第10回 シャル・ウィ・ラスト・ダンス?


 青木ヶ原の樹海におよそ不釣合いなその建物は、近づくにつれて巨大さと奇妙な外観で見るものを威圧した。迷彩服に身を固めたグリーンアース日本支部特別行動隊シム殲滅斑(SAT:Sim Anihilation Team)の3人〜古書店主のハナダ、通信技師のヤギ、体育会系のウシクボ〜は表向きは日本軍の糧食を生産するバイオプラントということになっている、窓のない銀色のドームに無言で接近しつつあった。事前の調査によればこの建物こそがシムの生産、メンテナンスおよびトレーニング、要するにシムに関するすべてを一手に引きうけている、いわばシム・システムの中枢なのだった。建物は地中に残りのちょうど半分が埋まっていて、全体としては完全な球形になっているらしい。3人の目的は建物の赤道面に小さな穴を穿ち、気密水密おまけに強固な電波シールドに護られた建物内部にある情報とその他いくつかのこまごまとした物品を送りこむことにあった。もと自衛隊員のウシクボ君が先頭になり、随所に仕掛けられたトラップを解除しながら3人は進んでいく。夜明けの薄明かりの中、3人の吐く息だけが白い。
 東京のカオル君の部屋にはSATの別働隊であるヒラオとヨネツさんが陣取り、青木ヶ原のチームから送られてくる画像と音声を少し前からリアルタイムでインターネットに中継しながら作戦開始の機をうかがっていた。カオル君は前の晩からシム制御用スーツを着込んで別室でスタンバっていた。通信系統の調整に思いのほか手間取ってしまったのだ。シムにつながれていないままシステムを起動したのは初めてだった。運動系統のアウトプットのない、いわば手足をもがれた宙ぶらりんの状態でカオル君もまたインターネットに中継されている画像に見入っていた。最後尾のハナダのアイカメラの中ではドームの外縁に取りついたウシクボがドリルで直径5センチくらいの穴を開け、そこにヤギが同じ太さのパイプを取りつけていた。画面右上隅の時計が05:57を表示している。どこかで名も知らぬ鳥が高く一声叫んで飛び立った。
「…準備完了です」ハナダの声が耳元で響いた。
「そちらはOKですね」とこれはヒラオの声だ。マイクを通しているせいか妙に金属的で人間味がない。
「いつでもいいよん」ちぇっ、緊張をほぐそうとしたのに語尾が震えてしまった。
「06:00 作戦開始!」ヒラオの合図と同時にウェブデザイナーのヨネツさんが打ち込んだ文字列が画面に大きく表示され、赤く点滅した。
「シム専用回線に接続します」
 画面が切り替わった。ここから先はシムを通じてカオル君が見聞きするものすべてがインターネットに中継されるはずだった。

 真っ暗だった。何も聞こえない。接続は失敗だったようだ。そりゃそうだよな、ぶっつけ本番だもの。いくらシムがここにあるっていっても、すぐに使える状態かどうかわからないんだから。打ち合わせでは5分間待ってだめなら撤収することになっていた。仕方がない、待ちますか。画面を眺めてる人たちには悪いけどね。

 カウントダウン用の時計が残り2分を切ったころ、視聴覚からのインプットに遅れて位置覚と運動覚からのフィードバックが返ってきた。インターネットの中継ではわからないが、要するにカオル君のシムがどんな姿勢で置かれているかがカオル君に伝わって来たのだ。ひどく窮屈な姿勢だ。窮屈なだけでなく不自然で、生身の人間が取れる姿勢ではない。訓練で一度だけやったことがあるが、ひじとひざを逆方向に折り曲げて背中を丸め、頭をヘソにくっつけた通称「カメのポーズ」、これは戦場で岩か何かにカムフラージュするためのものだったはずだが、と思ってようやく合点がいった。この姿勢が一番コンパクトなのだ。屈葬っていったっけ、大昔の日本では死体のひじとひざを叩き折ってむりやり大きな土器に入れて埋葬したんだよね、そうか、カメのポーズのカメは亀じゃなくて甕だったんだな。屈曲解除のスイッチを入れて思いきり伸びをするといきなりごろりと床に転がり出た。今まで入れられていたパッケージが大きな口を開けている。角の取れた正8面体。空間をすきまなく埋め尽くすことのできる立体だ。ここは戦場に空輸される予定のシムが置かれる倉庫らしかった。空気はひんやりと乾燥している。天井の曲率から判断するに最上階のようだ。振り返ると反対側の壁には天井近くまでびっしりと、最新規格のやや小振りのシムが入っているらしい水色のパッケージが積まれていた。 小振りのシム…栄養状態がよくないせいなのか、やけに身長の低い敵軍兵士たちを思い出してカオル君は身震いした。パッケージのひとつひとつに手足を折り畳んだシムが入っていて、その装甲の下にはひげのない若い兵士たちの死体が隠されているはずだ。中継を見ている人たちにもこの衝撃が伝わるだろうか。いぶかりながら赤枠で囲まれた非常口に向かったカオル君は、規格外の不ぞろいなパッケージが雑然と置かれた一角で足を止めた。

(ヒカルだ)胸がずきんと痛んだ。

 濃いグリーンで「6」と記されたその中には修理が済んで再び戦場に送られる予定の禄号機が入っているはずだった。パッケージを引き裂きたい衝動にかられながらも、カオル君は軽くその表面に手を触れただけで非常口を出た。指先に仕込まれたカッターで蝶番を切断してこじ開けたのだ。ブラスターを使えば早いのだが警報機が作動する恐れがあった。いずれはインターネットの中継を見つけた誰かが通報してくるだろう。複雑な軍の指揮系統を介して「暴走した」シムの停止命令が下るまでの時間をカオル君たちは2時間と見ていた。昨晩から待機していたカオル君にとっては連続稼動のタイムリミットでもある。それまでに全作業を終えなければ。
 ドアを出るとそこは回廊になっていた。球形の建物の外周をめぐるらせん階段らしかった。通常の出入りには中央のエレベータが使われているのだろう。回廊にはまったく人気がなかった。シムを高速移動形態に変形し、一気に駆け下りる。赤道面の真西にハナダたちが設置したパイプがあるはずだった。

 ジェットコースターよろしく反時計回りにらせん階段を移動するカオル君の眼前に展開される光景に、インターネット中継を眺める視聴者もカオル君自身もいいかげん気分が悪くなりかけたころ、ようやくカオル君が操るシムは目的地に到達して急停止した。ありふれた配水管を模したパイプは背景にまぎれて肉眼ではまったく目立たなかったが、内部に仕込んだ小型ヒーターのおかげで赤外線スコープでは白々と光って見えた。パイプの裏側にあるボタンを押すとぱっくりと開いて中身がこぼれ出た。ゴキブリ捕獲器そっくりにあつらえた超小型の時限ナパーム弾とウィルスソフトを仕込んだカード型CD-ROMディスク。左腕の格納庫にしまい込み、パイプを元通りにしておく。このパイプ自体がドーム内部と外部に設置した中継装置とをつなぐアンテナなのだった。あとは地下から順にこの建物の実情を暴きながらナパーム弾を仕掛け、途中のどこかで端末を見つけてウィルスを仕込むだけだ。火の手があがるころにはハナダたちは撤収し、ヒラオたち別働隊は復原中のカオル君を運び出し、全員がアジトで落ち合う計画だった。

 地獄は下へ行くほど狭くなっているのだと言う。地獄の1丁目に当たる最下層はそれにふさわしい陰惨な場所だった。ひとさし指の先にあるもうひとつの眼〜魚眼レンズのテレビカメラ〜で非常扉のガラス窓から中を覗いたカオル君は、予期していたこととはいえ吐き気を催してしゃがみこんでしまった。中央のエレベータ前には見慣れたモスグリーンのプラスチックバッグが山と積み上げられ、そこから取り出された死体がベルトコンベア方式で処理されていた。時計回りのコンベアには男の死体。反対側は女の死体。いや、実際には脳死状態で低温保存された「生体」なのだが、見かけはまったく死体と変わらない。白衣に白い帽子白いマスク白い手袋を着けた作業員が軽口を叩きながら死体の全身をチェックして脱毛処理を施し、頚部と鼡径部に体外循環用のチューブを刺し込み、腸を洗い、頭皮に頭蓋骨の切除線をマーキングし、体格別に色分けされたプラスチックの札を足に縛りつけてからエレベータに送りこんで行く。すべては機械的な流れ作業だった。カオル君は気を取りなおし、ゴキブリ捕獲器型のナパーム弾を回廊に仕掛けながら、よろめく足を踏みしめて次の階に向かった。

 地獄の2丁目は手術室だった。ここもやはり流れ作業で、Aランクに格付けされた体格の良い死体がシム用に改造されていくのだった。見学用の窓がぐるりに設えてあったのですべての手術を中継することができた。だいぶ後になってこの時の映像を見た医学関係者が解説を加えたのだが、手術の流れはこんな感じだったらしい。(1)脳への微小電極埋め込みと頭蓋骨形成、(2)眼瞼の切除と眼球置換、(3)全抜歯、舌の口腔底への縫い付けと口唇閉鎖、(4)輸液ポンプの皮下埋め込みと人工肛門造設、肛門閉鎖、(5)去勢とホルモン剤の皮下埋設、尿リサイクルシステムの設置… 覗いている最中のカオル君には何が何やらわからなかったが、(5)の処置だけは直感的によくわかった。男の死体からペニスが切断され、尿道に突っ込まれた透明なチューブが背中に背負わされたランドセルみたいな装置につながれるのだった。チューブの中の液体は最初は真っ赤だったが死体が次のフロアに送られるころには黄色く澄んでくる。この後死体の肘関節と膝関節が逆向きに折り曲げられる人工関節に置換され、その際に規格に合わせて長すぎる骨を削ったり逆に継ぎ足したりするらしかった。

 次のフロアは半分に仕切られていて、片側ではシムの装甲が死体に装着されていた。反対側には培養槽みたいなガラスの容器がずらりと並び、BランクとCランクの死体が運動させられていた。死体の運動というのも変な話だが、高タンパクの輸液を持続しながら、刺し込んだ電極で強制的に筋肉を収縮させるのだ。水槽の中の死体はよく見るとそのあちこちがひくひくと痙攣するように動き続けているのだった。

「反響はどうだい?」地上階へ続く回廊をめぐりながらカオル君は尋ねた。
「上々だよ。アクセスカウントが10万を越えた。メールも続々入ってきてる。そちらの処理はヨネツくんがダウンしちゃったので滞っているがね」
 ああ、無理もないな。ヒラオの声も気のせいか多少上ずっていた。
「ところで国内でもこれは見えてるのかしら」
「グリーンアースの名前は出してないからね、例の検閲ソフトにも引っかからないし、海外のサーバを移動しながら載せてるから情報省にも手は出せないはずだ。そちらの状況はどうです?」ヒラオがドーム外のチームに尋ねた。
「寒いよ。静かなもんだ」ハナダがのんびりと答える。
「オーケー、今のところ軍はまだ動き出していないようです。ウィルス注入をよろしく。残り1時間ですから」
「了解」

 1階はシムのメンテナンスに当てられていた。腕をひしがれたシムを修復しているチームがあるかと思うと、こちらでは非番のシムの装甲内に洗浄液を高圧で注入し、溜まった垢を取り除いていた。ひどく匂うらしく、作業員はマスクの上から洗濯バサミで鼻を挟んでいて、それでも足りずに消臭剤をしきりにスプレーしていた。カオル君は例によって非常扉の蝶番を外して室内に忍び込んだ。シムの装甲をカメレオンモードに切り替える。背後のパターンを体の前面に映し出すこのモードなら、壁面にはりついて移動する限り簡単には見つからない。シムの管理に使っているらしい端末の前の席はからっぽだった。スロットにカード型CD-ROMを差し込み、ハードディスクにファイルをコピーする。パスワードを要求されることもなく、作業はあっけないくらい簡単に終わった。日本軍というのはどうしてこう情報セキュリティが甘いのだろう。内部にスパイが潜入したらいちころじゃないか、まったく、とつぶやきながら、カオル君はようやく自分が今まさにそのスパイ行為を働いていることを思い出した。これで時限ナパーム弾が発火しても消火装置は作動しないはずだった。パッケージの中で眠っているシムが起き出してくる心配もなくなった。ついでにウィルスはここからシム関係のネットワーク中に広がり、情報を世界中にリークしてくれるだろう。これでシム・システムもおしまいだ。

 2階と3階はぶち抜きでシムのトレーニングセンターになっていた。こんなところにあったんだ。なんだか懐かしかった。格闘技の訓練から模擬戦闘まで3カ月間みっちり仕込まれたっけ。トレーニング開始は8時だが、その頃にはここは火の海になってるだろうな。その時、一瞬だけカオル君の視界の片隅に緊急事態を告げる赤い警告灯が点ったのをカオル君は見逃さなかった。
「もしもし?」
「どうかしました?」ヒラオのチームには別状ないらしい。
「外で何かあったようです。そちらも注意してください」
「了解。いつでも復原できますから連絡してくだ」
 ぷつっと音声が途切れた。
「もしもし?」返事がない。外にいるはずのハナダたちとも連絡が取れなかった。何か異状があればヒラオたちが直ちに復原処置を施してくれるはずだったが、ひどく胸騒ぎがしてならなかった。

「よう」ぽんと背中を叩かれてカオル君は飛びあがった。
(小隊長?)
 声はまぎれもなくネコタのものだったが、そこに立っていたのはカオル君よりもひとまわり大きな真っ赤なシムで、肩と肘と膝のプロテクタにやたらと大きなトゲが植わっている。どこかで見たことがあると思ったら、そもそもの始めにカオル君がのめりこんだオンラインゲームの最後に登場したラスボスのいでたちだった。
「悪趣味な格好だよな。なんせ動くのがこれしかなかったもんでな」
 カオル君は反射的にファイティングポーズを取ったが、相手を倒せる自信はまるでなかった。訓練中、ネコタからは1ポイントも取れなかったのだ。ラスボスはよせよせ、といったふうに片手をひらひらさせる。
「外の連中が心配か? そのままシム製造ラインに送ってもよかったんだが、少しは情報を聞き出せるかも知れんと思って眠らせてるよ。懲らしめのために死体袋には入ってもらったがね。おっと、移動ならエレベータの方が早いぜ。出てすぐのところだ」
 ネコタの真意は図りかねたが、他に選択肢はなさそうだ。エレベータに向かって走り出したカオル君をラスボスが呼び止めた。
「まあそう急ぐな。少し話そうぜ。そうだな…あと1時間くらい?」
 冗談じゃない、1時間もこんなところにいたら戻れなくなってしまう。振り返ろうとしたカオル君を引き戻すようにラスボスが左手をつい、と引いた。まるで見えない糸を手繰り寄せるみたいに。それから右手でチョキを作り、左手の糸を切る真似をしてみせた。それと同時にカオル君のシムの運動系アウトプットが断たれ、カオル君は糸の切れたあやつり人形さながらがっくりと膝を落として前のめりに倒れた。ラスボスが音もなく忍び寄り、傍らに腰を下ろす気配がした。

(第11回に続く)


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