第2回
[その4]/[その5]/[その6]
宇宙艇に異常が発生したことを知らせるアラームが鳴り響いた時、丸木台太は昨夜の疲れから半ば眠るようにして操縦席についていた。
どうせ全自動航行中なのだから、操縦席についていても個室のベッドの上に寝ていても同じことなのだが、就業規則では、とにかく今の時間帯には、操縦席に座っていなければならなかったのだ。
アラームの響きで、丸木台太は操縦席の上で飛び上がった。
「こ、これって、もしかして、非常事態発生?」
今朝方まで享楽室の仮想パーティで踊っていたため、まだ身体中が鉛のように重い。
なかなか頭が回らず、操縦席のひじ掛けを握り締めたままぼんやりと目の前のモニター画面を眺めているうちに、ようやく、事の重大性に気がつきはじめた。
モニターには、透き通るような黄色の背景の上に、赤く光り輝く立体文字で、二つの選択肢が示されている。
『最後まで頑張ります/安らかに眠ります(選択ボタンを押して下さい)』
「ま、まさか、この画面が出るってことは……」
丸木台太が通った宇宙飛行士専門学校でも、この画面に関するジョークがよくかわされたものだった。
全自動航行システムに異常が発生したことを知らせる画面。
結局は同じ結果にたどりつく二つの選択肢。
今の世の中で、恒星間航行中に全自動航行システムに異常が発生する確率は、千年前の地球の自然に近い環境が最もよく保たれている第二太陽系第三惑星の住人がスズメバチに刺されて死ぬ確率よりも、さらに百分の一も小さいと言われている。
それでもいろいろな理由により、ごくまれにシステム異常が発生することはある。だが、そのような場合、特に丸木台太のような普通の宇宙飛行士が乗っているだけの艇では、手作業で復旧作業を行うことは、ほとんど不可能と見なされているのだ。
丸木台太は、選択ボタンを押せないまま、なおもモニターを凝視し続けていた。
アラームに混じって、大音量で音声が流れはじめた。
「選択ボタンを押して下さい……選択ボタンを押して下さい……選択ボタンを押して下さい……」
丸木台太は、ふるえる指をモニターに伸ばし、選択ボタンを押そうとしたが、直前で指が止まった。
「もし、選択しなかったら、どうなるんだっけ?」
「宇宙飛行士マニュアル」を参照しようにも、モニターは、選択画面で固定されている。
「そうだ、こういう時のために、紙製マニュアルがあったはず」
丸木台太は、操縦席の真向かいの引き出しを開けてみた。
中には、「宇宙飛行士マニュアル」と書かれた分厚い本が入っていた。
しかし、丸木台太がそれを手に取るか取らないかのうちに、音声による警告が、その答えをアラームにまさるともおとらない大音量で高らかに告げはじめた。
「選択が行われない場合には、人間の存在が確認できないものとして処理を進めます……選択ボタンを押して下さい……」
「じ、冗談じゃないぜっ。勝手に決められてたまるかよ」
丸木台太は、ふるえる指を選択ボタンに伸ばした。
店を開けたばかりの20世紀カフェに、2人の老人が入ってきた。2人ともがっしりとした大柄な体格をしていて、温和な表情を浮かべているわりに顔つきがどこか鋭い。どこから見ても、典型的な宇宙防衛軍の退役軍人だった。
「やあ、ケンさん、めずらしいじゃないですか、ジョーさんも、2人揃って」
マスターが声をかけた。
「ジョーは、最近、ツリボリに御執心なもんでね」
ケンと呼ばれた老人が、笑いながら言った。
「ツリボリはいいぞ。若いもんが、うようよいてな。やつらを見ていると、自分の若い頃のことを思い出す」
ケンよりもさらに一回り大柄のジョーが、20世紀カフェでのマナー通り、出されたおしぼりで手と顔を拭きながら言った。
「おまえの若い頃には、25世紀風のツリボリなんてなかっただろう?」
「ツリボリどころか、まだ20世紀カフェもなかった。だがな、街にはいつも活気が溢れていた」
「18世紀風ディスコだったな、おれが若かった時には」
「18世紀風ディスコですか……」
マスターは、老人たちの話をほとんど何も聞いていなかったが、二人の退役軍人証を形式的に確認しながら、とりあえず相槌を打った。
「若者は、夜通し踊って騒いだものだ。釣りなんて、よっぽど金を持て余しているやつか、気が狂っているやつが、わざわざ第三太陽系第三惑星に行ってやるものだった」
「いや、25世紀風のツリボリは、一味違うぜ。大体、第三太陽系第三惑星なんてのはだな……」
「……第三太陽系第三惑星ねえ」
二人の退役軍人の会話に適当に答えながら、マスターの目は、店の入り口に向けられていた。
中年の女が一人、入り口にたたずんでいる。店の中に入ろうかどうか迷っているらしい。
「そうだ、第三太陽系といえば、あそこの第四惑星での内乱の時だ、あの大騒動の鎮圧に出向いた時……」
ジョーの昔話を聞き流しながら、マスターは、入り口に立っている女を見張っていた。
女は、しばらく躊躇しているようだったが、やがて、店の中に入ってくると、迷わず壁際の席に座った。
昨日の閉店間際に、少女が一人いつまでも泣いていて追いだすのに苦労したあの席だった。
マスターの胸にいやな予感が走った。
水玉ヒヨがその20世紀カフェを見つけたのは、偶然だった。
まさかあの時の店がまだあるとは、思っても見なかった。
第六太陽系第三惑星から第四太陽系第四惑星に行くには、まず第四太陽系第三惑星行きの恒星間艇に乗り、第三惑星の宇宙ステーションで第四惑星行きの週一便のローカル艇に乗り換えなければならない。
第四太陽系第三惑星に立ち寄るのは、15年ぶりだった。最初は宇宙ステーションから地上に降りていく気持ちなど全然なかったのだが、乗り換えまでにまだ4日もあると聞いて何となく宇宙エレベーターに乗ってしまい、気がついたら、この街の地上駅前繁華街を歩いていたのだ。
そして、いつの間にか、あの店の前に立っていた。
「まだ残っている20世紀カフェがあったんだ」
なつかしい気持ちがしてもう一度よく見ると、どうやらそれは、水玉ヒヨが昔はいったことのある店にそっくりに思われた。
「もしかしたら、この店、あの時の……」
そうに違いなかった。水玉ヒヨは、思わず入り口に近寄っていったが、店内に入ろうとして、足がすくんで動かなくなった。
「また、あんなことになったら……」
水玉ヒヨは、15年前にこの店の中で大暴れして、警官に取り押さえられた。
あの時は2年間の更正講習を受けるだけで済んだが、もしまた同じことをやったら、今度は更生講習だけではすまないだろう。
そんなことにはならないのは分かっていたが、どうしても足が動かない。
「もうあの小惑星のことは、一切考えないことにしたんだから大丈夫なんだろうけど」
入り口からのぞき見る店内は、15年前から少しも変わっていないように思われた。磨かれた木製の床。オーク材をおしみなく使った重厚な内装。壁際の席。奥の大テーブル。
ただ一つ昔と違うのは、二人の老人がカウンターにいるだけで、ほかには客が誰もいないらしいことだった。
かつての喧騒の代りに、20世紀風の音楽のけだるくゆったりとした旋律がただよって
きた。
(第3回に続く)
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