも今まで散々苦しめられてきたが、ここではほとんど寒さだけを気にすれば良かった。雨には放射性物質が溶けていたので、雨に濡れてしまった服から放射能を除去する必要があったからだ。もちろん今も気を緩めれば一気に凍死するだろうが。
 ある日のキャンプでフェリスはたずねた。
「新大陸に渡るのにいつ東に曲がれば良いのですか。」
「私達はもう東に向かっているのですよ。私は慎重にコースを選びましたからもう海峡にたどりついていることだと思います。私の計算によればここはもう、かつての海の真上のはずです。
 今から何万年もの昔、ここを通った人たちがいるそうです。彼らは氷河期の間に決して後戻りのできないかもしれない旅にでました。新しい生活の場所を求めて。ちょうど百年ほど前に私達の祖先がしたように。彼らは新天地に文明を築き、やがて、自分達の見捨てて来た大陸の人たちに滅ぼされた。ここは、そんな出来事に立ち会ったすべての人たちの声が封印されているような気がします。」
 その瞬間、テントの外を大勢の人間がわけのわからない言葉を叫びながら通り過て行った。二人はあわてて外に顔を出したが人影は無かった。
 その夜は一晩中旧人類の通り過る音が聞こえたようであった。
 それは、まるでこれから行く先に運命的な出来事が待ち構えていることを予見しているがごとくだった。

 日に日に気候が暖かくなるように彼らには感じられた。
 『海峡』を渡ってからの旅は楽に済んだ。
 そしてやがて彼らは彼方に巨大なドームを見た。
 それは、直径一マイルはあろうかと思えるほどの半球形状の透明なドームで、そこから、まばゆいほどの明かりがもれていた。まだかなりの距離があるここからも、その中心に鋼鉄の城がそびえるのが見えた。それがガブレリアであった。
 入口は南にしかなかったので、彼らはぐるりとドームのまわりを半周しなければならなかった。近くでよく見ると、透明なドームはガブレリアを囲んでいる高さ十フィートほどの壁の上に乗っかっていた。昔のドームはその壁と同じ材質でできていたのだと、ニックは説明した。超硬質の材質に包まれ、ドームは最初は地中に作られたという。ラグナレクの後掘り返されドームを透明なものに作り替えたのだ。ガブレリアの主、ガブリエル・ジョハンスンがその権力を見せ付けるがために。
 現在の世界は、ここから供給される食料によって生き永らえていると言っても過言ではない。そのためここは『世界の十字路』と呼ばれていた。この見返りとして、ジョハンスンは権力を手に入れたのだ。
 街の大エアロックのまわりには交易者の群れが集っていた。
 ニックは彼らを避けて、隣の小さなエアロックを使った。あらかじめ届けられたパスワードとIDカードにより、エアロックは容易に開いた。そこで、ニックは防護魔術をかけていなかったアレクサンドロスから呪文で放射能を取りのぞいた。
 エアロックは分厚い壁を抜ける細い通路につながっていた。そして通路の先には、ガブレリアの城まで延々と続くメインストリートにつながっていた。
 メインストリートもまた世界各地から来た生き残りの人たちでごったがえしていた。そこから眺めた街は区画整理が行き届き、多くの再生工場が立ち並んでいて、しばらく人込みから遠ざかっていた二人は、すっかり疲れてしまった。
 道には市が立ち、各地で発掘され、土地の魔法使いに浄化してもらった品が並べられていた。そこには、壷や食器や水といった生活必需品から、どこかの博物館から失敬して来たと思われる古代の美術品や碑文などすら陳列してあることがあった。ここは、そういった生活に余裕の持てる場所なのだ。
 フェリスは立ち止まって見て行きたい衝動に駆られたが、ニックがさっさと行ってしまったので渋々彼の後をおった。ニックは一軒の宿を目指しその戸を開けた。宿は他の建物と違って石造りの中世風建造物で、一階は酒場になっていたが、あまりはやっていないようだった。
 ニックがよばわると、奥から血色の良い、体格のがっしりとした巻き髪の老人が現われた。
「ニックではないか。こっちの準備はいつでもOKだ。」
「今日がアーサー師の予言の日だからな。今晩決行だ。」
 そこで、老人はニックの後のフェリスに気付いた。
「ああ、それと私が行った後彼女のことを頼みたいんだが。」
「彼女が例の?」
「うむ。時間はあまりなかったが、基本的なところは押さえてある。」
 ニックはフェリスを振り返ると笑みを見せた。
「少し待っていてください。」
 ニックはそのまま荷物を老人に預けると奥の部屋に消えていった。所在無げにしているフェリスに老人は席をすすめた。
「わしはトマ・ジャルダン。もっとも皆はトムとか{偉大な人}{グラントム}と呼ぶがな。わしはニックの仲間じゃよ。」
「なかま?」
「そう。皆この日を待っておったのじゃ。お嬢さん、あなたは運命というものを信じておりますかな。」
「信じるもなにも、今日ここにいること自体なにか運命のようなものを感じますわ。」
「左様、お嬢さんにとっても今日は運命の日、わしらにとっても今日は運命の日じゃ。わしは占いはうまくないのだがのう、今日の星回りはひとつの時代の転回を告げている。今日を限りに古い時代は終わりをつげ、まったく新しいものが支配する時代に突入するのじゃ。」
「それほど劇的なものでもないのですがね。」
 いつきたのか、ニックが後に立っていた。彼は紫色をした足までかくれるローブに身をまとい、いつも身につけていた皮の手袋とブーツははずしてかわりに布製の靴を履き、手にはなにか儀式用の帯を巻いていた。
 ニックはテーブルのところに置いておいた皮袋からなにかの仕掛けを取り出すと足にはめた。
「ニック、もう行ってしまうのかね。」
「街に入るのに手間取った。ときは近付いている。」
 ニックは袋から手紙を取り出しトムに渡すと、二本の剣を取り上げ、短いほうは胸に留めて長いほうでトムに一礼しそのまま何も言わずに去ろうとした。
 フェリスはあわててトムに頭を下げると、ニックのあとを追って外へでた。
 ニックはちらりとフェリスのほうをみたが何も言わずに彼女のさせたいままにさせておいた。
 流石に城門に近付くと人通りは少なくなってきた。大エアロックからの通りの終わりにそれはあった。城門はひとりの老人が守っていた。それもグラントムとは対照的に血色は悪く萎びていて、灰色の機械の真ん中にまるで自分もその機械の一部であるかのように座っていた。フェリスはその老人の顔をみて、もしかして本当に機械の方が本体で老人はその部品にすぎないのではないかと思った。
 ニック自身はそんなことおかまいないように恭しく老人に対して礼をした。
「私はガブリエル・ジョハンスン陛下のお招きにあずかり、はるかイングランド島より参らせていただきましたニコラス・フランシス=ロジャーと申すものです。どうかお取り次していただきとう存じます。」
 老人はぞんざいに彼らを見渡すと、少し機械をいじってからこたえた。
「後のその女はなんだ。」
「このものは私が旅の途中にて得ました従者にございます。」
「許可はニコラス導師本人のみとなっておる。許可証は?」
 ニックは小エアロックをあけるのに使ったIDカードを老人に渡した。
「よろしい、本人と確認した。だが入れるのはお前だけだ。それにその剣もここにおいてゆくがよい。」
「貴方は導師としての私を通してくれるというのか。それともただそれと確認された人間をお入れになればよろしいというのか。これは私の儀式に必要なものです。どうしてもとおっしゃるのなら、城の主人の見えるまでここに待たさせていただきます。」
 ニックに真正面からにらみ付けられ老人は折れた。
「わかった、わかった。だが、後の従者とやらだけは許せんぞ。」
「私もそこまでは望みませぬ。」
 門が開きつつあるうちにニックはフェリスに耳打ちした。
「宿に帰って待っていなさい。宿のおやじが面倒を見てくれる。」
 フェリスがうなずいたのを確認するとニックは門のなかにすいこまれていった。門は音もなく閉まり、老人の機械がさらにそれをふさいだ。フェリスは老人ににらみ付けられ渋々と宿へかえることにした。
 街の透明なドームの外はいつのまにか晴れていた。青い空にかかる太陽はすでに傾きはじめていた。

 城のなかは薄暗かったが、魔法でぴかぴかに磨かれた金属製の壁や床に、「栄光の手」と呼ばれる人の手首を乾燥させたものの、五本の指にたてられた蝋燭のほのかな炎が映って、見通しはそれほど悪くはなかった。ただ、通路が曲がりくねっていたおかげであまり遠くの方は見えない。
 明かりはニックの進行方向のみについていた。これがなかったら目的地にたどりつくことなどできようもなかったろう。一度試しに彼は明かりのついていない枝道の方へと進んでみたが、すぐに見えない壁に突き当たってしまった。
「すすませたくないってわけか。もっともほかの道を通っても何があるってわけでもないとは思うが。いやまてよ。」
 ニックはもとの道に引き返そうとしたときに、耳慣れた音を感じてふと立ち止まった。音の正体に気付いた彼はにやっと笑った。
「思ったとおりだ。とは言っても先の話だがな。」
 通路はやがてら旋階段に行き着いた。段もすべてつるつるで今にも滑りそうだったがなんとかうまく昇れそうだった。靴の底に付けた器具が床にあたって心地よい音をたてる。
「まったくジョハンスンは私が階段の途中で転ぶのを楽しみにでもしているのか。」
 もっとも普通の儀式用の靴を付けていたならば、心配はいらなかったのだ。こちらにはそうも行かない理由がある。ジョハンスンは気付いているのだろうか。彼が何をしにきたのか。いや。気付いていないはずはない。そうでもなければトムをよこしはしなかったろう。かわいそうなトムは、自分が見捨てられたとわかるやアーサー師のもとで献身的な努力を積んできた。アーサー師らのグループの開放的な考えに共感し、かつて彼が信じていた人の破滅を助けるために。だがジョハンスンはそうなることを見越して彼をアーサー師のもとに預けたのだ。自分がやがて破滅する運命にあることを知っていたがゆえに。トムは変わった。しかも{偉人}{グラントム}とまで呼ばれるほどに。そこまで行き着くのにいったいどれだけの歳月が流れたというのだろう。
 ふと彼は立ち止まって壁に映る自分の顔を見つめた。それはまだ若く四〇代か五〇代の半ばといっても通用しそうだ。でもそれはまやかしにすぎない。壁に映るその虚像の向こうに、ニックは自分の真の姿をみた。髪が真っ白に変わり、肉のたるんだ老人の姿が。
 ニックは首を振ってそのイメージを追い払うと、再び階段を上りはじめた。
 いったいどれぐらいの間昇り続けていたのかわからなくなりはじめたころに、不意に明かりの途切れているところに行き着いた。そこは踊り場になっていて両方の壁に扉が付けられていた。ニックはその片方に逆さに描かれた五芒星が銀色に光っているのを見つけた。ついに目的地についたのだ。
 ニックは対抗呪文を唱え、剣で逆五芒星の前の宙に五芒星を切った。ふたつの五芒星は互いに打ち消しあい、激しい輝きとともに消滅した。そしてそれと同時に扉は音もなく開いた。

 フェリスは真っすぐ宿へ帰った。宿にはいつのまにかたくさんの人が集まってきていた。
 トムはその真ん中で泣き崩れていた。その手にはニックの渡した手紙が握られている。
 誰かが彼にささやき、ようやっとフェリスが帰ってきたことに気付いた彼は、涙を右手で拭ってなんとか笑みらききものを浮かべてみせた。
「これがわしへの報酬じゃよ。今日わしは親友を二人も失おうとしている。」
 老人は頭をたれ歯を食いしばった。
「じゃがわしはそんな彼らを見捨てなければならんのじゃ。」
 しばらくうつむいてぶつぶつ言っていたが、やがてなんとか落ち着きを取り戻して振り向いた。
「いや。見苦しいところを見せてしまったようじゃの。お嬢さんには関係のないことじゃったな。
 今日ニックは我々の長い間の計画をしめくくるべく城へと乗り込んでいった。ここに集まったものたちは、皆ニックを助けるべくやってきたわしの弟子たち、力のある魔術師たちじゃ。お嬢さんもニックより多少の手ほどきを受けているはずじゃな。力を貸してもらえんかの。」
 フェリスには自分に何ができるのかの自覚はなかった。でも彼女は老人にうなずいている自分に気付いていた。
 トムはフェリスの手を引いて、みなの先頭に立って地下室へとおりていった。
 地下室にはいつのまにか儀式服をまとった魔術師が二、三十人集まっていた。
 フェリスはその中のひとりが渡してくれた服を、いま着ている服のうえからまとった。

 その部屋は廊下や階段よりはいくぶん明るかったが、やはり蝋燭で照らされているだけであった。しかしニックの鋭い観察力は壁に電気的な照明のあとを認めた。
 一ヶ所、特に明るくなっている場所に玉座があった。
「ようこそ、ニコラス・フランシス=ロジャー。それともピーター・アレクサンダー・ジョン・アレフと呼ぶべきかな。」
 覚悟ができていたとはいえ、アーサー師の予言の成就すべき日がきたことにニックは少なからず動揺した。しかしそれを意地でも外にだすまいと努力して言い返した。
「どちらでもお好きなほうに。バーソロミューの息子よ。」
 ガブリエル・ジョハンスンはにやりとしてみせた。ニックは自分が冷汗をかいているのを相手に気取られないことを祈った。それとも、黒魔術師は汗の匂いも嗅ぎ分けられるのだろうか。
「よろしい、ここにいる我が同盟者達にもよくわかるようにニコラスと呼ぶことにしよう。ニコラスよ。ひとつだけ聞きたい。本当に時期は来たのか。」
 ジョハンスンは同盟者という言葉を使った。ニックはちらっと周囲にいるものたちに目を走らせたが、たしかに彼らはガブリエル王より下座にいるものの従者といった趣ではない。さまざまの装束を身にまとっているせいで、彼らの姿はよくわからないがおそらくこれがガブレリアの悪名高き黒魔術師たちだろう。
「ここにおもだった方々が集まってらっしゃるならば。」
 そういいながら彼は懐に手を忍ばせた。
「今日は儀式の日だ。当然のことだ。」
 ニックはジョハンスンの目を見つめた。今まで散々自分たちを苦しめてきた人物とは思えないほどその目は深く澄んでいた。
「わかりました。」
 そういうとニックは懐から何やら取り出すといきなりそれを床に叩きつけた。その内部には火が点っていたが、叩きつけられると同時にそれも消えた。
 ニックはすぐ行動を起こした。剣を持った反対側の手で足元に円を書くとそこに素早く飛び込んだ。踵を打つと足にはめた器具の止め金が外れバネが彼の体を数ミリ持ちあげた。彼がその器具の爪先で床を打つと音色が響いた。黒魔術師たちはようやっと事態に気付いて、彼に魔法で攻撃を仕掛けようとしている。間一髪でニックは彼らの攻撃を避けられた。足の器具は特別な音階に調整された楽器で、ニックは音階による呪文を完成させていた。たえまなくつづく音階が結界を保っている。だが急あつらえの結界だ彼らがもっと効果的な攻撃、たとえば機械的なものを持ち出してきたら持ちこたえられない。トムたちの魔法はまだ効いてこないのか。いや。来た!
 まずまわりの攻撃が止んだ。ついで結界が崩され、ニックは体から力が少し抜けていくのを感じた。周囲の魔法が中和されたのだ。
 黒魔術師等の反応はもっと劇的であった。そのほとんどがかなりの年令だったため、みる間に年老いて行くもの、そしてなかにはもうとっくに寿命がつきてかなり立っているものは、生きたまま肉体が朽ち果てて行った。
 魔法の力によって若さを保っていたジョハンスンもその例に漏れず、みる間に老いていった。
 ニックが最初に投げ付けた物は、トムたちのところにあるものと魔法で同調されていて、中の火が消えるのを合図に、トムたちは儀式をはじめたのであった。
 このアイディアと、魔法を中和する手段はニックの発明した技術のひとつであった。そのため、城の黒魔術師にはこれに対抗できる手段がまったくなかった。
 ニックは普段から体を鍛えていたので魔法が切れても体力をある程度維持できた。
 あとは一方的な殺略だけであった。
 ニックは自分のしていることを気に入らなかったが、黙々と「仕事」を続けた。
 ついに残っているのはジョハンスン本人だけとなった。ニックに残っていた体力も次第に消耗しつつある。ジョハンスンはニックを見つめた。しばし時間が静止したかのように二人は互いを見つめた。ふっと笑みを浮かべるとジョハンスンは目を閉じた。ニックは一瞬躊躇したが、やがてジョハンスンの心臓を剣で突いた。

 フェリスはトムに言われたままに儀式に参加したが、果たして自分が役に立っているのかわからずじまいだった。トムは方法よりも能力を備えたものの参加自体に意味があるのだと言ったが、その能力さえ彼女にはわからなかった。
 やがて外にいた見張りの者が城からの合図を確認した。そこでようやっと儀式はおわった。一瞬魔法使いたちは沸き返った。彼らはもう自由の身なのだ。
 やがてトムが疲れ切った顔をしてやってきた。
「お嬢さん。ニックに頼まれたことなのだが、これから城まで行ってくれんかね。」
「でも、門番が。」
「城の主人はもういない。城内に警備の兵が残っておろうがお前さんのつれてきたロボットと一緒にいけば問題はあるまい。」
「どなたか一緒にきてくださるのですか。」
 トムは首を振った。
「お嬢さんだけじゃ。ニックに言われてるからな。」
 そういうとくるりと後を向いていってしまった。
 話からするといまは勝利の瞬間のはずなのに、先程の興奮はどこへやら、周囲はむしろ悲しみに沈んでるかに見えた。だれもかばってくれないことを知ると、彼女はアレクサンドロスをつれて城へとむかった。
 門番はいなくなっており、城門は開け放たれていた。
 フェリスがそこをくぐると門は音もなく閉まった。蝋燭の明かりが彼女の進むべき道を指し示していた。フェリスはアレクサンドロスをつれて迷わずその道を進んだ。
 城内は無人と化していたが、屍体はどこにも見当らずむしろ整然とした感じに支配されていた。
 明かりは中央の塔の頂上までつづいていた。ニックは空の見渡せるその部屋の寝椅子に沈み込むように座っていた。
「ニック…」
 フェリスはニックの座っている椅子に手を掛けた。
 いつしか空には星がかかっていた。
 星明かりにうつるニックの姿をみて、フェリスは思わず息を飲んだ。髪の毛の色は完全に抜け、目は落ち込み肉は削げていた。だが、フェリスの気配に気付いて見上げたその瞳にはまだ熱い炎がたぎっていた。
 彼はまずアレクサンドロスを招くと懐から取り出したものをアレクサンドロスにセットした。すると彼はすぐにどこかへいってしまった。ついでニックはフェリスの方をむいていった。
「あなたには頼みたいことがあります。この星にいるすべての人たちを、このガブレリアとその姉妹都市に集めてください。もう人々が分散して怯えて暮らす時代はおわったのです。このニコラスの名をもってすれば地方の導師たちも手伝ってくれるでしょう。」
 彼は質問したい様子のフェリスを手で制した。
「私はもうとっくに寿命のはずだったのですよ。少なくとも今の時代ではね。いまはもう亡きアーサー師に助けられ魔法使いとしての道を歩みだしたときには、もうすでに放射能で体をやられていました。魔法でなんとかもたしては来たものの、限界が近付いていたのです。」
 いつのまにか彼はぐったりとしていた。目から生気が徐々に失われ、声もか細くなってきたのでフェリスは耳を彼の口元に近付けなければならなかった。
「最初のうちはジョハンスンを倒すことだけが私の目標でした。私は彼をラグナレク前から追っていたのです。しかし、やがて、彼が神に会った者の一人であることを知り、私の目標も変わりました。時代に区切りをつけ、ひとつの理想世界、ジョハンスンの夢を打ちたてることに。」
「でもジョハンスンは死んだわ。」
「たしかにガブリエル・ジョハンスンは死んだ。でも彼も私と同様運命の操る捨て駒のひとつにすぎなかったのです。すべては、昔のバーソロミュー・ジョハンスンの夢から始まったことなのですから。事が起こってしまった以上、私にはこれを食い止めることはできませんでした。ラグナレクを止められなかった時点で私のその後の運命も決まってしまったのです。」
 フェリスにはニックの言ってることのすべてはわからなかったが、そのことばは彼女にとって神のことばのように思われた。事実のちに彼女の著した書物には、今のことばがほとんどそのまま神のことばとして記されている。
「この城は閉鎖してください。ただしとり壊してはいけません。やがて然るべき人物がやってきてこれを生かしてくれるはずです。この城は最後の切札になるでしょう。」
 そこでいったんことばを切ると深く息をついた。
「そういえば、あなたにまだ「真の名」を授けていませんでしたね。
 あなたには私の名を譲りましょう。あなたは今からフェリス・アレフ・クラヴィーレです。
 このアレフの名はだれにも教えてはいけません。それが許されるのはあなたが死ぬ時だけです。
 あなたは私よりずっと大きい駒となるでしょう。この星のすべてがあなたを王として受け入れるのですから。」
 フェリスは自分が涙を流しているのに気付いた。
「あなたはやっぱりニコラス伯父さまなのですか。」
「いや。彼は私の親戚の一人だとは聞いているが。私の考えでは彼は今でもどこかであなたのことを見守ってくれていると思いますよ。」
 ニックは静かに目を閉じて、それから最後に大きく息をはいた。
 そしてそれが最後だった。
 星に生まれ星に生きた男は、最後は星とそして新しい王に見守られて逝った。

(第六回に続く)


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