SFファンクラブ探訪記
インタビュアー:[雀部]
チャチャヤング・ショートショートの会
  • 沿革 2012年発足 故眉村卓氏デビュー50周年記念プロジェクトとして開始
  • 活動 同人誌の発行のみです。例会は行っておりません(呑み会はあります)
  • 部員紹介 インタビュー記事に詳細があります。
  • 部員資格 チャチャヤング・ショートショートコーナー出身者であること
  • 会誌 年2回発行をめざしています。オン・デマンドの紙版とKindle電子版を発行

SFマガジン眉村卓追悼号
『SFマガジン眉村卓追悼特集』
  • 早川書房
  • 1200円
  • 2020.4.1発行

【作品再録】
・中篇《司政官シリーズ》「照り返しの丘」
・ショートショート再録①「くり返し」
・ショートショート再録②「浜近くの町で」
・講演〔「SF」から「私ファンタジー」へ〕
・短篇「夜風の記憶」
・ショートショート再録③「詰碁」
・ショートショート再録④「最終回」
【Essays&Article】
・追悼メッセージ筒井康隆/谷 甲州/田中啓文/日下三蔵/池田真依子/村上知子
・眉村卓作品ガイド日下三蔵/山岸真/高井信/大橋博之
・作品リスト日下三蔵=編
・特集解説日下三蔵
・メモリアルギャラリー

チャチャヤング・ショートショート・マガジン9
『チャチャヤング・ショートショート・マガジン9(追悼・眉村卓先生)』
  • 小野霧宥/和田宜久/柊たんぽぽ/雫石鉄也/岡本俊弥/野波恒夫/深田亨/大熊宏俊/南山鳥27/ミラディス・ジョアン (著)
  • kindle版
  • 99円(電子版)
  • 2020.2.10

70年代初頭、関西地区で放送された深夜ラジオ番組「MBSチャチャヤング」、 その木曜日担当パーソナリティが、当時36歳新進気鋭のSF作家であった眉村卓さんでした。 パーソナリティがそんな方でしたから、自然発生的に「ショートショートコーナー」が生まれ、 リスナーが競ってショートショートを投稿し始めます。 毎週優秀作が発表され、眉村さんが朗読して下さいます。 番組が終了しても、メンバーは眉村邸に集い、爾来幾星霜、断続的に同人誌が発行されます。 そして今世紀になって創刊されたのが、当誌《チャチャヤング・ショートショート・マガジン》ということになるのですね。

その眉村先生が昨年(2019年)11月3日、85歳で亡くなられました(合掌)。 よって本号に会員の追悼文(ほぼ思い出話)を掲載し、追悼特集号とします。



雀部 >
大熊さんお久しぶりです。

ネットでのご活躍と「ハードSF研公報」での連載は拝見しているのですが、 実際にお目にかかったのは、神戸文学館で故眉村卓先生の講演(2011/5/1)を聴きに行って、 その流れで会合(飲み会?)に橋元淳一郎先生と参加させて頂いた時以来ですね。

大熊 >

雀部さんご無沙汰いたしました。あれから橋元先生とも懇意にして頂けるようになりました。 神戸文学館の眉村さんの講演、2011年でしたか。9年前! 早いものですね。 としますと『チャチャヤング・ショートショート・マガジン』の活動を始める以前だったんですね。 雀部さんとも長いおつきあいになりました\(^o^)/

雀部 >

活動はいつ頃始まったのでしょうか。

大熊 >

当会は2012年に発足しましたが、それまでに長い前史があります。

そもそもの初めは、1970年秋頃、大阪のラジオ局毎日放送で開始された「MBSチャチャヤング」という深夜放送でした(72年秋終了)。 その木曜日(厳密には金曜未明)担当が眉村卓さんだったのでした。

SF作家がパーソナリティということで、さっそくSFファンのリスナーが勝手にショートショートを送りつけてきました。 で、眉村さんも面白い作品があれば朗読していたところ、あれよあれよという間にショートショート投稿が増え、 気がつけば「ショートショートコーナー」という看板レギュラー枠になっていたのでした。多いときは週200本くらい集まりました。

雀部 >

週に200本とはかなりのものですね。読むのも大変そう。

大熊 >

投稿作品は、毎週、眉村さんが番組開始前に全て目を通し、ABCランク付けをしてタイトルと作者名を発表します。 優秀作品は朗読してもらえます(週2、3本程度)。

それが励みになって、私も毎週のように投稿しました。が、 朗読してもらえたのは2年間で初期に2本だけでした。 どんどんレベルが上っていき、私の出る幕はなくなっていったという次第です。 もちろん毎週のように読んでもらえる優秀なリスナーもいたわけです。 そんな方たちが、現在の『チャチャヤング・ショートショート・マガジン』の有力な書き手になってくれています。

優秀作品を集めた冊子が、71年中に2冊発行されました。 私の作品は第1集に選外佳作として1本タイトルだけ載り、第2集にようやく1篇掲載されました。 72年には講談社から単行本『チャチャ・ヤング=ショート・ショート』が刊行されました。 こちらには拙作は採用されませんでした。

雀部 >

1本でも、本に収録されたのは凄いですね。私も堀晃先生主宰の「ソリトン」同人だったのですが、全くでした(汗;)

大熊 >

深夜放送チャチャヤング終了後、ショートショートコーナー常連が集まり、 眉村さん承認のもと、創作同人誌「創作研究会」が立ち上げられました。

眉村さんの自宅で月1回勉強会が開かれ、会誌「北西航路」と副会誌「風の翼」が創刊されました。 「北西航路」は1994年まで7号発行されました。

「風の翼」は1982年まで6号発行されましたが、 その直後「風の翼」編集人であった西秋生を中心に創作研究会から独立が宣言されます。 新生「風の翼」は号数を引き継ぎ、8号から1995年の15号まで発行されました。

一方、創作研究会も号数を引き継いだ「風の翼」を発行しますが、1992年の10号でストップ。 あと散発的に号数を引き継がない「風の翼」を3冊発行して現在に至りますが、 創設のメンバーはほぼ全員独立軍に加わってしまっており、創作研究会は事実上休眠状態になっています。

1995年に15号を出してから、新生「風の翼」も刊行がストップします。 理由は創作に於いても運営に於いても中心的存在であった西秋生と宇井亜綺夫が、 それぞれの事情で同人誌活動を維持できなくなってしまったからです(その詳細は『Hard SF Laboratory』誌連載中の拙文に書いております)。 しかし今ふと思ったのですが、1995年の阪神大震災が最大の原因だったかもしれません。

こうしてチャチャヤング・ショートショートコーナーの流れは1995年をもって一旦途切れてしまいます。

雀部 >

二つの震災は激甚でしたから……

大熊 >

また眉村さんも、1997年に悦子夫人に癌が見つかり余命1年と宣告されたことで、介護に専念する決心をされ創作活動を縮小されます。

そして、悦子さんのためだけに短いお話を、日課として毎日書き続けられました。 その効能かあらぬか、悦子さんは宣告余命をはるかに超えて5年生きられましたが、 2002年に他界され(その辺の経緯はご存じの方も多いでしょう)、 眉村さんは徐々に執筆活動を再開されます(ウォーミングアップ的に私の眉村さん応援サイトに「エイやん」ほか数篇をご提供下さいました。 これらの作品は、後に作品集に収録されましたので、サイト掲載を停止しました)。

2003年より懇親会「眉村卓さんを囲む会」を年一回開催し、2018年まで継続しました。

雀部 >

『妻に捧げた1778話』(新潮新書)ですね。一般には、後に映画化された『僕と妻の1778の物語』のほうが有名かも知れませんか。

大熊 >

この「眉村卓さんを囲む会」で、「風の翼」を継ぐ新しい同人誌の創刊が提案され、 眉村さんも承諾して下さいましたので、2012年、『チャチャヤング・ショートショート・マガジン創刊準備号』を発行、 本年2020年刊行の9号まで通巻13号を数え、現在に至ります。

雀部 >

現在は、どういった活動をされているのでしょうか。



大熊 >

ほぼ同人誌の発行のみです。例会は行っておりません(呑み会はあります)。

玉稿は全てメール添付で届きます。会誌作成において会員が集合する必要がありません。

集まった原稿は私が編集し、校正のやり取りもメールです。会員が顔を合わせるのは、不定期の呑み会のときだけです。

会誌も不定期刊ですが、基本、年2回発行をめざしています。オン・デマンドの紙版とKindle電子版を発行しています。

ただし第5号までは手作り本。6号からオン・デマンド出版に切り替えました。

Kindle本は第4号から。

12年10月 Vol-1 〈眉村卓デビュー50周年記念プロジェクト〉「創刊準備号」(78頁)
13年7月 通巻外 〈眉村卓デビュー50周年記念プロジェクト〉『眉村卓詩集《捩子》の時代』(70頁)
13年11月 Vol-2 〈眉村卓デビュー50周年記念プロジェクト〉「創刊号」(80頁)
14年11月 Vol-3 「第2号」(70頁)
15年7月 Vol-4 〈別冊〉 神戸アンソロジー『怪異居留地』(146頁)
16年4月 Vol-5 「第3号」〈西秋生追悼特集号〉(188頁)
17年3月 Vol-6 「第4号」(146頁)
17年11月 Vol-7 「第5号」(198頁)
18年7月 Vol-8 「第6号」(186頁)
19年3月 Vol-9 「第7号」(198頁)
19年7月 Vol-10 〈別冊〉個人作品集『鳩男』深田亨(262頁)
19年8月 Vol-11 「第8号」(238頁)
20年2月 Vol-12 「第9号」〈眉村卓先生追悼特集号〉(222頁)
大熊 >

沿革で書き落としましたのですが、当誌はそもそも眉村さんデビュー50周年記念プロジェクトとして開始されたものです。

いやまあそういう建前ということです。なにか旗印がないと動き出しませんから。 具体的には疎遠になっていたかつての同人諸氏に声をかけやすくなる、集合してくれやすくなる、 眉村さんに参加してもらうに大義名分が立つ、そういうメリットがありました。


『眉村卓詩集《捩子》の時代』ですが、眉村さんは小説を書き出す前は専ら詩を書いておられて、 大学時代からSFMコンテストに投稿される直前まで、詩誌『捩子』の主要なメンバーでした。 その『捩子』に発表された全詩と、 最近の、といいますか悦子夫人逝去後詩作を再開されたのですがその詩篇も加えて発行させていただいたものです。

眉村さんのご紹介で、「捩子」主宰であった眉村さんのご友人から『捩子』の貴重なバックナンバー全冊お借りし、 眉村さんの詩をワードに打ち込んだのでしたが、取り扱いに神経を使いました。 そういえば思い出しました、小包で送られてきたのですが、開封したまま暫く放置していて、 さて手にしますと数巻欠号があり、青ざめました。恐る恐るその旨主宰の方にご連絡すると、 それは最初からなかったとのご返事で、安心で体から力が抜けました(^^;


神戸アンソロジー『怪異居留地』は、神戸をテーマに競作したものです。こういう試みもまた行いたいです。


「第3号〈西秋生追悼特集号〉」は、前年15年に61歳の若さで夭折した西秋生を偲んで発行しました。


個人作品集『鳩男』は、和田宣久と並ぶ当会を代表する書き手である深田亨の個人ショートショート集。 このままで商業出版できるレベルの作品集です。


最新刊「第9号」は、〈眉村卓先生追悼特集号〉。 前年15年に、85歳で逝去なさいました。会員の回想録が、 当然ですが眉村さんを見ていた角度がそれぞれ異なり、全体を通して立体的に眉村さんを浮かび上がらせる特集に、 結果としてなっていて、手前味噌ながら立派な追悼号となりました。 また当号にはあちらの「風の翼」のみなさんも寄稿して下さり、セクトを超えた追悼号となりました。

雀部 >

どういった部員(参加者)がいらっしゃるのでしょうか。

大熊 >

部員というオフィシャルな制度はありません。 チャチャヤング・ショートショートコーナー出身者であることが唯一の条件です。 もしこのインタビューを読まれ、チャチャヤン終了後、ずっと没交渉だったんだけどという方も、ぜひコンタクト下さい。


和田宣久(海野久実)

ショートショートコーナー時代、傑出した書き手としては誰もが認めていました。 チャチャヤング終了後、おそらく唯一眉村さんから認められて仕事を紹介された作家です※。

チャチャヤン終了後は、(後のミステリ作家)竹本健治氏や東海洋士氏らと『緑葬館』という同人誌を創刊するも、 これは創刊号だけで終わったようです。その後漫画家をめざしたのですが、 海野久実名義でツイッターにショートショートを発表しはじめて復帰。 当誌皆勤賞のお一人です。現在は光文社の「ショートショートの宝箱」でも毎回のように選ばれていまして、 それから秀作をセレクションした光文社文庫版『ショートショートの宝箱』、つい先日4巻が出ましたが、 すべての巻に作品を掲載されています。

作風は、チャチャヤン当初はブラウンを彷彿とさせる切れ味のよいオチが特徴でしたが、 その頃からブラッドベリ風のリリカルな作風でもありまして、どんどんそちらに特化していき、現在も変わりません。

当誌では和田宣久を通しておられますが、いまや海野久実のほうが有名になってしまいました。

※ショートショートファイブという新作ショートショートを朗読するラジオ番組で、 和田さんの他には荒巻義雄、戸倉正三、小隅黎さん等が作品を提供されていたようです。 チャチャヤングを請け負っていた葵企画が制作して、各放送局に売るシステムだったようで、 札幌ラジオ、山陽放送、MBSで放送されました。葵企画についてはHSFLに書いています。


深田亨

ショートショートコーナー時代のペンネームはS・A。 和田氏と並称された書き手で、筆名は何度か変わっていますが、「星新一ショートショートコンテスト」で優秀賞の受賞歴あり。

当初の作風は、民俗学的なモチーフが特徴でしたが、次第に作風を広げ、 当会から出した『鳩男』をお読みいただければ一目瞭然ですが、いまや扱わないジャンルはないという多才ぶり。

和田氏とは対称的な進化の方向を示していて、私は面白いなあと興味深く眺めています。

深田氏も『ショートショートの宝箱』常連で、光文社文庫版にも和田氏同様4巻全てに作品を掲載されています。


服部誕

チャチャヤン終了後発足した創作研究会では、南山鳥27とともにリーダー的な存在でしたが、社会人となって創作活動から撤退されてしまいました。ただ、激務の合間に書けるからだと私は勝手に推測しているのですが、詩作を開始され、阪神大震災までに2冊の詩集を出版されます。

しかし震災後20年以上にわたって沈黙されます。

社会人を引退されてふたたび詩作に入られ、第3、第4詩集を刊行、第3集『右から二番目のキャベツ』で18年、H氏賞候補。19年、第4集『三日月をけずる』で三好達治賞受賞。

当誌には、かなり自伝的要素の濃い連作長篇を発表しています。といってもSFなんですが。


雫石鉄也

当会会員にはめずらしく、初期からファンダム界でも活動されています。 京都の「星群」の重鎮でもあり、日本SF大会DAICONの何回目だったかの実行委員です。 たしか赤字になったのですが、雫石氏がボーナス全額ぽんと提供して穴埋めした※という、豪の者でもあります(^^;

当誌では「バー海神」を舞台にしたショートショートのシリーズを連載していまして、 これは一種の人情譚ですね。毎回、バー海神にやってくる客たちの人生模様が垣間見られます。

私のイメージでは、雑誌連載の4コマ漫画の活字版という印象。 実際、週刊誌に連載されたら一定の人気を博すること間違いないと思っています。

もちろん当誌でも人気シリーズになっており、現在も継続中ですが、 シリーズ42篇収録した第1集『ボトルキープ』が出版されています。(名目だけですが、一応当会発行となっています)

※もしかしたら別のイベントだったかも


柊たんぽぽ

チャチャヤン終了後は、『SFアドベンチャー』の「森下一仁のショートノベル塾」で何度か入選し掲載されました。

作風はまさにオンリーワン。慣れるまではある意味難解です。 視点が特殊で、且つ視野に映る映像も特殊レンズを透してみているように揺れたり歪んだりします。 ちょうどオーネット・コールマンやエル・グレコの表現みたいな。

そしてその中に一瞬クリアーで明晰な深い青空のような光景が顔を見せるのですね。 これがいいのです。「原子心母」終盤近くに来て抽象的な音の羅列がつづいたあと、 とつぜん冒頭の諸テーマが輻奏的に再現され劇的なラストへとなだれ込むのですが、ああいう感じ。 (※それで思い出しましたが、眉村さんの放送中「原子心母」全24分途中CMなしで一気に放送されたことがありました。 あのときは感動しました)ひと筋縄ではいきません。 私の中ではウィリアム・バロウズとラファティがそこはかとなくダブる作風ですね。


岡本俊弥

雫石氏とはまた別の意味でBNFです。 あの伝説的なネオヌルの編集長です。 レビュアーとしてSF宝石で時評欄を担当。 ずっと創作よりレビュアーの印象のほうが強かったのですが、 社会人を引退されてから突如目が覚めたように短篇をTHATTA ONLINEに月イチで量産し始めます。

すでに50篇を超えています。驚異的です。作風はAIが社会に及ぼしていく影響を考察する物が多い。

当誌には主に「機械の精神分析医」シリーズを掲載中。『機械の精神分析医』『2038年から来た兵士』の2冊の作品集を刊行しています。


中相作

チャチャヤン終了後、「幻想文学」誌公募の第1回「幻想文学新人賞」 (選考委員、中井英夫・澁澤龍彦)に「あらかじめ失われた恋人よ」が佳作入選。 非常に硬質な幻想小説の書き手として、西秋生と共に「風の翼」を主導していました。

ずっと宇井亜綺夫のペンネームでしたが、突如本名の中相作に戻って江戸川乱歩研究家に変身、 名張市民図書館から『乱歩文献データブック 』(97)、『江戸川乱歩執筆年譜』(98)、 『江戸川乱歩著書目録』(03)三部作を上梓。

19年には『乱歩謎解きクロニクル』で本格ミステリ大賞(評論・研究部門)を受賞しました。

そんな次第で創作からはずいぶん遠ざかってしまっているのですが、 久しぶりに当誌8号に、中氏が年に一度年賀状代わりに書いて送っていた干支の掌篇をまとめたのが掲載されました。


野波恒夫

チャチャヤン終了後、86年「生が二人を分かつとも」でSFMコンテスト佳作入選。 チャチャヤンメンバーでは唯一ハードSFの書き手でしたが、 その後ポルノ小説に転進。現在は豪門長恭名義で、電子本長篇ポルノを月イチペースで量産中。


南山鳥27

受賞歴はありませんが、古参ファンの間でその名を知らぬものはいないでしょう。 とにかく難解。独特の造語をまじえた佶屈した文体に乗せて紡ぎ出される物語は、 しかしとんでもないイメージ喚起力にみちていて圧倒されます。 波長が合う方は、その小説世界に取り込まれること請け合い。ただしそんな方はごく少数なわけですが(汗)


西秋生

『風の翼』編集人を創刊号からつとめ、分裂後は宇井亜綺夫と共に新生「風の翼」を牽引しました。 ネオヌルでも活躍し、数編掲載されました。

96年妹尾俊之名義の「夢都伝説」でホラー小説大賞長編部門ファイナリスト。 98年やはり妹尾俊之名義「神樂坂隧道」で短編賞ファイナリスト。

作風は、初期は中井英夫の影響を感じさせる幻想小説でありながら紛れもないSF――というもの。 ホラー大賞前後でホラー的な作風に変わったのですが、 当誌において稲垣足穂や横溝正史オマージュにみちたモダニズム神戸幻想というべき独自の境地を確立します。 阪神間モダニズムの研究者でもありました。

ところが2015年、61歳の若さで夭折。確立した独自の境地をこれから展開していこうという矢先でした。

2016年追悼作品集『神楽坂隧道』が刊行されました。(名目だけですが、一応当会発行となっています)

同人誌
雀部 >

眉村先生以外の作家の先生との交流はなかったのでしょうか?

大熊 >

手作り誌で始まったわけですが、創刊当初は、手作り誌の先輩である高井信さんにノウハウを伝授していただいたり、 ずいぶんお世話になりました。創刊準備号にショートショートを1篇提供してくださいました。 高井さんは現在も手作り誌である『SFハガジン』をずっと出し続けていらっしゃいますよね。

雀部 >

高井先生には、著者インタビューでもお世話になりました。「ハードSF研公報」に色々なファンジン復刻とかファンの功績を紹介されていて頭が下がる思いです。

大熊さんも、創作系の老舗ファンクラブとしてますますのご隆盛を祈念いたします。

[大熊]
 1955年生。大阪府出身。中学生のとき深夜放送MBSチャチャヤングを聴き、その後の人生が決定する。大学入学と同時に入会したSF研究会で(のちの)西秋生と出会い、チャチャヤング・ショートショートコーナーの後継創作誌「創作研究会」に誘われ入会。創作研究会分裂に際しては西秋生・宇井亜綺夫(中相作)の「風の翼」に所属するも、「創作研究会」にも寄稿するというヌエ的行動をとっていた。
2003年より「眉村卓さんを囲む会」主催。2013年、眉村卓さんデビュー50周年を期してチャチャヤング・ショートショートの会を発足し「チャチャヤング・ショートショート・マガジン」創刊、編集担当となり現在にいたる。
 眉村卓さん応援サイト「とべ、クマゴロー!」https://okmh.web.fc2.com/i/
 個人掲示板「ヘリコニア談話室」https://6823.teacup.com/kumagoro/bbs
[雀部]
 大学生の時にSF研に入れなかった落ちこぼれ(汗;)
 大熊さんに誘っていただき、故眉村先生にインタビューさせて頂く機会(たぶん定例の懇親会)があったのですが、どうしても都合が付かず断念したのは痛恨の極みでした。