20周年 / 200号記念メッセージ
アニソラが発刊された2000年と、それからの20年というのは大きな意味がある。
世紀末の日本、1990年のバブル崩壊と1995年の阪神・淡路大震災はいつか起こりうることにたまたま巡り合わせたというしかない。 しかし、1992年の19歳少年による一家四人の殺害及び少女強姦事件、 1994年の18歳、19歳少年らによる連続リンチ殺人事件、同年及び1995年のサリン事件、 1997年の14歳少年による神戸連続殺傷事件、1998年のカレー毒物混入事件、 1999年の18歳少年による母子殺害事件など、陰惨な事件が相次いだ。 「ノストラダムスの大予言」(1973年)が予言した1999年をみんなが信じたとは思わないが、 なにか人の心が蝕まれていくような焦燥感に苛まれた。
世界に目を向けてみると、それ以前からアポカリプス的なSF映画が少なくなかった。 猿の惑星シリーズ(1968年、1970年、1971年)、エイリアン・シリーズ(1979年、1986年、1992年、1998年)、 ターミネーター・シリーズ(1984年、1991年)……。 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の世界では東西の核開発競争と黙示文学の伝統が結び付きやすかったのだとは思うが、 これらSF大作映画は、SFが嫌いな人を生み出した原因の一つかもしれない。 1989年に冷戦終結が宣言されたものの、平和への期待に反して、むしろ地域紛争と自爆テロが増加し、 バブル崩壊後の長い不況もあって90年代を生きる若者に明るい新世紀への希望が与えられることはなかった。
そうして迎えた21世紀はどうだったか? ロバート・A・ハインライン「夏への扉」(1957年)や 映画「2001年宇宙の旅」(1968年)が描いた2001年とはまるっきり違っていたが、 明るいニュースもあったはずだ。しかし、新世紀への期待は2001年の同時多発テロによって打ち砕かれた。
アメリカン航空11便がワールドトレードセンターに突入し、 その後2つのビルが崩壊する瞬間が鮮明な映像で伝えられた。 2011年の東日本大震災の巨大津波の想像を超えた映像が今もYouTubeに数多く残されている。 福島原発のメルトダウン、2020年のCOVID-19などSF小説のような事件を、 小説よりも衝撃的な現実として我々は目の当たりにした。 小説の中の権力者の典型のようなトランプ大統領が半数近い米国民から「民主的」に支持されているという、 SFの中でもありえなかったシーンを、選挙後3週間経った今も見続けている。
東日本大震災の年に亡くなった小松左京は、 「仮想災害に備えて技術や情報データを蓄積して、 世界中に提供すること」を願っていた(小松左京マガジン第42巻「“災害防衛国家構想”てどやろ?」、2011年)。 事実、氏の脳内シミュレーションの一つ、1973年「日本沈没」は、 深海潜水艇を動員して多数のロボット・モニターからなる海底観測ネットワークを建設し、 ホログラムメモリー付き大容量コンピュータで地殻変動シミュレーションを行い、 1億1000万人の日本人を日本から脱出させるまでを描いている。重苦しい印象の当時の映画とは違って、 不可能に挑む人々を描いたこの小説は、 現実の世界で深海潜水艇や地殻変動シミュレーションの開発に取り組んだ多くの研究者や技術者を生み出したのを、私は目の当たりにしてきた。
「夏への扉」は物語の最後を「そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。」(福島正美訳。 “The future is better than the past”)という言葉で締めた。 これからのSFが子供たちに夢と希望と、そして困難に立ち向かう勇気を与えてくれるものであれと願いたい。