Microstories


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 内外の超短編作品の紹介を進めるとともに自らも精力的に超短編を書き続けている作家の本間祐さんにお話を伺いました。

卓:超短編の定義をひとことでお願いします。

祐:数十文字から数百文字の短篇のことです。

卓:……もう少し何か。

祐:少しだけ追加しますと、この短さでは通常の小説は書けませんが、そこから出発して、逆にさまざまな試みができるのが超短篇の面白さで、詩歌や箴言、エッセイなど他のジャンルとも境界を接した、玄妙な味わいが楽しめるということなんです。そのため、たとえば「詩とどう違うんですか」と質問されることもありますが、外見がなんとなく似てるからでしょうね、厳密には分けられないと思いますけど、超短篇は基本的に何らかのお話、物語をふくんでいるわけですね。とにかく短いですから、物語は未完というかたちをとることも多く、つまり読み手のイマジネーションを刺激することに重点があるわけです。ですから、超短篇はシュールでナンセンスな印象を与えるケースが多く、読者によっては、なんのこっちゃわからんという反応がくる場合もあります。しかし、はまる人はとことんはまるようなので、ご注意ください。私は今では超短篇なしでは生きていけない身体になってしまいました。この魔力はいったいどこからくるのかと考えて、関西文学という雑誌に「超短篇、物語のネオテニー」という小論を書きました。これは一言でいうと、超短篇とは物語の幼形進化したかたちであり、読者の深層に届く摩訶不思議な力を持ち得るという仮説です。我ながら面白いこと考えるなあ、と感心してるんですが、まあ、そんな理屈よりも実際に超短篇を読んでいただいて、その魅力に触れてもらうのが一番です。今回のAnima Solaris での超短篇特集は、ぜひ多くの人に読んでもらいたですね。作者は全員、超短篇メーリングリストのメンバーで、個性ある書き手ばかりです。なんといっても、短かい表現の中で広がる世界の大きさが、超短篇の魅力です。あっという間に読めて、こんなに楽しめる世界があると、この機会に知ってもらいたいと思います。あと少しつけ加えるならば、はじめに数十文字から数百文字の短篇と言いましたが、このような味わいがあるなら文字数は多少増えても、それは超短篇と呼びたいですね。そうなると通常の短篇と区別がまた曖昧になってきますが、まあ定義などというものはいくらやっても、そこからこぼれるものが必ず出てくるわけです。要は面白いか面白くないかということなんですけどね。

卓:SFの世界ではショートショートというジャンルが以前からあるわけですが,それとはやや異なるわけですね。

祐:その質問もしばしば聞きますが、ショートショートと呼ばれているものにもオチのないもの、シュールでナンセンスなものはありますから、境界線は厳密には引けないでしょう。超短篇は極端な短さを制約としてではなく武器として、通常の小説では書けない世界を書こうとするものです。その手段として、他の散文や詩の要素をどんどん取り入れていくので、必然的に作品はいろんなジャンルを横断するようなかたちであらわれます。ですから、超短篇とはジャンルの呼び名ではないんです。ただね、メディアでとりあげられる時は、超短篇という新しいジャンルが登場したというような言い方をされる場合が多くなるでしょう。一般の人には、そういう説明の方がわかりやすいですからね。まあ、しょうがないですね。

卓:日本では認知されてこなかったけれども,超短篇の作品そのものは昔からあったと考えてよろしいんでしょうか。

祐:いい質問です。ダ・ヴィンチ4月号の超短篇特集を読みましたね(笑)。昔は超短篇という呼び名はありませんでしたけど、超短篇的な作品はお店が開けるほどあったと思います。たとえば古事記の中にすでにそのようなものがありますし、今昔物語、日本霊異記、御伽物語などの古典の中にも見つけられます。あの一休さんなんかも、それらしきものを書いてましたし、挙げればきりがないです。近代でも著名な小説家、詩人が書いてます。もちろん、その流れはこの現代まで続いてるわけです。海外でも紀元前からその種の作品がありましたし、現在はラテンアメリカを中心に盛んに書かれてますね。
 物語という文芸が生まれてきた歴史を考えると、短い断片のような形式から派生してきたとみるのがやっぱり自然だと思いますね。竹取物語が日本の物語の祖だという通説がありますけど、あれも実は物語の進化の途中で出てきたものだとするとですね、さらにその先に近世、近代の文芸があって、そのまた先に幼形進化としての超短篇がある。あ、これは別に超短篇が最高の文芸だという意味じゃないですよ。そこまでマッドな大ボラをふく気はないです。要するに超短篇には大きな夢がありますよ、ということを言いたいだけなんです。

卓:この特集を読んでもっと超短編について知りたいと思った読者のために、これはというウェブページがあったらご紹介願えますか。

祐:ひとつは私のウェブページの『MS(超短篇)LAND』というコーナーをご覧ください。かなり前に書いたものが多いですが作品の一部と、新聞や雑誌への超短篇に関する寄稿の一部を掲載してます。
(ほんまゆうのあたま http://www.jali.or.jp/club/honma
 もうひとつは朝日ネットの超々短篇広場です。投稿作品から選んだ優秀作を隔週ごとに掲載しています。すでに200篇以上の掲載作があります。広場からは超短篇メーリングリストへの参加もできます。
(超々短篇広場 http://www.asahi-net.or.jp/microstory

卓:アンソロジーをお出しになるご予定とか?

祐:筑摩書房のちくま文庫から、来年の2月か3月に刊行される予定です。古今東西の超短篇傑作集という趣の本で、私が監修をつとめます。この種のアンソロジーはボルヘスが編んだ「ボルヘス怪奇譚集」が有名ですが、日本ではおそらく初めての試みでしょう。散文、詩歌などジャンルの境界をとりはらったものにするつもりなので、その意味でも異色のアンソロジーになります。今、これまでに集めた作品の中から最終的に何を載せるか、しぼりつつあるところですが、しんどさ以上に楽しさが大きいですよ。こんな人がこんなものを書いていたのか、こういうのもありなのか、と驚いてもらえる本になるでしょう。超短篇は知ってさえもらったら、多くの人に楽しんでもらえるはずだと確信してますからね。
 余談ですけど、筑摩書房からはこの10月に稲垣足穂の生誕百年を記念した新しい全集が出る予定で、タルホが「一千一秒物語」という素晴らしい超短篇集の著者であることを思うと、同じ出版社からこのアンソロジーが出ることになったのも不思議な縁ですね。

卓:超短編がインターネット時代の文学として脚光を浴びそうな気配を感じますね。これから超短編を書いてみようという人のためにアドバイスがあればひとことお願いします。

祐:あんまり難しく考えないで、楽しんで書いてみてください。このインタビューを読んで、何か感じるところのあった方なら、超短篇は書けるはずです。書きあがったら、超々短篇広場に気軽に投稿してみてください。投稿作品は私が全部、読みます。これまで読んだことないような個性きらめく作品の登場に期待してます。

本間祐(ほんま・ゆう)


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