癖は本能時にあり しょの10

軽茶一かるちゃいち 成助なりすけ

さて お立ち会い

ときは 天正十年五月末日 (ぱしっ


新社長の信忠は会長信長の命により家康に同行していたが 堺へ行く予定を変更して二十九日には上洛して妙覚寺に宿泊していた (クーデター勃発の知らせを知って信忠は二条御所に移り立てこもる)


謎1の そもそも信長が家康を暗殺するとゆうような 今なら誰もが「んなことあらすか」と思うことを 当時の現場の社員達が驚かなかったのか むしろ討ち入ったときですら自分たちがいったい誰と闘っていたかわかっていなかったかも知れないのだ 不用意にやれば他の社員や同盟国が動揺する また家康は社員ではなく同盟国なのだが


謎2の 光秀が信忠の件を知らなかった(見落としていた)のが 全く監視していなかったからだとすれば 用意周到な光秀にそげな迂闊なことがあり得るだろうか

光秀が信忠を見落とした理由は ぢつわ信長の情報漏洩対策である しかもこの計画は光秀だけが知っていたのだ この二人だけの密談はひょっとしてフロイスが盗み聞きしていたかも知れない フロイスの『日本史』にそれらしい記述がある 「これらの催し(お茶会や饗応)の準備について 信長はある密室で明智と語っていたが・・」 しかしそげな接待相談をなして密室でする必要があるのかとゆうことだ


謎3の 信長と信忠を討った光秀は迷わず安土に進軍する 二条御所よりさらに要塞である安土城に しかも集結しているはずの織田軍が籠城せず なぜ光秀の無血入城を許したのか

これももともとは信長が家康を油断させるための策略があった 信長自身が中国出陣のため(本人は行く気はない)出払い また光秀の出陣も中国方面ヘルプのための準備として饗応役を解任したとゆうカムフラージュがあったとゆうことだ つまり安土が手薄であることを光秀は知っていたのだ 誰から聞いたかは明らかである


謎4の 本能寺で家康を討つことは 直接三河を攻めて大きな犠牲を払うよりも 例えば家康がそこで急に別心したので返り討ちにしたとか言い訳ができるし そもそも安土で誰も謀反を実行することは無理だからこその本能寺ホテルなのだ


しかるに シナリオはすべて会長の信長自身が考えていたこと とゆうのが真の黒幕とゆう意味なのだ

「是非に及ばず」とゆう言葉は「おえりゃーせんで」とゆう諦めの言葉ではなく 上意の言葉 つまり乱丸の「謀反は明智の手の者らしい」との報告に 信長はすぐさま思い当たり「確認する必要はない(余は自らの策にはまった)」と答えたわけである


光秀は信長の策略を熟慮の上 自分の信長討ちにしてしまった 実行は簡単で早めに本能寺に着けば良かっただけである 光秀謀反の理由については諸説あまたあるが 実際の実行プロセスについての解説はほとんど無い 

ひとつだけ計画外であったのは 新社長信忠も既に京にいたとゆうことだ それは知らなかったのだ


でわ どこで光秀は別心したのか


六月二日未明 光秀の携帯が ぴろん と鳴った


以下次回

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