日本宇宙開拓史
(第7回)
第6章 国際宇宙ステーション


 写真:「宇宙開発事業団(NASDA)提供」

 参考文献:
 中村浩美著
 「最新 宇宙開発がよくわかる本」中経出版

 中野不二男著
 「日本の宇宙開発」文春新書

実は国際宇宙ステーションは触れにくい問題である。
元々が米ソの緊張の中でアメリカが自国の威信をかけるためにはじめた計画である。
また、微少重力環境をうたい文句にしているが、有人のステーションで得られる微少重力環境はあまり良質でない。
しかし、日本の宇宙開発において宇宙ステーション計画は無視することができない要素なのも事実である。

事の始まりは、1982年に「強いアメリカ」を背景にして当時の大統領レーガンがぶちあげた構想であった。
しかし、クリントン政権になって、東西緊張が緩和した途端に突然計画を取り下げようとした経緯からもわかるように、国威を旧ソ連に知らしめることが目的のひとつだったと考えられる。
当時アメリカはスペースシャトル計画が一段落していて、次の計画としてステーション計画を構想していた。それがレーガン元大統領の意向と結びついて、計画は走り出した。ところが、ステーションをアメリカ単独で建造しようとすると資金が足りなかった。そこで日本、カナダ、ESA(ヨーロッパ9ヶ国)に参加を呼びかけ、ここに国際宇宙ステーションとして計画が走ることとなった。当時の呼称は国際宇宙ステーション ISS であった。1988年にレーガン大統領が NASA のステーションをフリーダムと呼称したことから、ISS もフリーダムと通称されるようになった。
日本は1984年に参加を決定。日本のモジュール名称は JEM と呼ばれることとなった。
しかし、受難はこれからであった。
1990年アメリカは議会でステーション計画の予算削減を決定し、他の国もそれにならいはじめた。
次々と縮小された計画の案が立てられることとなったが、その中で日本のモジュールだけが最初の規模を保っており、いつしか日本のモジュールが最大となるに至った。
1993年にはクリントン大統領がまた大なたをふるった。計画を中止すると言い出したのである。すでに各国でモジュールの設計が本格化している時期に、アメリカだけの理由で計画を中止するというのは論外の話であった。結局のところ中止案はとりさげられたが、計画自体は縮小方向に見直されることとなった。この当時にはもはや ISS はフリーダムではなく、アルファと仮称されるようになっていた。
このままいけば、いずれステーションにモジュールを提供するのは日本だけになってしまうのではないかという噂までもがささやかれはじめたころ、1993年12月の米・欧・日・加による政府間協議がロシアを計画に参加させることで合意した。
ここに来て、ようやっと計画も動き出した感になったのだった。
言うまでもないことだが、ロシアは宇宙ステーション・ミールの長期運用によりステーションに対する多くのノウハウをたくわえていた。さらに、ステーションへの物資の補給にロシアのロケットを活用することもできるのだ。
しかし、デメリットも多かった。ステーションの軌道傾斜角(軌道の赤道面からのずれのぐあい)が大きくなったのだ。これはロシアの補給船をうまくステーションにドッキングさせるために必要な処置であった。そのために、他の国はその軌道にあわせた軌道を取らざるを得なくなった。
日本の場合、通常種子島から打上げられるロケットは静止軌道ならほぼ真東に打ち上げられ、観測衛星のように地球の自転軸と垂直な方向にまわる衛星なら、東に打上げられてから南にぐるっとまわることになる。ところが、ステーションに物資を補給する HTV (H-II Transfer Vehicle)の場合、その中間方向にロケットを打上げないといけない。今までに経験のない軌道のため、関係者はかなり苦労することとなる。このような軌道を選ぶことで、打上げ能力は落ちる。つまり、一度に運べる荷物の量が制限されるのだ。そこらへんはスペースシャトルの場合も変わらないようである。
ステーション自体も影響を被る。軌道傾斜角が大きいということは、地球から見て南北方向の移動量が大きいということになり、そのため生じる温度差が無視できなくなったのだ。
また、スペースデブリ(*)の問題もあった。ロシアが参加する前は、JEM はステーション本体の影にかくれていてデブリが当りにくくなっていたのだが、現在は軌道の進行方向に向って正面に配置されることになっている。しかも、この場所はドッキングポートのすぐ近くでもあり、ドッキングのときのゆれをもろに受けることにもなる。これは微少重力実験にはマイナスだ。
ロシアはさらに足をひっぱりつづけることになる。ステーションのメインモジュールや居住区画はロシア製なのだが、予算の関係で、その製造、打上げが大幅に遅れたのだ。
なにはともあれ、1998年11月に ISS の基本機能モジュールが打ち上げられた。
JEM も公募により愛称が「きぼう」と決定された。
今なお宇宙ステーションへの懸念の声はやまない。しかし、来たるべき宇宙生活の時代のさきがけとして、その実績を作る舞台としての役を演じてくれるものと私は期待している。

* スペースデブリ/デブリ:宇宙空間を漂うゴミのこと。
チリのようなものから隕石のように多きいものもある。
また、投棄されたロケットや衛星の残骸もこれに含める。
小さくても速度が大きいので、宇宙機と衝突したときの
ダメージが大きくなることもある。

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