序章


 はるかな昔。宇宙を治める最高神エルゼンの子供達の中で、最もすぐれた創り手とうたわれた七つの腕を持つ双子の神「白きアイシム」と「黒きバステラ」は、まだ混沌としていた東の宇宙にその腕を差し入れて、光と闇の渦巻き模様ができるまでゆっくりとかき回した。次にアイシム神は光から、バステラ神は闇からそれぞれ適当な量の物質をすくい出して、二人でそれをこね合わせてたくさんの星を創った。やがて渦巻きは輝く星々と漆黒の空間の銀河となった。
 二神はその中で最も形が美しい星の天と地を分けて空と海を創り、草木の種をまいてその上に様々な生き物を住まわせた。そして最後に闇の創り手バステラ神が、手の中に残っていた土を丸めて空に放り上げて月とした。ようやくすべての作業が終わると、そこには見るからに美しくて楽しげな星が誕生していた。その見事な出来栄えを眺めているうちに、夜と闇をつかさどる神バステラはどうしてもこの星を自分のものにしたくなって、兄である光の神にこう言った。
「おお、なんと美しい星が生まれたことでしょう。兄上、この星を生き物達のなりわいで汚す事が私には耐えられなくなってまいりました。それに他の欲深い兄弟達が欲しがって争うかもしれません。いっそこのまま誰の目にも触れないよう、時の流れを緩めた闇の中にしまってしまいましょう」
 アイシム神はこれに答えて言った。
「この星の美しさは命あるからこそである。光は命を育み、闇が安らぎを与える。光無き所ではこの星の美しさもまた失せてしまうであろう」
 いつもは兄の言う事に素直に従うバステラ神であったが、今回はその星があまりに美しかったので、なおも言葉を続けた。
「しかし父上は、お気に入りのあの二本腕の弟にこの星をおもちゃに与えてしまうかもしれませんよ」
 兄神は答えた。
「翼のマルトンはいたずら者だが優しい神だ。我らは創り手の神である。星の運命は統治の神である兄弟達と父上の秤がお決めになるだろう」
 バステラ神はこの答えが気に入らなかったが、二神の力はあまりに拮抗していたため、あえてそれ以上兄神に逆らう事はせずに、星の半分を覆う闇の領域の中に閉じこもって、自らの願いをかなえる事ができる時機を待つ事にした。
 アイシム神は生まれたばかりの美しい星が、暗闇にのみ支配されるかもしれないという危機を感じた。そこで急いで地上に降り立つと、ようやく繁殖しはじめた動物達の中からいくつかの種族を選び出してこう命じた。
「子供達よ。我が光と弟の闇を等しくあがめて、この星を活気とやすらぎで満たすようにしなさい」
 その場に呼ばれた言葉を操る動物達の中で、最も数が多く生命力に溢れた生き物が人間とよばれる二本腕の動物だった。やがて人間達は集まって国を創る事にした。最初の王国シャンダイアはこうして生まれた。そして、かつて七本腕の神が二人で名付けたソンタール大陸の中心に大都市カラマドールを建設し、都市の中心にある大神殿にアイシム神とバステラ神の巨大な像をまつって二柱の神となした。しかしバステラ神は人間のこの行いにも心を動かされず、依然として闇の中にその姿を隠したままだった。
 長い歳月が流れた。いつしかアイシム神の言葉は忘れ去られ、人々の間では光の信仰のみが栄えるようになった。それとは逆にバステラ神の名は、闇の神として人々の心から遠ざけられていった。そしてついにある時、バステラ神の像は神殿から取り払われて、遠くマルバ海まで運ばれて沖合いの波間に捨てられた。この時、闇の中でバステラ神は怒りのうめき声を上げ、人々は初めて安らぎの闇の中に潜む恐怖というものを知った。
 この成り行きにますます不安をつのらせたアイシム神は、光の要素の中から六つの聖宝を創り出すと、己の力をそれに込めて、ある日神殿に礼拝に訪れたシャンダイア王の前に降り立った。
「王よ、これらの聖宝の力をもって光と闇の安定を保ちたまえ」
 そう言うと神は、己の姿を模した巨大な神像に向かい、その手に聖宝を一つずつ持たせていった。まず像に向かって左側の三本の腕の、一番上の第一の腕にカンゼルの剣をかかげさせた。
「これは力の剣なり、秩序を乱さんとする者はこれをもって打ち払え」
 第二の腕にはカスハの冠を持たせた。
「これは常に先頭に立つ者の勇気のあかし。道をひらく冠なり」
 第三の腕にはリラの巻き物を持たせた。
「これは浄化の巻き物。癒しの智慧がここに蓄えられている。正しく使いこなすように」
 次に右側の腕に向かい、第一の腕にバザの短剣を持たせた。
「この短剣は人の心に反応して素早く動く。弱き心を励ますためのものである」
 第二の腕にはミルカの盾を持たせた。
「これぞ守りの盾」
 第三の腕の中指には、アスカッチの指輪をはめた。
「そしてこれが統治の指輪。この指輪を守る者こそ、この星を治める者である」
 最後にアイシム神は父である天球の神エルゼンから託されたコウイの秤を神像の胸から延びる中央の腕に持たせた。
「治めよ、この秤が傾かぬように。これをこの星の民に託したからには、弟が姿を見せぬ今、我一人この星に降り立つ事はかなわなくなった」
 そう言い終えるとアイシム神は光となって神界に去った。この話を王から聞いた人々は畏れてバステラ神の像を新たに建立しようとしたが、すでに民の心はバステラ神より離れてしまっていたため、結局実現はされなかった。そしてやがて秤は光のほうにゆっくり傾いていったが、シャンダイア王はこれを光の導きと偽って人々に説明したのであった。この時の王の言葉がその後のシャンダイアの運命を決めた。
 一方、自分を崇める者を無くした闇の神バステラは、この頃から長い年月をかけてシャンダイアの民の中に、密かに己のみの崇拝者を育んで暗き心を持つ者を増やしていった。彼らはやがて黒い神をまつる神官を中心とする教団となり、闇の力を神から引き出して人々の心に恐怖をまき散らすようになった。
 
 コウイの秤が光に傾きだして数百年が過ぎた。その間に着々とシャンダイア内に勢力を拡大させていたバステラ神とその教団は、ある夏の日についにその野望を実現させた。その日、大都カラマドールはアイシム神の大祭で賑わっていた。王の一族は神殿に参拝し、様々な儀式を執り行った。やがて最後の儀式が済み、シャンダイア王が一族を集めて宴を開こうとしたその時に、王の最も信任の篤かった大将軍バマラグが突如反乱を起こした。バマラグはすでにバステラ神の暗い心の信徒となっていたのある。
 王は大いに驚いてバマラグに思い直すように説得しようとしたが、バマラグは自らの手によってシャンダイア国王と妃をまず殺害した。そして配下の兵士に命じ、さらに王の一族の者を次々に殺していった。しかしただ一人、身体の具合がすぐれず控室で休んでいた王の末の息子だけはその難を逃れたらしく、誰も見つける事ができなかった。バマラグは兵士達に神殿内の探索を続ける事を命じた後、その足で神殿の中央にそびえるアイシム神の像に向かった。像が持つ七つの聖宝を奪ってバステラ神に捧げんとしたのである。
 怪力の持ち主として聞こえたバマラグは、みずから大槌をふるって中央の秤の腕に打ち掛かった。しかしその槌は腕に当たって大きな音をたてはしたが、砕く事は出来ずにむなしく跳ね返された。畏れを感じたバマラグは大勢の兵士にその腕を打ち落とすように命じたが、腕は何物を持ってしても打ち落とす事ができなかった。仕方なくバマラグは両側の六本の腕を兵に命じて打ち落とした。しかしその時、大理石の床に落ちて砕けた六本の腕が持つ聖宝から、新たな神々が次々に生まれて、驚くバマラグとその兵士達の前から、それぞれに聖宝を手に持って六つの方角に飛び去った。
 カンゼルの剣からは破壊神クライドンが生まれて、南西の大陸に去った。
 カスハの冠からは暁の女神エルディが生まれて、南の大海に浮かぶ島々の中に逃げのびた。
 リラの巻き物からは浄化の神エイトリが生まれて、ソンタール大陸の西の山脈にこもった。
 バザの短剣からは激情の女神バリオラが生まれて、北の大海を臨む平野に踊りながら飛んで行った。
 ミルカの盾からは豊穰の女神ミルトラが生まれて、東の河川地帯に潜んだ。
 しかし、アスカッチの指輪から生まれた神クラハーンだけは、バマラグの呼ぶ声に一度だけ振り返った。そしてその事により神性を汚されて、それを恥じて遠く北の果てのシムラーの島に隠れてしまった。言い伝えによればこの神は他の五体の神と別れて逃げのびる途中に、神殿内の隠し部屋の中にいた男の子を一人救って逃げたともいわれている。カラマドールから逃げのびた残りの五人の神は五つの民族に聖宝を託し、五つの王国を打ち建ててこれを守る事にした。
 激怒したバマラグは、バステラ神の高位の神官ガザヴォックに命じて、バステラ神を地上に呼び出そうとした。しかしコウイの秤の力により、アイシム神が去った今、バステラ神だけが地上に姿を現わす事はできなくなっていた。仕方なくバマラグは、ただ一つ残った秤だけを下げた巨像にバステラ神の魂を招き寄せ、壊された腕を修復してバステラ神の力がこもった新たなる六つの黒い秘宝で武装した。
 そして国の名を大陸の名のままにソンタールと改め、抵抗する五つの民族の国を見張るために国境に五つの要塞を建設し、五人の将に五匹の闇の獣と五人の魔法使いを付けてこれを守らせる事にした。
 やがて、バマラグとソンタール帝国の力は、徐々に旧シャンダイアの国々を圧倒するようになっていった。バステラ神の像となった黒い巨像の中央の腕の秤は、この頃にはゆっくりと闇のほうに傾きだしていたのである。
 
 旧シャンダイアの五つの国の王達は、代々その聖宝を守り伝え、いつしか真の王を迎える日を待つ事にした。しかしすでに王家の血筋は絶えたかに見え、五つの王国もバマラグの子孫達の激しい攻撃にさらされ続けた。
 そしてついにバマラグの反逆によってシャンダイアが分裂してから五百年程たった頃、ソンタール大陸の北方に孤立していたバザの短剣を守るバルトール王国が滅ぼされた。一説によるとバステラ神の秘宝の一つ、黒い指輪を持つ魔法使いガザヴォックの策略により、神酒を飲んで酔ったバリオラ神が踊りに我を忘れている間に首都ロッグが陥落したといわれている。
 バルトールの民は世界各地に散らばって行ったが、守護神の失態のために国を失った人々を、他の国々はあまり暖かく迎え入れたわけではなかった。多くのバルトール人はそれでもやっと、なんとか生活の糧を得る仕事に就いていったが、一部の者達は地下に潜って盗賊のような仕事に手を染めていった。バザの短剣はこれらの人々の間に隠されているという。

 またある歴史書は、反乱から十数年が経ち、最初のソンタール皇帝バマラグが臨終を迎えた時に起こった不思議な出来事について記している。
 かつてカラマドールとして知られた都。今はソンタールの城塞都市「グラン・エルバ・ソンタール」と呼ばれるようになった都市の中心に、バマラグの王宮は建てられていた。王宮は神殿をその中に取り込むようにして築かれ、巨大な六角形の尖塔型の建築物としてそびえていた。
 その最上階にあるバマラグの部屋で、いよいよ反逆者の最後がせまった時に、一人の美しい若者が皇帝を看取ろうとしている人々の間に忽然と姿を現わした。
 金色の髪に短い白の着衣。若草色の草の靴を履いた若者は、居並ぶ家族や廷臣の間をスルリと抜けて、病魔に侵されて意識を失っていたバマラグの横に立つと、その血の気の失せた額に手を置いてこう言った。
「父の命により秤は私があずかる事になった。すでに秤はこの星のものであるし、二人の兄はしばらくこの星には降り立てぬようだから」
 一瞬意識を取り戻したバマラグは若者の正体を察して恐怖した。しかし若者はおだやかな声でバマラグの耳元に語りかけた。
「そなたも兄達のわがままの犠牲者だ」
 若者は寂しそうにそう言うと、静かにソンタール皇帝のまぶたに手をやって目を閉じさせた。そこでバマラグは事切れたが、その死に顔は安らかであったという。
 反逆者の死を見届けた若者は、驚く廷臣達を尻目に王宮の中央の神殿に赴き、今はバステラ神の像となった黒い巨像の中央の腕から、それまで誰も動かす事のできなかった秤を軽々とおろした。そして駆けつけた人々の目の前に、遮るように大きな翼を肩から広げて、どこへともなく飛び去って行ったという。これも夏の出来事であったと歴史書は伝えている。

(第一章に続く)


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