20XX年8月6日、I県の実験用高速増殖炉ひたちが大地震の影響で爆発、大量のプルトニウムが撒き散らされた。 個人用核シェルターにこもった男は、災厄後をA.D(.Anno Diaboli)、それ以前をB.C(.Before Catastrophe)として日記をつけ始める。 球体の閉じた空間で過去と現在、夢と現実とが融けあうサバイバルが始まった……。
今回の著者インタビューは、本年3月15日に文芸社から『無名標』を上梓された中条卓先生です。 ちなみに、中条先生は、元アニマ・ソラリスの編集長でもあられましたし、 多数の作品 を投稿して頂いてました。
-卓-さん、お久しぶりです。
ご無沙汰でした。
今年は「アニマ・ソラリス」20周年なんですよ。-卓-先生はどうされていたのでしょうか?
アニソラを離れた直後は仕事に追われて何も書けない状況でしたが、 数年前からぼちぼちと文学賞への応募を再開して、予選落ちしたり一次選考通ったりまた予選落ちしたり^^;)という状況でした。
どうも短編では分が悪いということで、長編を書き上げてファンタジーノベル大賞に応募するも予選落ち、 懲りずにダメ元でハヤカワSFコンテストに応募したら運良く最終選考まで残ったのがこの作品だったんですが、 それでも賞は取れずじまいで腐っていたところ、「カクヨム」という小説サイトを教えてくれた人がいて、 そこに10ヶ月くらいかな、毎日連載していたらそこそこ反響があったので、といっても5000PV(ページビュー)くらいで、 10万PV稼ぐラノベに比べたら微々たるものだったんですが、この辺でいっぺん本を出しておこうかと。 残り時間も限られて来たし^^;)、まあ見切り発車みたいなもんです。
そうなんですね、「カクヨム」には、うちの常連投稿者さんも連載をされてます。
第6回ハヤカワSFコンテスト二次選考結果発表(https://www.hayakawa-online.co.jp/new/2018-07-25-155605.html)によると、 希望者には二次選考の講評を送ってくれるそうですが、それは読まれましたか。 (確かSFマガジンにも簡単に載ってましたが、卓さんの応募作とは(汗;))
あー読んでないです。最終選考の講評というかプロセスがSFマガジンを買わないとわからないというのに腹が立ったもので。 今となってはどうでもいいことですが。
あらま(笑)
確か、筆名を書いて連絡すれば講評を送って下さるという話だった気がします。
SF俳句のほうもお休みされていたのでしょうか。
というのは、 笹公人先生に インタビュー したり、 最近でも 藤田雅矢先生インタビュー に短歌の話題が出たりしました。
カクヨムで「俳句リハビリ」と称して、SF俳句ではない普通の俳句をちょっとだけ連載していましたが、 本作のプロモーションで中断してます。 コロナ騒ぎで本が売れる状況じゃなくなってきたので、唐突に連句でも始めてみようかと目論んではいますが…
連句の連載、始まったらご連絡下さい。
ゲーム関連は盛況みたいですけどね。本も売れないかなぁ…
『無名標』の帯の煽りに「東京オリンピックは開催されずじまいだった…。」とあり、をいをいと思ったのは内緒(笑)
「よげんのしょ」みたいになってますけどもカバーデザインを決めたのは去年ですから偶然の一致というかなんちゅーか…
ありゃま、そうだったんですね。作中に、“ここに新型ウィルスが加わりでもしたら、 確実にこの国は滅びてしまう”ともありましたので、これはと思った次第。
当時のお仕事が遠隔画像診断ということでしたし、 創刊当時の人気だった連載長編が 『在宅戦闘員』 、今回の長編が核によるカタストロフィーでシェルターに引きこもるお話しということで、共通点がありますね(笑)
もともと引きこもり願望があるのかも知れません。 遠隔画像診断を始めたきっかけが通勤と会議がつくづく嫌になったからという消極的な理由でしたから。 あとネクタイにワイシャツという格好も好きじゃなかったな。
外出自粛は苦にならないと(汗;)
そう言えば、昨年の6月頃に「アニマ・ソラリス」編集用のメーリングリストで、 “-卓-元編集長の「在宅戦闘員」なんですが、 現在「週間スピリッツ」誌に掲載中の『バトル グラウンド ワーカーズ』(竹良実作)が、 似たような設定で面白いです(遠隔操縦バトル自体は、そんなにレアな設定ではないけど)
“失業中に30歳を迎えた平仁一郎は、未知の生命体「亞害体」と戦う人型兵器「RIZE」を遠隔操縦する職に就いた。”
遠隔操縦中に繋がったままRIZEが完全破壊されると、操縦者の生命も失われるので強制離断できるが、 その回数に制限があり、そこが読みどころとなっています。
まあ、細かいツッコミどころははあるんですが、遠隔操縦バトルものとしてはかなり面白いです、 という投稿をしたことを思い出しました。
その作品は読んでいませんが、別のマンガで『マージナルオペレーション』という作品は愛読してますよ。 (ノートPCを操作する)…おや原作は小説だったんですね。 ゲームおたくの主人公が実際の戦場で少年兵たちを指揮して戦うという話なんですが、 Iイルミネーターと呼ばれる「統合情報処理端末」を駆使して戦闘員を手足のように操るというのが、 厳密に言うと遠隔操作ではないんでしょうけどそれだけに現実味があって断然面白い。これは「負けた!」と思いましたね。
なかなか重そうな雰囲気の作品ですね。→ 紹介はこちらから
「在宅戦闘員」の連載はちょうど2000年からでしたが、 アイデア自体はその十数年前のものということで、当時は斬新なアイデアだったですね。
「在宅戦闘員」も『マージナルオペレーション』や『バトル グラウンド ワーカーズ』も、 カード氏の「エンダーのゲーム」の影響を受けている気がするのですが、どうなんでしょう。
すみません、その作品は存じ上げませんでした。
もともとSF好きといっても嗜好が極端に偏っているもので…ディックとレムとストルガツキー、 あとタルコフスキーぐらいしか読んだり観たりしてないという…。
ありゃまそうだったんですか。
「アニマ・ソラリス」で一時やっていた、 大隕石スサノヲ衝突後の世界を描く競作 (シェアードワールド)(http://www.sf-fantasy.com/magazine/shared/that/index.shtml)ものを読むと、 SF的センスが横溢しているんで、てっきりお詳しいと思っていましたよ。
このシェアワールドものなんかは、産みの苦しみはあったのでしょうが、楽しみは無かったでしょうか?
いやーあのシリーズはぶっちゃけ楽しかったですよ。今は亡き kan さんとの掛け合いが特に。 この作品を真っ先に読んで欲しかったのが彼なんです。 本作のトリックなんかすぐに見破ってくれただろうにと思うと、なんとも口惜しくてなりません。
確かにkanさんが存命なら(泣;)
あの当時が一番「アニマ・ソラリス」に活気がありましたし。
Good old days ですねえ。後ろばっかり振り向いててても仕方ありませんが。
まあそうなんですが(汗;)
『無名標』は、引きこもり小説であると同時に私小説SFでもあると思うのですが、この構成を選ばれた理由とかはあるのでしょうか。
さきほどの答とかぶるんですが、私にとってSFってエンターテインメントではなく思考実験なんですよね。 Sはサイエンスというよりもスピリチュアルだったりスペキュラティブだったり。 ほら、一般的なSFのイメージって、とにかく舞台が壮大で時空を股に掛けたストーリーで、 ひたすらマクロコスモス指向じゃないですか?
はいはい、お好きなのがディックとレムとストルガツキーなら、そういう傾向だということはよく分かります(笑)
もちろんそんな作品ばかりではないんでしょうけれど、そういう傾向とは正反対の、 ミクロコスモスをひたすら掘り下げてみたらどうなるかと思った時に私小説という形式に思い至った、 そんな感じです。読んでくれた方々からは安部公房とか多和田葉子を連想したという、 もったいない感想を頂いているんですが、ここだけの話(笑)、 私自身がひそかにイメージしていたのは森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」だったり三島由紀夫の「仮面の告白」だったりします。口はばったいですけど。
「ヰタ・セクスアリス」との関連は、私もちょっと思いました。
男の生理のどうしようもなささ加減と、女性に対する純愛も描かれていて、なんか身につまされました。
奥様は、この本を読まれたのでしょうか?何か感想をお聞きになりましたか。
「あたしがこんなことしてたと思われたらどーすんの」みたいな抗議はありましたが、 それでも「愛を感じたわー」というあたりに落ち着きました、ということにしておいてください。
さすが話の分かる奥様!では、そういうことに(笑)
大半の男性にとって性欲は、人生そのものと切っても切り離せない存在だと思うのですが、 一時期ブームだった「利己的な遺伝子」についてはどう思われますか。ちょっとそっち方面の展開も期待したりしたんですが(笑)
配偶子こそが生物の本体であり、 2倍体すなわち体細胞の塊である我々は配偶子の製造工場あるいは乗り物に過ぎないのでは? なんてことは時々考えますね。
やはり(笑)あまり突き詰めると空しいっす(汗;)
『無名標』は内省の物語であり、構成としては主人公の意識の流れを追って書かれてますよね。
コアSFで意識の流れというとグレゴリイ・ベンフォード氏が有名だったですけど、 そっち方面に注力している作品の評価はいまいちのような気がします。 むしろ『無名標』のように最初から旗色を明らかにしている方が読みやすいのではないかなあ。
文中に「鉄腕アトム」を観て育ったとあり、同世代感が半端ないのですけど、 同世代の熟年男性にあてたメッセージとしても読めますね。
人生100年時代と言われていて、私らの世代はどうやら90年止まりらしいですけども^^;)、 それでもあと30年、できたら生き延びて何かをつかみ残せたらいいなあとつくづく思います。 (拳を突き上げて)全世界の還暦ジジイよ、頑張ろうぜ!
とうに還暦過ぎたジジイ(年金貰ってます)ですけど、同感です。
コロナのこともあるんで、ちょっと終活とかも考えたりして(汗;)
そりゃもう、毎年正月にはエンディングノートを書かなきゃと思いつつ先延ばしにして来ましたが、 このインタビューが終わったら本腰入れるぞ、と。
SF関係の蔵書は家族の手には余ると思うので、友人に処分を頼んであります。
『無名標』は時代性というか、読んで一番理解してくれそうなのは同世代の男性ですよね。
あと、文中に“虫歯予防には万全の注意を払う”とあったので、おおっと拍手しました。 が、蜂蜜や果糖、デンプンも砂糖ほどではないにせよ虫歯をおこすので、 どこかで歯痛に悩まされやしないかとヒヤヒヤしましたよ(笑)
しまった。雀部さんに監修をお願いすべきでしたね。 いざとなったら医者は抜歯だけはできますけども、下手に抜歯したら菌血症を引き起こして危機的な状況になりそうですね。
いやぁ歯科医も自分の歯の治療は無理ですよ(笑)アシモフか誰かの短編に、 自分で歯科治療が出来るキットかあって、どうたらというのがありました(まあそれは前振りで、 確かロボットを組み立てる話だったような気がします。)
抜歯に関しては、江戸時代なんかは道ばたで歯抜きをやってしたみたいですし、 一時的には菌血症にはなるでしょうが、重篤な状態になるとは限らないのでなんとかなるかもしれません。 それより、出産の方が難易度高くありませんか?いまでこそ、出産時に何も無いのが普通になっていますが。
「地獄八景」にも歯抜き師が登場しますもんね。
おっしゃる通り、妊産婦の死亡率も乳児死亡率もちょっと前までは半端なかったので、 多産多死が当たり前だったし石女に対する差別もひどかった。 かと思うと、はっと気づいたら少子高齢化社会だったりしますが、 今も昔も妊娠〜出産というのが「ありふれた奇跡」であることに変わりはないんじゃないかな。
妊娠・出産と言えば、前述の最終選考の講評で、小川一水先生が“爆発で失った妻を自ら妊娠して産み直すという幻想を、 もっと希望をもって書いていれば、悲しくも健気な話になっていたのではないか。”とされていたので、 なるほどそういう見方もできるなと感心したのですが、どうなんでしょう。
幻想〜ファンタジー〜であればそんな書き方も可能でしょうけれど、 主人公は妄想あるいは幻覚ではないかと恐れているので希望もへったくれもなかったんじゃないかな。
ありゃま(笑)
まあ、文中にも記載がありましたが、シェルターが子宮だとすると、 主人公は胎児でもありますから、そこにさらに子宮は要らなかったのかなとも思いました。
シェルター内での時間つぶしに数学の問題を解くというアイデアが出てきて、 卓さんて数学マニアだったっけ?とふと思いました。好きな人だったら、 確かに暇つぶしには最適だと思いますが、私には無理だわ(汗;)
数学は好きですね、片思いですけど。下手の横好きってやつで。
先ほどの妄想幻覚と通じますが、シェルターの外(マクロコスモス)でも中(ミクロコスモス)でも 「ありえないこと」が起こっているので、 主人公は数学という「いかなる世界においても成立する絶対的真理」にすがろうとしているんですよ、たぶん。 自らの正気を何とかして確かめたいんです。いわば狂気の非在証明に没頭している。
それはよくわかります。
取り上げられている話題はいくつかありますが、 例えばアキレスと亀のアポリアは「有限時間内に完結する無限回の試行」、 オイラーの等式は e^iπ という得体の知れない存在と ”1” という確固たる存在が合体して0になること、 というよりも等式の右辺と左辺を入れ替えて、 0からそれらの存在が生じることのアナロジーと捉えることもできなくはないようなあるような… 作中に登場する 「空中に飛び上がった水滴と水中に生じた気泡」みたいなイメージですね。 3のπ乗とπの3乗のどちらが大きいかという問題は「似て非なるものの比較」、 三山くずしは必勝法の存在するゲームあるいは「先手必勝であるにもかかわらず、 初手に失敗したら必ず負けてしまうゲーム」の象徴である、とかまあ屁理屈はいくらでもこねられる…のかな?
わはは。
これも主人公の暇つぶしとして取り上げられていたんですが、 手塚治虫先生のマンガを読む方が私には向いている(笑)「0マン」なんかは、 昔近所にあった貸本屋で借りて読んだ記憶があります。 洋楽だと、サイモンとガーファンクルが大学時代、秋吉敏子=ルー・タバキンも大学時代だなぁ。 サティは、「エリック・サティの主題による変奏曲」しか知らなかったけれど。 大学時代はプログレ全盛期?。あとはニューミュージックだな。
「0マン」は亡くなった父親が、潰れた出版社が投げ売りしていたと思しき本を買ってきてくれたのを夢中になって読みふけりました。 全7巻の6巻だけが入手できずにやきもきしたなあ。S&Gその他は私の場合高校時代になりますね。 大学時代はニューミュージック全盛期で、フォークギターをエレキに持ち替えてバンドを組むというお決まりのパターン…
私はギター関連は不調法で(汗;)三男坊が、ビジュアル系のまねごとをやってました。
後書きに“本作のテキストからはある要素が欠落している。 それを見つけ出し、本作の根底に潜むキーワードを発掘してもらいたい。”とあって、 それを見つけ出すことも、楽しみの一つだと思います。
まあ、気をつけて読むとヒントは文中にも記述があるので、読者の方は皆さん気がつくと思いますけどね(笑)
元検事(!)の同級生が一番いい線行ってました。 彼はミステリ好きで、大物ミステリ作家とも交流があるんですが、 制限時間内に候補作を読まなくちゃいけない選考委員にこういう謎解きを要求するのは酷だと漏らしてましたね。
じゃ、私は二番目クラスだな(汗;)
今回は初出版おめでとうございます。次作も期待してますのでよろしくお願いします。 今度はもう少し普通のSFが希望です(笑)
うーん、そのご希望には多分添えないんじゃないかと思いますが、 これからも分類不能な怪作をものしていくつもりではありますので、その節にはよろしくお願いします。
あ、怪作は大好物なので、ぜひぜひ(笑)