SFファンクラブ探訪記
インタビュアー:[雀部]
SFM同好会/宇宙気流
  • 沿革
    SFマガジン(SFM)同好会は、1962年5月27日に開催された第1回日本SF大会(MEGCON。参加180名前後)の場で発足。
  • 発足までの経緯
     SFマガジンが創刊してから2年後に、初代会長の志摩四朗さんが、SFMのテレポート欄に載っていた人たちにファンクラブを作る呼びかけ。(当時の雑誌のお便り欄には住所氏名が載っていた)
     1962年2月18日(日)に「SFマガジン友の会」の発起人会。志摩四朗、佐藤俊(SRの会、紀田順一郎)、柴野拓美、伊藤典夫ほかの人が集まる。早川書房には連絡していなかったので、翌日、柴野さんが森優(南山宏)さんに電話。
     同4月末、SFマガジン30号(6月号)に「SFマガジン同好会」の呼びかけを掲載。
     同5月27日、SFマガジン同好会発会式を宇宙塵5周年記念大会と兼ねて開催。
  • 活動
    月例会(第1回6月10日。50名くらい参加)及び1の日会の開催、会誌「宇宙気流」の発行を中心に、1960年代から1970年代初めにかけて活発な活動を行っていた。
    【注|林芳隆】現在も例会は当時のメンバーの残りで続けている(昨年後半からはウェブと対面で月4回、7名前後)。
  • 会報
    「宇宙気流」は、1962年6月に創刊、2021年5月の94号まで季刊、別冊を含め、96冊発行されている。(現在入手可能な「宇宙気流」)
    【注|林芳隆】50号はまだ在庫があります。83号は印刷したのですが、まだ製本していません。冬休みにやろうと思っていたのですが。
    (以上は、林芳隆氏のインタビューと森田裕氏の「宇宙気流のページ」から引用。)
雀部 >

前回まで、関西の老舗ファンダムが続いたので、今回のSFファングループ探訪は関東の老舗中の老舗「SFM同好会/宇宙気流」にお願いすることになりました。

創世記からのメンバーであられる「宇宙気流」編集長の林芳隆さんと、「宇宙気流のページ」を立ち上げていらっしゃる森田裕さんをお招きしました。森田さん初めまして、よろしくお願いいたします。

森田 >

よろしくお願いいたします。

雀部 >

森田裕さんはどういう経緯で入会されたのでしょうか?

森田 >

私がSFファンダムを知ったきっかけは、SFマガジン上に載った「第1回SF大会」のお知らせでした。それに出席して初めて大勢のSFファンに出会ったのです。

その場で宇宙塵(科学創作クラブ)に入会し、柴野さん宅で開かれていた月例会に毎月出ました。

第1回大会と同時に発足したSFマガジン同好会には何故か入会せず、宇宙塵の例会で勧められて入ったのはそれから半年くらい後のことでした。ですから最初の頃新宿のロンで開かれていたという一の日会には出ていません。出るようになったのは翌年(1963年)の2月頃からだったと思います。その時は渋谷の道玄坂のカスミという喫茶店で開かれていました。

雀部 >

前述の「宇宙気流のページ」に「第1回SF大会」の写真が載ってますが、確かに若き森田さんのお顔もありますね。それと「SFM同好会一周年大会」時の写真にも写られてますね。

「第1回SF大会」はどういう雰囲気の大会だったのでしょうか?

森田 >

それまでこの種の集まりに出たことがなかったので、どういう雰囲気も何も、圧倒されてしまったことしか覚えていませんが、当時洋書集めに夢中になっていたので、ペーパーバックを何冊か抱えてうろうろしていた人だけはすぐに目に入りました。伊藤典夫さんでした(笑)。

お昼から始まった会は、アトラクションを交えた有名人の講演といった感じのシンプルなものでした。6時頃になって、この後食事を挟んで懇親会に出る人は残ってくださいと言われてすぐに残ったことを考えると、相当のめり込んでいたのでしょうね。

夜の部は自己紹介を含んだ懇親会でしたが、自己紹介では興奮のあまり⾧々と話してしまったことを覚えています。

雀部 >

私などは参加初日で懇親会はハードル高いなあ(汗;)

当時は、宇宙塵とSFマガジン同好会両方に入会されている方が多かったのでしょうか。

森田 >

SFマガジン同好会は、東京近辺の方が中心でしたし、あくまでも創作を中心とした宇宙塵とは性格がかなり違いますので、先行する宇宙塵の会員で東京近辺に住んでいた人はSFマガジン同好会にも入会した人がかなりいたかもしれませんが、SFマガジン同好会に入ってそれから宇宙塵の方へ入った人はそれほど多くないのではないかと思います。

でもちゃんと調べたわけではなく、個人的な感覚です。

雀部 >

なるほど。なんか頷ける感じですね。

復刊された「宇宙気流」でカスミの写真見ました。ちとうらぶれた感じのお店だったんですね。

森田 >

カスミは当時は全然「うらぶれた」感じはありませんでした。

林  >

85号の写真は1974年のノーブルの写真です。カスミでの一の日会(1963-1970)の写真はたぶん残っていません。

ノーブルがなくなって一の日会が解散するのが1975年なので、かなり末期の写真ですね。みんな麻雀に行ったあとの残りの人が写っているようです。

カスミはまともな喫茶店ですが、ノーブルは2階に同伴席があるような店でした。

雀部 >

おっと、それは申し訳ありませんでした>「カスミ」さん

「宇宙気流のページ」のなかの「雑資料」に、「カスミ追い出されてノーブル」との記述がありますが、何か格段の理由があったのでしょうか?

森田 >

騒ぎすぎて店から苦情を言われたような気がするのですが、何しろ昔のことで詳しくは覚えていまません。

雀部 >

まあ、会場費は安いにこしたことはないので、どこでも集会場には苦労されてますね。

宇宙塵の例会にも出られていたのでしょうか。

森田 >

宇宙塵の例会は、大岡山の柴野さんのお宅で毎月行っていましたが、常連は柴野さんの他に、伊藤典夫さん、平井和正さん、光瀬龍さん、豊田有恒さん、広瀬正さん、今日泊亜蘭さん、野田宏一郎さん等々、といった今から考えると豪華な顔ぶれで、当時高校生で最若メンバだった私は隅っこで小さくなってお話を伺っておりました。昼の3時ごろから夜9時ごろまでやっていましたが、楽しくてその日が来るのが待ち遠しかったです。

雀部 >

ふぇ~っ、正に第一世代のSF作家集団がたむろされていたんですね。

森田 >

一の日会の方は当初は、伊藤さん、豊田さん、平井さん、野田さん、それに亡くなった牧村光夫さんが中心で、のちにどんどん若いメンバが増えていったように思います。話題も深刻なものは少なく、同好仲間のおしゃべりといったものでした。

雀部 >

会員からは、マジメなのは「宇宙気流」じゃないとの怒りのお便りも度々きてますね(笑)

森田 >
洋書SFの蒐集を趣味にしていたこともあり、同好の伊藤さんや野田さんには非常に親 しくしていただきました。 私は記憶力が悪い人間で、残念ながら当時の細かいことをあまり思い出せないのですが、 一の日会で亀和田武さんや、当時まだ売り出し中だった楳図かずおさん等とお話したこと を覚えています。
雀部 >

おお、楳図先生。『14歳』や『わたしは真悟』は連載当時から痺れっぱなしでした。

森田 >

あとはカスミ店内にあった、当時まだ珍しかったカラーテレビを勝手にい じって怒られたこととか、くだらないことしか覚えていませんが、一つ思い出したのは、あ る時皆でリレー小説を書こうということになり、テーブルの上にあった紙ナプキンかなん かの裏に書いたことがありました。小説なんか書いたこともなかったので焦りましたが、書 け、書けと言われてしょうがなく何か書いたと思います。「夢落ちなんかにするなよ」とか 言われてプレッシャーをかけられました。なにしろそこにいたメンバが、当時はまだ皆プロ になる前だったにせよ、豊田さんとか平井さんとかいった人たちで、今から考えると冷や汗 が出ます。

雀部 >

それもまた凄いですね。豊田先生とか平井先生に混じってのリレー小説、読んでみたかった。

森田 >

それから、ある時筒井康隆さんが来られたことがありました。筒井さんは当時原宿にマン ションを借りておられて、そこに連れて行ってくれました。「内緒だよ」と言われながら自 作のマンガを見せてくれました。

野田さんの部屋に連れて行ってもらったのも一の日会の後でした。当時住んでいた雑司 が谷の鶉山荘の2階の1室、ドアを開けたとたん、狭い部屋にギッシリ詰まったパルプ雑誌 の香りがムワっとあふれ出してきたのは、一生忘れません。野田さんは当時フジテレビのデ ィレクターで超多忙でした、夜中しか部屋にいないので、それから何回か夜の 9 時、10 時 頃に押しかけました。夢中でパルプ雑誌の山をかき分けていて夜中になると「俺はもう寝る よ」と言って傍らのベッドで寝てしまいました。朝になって目が覚めて、私がまだ本棚をあ さっているのを見ると呆れた顔をしていました。そのあと向かいの喫茶店で朝食を御馳走 になったのも懐かしい思い出です。

雀部 >

今となっては、羨ましいを通り越して唖然・呆然の体験ですね。凄い!

森田さんのSF原体験はどういったものだったのでしょうか。

森田 >

小学3年の頃でしょうか、兄が買った東光出版社版海野十三全集が何冊か家に転がっていました。それがSFらしきものに出会った最初です。ほかに江戸川乱歩の少年探偵団ものも読んでいました。お金がないので貸本屋通いです。

雀部 >

良い環境だったんですね(笑)>海野十三全集

貸本屋、ありましたねぇ。うちは田舎なんですが、20mくらい離れたところに貸本屋があって、よく漫画本を借りてました。貸本屋の隣の同級生と回し読みするんですけど。「0マン」なんかは貸本で読んだ覚えがあります。何を借りるかだけで数十分悩んだり(汗;)

森田 >

しばらくして近くの本屋で石泉社の少年向けSFシリーズを発見し、小遣いをはたいて買い揃えました。そのあとは元々社のSFシリーズ。ブラウン、シェクリイ、ブラッドベリ、ヴォークトに夢中になり、徹夜で読みふけったのを覚えています。

雀部 >

そこらあたりは王道ですね。徹夜で読まれたのは凄いです。当時は、そういう本は稀少だったので、その気持ちはわかります。今は、SF本、SF映画・ドラマ、SFマンガ・アニメ・ゲーム等々身近に溢れてますからありがたみが薄い(笑)

私は、ジュブナイルは講談社でした。元々社のは、もう本屋には無かったので、注文したら一部の本は手に入りましたが。

TV番組はどうでした?「海底人8823」とか「ナショナルキッド」とか。

「ディズニーランド」というTV番組の“未来の国”も。

森田 >

NHKに勤務していた技術屋の叔父がいて、テレビ放送が始まったすぐ後に手作りのTVセットを作ってくれました。それで割合初期の放送から見ています。

「誰か見ている」というSFドラマを毎週観ていたことを覚えています。それから「空想科学劇場」というアメリカのSFドラマは毎週欠かさず熱心に観ていました。その後にはテレビのSF番組には興味を失ってしまい、お挙げになった番組もよく知りません。

雀部 >

手作りのTVセットを作ってくれる叔父さんって凄いですね。私もそういう叔父さんが欲しかった(汗;)

「誰か見ている」は、全く知りませんでした。

「空想科学劇場」も、全く記憶に無いのですが、1956, 57年放映なんですね。

まだ我が家にはTVが無かった(汗;)

ちょっと環境や世代が違うと原体験が全く違うというのは、時々体験しますね。

私らの世代で岡山県だと、小学校の巡回映画が「遊星王子」や「地球防衛軍」「宇宙大戦争」とかでした。

森田 >

小学校から中学校からの時代には映画館通いをして、主に1950年代の洋画を観ていました。SFに限らず、ギャング映画、西部劇、喜劇、ミュージカル、ロマンス映画に至るまで片っ端から。SF映画では「宇宙水爆戦」というのがお気に入りで、何度も観ました。日本映画は「ゴジラ」や「ラドン」の後はあまり観ていません。

雀部 >

「宇宙水爆戦」は有名ですが残念ながら見てないです。

うちは近所に映画館(三番館くらい)があって、そこの息子さんと遊び仲間だったので、一緒の時はただ見をさせてもらってました。「ガス人間」とか「妖星ゴラス」とかの時代です。

森田 >

小学5年の時、吉祥寺の古本屋で洋書のペーパーバックやSF雑誌を見つけ、その表紙のすばらしさに引き込まれ、読めもしないのに買ってしまいました。それからはのめりこむ一方、中学、高校の頃は神田通いをして洋書SF集めに熱中しました。それが現在に至っています。和書まで手が(お金が)回らず、翻訳本はあまり持っていません。英文はスラスラ読めるという程ではないので、読むスピードが遅く、読書量としてはたいしたことなく、SFファンとしてはお粗末なものです。

雀部 >

いえいえ読む気になるだけでも凄いです。翻訳家を志されたことはないのでしょうか。

森田 >

ありませんね。文才があるとは思えませんし、翻訳家というのは、大変な仕事だと考えています。語学知識はもちろんのこと、古今東西の幅広い知識が要求されますから。外国の古典や、文化、宗教にも通じていないと、とんだ恥をかいてしまいます。試みに短いものを翻訳してみたことはありますが、職業にしようなどと思ったことはありません。

雀部 >

ハードSF研公報の記事を拝見していると、細かいニュアンスの違いにも言及されていて英語がわかっているから翻訳が難しいとお感じになるのかなとも思いました。

ハガードの「洞窟の女王」(原題"she")の題名の翻訳の難しさなんかは、言われて初めて気がついたのですが、確かに(汗;)

そういえば、映画の続編(?)「炎の女」主演のウルスラ・アンドレスの色っぽさが非常に印象に残ってます(汗;)

森田 >

もちろん言葉のニュアンスの問題もあるのですが、それ以前に英語力が不足していて、1篇の小説の中で必ず何カ所か意味の分からない箇所があるのです。いくら考えてもわからない。そうするとそこで止まってしまって先に進みません。

そもそも原文がおかしかったなんて場合もあるのですがね(笑)。訛りが入っていたりするとお手上げです。

雀部 >

訛りは翻訳家の皆さん苦労されているみたいですね。先日、大野万紀先生からもうかがいました。

森田さんは、ハードSF研にはいつ頃入所されたのでしょうか。

森田 >

石原藤夫さんには一の日会で知り合いました。1990年代の初めの頃だと思いますが、石原さんからお誘いがあり入所させていただきました。その後しばらくして仕事が忙しくなったこともあってご無沙汰していましたが、10年くらい前にSF関係の資料の件で再びやり取りする様になりました。

雀部 >

最近のハードSF研公報に、SFイラスト関係とアメリカのBNF関連の連載をされてますが、ご苦労されているのはどんなところでしょうか。

森田 >

特に苦労はないのですが、忘れっぽいのでうろ覚えで書くと間違います。そこでデータの確認をするのですが、それが面倒といえば面倒。小説の内容など書くときにはもう一度読み直したり大変。

それとSFイラストは紹介したい絵が山ほどあるので、絞り込むのに苦労します。

雀部 >

SFイラストは、どういう基準で選ばれているのでしょうか。

森田 >

全くの自分の好みです。ただ、あまり偏ってもいけませんので、なるべく範囲は拡げるようにはしています。

雀部 >

ご面倒でなければ、お好きなSFイラストを数枚ご紹介頂けませんか。

黎明期(?)において、ロボット・宇宙船・ベムと分野を問わず活躍されていた、フランク・R・パウル氏とか、ベムというか異星人だとエムシュウィラー氏、カーティア氏、ハネス・ボク氏とかあたりは私でも知っている(汗;)。

森田 >

エムシュのイラスト

さすがにパウルあたりになると古めかしさを感じてしまいますが、エムシュウィラー、というかエムシュはアメリカのSFに熱中していたころに最盛期だったのでこれぞSF画という感じです。当時はフリースと人気を2分していたと思いますが、フリースの方はちょっと好みに合いませんでした。

(画像から大きい画像にリンクあり)

『図説|異星人』(フリースのイラストあり)


リーアーのイラスト

ヴァン・ドンゲンのイラスト

アスタウンディング誌の表紙を描いていたヴァン・ドンゲンとかメルツォフや初期のリーアーのペーパーバック画にはのめりこみました。1970年代以降のエアブラシを多用した絵にはどうも馴染めません。

(画像から大きい画像にリンクあり)


雀部 >

ご紹介頂いた美女のイラストがエムシュですね。これはどういう状況を描いたイラストでしょうか?

美女というと、野田昌宏先生ご推薦はヴァージル・フィンレイみたいですが、エムシュ氏の描く女性も気品がある美女ですね。私的にはエムシュの方が好みです(笑)(発掘した故野田先生の『図説|異星人(フィンレイのイラストあり)』を参照してます)

森田 >

エムシュの絵は、ラインスターの短編をパルプ雑誌の表紙にしたもので、確か未知の惑星に難破した宇宙船が、出くわした光景を描いたものだったと記憶しています。エムシュが描く女性には奥さんのキャロル・エムシュウィラーの面影があるといわれていますが、わからなくもありません。フィンレイは、アメリカで絶大な人気ですが、いま一つ好みに合いません。

雀部 >

へぇ、エムシュの奥さんって美人だったんですね。

リーアーの、空に地球があってロケットが描かれたイラストは、さっぱり見当が付かないのですがこれはどういう状況なのでしょうか?

森田 >

これは、ブリッシュの「宇宙播種計画」のペーパーバックの表紙となったイラストですが、話の内容とどう関係があるかなんてことは考えない方が良いです(笑)

雀部 >

あちゃ、そういうもんなんですね(汗;)

確かに「宇宙播種計画」の書影とは思えないぞ(笑)

森田 >

メルツォフの「地球の緑の丘」

メルツォフのイラスト

リーアーの初期の絵は、明らかに先生のメルツォフの影響を受けており、これも「地球の緑の丘」から来ていることはみえみえです。欧米の、特に古いペーパーバックの表紙など、内容と全く関係のない絵がつかわれていることもあり、ひどい場合はほかの小説の表紙をそっくりそのまま頂戴しているものもあります。

突っ込みどころも満載なので、地球が空に浮いているのでここは月だろう、などということは考えず、ただムードを楽しんでいれば良いのだと思います。それが我慢できない人は多分SFアートは駄目です。NASAの宇宙写真でも見ていてください。あ、もちろん科学的な正確さを追求したアーチストもいますけどね。

(画像から大きい画像にリンクあり)

雀部 >

いや、それを考えていました(汗;)→地球が空に浮いているのでここは月だろう

この「地球の緑の丘」の絵も、あまり内容に関係ないような(笑)

メルツォフの左のイラストは題名があるので分かりますが、未訳の「The Day After Tomorrow (Sixth Column)」(ロバート・A・ハインライン著)ですね。アメリカがアジア連合に攻撃されているシーンなのかなと思ったのですが、それを考えちゃいけないのですね(笑)

森田 >

この小説読んでないのでわかりません。多分そうなんでしょう。

雀部 >

ヴァン・ドンゲンの異星人を描いたイラストは私でも分かりました(笑) 『テネブラ救援隊』(ハル・クレメント著)ですね。8本の手足があるところから、テネブラの知性を持った異星人のイラストみたい。

森田 >

ヴァン・ドンゲンの絵は、あまりSFっぽくないのですが、独特のムードがあって好きです。「重力の使命」の連載挿絵も描いていて、そこではメスクリン人の姿も見られます。

雀部 >

ネットで探すとそれらしい絵が見つかりました。

日本のSFイラストは、アメリカではどういった評価なのでしょうか?

森田 >

最近の状況についてはあまり詳しくないので、「日本のSFイラスト」がどれくらい認知されているのかわかりません。個々のアーチストについては紹介されれば悪い評価は受けていないと思うのですが。加藤直之さんのものなんかはアメリカ人の好みだと思います。

雀部 >

加藤画伯のは確かに受けそう。《火星シリーズ》の武部画伯の絵も評価が高いみたいですね。

SFの古本の話題も好きなのですが、例えばアメリカと日本では、SFの古本に対する考え方とか扱いに違いはあるのでしょうか?

森田 >

アメリカはファンダムの歴史が⾧いこともあって、SFファンの間での本の流通経路がかなり確立されているように感じます。最近はどうか知りませんが、昔のファンはかなりの割合でコレクターであって、そのまたかなりの割合が古本屋を兼ねています。お互いに融通しあって自己のコレクションを充実させていくのですね。

それに息が⾧い。1939年の第1回世界SF大会以前からのファンの集まりのファースト・ファンダムなんていう組織がずっと活動を続けています。メンバはどんどん減っていますけど。

雀部 >

え、ファースト・ファンダムってまだ継続して活動しているんですか(驚)。凄い。

森田 >

そういう人たちは当然本を大切にしますから、古い本でもびっくりするほど状態の良いものが残っています。気候の違いもあるのでしょうが、内陸部の乾燥した地域にあったものなど、100年も前の本がピンピンの状態で届いたりします。それが日本のじめじめした環境にあって何年もたたないうちにカビが生えたり、黄ばんできたりするのを見るのは悲しい。

雀部 >

うぁ。それは辛いですね(泣;)

森田 >

図書館上がりの本がかなり流通しているのも面白いですね。「廃棄」のスタンプが押されて、テープの跡がついていたり、貸出カードを入れるポケットが貼ってあったり、ボロボロの状態のものが平気で売られているのは、日本では考えられません。値段はもちろん二束三文ですが、レア本だったりするとそこそこの値段がついたりします。

雀部 >

日本で、レンタル店あがりの DVDディスクが流通しているようなものかな。ボロボロだと読み込めないか。

森田 >

一般的に日本よりアメリカの方が古本は入手しやすいように思います。日本ではほんの10、20年前の文庫本でも極端に見つけにくかったり、驚くような値段がつくものがあったりしますが、アメリカでは1950年代のペーパーバックでもほとんど容易に入手できますし、値段もそれほど高くありません。雑誌の特定の号でも、100年近く前のものが一生懸命探せば見つかったりします。

まだいっぱい話すことはあるのですが、古本の話をしだすと止まりませんのでこの辺で。

雀部 >

それだけ文化が根付いているということでしょうね。

ところで、高校・大学、会社等でファン活動的なことはされてなかったのでしょうか。

私は息子三人の手がかからなくなるまではファン活動的は出来ませんでした。

森田 >

学校や職場でファン活動するなんていうことは考えたこともありません。私は人を引っ張り込む人間というより、引っ張り込まれる方の人間ですので。大学時代はSF研の創設に関わりましたが、それもどちらかといえば誘われた方です。

雀部 >

私も同じです。著者インタビューの際に、「大学入学時にSF研が無かったので」と言っていたら、大森望先生に「SF研は自分で作るものでしょ」と言われました(汗;)

でも、引っ張り込まれる人間が居ないと、引っ張り込む人間も張り合いがないと思うので、十分存在価値はありますよね(笑)

今回は色々お教えいただきありがとうございました。

引き続き、ネットでの発信もよろしくお願いいたします。

(次回に続く)
[森田裕]
  1946年生まれ。東京で育ち、40過ぎまでそこで暮らしていましたが、その後 金沢に移り住みました。
  SFファンダムでは居候みたいなもので、めぼしい活動は何もやっていません。
  趣味は、データいじり、資料集め、音楽鑑賞(ポピュラーもクラシックも)、 ボクシング観戦、等々。
[林芳隆]
 古いSFファンです。1963年に高1の時、初めてSF大会(TOKON1)に出てから40回出席してます。95年には最多出席で柴野拓美賞を貰いました。いまは柴野拓美章の選考委員(幽霊)をやっています。
 昔、フランスSFを買い集めていましたが、ほとんど読んでいません。
 ペリーローダンとディスクワールドが好きです。いまはラノベにはまっていて、ハードSF研究所所員のFUNAさんの作品が好きです。
 「宇宙気流」の編集をしています。
[雀部]
  1951年岡山県生まれ。アマチュアインタビュアー。岡山SFFC会員。コマケン所員。
  ハードSF研(幽霊)所員(汗;)