先月の『眉村卓の異世界通信』ブックレビューでお世話になった石坪光司さんが、約50年の歴史を持つSF同人誌界の老舗「星群の会」同人でもあられるということで、「星群の会」についておうかがいできることになりました。石坪さん、こちらでもよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。お役に立つか分かりませんが、よろしくお願いいたします。
最初に母胎となったファングループ「超人類」について教えていただいても良いでしょうか。
超人類は、京都で活動していたSF創作クラブの名称です。1966年から1971年まで五年間活動し、第10回 日本SF大会(DAICON・2)を主催後、解散しました。
活動内容としては、SF同人誌「SFマニア」と他に「エセーネ」「ユートピア」を発行し例会も行っていました。
当時、関西でも複数のファンジンが発行される状況の中、今一度SF創作の発表の場と言う物を見直そうとの事で、一旦「超人類」を閉じ、新たに再出発したのが「星群の会」です。
現在の活動は、年一回の「星群」本誌発行と毎月の例会(中断中)と「星群報」の発行が中心です。
コロナの影響がここにも……
もう一つ伺っておきたいのが、途中から京都から大阪に例会の場所が変わられたと読んだことがあるのですが……
1983年ごろまでは京都でした。(自分で書いた10年史の記録から)その後、大阪に移っています。
理由は、京都での会場が諸般の事情で確保しずらくなっためです。どなたかが「都落ち」と言われているようですが、単なる事務的な移転です。
「都落ち」と言われている方は、面白おかしく書かれている可能性大ですが(笑)
もう少し補足すると、京都時代は、最初は毎月第一日曜の午後に喫茶店で開催していましたが人数が増え(20人強が参加)席取りが難しくなってきました。
初期は一階の隅で事足れりでしたが、それでは間に合わなくなり、二階や他の席に分散することになりました。これではいかんと、京都府立勤労会館を借りて全員を集める事になりました。
しかし、その場所取りが公共施設なので事前に指定日に申し込みが必要でした。京都在住のメンバーで対応していたのですが、次第に取りづらくなり、、また府立勤労会館が取り壊される事もあり、大阪で確保する事になりました。
開催場所の問題もありがちと言えばありがちかも。岡山SFファンクラブでも変遷がありました(遠い目)
なお、当時は、その例会を一次会とし、その後居残り組で喫茶店で二次会を始めたのですが、結局は全員参加になり、大阪組の酒のみが大阪で三次会を行う事になりましたが、京都組もとなり、正式に三次会で京都河原町のアサヒ・ビアホール(のちに凱旋門と言うパブ風の酒場)となりました。時には、その後、大阪で四次会もありました。
そんな事で、例会の開始が午後1時で家に帰るのが夜中と言うのが何回もありました。10時間以上過ごしているので、今思えば正気の沙汰ではないですね。(住んでいる所を出る時間から見れば、ほぼ丸一日です)
その毎月第一日曜の午後開催は現在も引き継いでおりますが、会場が大阪も公共施設の会議室だったのですが、その場所が閉鎖になり、近くの喫茶店に場を変えて続けている次第です。京都時代から見れば、年月を経て先祖返りしたようなものです。
なんか楽しそうでうらやましいです。
ついでに当時の状況を言えば、会員の在住地である東京、名古屋(のちに岐阜と交互)、札幌の3カ所でも開かれていましたが、参加した事はないので詳細は不明です。(当時の星群報には記録されています)
さらに新年会が京都祇園の料理屋、合宿がお寺の宿泊施設で行われていました。(合宿は星群祭とは別です)
熱気あふれた時代だったのだと思います。
確かに。そういえば、我が家で例会をしたこともありました。なに、リアプロのTVを買ったので、海外のファンタジー映画のビデオ鑑賞会をやっただけですが。
最近の活動はいかがですか。
「星群」本誌は現在91号まで発行し100号の発行目指しています。
例会は、大阪市内の喫茶店で毎月第一日曜日の午後開催しています。二次会は居酒屋。時には不定期に特別例会と称して、勉強会を兼ねて別のところで開くことが在ります。過去においては、手塚展、落語、星新一展、生頼範義展、等を見学しました。
「星群報」は会内の連絡用として発行しています。1月、4月、7月、10月の年4回と星群本誌が発刊された時です。
元々、創設者の高橋さんが個人誌として、手書き印刷、希望者には無料配布(会員外もOK)で発行していたもので、当初は各種会内の案内、お便り、他のファンジン紹介等を掲載する一種の情報誌的なものでした。現在の「デジタル星群」の元になっています。
「デジタル星群」は随時更新中ですが、現在は雫石さんの「SFマガジン思い出帳」のみ継続中です。
「星群の会」に入会して研鑽したい!という人はどうすれば良いのでしょうか。
現在、会員制度はありません。星群本誌に投稿して掲載されれば「会員」です。
87号発行時点(2011年10月)までは、同人誌の発行費用(この号まではタイプ印刷)を負担する目的で、会員制度(同人、誌友)を取り、会費前納制度で運営していましたが、オンデマンド出版に移行した88号(2018年10月)からは会費前納制が不要となりましたので、会員制度も廃止しました。
「脱会」は、その意思を事務局に連絡するか、転居先不明になれば自動的に抹消します。
現在、事務局に登録されている人員は50名です。 お問い合わせは 「星群の会事務局」(SFマガジン「てれぽーと欄」参照 最新は2021年4月号)へお願いいたします。(本内容は、事務局・連絡人担当の坪井さんに確認しました)
ありがとうございます。SFの創作を目指す方はご連絡をどうぞ。
昨年、調べることがあって「アニマ・ソラリス」創刊当時(21年前)のメールのやり取りを見たのですが、関わって下さった人数が多かったし、何よりメンバーの熱気が凄くて色々な意味で感慨にふけりました(汗;)
同人メンバーの固定化、高齢化はわりと普遍的な問題だと思いますが、「星群の会」はどうでしょうか。
おっしゃる通り、高齢化しています。例会に参集するメンバーの大半が60以上ですからね。
本誌の発行ペースが年に1冊になり始めた90年代後半からは、新人発表の場が縮小し執筆者が固定化されていった事から、その傾向が強くなっていますね。
ちなみに、余談ですが星群の会の最盛期(1980年前後)は、若い人の加入も多く活気づいていたのですが。当時はSFバブルの真っただ中。その為、若い人の新規入会も多かったと思います。(こっちも、若いから当たり前かも知れませんが)
一例を上げれば、現在は女性SF作家として堂々たる風格(?)で活躍中の菅浩江さんが入会したのが77年頃で(正式に会員名簿に掲載されたのが、77年11月の25号。作品も別名で同号に掲載。たぶん処女作)当時はまだ中学生でした。「眉村卓の異世界通信」に雫石さんが書かれていますが、第四回星群祭「女性とSF」の実行委員長代理も務めておられます。この頃は、商業誌に進出する会員も多かったですね。
菅先生は中学生で会員だったのですね。それは凄い。
星群祭2008(第28回)のテーマが「ウェブ時代の同人誌のあり方」とありますが、これって結論的なモノは出たのでしょうか。
残念ながら、私は仕事の関係で参加していないので、当時のメンバーに確認しました所、イベントと言うより、星群の同人、および関連の深い方々による講演、座談会だったようで、特に結論めいた事はなかったとの事です。参加人数も少なかったみたいです。
それは残念です。ちょっと興味があったので(汗;)
「星群本誌・作品リスト」の「その4」を拝見すると、作家の方や見知った名前もあり、なるほどなあと。
一番下の「記録」の部分に同人の情報が記載されていて、消息がわかるんですね。
石坪さんや、岡本俊弥さんの結婚報告もあり和みました(笑)
こういう同人誌とかファングループで知り合って結婚に至るカップルって多いのでしょうか?
他の同人誌、ファングループは良く知りませんが、星群の会では一時ありましたね。
数年の間に、分かっているだけで五組ですかね。87年の星群67号に同人名簿に夫婦で記載されています。ちなみに、岡本さんの奥様が同人でしたので消息欄に載っています。
他に私のように片方はSFとは無関係な組もありますが、これは一般的なので割愛します。
なお、この頃のSFファン同士の結婚で流行ったのが、披露宴の二次会でSFファン仲間だけを集めて行うパーティです。最初は、ごく普通の二次会(私の時がそうでしたが)でしたが、そのうち「婚」が「CON」に通じる事から○○婚と称してSF大会的な集まりになりました。立派な寄せ書き集も作られています。現在、手元に残っているのを見ると「KOHAMA婚」「OKAMOTO婚」があります。
「KOHAMA婚」は東京創元社の小浜さんのことですね。
はい。「KOHAMA婚」は東京創元社の小浜さんのことです。奥様は“三村美衣”名で活躍中ですね。
三村先生には、サイン貰いました。ミーハーなもんで(笑)
また、先の余談と関係するのですが、菅浩江さんも星群に入会後、星群も関係したSF大会のスタッフ絡みで結婚されました。
菅先生のご結婚の経緯は結構有名ですよね。私も、菅先生のファンクラブに入ってました(笑)
そうですか、菅浩江さんのファンクラブ員だったのですね。知らない事とは言え失礼しました。
いえいえ(汗;)
菅先生は、コンベンションではキリリと和服をめされていて、広間で偶然顔を合わせたら「またインタビューがあれば受けますから、気軽に言って下さいね」と声をかけて下さり、恐縮してしまいました(汗;)
ファングループとか同人誌の会員になるメリットの一つは、出会いの部分も大きい気がしますね。
確かに、ファングループや同人誌の会員になると、初対面でも趣味が同じで、話が合うと仲良くなるメリットはあります。星群の会が続けてこられたのも、その延長線上だと思います。
ただ、昨今、同人誌関係はどうなのでしょうか。コミケや文学フリマに見られるように、その気になればオンデマンド出版で本を作って売ったり、ネットで直接作品を発表したり出来るので、わざわざグループに属するメリットが薄れているように感じます。
星群の会に新しい人が入って来ないのも、その関係があるかも知れません。
人と人の繋がりは難しい面もありますからね。実際に会わないと進まない事もあると思うのですが。アニマ・ソラリスは、ほぼ顔をあわすことなく続けてきているので、とやかく語れる立場にはないのですけど(笑)
最後に、SFアドベンチャー1980年12月号に掲載された石坪さんの短編「塔<バベル>−75」についてお聞かせ下さい。この作品は「星群ノベルズ」寄稿作が同人誌推薦作として掲載されたそうですが?
はい。「塔<バベル>−75」は、おっしゃる通り「星群ノベルズ」第五号に発表させてもらったものです。それが、荒巻義雄先生の尽力があってSFアドベンチャーに掲載される事になりました。(「星群ノベルズ」掲載時は「塔と言う名の箱舟」でした)
初めて商業誌に掲載されると言う事でかなり緊張・興奮し、荒巻先生の指導で書き直した事を思い出します。ただ、その後は実力無さもあって続きませんでした。
それは嬉しい緊張感ですよね。
また、挿絵が加藤直之画伯というのも凄いです。まさか石坪さんが指名されたとかは?
とんでもありません。指名など恐れ多くて出来る筈もなく、私もビックリの状態です。どのような経緯で、そうなったのかは聞いてもいませんので分かりません。私としては大変光栄な事だと思っています。
ハードSF指向ということで、加藤直之画伯になったのかもしれませんね。
初っぱなからハードSFというか、コアSFの香りがむんむんしていて掴みはOKです。かなり面白く読ませて貰ったのですが、ラストはあれで終了なんですか。続きが「星群ノベルズ」に掲載されたとかはないのですか。
残念ながら、続きを「星群ノベルズ」に掲載した事はありません。ただ、今回の企画を機会に、もう一度内容を再構成して別の物語として書いても良いかなと思いました。いずれ星群に掲載したいと考えています。
おお、それは楽しみにお待ちしております。
なお、この掲載のきっかけになった「星群ノベルズ」について、少し補足しますと、そもそもは、「星群」本誌がSSか短編しか掲載していなかったので、当時の編集長が中編以上のものを別に発行していく主旨で始まりました。第一号に拙作を刊行しました。第二号も出たのですが、次の書き手がいず、費用問題(自費出版なので著者持ち)もあり、第三号から「オリジナルアンソロジー」に方向転換、「星群祭」の名物企画「星群ノベルズ」批評のテキストとして継続される事になりました。
この時、事前に原稿募集し、その中から掲載作を七編選ぶ、言わば一次選考を行い「星群祭」にゲストとしておいで頂いたプロ作家の方々に批評をお願いすると言う贅沢な企画に育った訳です。現時点で23冊を刊行し、かつてSFファンジン大賞創作部門で5回受賞し、プロ作家も輩出しました。
そういう経緯があったのですね。しかし、名物企画として立派な財産となっているのは羨ましい限りです。
今回は、色々お聞かせいただきありがとうございました。
「星群の会」の末永い継続とご発展をお祈りします。
こちらこそ、ありがとうございます。「星群の会」のPRをする良い機会を頂きました。お礼申し上げます。
また、今回のインタビューに際して、私の返答に当たり「星群の会」の椎原さん、坪井さん、山崎さんおよびSF書評家で創作でも活躍されている岡本さんに多大な協力をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。