はからずしも、2つのロケットがたてつづけで失敗したことによって、日本にふたつの宇宙開発機関が存在することがクローズアップされてきている。
文部省宇宙科学研究所(ISAS)と宇宙開発事業団(NASDA)である。
よく、H-II ロケットは日本最初のロケットであるペンシルロケットの子孫なんだろうと考える人もいるようであるが、両者は全く別の思想の元に作られたものであるとしか言いようがない。
文部省宇宙科学研究所の母体となったのは、糸川英夫のいた東京大学生産技術研究所(生研)であるが、ロケット打上げ場が内之浦に移って2年後の1964年には航空研究所と合併して東京大学宇宙航空研究所が創設されていた。
丁度そのころ、アメリカの実用衛星開発に刺激された科学技術庁が宇宙開発事業団の前身である宇宙開発推進本部を設立した。これもまた1964年のことであった。
おもしろくないのはそれまでロケットの打上げを一手に引き受けてきた宇宙航空研究所を管轄する文部省である。
現在においてもISASとNASDAを一本化しようという話は良く出るが、これは新しい話題ではなく、このように組織の設立当初からある問題なのである。
ひとつの国にふたつも宇宙機関があるのは不自然ではないだろうか?
この問題はその後国会をまきこんだ論争へと発展した。結着をつけたのは後の総理大臣、中曽根康弘であった。
1966年5月に衆議院科学技術振興対策特別委員会にかけられ、その後宇宙開発審議会において「人工衛星の打ち上げとその利用に関する長期計画」を建議した。それにより、宇宙航空研究所は観測業務、宇宙開発推進本部の方は実用の業務という線引きがなされた。また同時にロケットのサイズについても、宇宙航空研究所のものは直径1.4メートルを越えてはいけないと規定された。
時を同じくして、朝日新聞による糸川個人への攻撃がはじまる。その意図は不明であるが、当時、糸川はなにかとけむたがられる存在でもあったようである。アメリカが国策として液体ロケット技術を日本に輸出しようとしたときも、糸川は強行に反対している。糸川本人にしてみれば、日本のまだ始まったばかりの若い技術の茅をつみとってしまわないようにするためのものであったのだろうが、アメリカにしてみれば、その意にそまない邪魔物と映ったことであろう。しかし、それがあってのことか、宇宙航空研究所は独自に固体ロケットを開発し続け現在に至っている。対する宇宙開発推進本部は早々に独自ロケット開発を断念し、アメリカからの技術支援を受けることになった。(それは後に何度も路線変更することになる。)
それはともかく、糸川は宇宙開発の現場から去ることになる。1967年3月のことであった。その後、糸川が宇宙開発に関わることはなかった。
1969年10月1日。宇宙開発推進本部は宇宙開発事業団(NASDA)に改組された。初代の理事長は国鉄の技師長であった島秀雄であった。
初期のNASDAではいわゆる東大ロケットの技術を踏襲することを考え、固体を中心としたロケット、Qロケットを構想していた。しかし、将来性、安全性、そしてアメリカからの圧力などの諸々の事情により、Qロケット計画は放棄され、ほぼ全面的にアメリカの技術を採用したNロケット計画を始めることになる。
それ以降、J-IロケットやTR-IAロケットなどの例外はあるが、NASDAはその主力を液体ロケットにしぼった。
一方の宇宙航空研究所はロケットのサイズについて制約を受けることとなったが、それを逆手にとってロケットの高性能化を完成させていった。おかげで、宇宙観測の分野における日本の技術力は世界でもトップクラスにまでなった。また、日本で初の人工衛星を打上げたのもこの組織の成果である。
1987年、宇宙航空研究所は名称を文部省宇宙科学研究所(ISAS)と変えた。
なお、科学技術庁所管の宇宙関連機関として、この他に宇宙航空研究所 NAL というのがある。ここはロケットではなく、スペースプレーンなどの研究をしている場所で、NASDA の HOPE 計画もここと連携を取ってすすめられている。残念ながら、NAL についての歴史に関する資料がなかったので、NALについての記述はこれまでとする。
また、直接宇宙開発に関連する機関ではないが、ISAS と NASDA の両方の宇宙開発方針を決定し、その活動の妥当性を評価する場として宇宙開発委員会というのがある。
ロケットの打上げに関する安全性はここで審議されることになる。
ともあれ、今まで見てきたように、ISASとNASDAはその成立過程も理念も全く異った組織である。片や研究者、片や技術者といったように、その組織内の風土も異なる。
2001年に文部省と科学技術庁は省庁統合によりひとつになることになるが、その所轄のふたつの宇宙機関までも統合することは害こそあれ、益となることはなにもないだろうと思われる。
しかし、その一方で、宇宙産業の民営化の関係で、いつまで宇宙への切符をこのふたつの組織が独占するのかという問題もある。
宇宙開発が民営でも安全に行えるようになることによって、このふたつの組織が役目を降りる日が来るということは望ましいことなのではないだろうか。