第12回 終章:ブレードランナーズ・ハイ


 ラスボスの頭部と肩のつけねに見えている隙間を狙ってカオル君は全体重をのせた飛び蹴りを放った。堅い装甲に被われた頭部には歯が立たないが、ここをヒットすればシムの頚椎にむち打ちのダメージを与えられるはずだ。しかし、カオル君の身体が宙に浮いた瞬間、ネコタはすっと体をかわし、カオル君はヘリの操作盤にまともに突っ込んでしまった。ハンドルがひしゃげ、赤や緑のパネルが粉々に飛散した。
「おお?」
 ネコタの声には驚きと疑いがあった。足元に転がっている久号機と、操作盤からトンボを切って降り立ったカオル君とを見比べていたが、やがてカオル君の操るシムの胸に記された「6」の数字に気づいて大きくうなずいた。
「ほお、死にぞこないが卵からお目覚めか。どうやら禄号機には代々悪魔が棲みつくらしい」
 発狂したオペレータを「殺し」に海から上がってきたマシンのことを言っているのだ。やはりあの事件は単なる暴走なんかじゃなかったのだ。一瞬カオル君は旧禄号機の胸を対戦車砲で打ち抜いた時の手ごたえを思い出した。
 その隙を狙ってすかさずネコタがタックルしてきた。危うく横に飛び退いて身構える。相変わらず素早い動きだ。どんな格闘技とも似つかないネコタの動きには決まった型がなく、予測不可能だった。武器の扱い方だったら負けないつもりだが、ここには銃もナイフもない。素手でやりあうしかなかった。しかもお互いシムの装甲に身を包んでいる。装甲の隙間に貫手をぶち込むか、装甲越しの打撃でダメージを溜めていくか、あるいは…
 強烈な回し蹴りが襲ってきた。ブロックした腕ごとはじかれて2、3歩横っとびになる。前腕がじんわりと熱い。シムからの痛みのフィードバックは弱めてある。シムの筋肉や骨〜すなわちヒカルの身体〜が実際に受けた損傷は相当なものだろう。こんなのを食らい続けていたら腕が利かなくなってしまう。いきなり間合いを詰めてくるネコタの人中を狙ってカオル君はカウンターパンチを繰り出したが軽く受け流され、おまけに投げをくらってもんどりうった。受け身から立ち上がろうとした時、右手の小指が奇妙にねじれているのに気づいた。投げるついでにへし折られたのだった。ネコタはそれこそ猫がネズミをなぶるように、少しずつカオル君の戦闘能力を奪うつもりらしかった。
「そっちの身体はだいぶ具合がよさそうじゃないか。さすがは一卵生双生児だ。いや失礼、クローンだったな。こうなったらおれにも何体かクローンを作ってもらうとするかな」
 広大なトレーニングルームにはいつしか煙が充満していて部屋の向う端がもう見えなかった。気がつくとカオル君は屋上へ続くはしごを背にして部屋のまん中に追い詰められていた。すでに左手の小指もへし折られて両手が動かしにくい。ネコタが無言で人さし指を立て、上を指し示した。はしごを上れという合図だ。カオル君はさっと身をひるがえし、急いではしごを上りはじめた。ヘルメットの中にネコタの声が響く。
「いーち、にーい、さーん…」
 カオル君はいつか誰かとのデートで見た昔の映画「ブレードランナー」のラストに近いシーンを思い出していた。主人公が人間そっくりでしかも人間よりも優秀な人造人間、レプリカントに追われてビルの屋上を逃げ回るシーンだ。あの主人公もたしか小指と薬指を折られたのだったっけ。
「しーち、はーち」
 はしごを上り切った近くに無線で呼ばれたヘリがホバリングしていた。手を伸ばせば届きそうな高さだ。旋回するプロペラの風圧を避け、反対側に向かう。滑りはしないが、下が完全な球面なので歩きにくい。
「…じゅう!」
 いきなりはしごの上がり口にネコタが現れ、肩に背負っていたプラスチックバッグをどさっと下ろした。ハナダたちはまだ気絶したままなのだろう、袋はぴくりとも動かない。さっきまでカオル君が操っていた久号機は置き去りにされたらしい。

 ということは、あいつは今ぼくが操作している禄号機、ヒカルの身体を持って逃げ出すつもりなのだ。おそらくは共鳴現象の秘密を探るために。ぼくの部屋で身動きできずに横たわっているぼくの身体もまもなく軍に接収されてしまうだろう。カオル君は自分の身体とヒカルの身体が素っ裸で白い解剖台に載せられ、無数の電極を突き刺される姿を想像して身震いした。

 あいつを倒さなければ、ぼくもヒカルもおしまいだ。でもどうやったら倒せる? カオル君は必死で考えた。敵を殺したり行動の自由を奪ったりする技術では絶対にあいつにかなわない。だけど、あいつの専門は人殺しだ。逆に言えば、いくらあいつでもシムを相手に戦うことに長けているわけではないのだ。そこを突けば勝てるかもしれない。例えばシムにできて、人間にできないこと。カオル君は訓練マニュアルの一節を無意識に呟いていた。
(シムは両肘と両膝を反対方向に折り曲げることができる、シムの股間は急所ではない、シムはバーチャル・コントローラで操作することができる…
 その時カオル君の脳裏にヒカルが遺したメッセージが閃いた。

 アブラカダブラの仇を取れ

 アブラカダブラは小学校時代にヒカルから教わった呪文だ。ならばこれは小学生が考えつきそうな単純ななぞなぞなんじゃないだろうか。そうだ、ようやく思い出した。これはヒカルとふたりで作ろうとしたアクションゲーム、ついに完成しなかったゲームでラスボスを倒すための隠しコマンドなのだ。起死回生の必殺わざを繰り出すためのボタン操作のはずだ。

 ABRACADABRA - ADA = ABRACBRA

 突然動きを止めた禄号機のそばに、ネコタは油断なく身構えながら近付いた。カタレプシーというやつだろうか、こちらを振り向こうとした途中の奇妙な姿勢のままですっかり固まっている。関係者の間で「共鳴」と呼ばれている、オペレータとシムとの通信回線を経由しない接続についてはまだ何もわかっていないが、ある種の神経疾患のようにオン&オフ現象が見られることは知られていた。突然つながったかと思うとまた突然ぷっつりと切れてしまう現象だ。カオルと禄号機の共鳴もまだ不安定で、今はオフになっているのだろうと思われた。もちろんいつまたオンになるかわからないから用心しなければならないが…

 ネコタは機体を約45度右にひねったまま停止しているシムの背後に回り、頭部から飛び出しているダミーアンテナの基部をつかんで軽く引っ張ってみた。禄号機はそのままの姿勢で簡単に後ろに倒れてしまった。どすんと鈍い音がしてドームの天井が少し凹んだ。首を持ってねじり、うつ伏せにしてみたがやはり反応はなかった。ネコタはしばらく腕組みをしていたが、やおら片足を大きく振り上げ、かかとを碌号機の尾てい骨のあたりに打ちおろした。シムの臀部には通信用のアンテナが埋め込まれている。オペレータとの接続が生きているかぎり、ここへの攻撃は反射的な防御行動を引き起こすはずだった。

 カオル君はシム操作用のバーチャル・コントローラを握りしめたままじっと待っていた。実体のないコントローラの表面が汗でぬるぬるするような錯覚がした。RボタンとLボタンを同時に押している間、シムは一時停止状態になって一切の動きを止めるのだった。チャンスは一度しかない。カオル君の想像どおり、シムの戦闘プログラムを組んだのがヒカルだとしたら、隠しコマンドで発動するのはあっと驚くような裏わざのはずだった。それが何だか見当もつかないが、今は不意打ちのチャンスをひたすら狙うしかない…

 カオル君は肛門にいきなり杭を打ち込まれたような痛みをおぼえて飛び上がりそうになったが、あぶら汗を流しながら必死で耐えた。

 かかと落としは過たずシムの急所に命中したが、碌号機は何のリアクションも起こさなかった。接続が切れているのに違いない。ネコタはうつ伏せたままの碌号機の両足を引っ張ってはしごの上り口を迂回し、ホバリングを続けるヘリの真下に運び込んだ。格納庫の扉を開け、シムの腋の下に両腕を入れて抱え上げる。

(今だ!)

 カオル君はいったんバーチャル・コントローラのボタンを離し、それからめまぐるしいスピードで次々とボタンを叩いた。Aボタン、Bボタン、Rボタン、またAボタン、Cボタン、Bボタン、もう一度Rボタン、最後にAボタン…

 カオル君のシムが突然まっすぐに立ち上がったかと思うと、その両手両足から姿勢保持用のバンドが飛び出してネコタの手足に巻き付いた。暴風雨に見舞われた際に手近の柵などに機体を固定するためのものだ。ネコタの操るシムは両手のひらを後ろに向けて万歳したような格好で立ちすくみ、その前面にやや小柄なカオル君のシムがぴったりと張り付いた。2体のシムの両手両足が一瞬ぴんと伸びてまっすぐになった。両手足の動きを封じられたネコタは唯一自由がきく頭でカオル君の後頭部に頭突きを見舞おうとしたが、次の瞬間、

 カオル君の碌号機はいきなり両肘と両膝を反対方向に折り曲げた。

 めりめりぼきぼきと嫌な音を立てながらラスボスの肘と膝ががっくりと折れた。

 肘と膝を反対に折り曲げる動力源は形状記憶合金製のスプリングで、シム自身の筋肉よりもはるかに強力なのだった。反対方向に折り曲げるためには肘と膝のロックを外さなければならないのだが、ネコタにはその暇がなかった。2体の両手足を縛っていたバンドが碌号機の体内に収納されると、ラスボスはカオル君の背後に崩折れて動かなくなった。よつんばいに這うことはできるはずだが、関節を破壊されたショックで麻痺しているようだった。

「ふん、なかなか見事だったな」

 大急ぎでプラスチックバッグの中身を確かめているカオル君の背後からネコタが呼び掛けた。相変わらず壊れたあやつり人形みたいに横たわったままだ。

「どうせなら完全に破壊していったらどうだ。おれの頭をヘリのローターに突っ込むんだ。ギロチン代わりに使えるはずだぜ」

 カオル君は振り向かなかった。ネコタの計略かも知れないし、そんな暇はもうなかった。はしごの上り口からはもうもうと火の粉まじりの黒煙が吹き出し、ドームの表面を伝って流れ始めている。急いで脱出しないとドームごと吹き飛ばされてしまう。このまま屋上に置き去りにすればラスボスの装甲の中でシムの身体は蒸し焼きになってくれるはずだった。ハナダたち、グリーンアースのメンバー3人は命に別状なさそうだった。袋から出して外気に当ててやればほどなく息を吹き返すだろう。

 プラスチックバッグをサンタクロースみたいに担いだカオル君がはずみをつけてドームの屋上からジャンプするのと、ドーム全体が炎に包まれるのとほとんど同時だった。着地するが早いかカオル君は全速力で樹海に逃げ込んだ。ずうんと重い爆発音に振り向くとドームはめちゃくちゃに裂けて骨組みがあらわになり、その側面を同じく炎に包まれたヘリがばりばりと転げ落ちて行くのが見えた。

 元自衛隊員のウシクボ君が最初に息を吹き返し、ヤギとハナダがそれに続いた。3人は自分たちを覗き込んでいるすすけたシムをぼんやりと見返した。ヤギのポケットから拝借した手帳とボールペンで、カオル君はミミズがのたくったようななぐり書きを3人につきつけた。もともと字が下手な上に両手の小指が折られているので書きにくいことこの上ない。

(カオルです。みんなぶじでよかった。ドームはもえました)

 ハナダが小さくうなずいた。ヤギがかすれた声で尋ねた。
「君、復原しなかったんだね」
 カオル君はうなずいた。しなかったのではなくできなかったんです。もう二度と。3人ともその意味を理解していたから、それ以上何も言わなかった。

(ぼく、じぶんのからだをとりにいきます)

 軍が回収に来る前に逃げるのだ。だが、どこへ?

「それから」
 どうするつもりだ、と聞きかけてハナダは口をつぐんだ。自分の部屋に横たわっているカオル君の身体はいまや植物状態で完全介護が必要だ。カオル君の操るシムは当面動いているが、そのメンテナンス設備は破壊されてしまった。
「困ったらいつでもアジトに来てくれ」
 カオル君はかすかにうなずき、それからさっと敬礼した。小指を立てたままで。反射的に敬礼を返した3人の目の前でカオル君は高速移動形態にシムを変形させ、樹海を縫って走り出した。

 どこまでも続く樹海をひたすら家を目指して走りながら、カオル君はいつしかふしぎな高揚感をおぼえていた。これがランナーズ・ハイってやつなのかも知れないな。ヒカルの身体はすばらしく精悍で疲れを知らなかった。これからはずっと一緒だよ、ひと足ごとにヒカルが語りかけているような気がした。そうさ、ぼくらはふたりでひとりなんだ。力を合わせれば、たぶんひとり分くらいはやっていけるさ。

 木々が少しずつまばらになり、前方が明るくなってきた。

(了)


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