SF随想録 - Les Pensées de la Science-Fiction -
タイムパラドックス Time Paradox
おおむらゆう
最近は、という感じなのでしょうか。
時間旅行とかタイムスリップなどと言われる昔からあるジャンルでタイムパラドックスが前提とされている作品が多いと感じるのは。
パラドックス paradox はギリシャ語の παράδοξον から来ていて 「逆説」とか「背理」「逆理」などとも言うと Wikipediaさんがおっしゃっていました。
ここで言うまでも無いことですが、一般には『親殺しのパラドックス』と呼ばれているやつです。
過去に戻って自分の親を殺してしまった場合、過去にやってきた自分は存在しているのかどうか。
過去に戻るという事実があるにも関わらず、過去で自分の親を殺してしまった場合、結果として自分は生まれて来ないことになって、 その未来の自分が過去に戻るという事実も無くなる。
これはパラドックスでは無いか、というわけです。
古来、色々な解釈が行われてきた概念ですね。
いくつか列挙してみましょうか。
- 親を殺してしまった瞬間に自分がいたという事実が消滅するので、親を殺した自分も消えてしまう。
最近では一番見られるアイデアなんじゃないかと思います。 なんとなくそこらへんは辻褄が合っているように見えますが、 もちろんパラドックスは残ります。 消滅してしまったということは、結局その時点で未来の世界から自分が過去にやってきて親を殺すという事実も消えてしまうからです。
殺した親から生まれるはずの本人が生まれてこないのだから本人が過去に戻ることもなくなり、ループそのものは消滅しますが、 そもそも最初に親を殺したのは誰?というパラドックスは残ります。
- 時間には元に戻ろうとする力が働くので、個々の事象は変わっても歴史としての大きな流れは変わらない。
これもまたよくあるアイデアですね。
さらに、これに類似するアイデアとして、タイムトラベラーによる歴史の改変を防ぐためにタイムパトロールのような組織が存在する、 というのもありますが、これは事実上次の3の概念を下敷にしてると考えられます。
- 過去に戻った時点で歴史は改変されているのでパラドックスは生じ得ない。
例えばいわゆるパラレルワールドみたいなものだったり、時間軸が一本であってもそれが変化してしまう、というものだったりします。
- 現在にタイムトラベラーはいない、よって時間を遡及することは無くタイムパラドックスは存在しえない。
一番固い考えですが、タイムトラベラーが本当に存在しないということは証明できないので、それ自体は意味を成さないですね。 (何かが無いということを証明するのは非常に難しい。)
ただ、考えとして時間旅行のような現象が存在しないという立場はよくありますし、「普通」の考えではこのようにとらえるでしょうね。
SFとしてはおもしろくない話となりますが。。。
じゃ、タイムパラドックスというのは実際のところ成立し得るものなのでしょうか。
よくタイムトラベルの根拠として特殊相対性理論を挙げる人がいますが、実際のところどうなんでしょう?
特殊相対性理論が述べているのは単に同時性の崩れだけです。異なる速度で移動する立場の物同士では時間の進みが変わるので、 どの立場で見るかによって何かが起きるという事象が同時にはならないというものです。
最初の瞬間に時計を合わせても、そのあとの時間の進みが異なるため、ある出来事が発生する順番がそれぞれの立場で逆転することがあり得ます。 AさんとBさんがお互いに亜光速(光速に近い速度)で動いてるときに、Xという出来事がAさんのもとで発生したのかそれともBさんのところで発生したのか、 そしてそのXという出来事をAさんが見たのかBさんが見たのか、という立場をはっきりさせないとかなり混乱した議論になりますが、 その組み合わせ次第ではXを観測したタイミングが前後してしまうのです。
これを持って広義のタイムパラドックスとする向きもありますが、何のことは無い、こちらとあちらで時間の進み具合が違うなら、 最初に時計を合わせたあとの物事の起きるタイミングは変わってきますわ。
もっとも、繰り返しますが、それぞれの物事の発生する順番はそれぞれの立場によって逆転します。 何故なら速度が違う立場(物理では異なる慣性系という表現を使います)での現象は、どちらで見ても同じになるからです。
それを持って相対論なんて矛盾しているから間違いだ、というのは早計で、そもそも特殊相対性理論が必要となるのは、 これが成立しないと電磁気の法則が成立しないからなんですね。 相対性理論というのは、ニュートン力学において絶対とされた時間の流れや長さの尺度が変化しないという前提を捨てる変わりに、 電磁気学と力学を同時に扱うことができるようにするためのものなんですね。
さて、時間の流れは速度が早くなればなるほどゆっくりとしたものになっていきます。 電磁気学が主体となっているので、特殊相対性理論では光速が絶対的な尺度となっています。 その光速に近付くにつれて時間の進みは遅くなっていきます。それでは光速を越えてしまえば時間の流れが逆転するのか?という考えが出てきます。
形式的には光速を越えれば因果関係が逆転する、つまり過去への遡及ができることになります。 実際にはどんなに速度を上げようとしても、限りなく光速に近付くだけであり、 光速未満の世界から光速よりも速い世界に連続的に移動することはできません。
時間の遅れや同時性の問題については、アニマソラリスの過去の白田英雄氏のコラム連載 『初めに光ありき~SF読者のための相対論入門』 の中の 『縮む空間と時間』 の中で簡単に解説されています。 それをネタとして作られた高本淳氏の掌編である 『“トリッキー”なパラドックス』 や、さらにそれに対する解説の 『 補遺1・“トリッキー”なパラドックス解題 』、 またそれに対するさらなる返しの 『スタートリック』 あたりを読んでいただけると、この話のややこしさとおもしろさが感じられるかもしれませんね。
光速を越える粒子をタキオンと言いますが、光速未満の物質からタキオンに移り変わることはできないことになり、結局この方法では時間遡及はできません。
何らかの形でその「壁」がスキップされてしまえばそれまでですが、 それはそれこそ異世界転生とか異世界召喚と同じ類いの物だと理解してもらった方が早いかもしれません。
ちゃんと証明をみたことはないのですが、現代物理の理論ではタキオンは数学的に存在しないという話もあります。
まぁ、先に述べましたように、形式的には過去に遡ることができるので、とりあえずこの枠は取っ払われたものと仮定しましょう。
じゃあ、過去に行ったらどうなるか。
今度は別の問題が発生します。
ひとつはカオス理論の問題。そしてもう一つは量子的ゆらぎの問題。
ニュートンの理論では(いや、相対性理論の世界もいっしょですが)最初の条件からどのように物事が移り変わるかというのは一様に決まってしまいます。
ところが、この理論の枠組みの中でも、 非線形と呼ばれる状態になっているときは最初の状態がちょっと変わっただけで結果が変化してしまいます。 初期条件が違うことによって無限の結果が生じてしまうのです。いわゆるカオス理論ですね。 (このような時間の経過とともに結果が発散していく状態のことをエルゴード的と呼ぶんだそうです。 その研究の中でエントロピーとかの概念も出てきたんだそうですね。)
それでも、最初の条件が完全に一致していれば結果は同じものになります。それが古典理論というものです。
過去に戻ったときにその同じ条件というのは成立し得るのか?
ミクロの世界ではおそらくノーと言えるのではないかと思います。 古典理論では物事を決定するためには時間ごとに変化する位置と運動量(速度と質量をかけたもの)がわかれば良いのですが、 量子論の世界ではなんとその位置と運動量を同時に確定することができないで、取り得る値が確率的になってしまうのです。 これでは過去に戻ったときにその時点での同じ条件に完全に一致させることはできなくなるので、 カオス理論からその時点から先の未来は違う物になることになります。その先が分裂したパラレルワールドになるのか、 それとも世界線は一本のままなのかはわかりません。
もっとも時間線の変化は近い未来においてはそんな劇的に変化するとは考えにくいので、 将来の自分がまた過去に戻ってくるということが何度も繰り返される可能性はありますが。
さきほどWikipediaさんをのぞいてみたら、このタイムパラドックスの問題には情報量の問題もあってかなり厄介みたいです。
未来から過去に戻るということは、これから起きる事実についての情報を過去に持ち返ることなりますが、 上記のように何度も過去に戻るということが発生した場合、変化する未来の情報がその都度未来から過去に戻ることになります。 (別にこの情報というのは書物とか伝言とかそういう物に限ったものではありません。 それまで運動してきた粒子とかの履歴が繰り返しのなかでふり積っていくことになりますね。)
すると、ループを抜けるルートもあるでしょうが、可能性はそれこそ無限にあり得るので、ループするルートも無限に存在することになります。 (言い方を変えると、ループする回数が有限であることを証明できない、ということです。)
すると、未来からもたらされる情報がそのループの中で無限に降り積っていくことになります。 情報量が破綻しますわな。そこらへんの問題もあるみたいですね。
さて、カオス理論によると最初の状態がちょっと変わることで未来が変わってしまうだろうという予測になるのですが、 それは際限無く発散するのかどうかというと、それもわかりませんわな。
誰も実験したことも無いし、そもそも過去に戻る方法がわからないから、その時にどのような法則が成り立つのかは理論化することができないです。 (だから創作の余地があるんですけどね。)
ちょっと、これは私が曲解してるものだと思うのですが、 物理法則は一番楽な方法を取るようになる(エネルギーが最小になるような結果を導く)というのがあります。 ニュートンの運動方程式やアインシュタイン方程式をもっと抽象化した方程式に直す解析力学という分野があって、 ハミルトニアンやらラグランジアンとかがしょっちゅう出てくるのですが、 その中の最小作用の原理というのがあります。 このハミルトニアンやらラグランジアンやらから計算される作用積分という量が最小になるようなものを求めると 結局はニュートンの方程式などの計算結果と一致するものが得られるというものです。 解析力学としては作用積分が最小にならない物も解として考えますが、その中から現実に取り得る解を取り出すためにこの原理を用いるわけです。
量子論の世界だとマジで取り得る解が確率的になんでもあり状態になるので、同じような物を考えるために、 その取り得る経路全てを足し合わせることになります。ファインマンの考え出した経路積分というやつですね。 それを使うことで、実際に粒子が取り得る運動を取り出すことが可能になると言われています。
(経路積分は、これはこれで色々と問題があるのですがね。。。)
言いたいのは、時間を繰り返す「解」の中に、この「最小作用の原理」みたいなものを決める因子があって、 結果として未来は大体同じようなものに落ち着くなんてことがあるのかなぁ? とか思ったり? まぁ、ある結果の周囲でうろつくような解があることもあるようなないようような気がするところのものなのかもしれません。
まぁ、SFの世界は、色々とネタを仕込めば何でも考えようがあるということですね。 相対論やら量子論の世界に行かなくても、古典理論の数学的な解釈を掘り下げるだけでも色々とSF的思考の発見はありそうです。 私はそっちの方面は全然明るく無いのが残念ですが。
あ、一応、ここで書いたことを引用して出典にしても試験でバツをもらうだけですからね。ほとんど裏を取ってないようなことばかり書いてますんでね。
ということでおあとがよろしいようで。