日本宇宙開拓史
(最終回)
エピローグ

 参考文献:
「宇宙開発データブック 2000」
財団法人 日本宇宙フォーラム

(C)宇宙科学研究所

日本の宇宙開発について今まで書いてきたが、今回は少し毛色を変えてこれからの宇宙開発について話してみたい。

輸送系、すなわち、衛星を宇宙に運ぶためのロケットなどとして現在開発途上にあるのは、打上げを真近に控えたH-IIAロケット以外にも、J-I改またはJ-IIなどと呼ばれる機体がある。三菱とIHIがコンセプトを競りあい、IHIが主開発を担当することとなった機体である。2段エンジンとして世界でもめずらしい天然ガスを用いたものを使用するべく開発が進められている。J-IIはH-IIAにくらべて小型であり、また打上げ準備から実際の打上げまでのサイクルが短い小回りの効くロケットとして計画されたものである。H-IIの失敗により、一度にまとめて大きな衛星を打上げるよりも、小型の単機能型の衛星を多く低コストで打ち上げる方がリスクが小さいのではないかという考え方もされるようになってきていて、うまくいけば世界中の射場で簡単に打上げられる機体として、活躍することができるかもしれない。
ただし、現状では開発は計画より遅れており、設計の変更も多く、先行きは不安定な状況である。

衛星、それも宇宙科学衛星はそれほど脚光を浴びてはいないものの、多くの衛星が計画され、またミッションの途中でもある。
1998年に打上げられた「のぞみ」PLANET-B は現在火星に向けて飛行中であり、2003年12月には火星に到着予定である。これが成功すれば、日本で初の惑星探査が実現したことになる。
2002年度に予定されてるLUNAE-Aは月にペネトレータを打ち込む計画であり、身近な星である月についての詳細なデータの獲得が期待されている。月の内部構造をさぐることにより、月の起源と進化を調べることになる。
同じく2002年6月に打上げを予定しているMUSES-Cは、小惑星1989MLに接近しそこから岩石などを採取して自動的に地球に帰還(サンプルリターン)するプログラムとなっている。これは位置付けとしてはサンプルリターンの技術習得が目的となっているが、実際にサンプルリターンが成功すれば、太陽系の起源に関する貴重なデータを得ることができるだろう。小惑星への接近は2003年の9月を予定しており、2006年1月に地球に帰還する計画である。
2003年のSELENEもまた月の探査を目的としている。21世紀は宇宙が惑星探査でいそがしくなる世紀となりそうだ。ここで紹介した他の衛星がほとんどM-Vで打上げられるのに対し、このミッションはISASとNASDAの合同プロジェクトとしてH-IIAロケットでの打上げを予定している。
SOLAR-Bは2004年に予定されており、太陽表面の観測を行う予定である。これは1991年の「ようこう」SOLAR-Aの後継機である。
日本のお家芸であるX線天文観測衛星は2003年のASTRO-Fまで待たないとならない。本来なら、現在運用中の「はるか」ASTRO-Dの役をASTRO-Eが引き継ぐ予定であったのだが、2000年2月のM-Vロケットの打上げ失敗により、観測の空白期間を生じることとなった。

さて、これからのロケットや衛星の計画やミッションについて見てみたが、この中に有人宇宙飛行の計画はない。現在NASDAやISASには有人宇宙飛行をやろうという公式の動きはないのだ。
人間を運ばなければ、それは本当のロケットではない、というのは極論としても、本来人間が宇宙を目指すのは、いつかそこに行きたい、そしていつかそこで暮らしたいという願望があるからだと思う。人間は常になにかを追い求め、そしてそれを征服してくることで発展してきた。宇宙もその対象からはずれることは考えられない。
もちろん、アメリカのシャトルやロシアのソユーズを使って日本の宇宙飛行士を宇宙に送り出すことはすでに実施されている。しかし、日本の自前のロケットで日本人を宇宙に運ぶ計画がないというのはあまりにも寂しすぎるのではないだろうか。
ここに一枚の絵がある。
寸胴な弾丸のような形をしてるこの物体こそが、日本が計画している有人宇宙飛行計画のひとつの形のあらわれなのである。
日本ロケット協会が構想している観光丸は、有人観光用のロケットで、幕末の同名の船から名前を取られたという。
観光丸は50人乗りで、離陸するときの質量は550トンある。高度200km程度まで上り、乗客に無重力遊泳や地球見を経験させることができる。飛行時間は約3時間を計画している。 21世紀に入って、実際に宇宙旅行者が宇宙ステーションにおとずれるということもあったが、その費用は莫大なものであった。しかし、この観光丸ではなんと運賃として200万円を想定している。200万といえば、ひと昔前の海外旅行と同じくらいの額である。市場の調査によると、200万円以下であるなら、宇宙旅行に行きたいという人は年間75万人に達すると予測されている。年間の打上げ回数は300回で、50機製作する計算になっているそうである。年間300回というと、国際線のジャンボジェットと同じ程度の回数である。つまり、故障頻度をジャンボジェット程度まで抑える必要があるということになる。 私の個人的な意見としては、本当にそれだけの人数をコンスタンスに乗客とできるのかという点と、本当にそれだけの故障頻度に抑えられるのか、という2点が非常に疑問である。今の宇宙技術からすると、それだけの信頼度を達成することは難しそうである。しかし、合計50機製作することにより量産効果があるため、1機あたりのコストも故障率も低くすることができるのかもしれない。
もし、これが成功すれば非常に画期的なことになると思う。
信頼度の高いローコストのロケット製品が市場に出まわることになり、結果として、他の宇宙開発も高信頼度に低い予算で実現することができることになるだろう。
これはまさに夢物語のような世界である。しかし、21世紀現在の技術の延長で実現が可能とされていることなのだ。

今まで、約1年にわたり、日本の宇宙開発をその苦難についてを中心に話してきた。
事実、宇宙開発は苦難の歴史とも言える。
現在予定されているミッションや、観光丸のような構想にもまた苦難を伴なうに違いない。
しかし、これまで先人達がその苦難を乗り越えてきたように、これからもまた新しい地平を求め、私達は進んでいくのではないかと思う。
戦後の一時期、航空宇宙研究開発が禁止されたことにより、日本の技術はかなり後退したことは前にも述べた。このように技術は一度停止するとそのレベルまで復帰するのにまたかなりの苦労をしなければならくなる。
この拙文を読んでいただいた読者諸兄にお願いがある。
どうか宇宙開発を暖かく見守っていて欲しい。
その暖かい眼差しが日本の宇宙開発を新たな未来に誘ってくれることだろう。

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