神の笑える妄想話

doru

第二章 夢は現か幻か三部作

その一 月

私は会社では上司に失敗を咎められ、女子社員には白い目で見られ、家に帰ると女房に稼ぎが悪いと愚痴られ、 子供たちには疎んじられるというどこにでもいる男だった。

ある日、そんな何の夢も楽しみもない暮らしに嫌気がさして、通勤途中の電車で会社のある駅に降りず、 どこまでも電車に乗っていった。かばんの中には前日にホームセンターで買ったロープが一本入っている。 こんな生きているか死んでいるかわからない生活なら、このさきいつまでつづけても仕方がないって感じでなんとなく買ったものだ。


どこまでも電車に乗っていった。窓から見える風景は、殺風景な灰色の高層ビルが見える都会から、 家々の見えるベッドタウン、そして緑の絨毯が見える田園地帯にはいっていった。 人はこの電車から見える世界で何を考えどんなふうに生活しているのだろうかと考えた。 電車を乗り換えながら、さらに人のいない方へと入っていく。電車はがたんがたんと単調な物音を立てて進んでいく。 電車の中でうとうとして眠っていた。もしもしと誰かに声を掛けられたような気がしたが、気がつくと誰もいなかった。 電車が止まっている。終点のようだった。

電車から降り、ホームに下りる。見知らぬ駅のホームに立っていた。 年老いた駅員に乗り越し料金を払い、どこか飯の食えるところはないかと聞いた。 考えると朝パンを食べたきり何も食べていなかったのだ。こんな時でも腹はすくものだ。 駅員は愛想よくするでもなく、かといって不親切というわけでもなく、食い物屋の名前と場所をいって駅長室へと帰って行った。

そこで特産だと言われるなめこそばを食べた。期待して食べたが、 これといって美味しいものでもないし、不味くもない。平凡なものだった――最後の晩餐とかいうテレビ番組があったが、 それがこんなものかと思うと薬味が効きすぎたのか鼻がつんときて涙が出た。なめこそばに最後に残ったきのこを口に入れた後、店を出た。

あたりはまだ薄明るい、家々の窓から煮物の匂いがする。こんな辺鄙なところでも楽しく団らんする家族があるのだろう。 煮物の匂いをかぎながらふらふらと村を抜けて山に入っていった。


どれぐらいたっただろうか。食い物屋を出たのが午後六時だからかれこれ三時間ほど歩いたことになる。 後継者不足で整備されていない山林の中を歩くのは骨が折れたが、 夜空を見ると大きな月があたりを照らし、懐中電灯がなくてもなんとか歩くことができた。 茂みをかきわけるようにして登っていくと前方になにやらたくさんの人間が集まっている気配がする。

こんな夜更けに山中でといぶかりながら恐る恐る覗いてみると、 真っ赤に燃えたかがり火を中心にして薄い半透明の衣装をまとった男女が奇妙な振りつけで踊っている。 好奇心と恐れを半々に感じながら、どうせ木にぶらさがるつもりで来たのだからと半ばひらきなおって男女の間にはいっていき、 いったい何をやっているのか訊ねた。

彼らは言葉が話せないのか、それとも話してはいけないきまりでもあるのか、 身振り手振りで赤茶色の壷を持ってきてしきりに飲めと勧める。何か入っているのか不安だったが、 どうにでもなれと半分やけくそで中の液体を飲むと急に身体が熱くなり、ふらふらになる。

今まで気がつかなかったが、何か香でもたいているのか、官能的な匂いが辺り一面に漂っていた。 踊りの輪に入る。どれぐらい踊っただろうか。人々の踊りが最高潮に達したときに、一人の男が女に抱きついた。 それがきっかけだったのか、気がつくとどの男女も抱き合い地面に倒れこみはじめる。自分もいつの間にか見知らぬ女を抱いていた。

性の饗宴のはじまりだった。男も女も声を張り上げ、腰を動かしている。 みんな叫び声をあげて次から次へとからみあっていた。何度でもやれた。 不思議だった。何十回やっただろうか疲れ果てて眠っているとそこにいた男女が雲を呼び、月の光を浴びて天に登っていくのを見たような気がした。

朝目覚めると何もないところにひとり裸で寝ていた。昨夜の体験は実際にあったことなのか、 それとも夢だったのかどうかわからない。毒気を抜かれて、ロープを山に捨てて街に帰っていった。


その二 やがてくる日まで

かあさんが死んだ日


かあさんが死んだのは、夏の夜だった。

ぼくはかあさんの顔にそっと白い布をかぶせた。

最後にかあさんを看取ったのはぼくだ。

医者は来ない。

かあさんが呼んではいけないって云ったから、ぼくは呼ばなかった。

医者を呼ぶとかあさんの白い首についた黒い染がばれてしまうからだ。

かあさんはぼくに絞められなければならないことがわかっていた。

ぼくもかあさんの首を絞めたのがわかっていた。

かあさんが死にぼくが生き残った。

それだけのことだ。


次の日ぼくは花屋でかあさんが好きだったゆりを買うことにした。

店員はぼくの顔を見ていた。

お金を出すと何も云わずゆりを分けてくれた。

ぼくはゆりを手にすると何も云わず店から出た。

店員たちがぼくの後姿を見ているのはわかっていた。

ぼくたちの噂をしているのだろう。

人が何を考え何を云おうとぼくはかまわない。

ぼくがお金を出し店員が受け取る。

店員が花を出しぼくが受け取る。

ぼくは死んだかあさんにゆりを送ろうとしただけだ。


ぼくは部屋にゆりを飾った。

ゆりの甘い香りが部屋にこもっていた。

かあさんが死ぬ前にあらかじめ用意していた死衣にもゆりの香りを移した。

かあさんの匂いはゆりの香りと同じになった。

白い布をあげてかあさんの顔を見た。

かあさんは息をしていない。

かあさんの顔は美しかったが、死んでいるものの顔だった。

ぼくはかあさんの唇にそっとあわせた。

ゆりの香りの中に死者の匂いが混ざっていた。

かあさんの唇は冷たかった。


扉から音が聞こえてきた。

ぼくはかあさんとあわせていた唇を離した。

ぼくは立ちあがり扉を開けた。

扉の向こうには女たちが立っていた。

ぼくは微笑を女たちに送った。

かあさんと同じ微笑を女たちは送り返してきた。

女たちはかあさんに似ていた。

女たちはぼくにも似ていた。

女たちと逢ったのは初めてだったが、ぼくにはわかった。

女たちはぼくを迎えにきただけだ。


近所の人が集まって話をしている。

ぼくたちの姿がよほど奇抜に思えるのだろう。

それも仕方がないことだ、ぼくは小さくため息をついた。

若様、女の一人がぼくを見て云った。

わかっているよと、ぼくは答えた。

ぼくが気にかけているのは、ここに長い間住みすぎたからだと云うのはわかっている。

それがどんなものであれ感傷であるということも。

もしかしたらぼくはここの時間が好きだったのかもしれない。

二度と帰ることのできない立場になって初めてわかったことだった。

ぼくはかあさんと暮らした時間にさよならを云った。


ぼくは大きい鞄を一つ持って部屋を出た。

鞄の中からはゆりの香りが匂ってくる。

かあさんの匂い。

ぼくのかあさんは鞄の中に入っている。

ぼくはかあさんを鞄につめて帰ることにした。

他のものは彼女たちがすべて始末してくれた。

ここでの生活のものはすべて始末しなければならなかった。

だけどぼくはかあさんだけはここで始末することはできなかった。

かあさんはぼくのたった一つの思い出。

その思い出もぼくの手で始末しなければならないのだけど。


ぼくは車に乗り込んだ。

後ろでガタガタと耳ざわりな音が聞こえてくる。

トランクには大きな鞄が入っている。

トランクの中のかあさんが死体となって啼いているのだ。

ぼくは微笑した。

彼女たちが何を考えているのはわかっている。

だがぼくは何も云わない。

彼女たちもぼくが考えていることはわかっているのだ。

ぼくたちの間では言葉はいらなかった。

ぼくたちはお互いを思い、そして微笑した。


ぼくは故郷に帰ってきた。

一歩踏み入れたとたん胸が張り裂けそうになった。

涙が溢れ出してきた。

かあさんが死んだときには一滴も流れなかった涙だ。

それどころか生まれて初めてぼくは涙というものを流したのだ。

流す必要がなかったから涙がでなかったのかもしれない。

感情を出してはいけないと思っていたから涙が出なかったのかもしれない。

それほど帰郷は強烈なものだったのだ。

それほどぼくの使命は重かったのだ。

これで開放される、ぼくはそう思った。


ぼくは屋敷の廊下を歩いている。

ぼくは今一人で廊下を歩いている。

案内するものはいない。

ぼくにはその必要がなかったのだ。

この目では一度も見たことのない屋敷。

目も開いていない赤子のころぼくはここを去らなければならなかった。

だからここは一度も見ていない。

だけどぼくは見たこともない廊下を迷いもせず歩くことができる。

ぼくが覚えているからだ。

この地を覚えているのはぼくの螺旋体だった。


ぼくは迷路の廊下を迷うことなく歩いている。

迷った方がいいのかもしれない。

でも迷わなかった。

これは一種のテストだったのだろう。

外の暮らしがぼくの螺旋体に変調をきたしていないか。

見たこともない場所で決められた場まで辿りつくことができるのか。

だけどぼくは母屋のことは自分の庭のように歩くことができる。

屋敷だけではないこの付近のことはすべて覚えている。

これからぼくはどこにいけばいいのか知っている。

これからどうなるのかも。


ぼくは迷路の廊下を歩いていくと湯殿に出た。

ある匂いが鼻についた。

かつて何度も鼻で嗅いだことのある懐かしい匂いだった。

白い湯気の中、白い衣装をまとった女が立っていた。

女は能面を被って感情を隠しているのだった。

ぼくが外の感情を覆っていたのと同じく彼女は内の感情を覆っていたのだ。

ぼくは能面の女が誰だか知っている。

能面の女もぼくが誰だか知っているはずだ。

言葉はいらなかった。

ぼくたちがいる、それだけでよかった。


能面の女がぼくを洗っている。

ぼくをすみずみまで洗っている。

肌が赤くなるまで洗っている。

外での暮らしをすべて忘れさせるかのように洗っている。

ぼくの気持ちはわかっているはずなのに彼女はぼくを洗っている。

能面で彼女の心を覗くことはできないが彼女の気持ちはわかっている。

嫉妬しているのだ。

ぼくだけが外に出たことに。

かあさんと一緒に外に出たぼくに嫉妬しているのだ。

ぼくが内のものを嫉妬したのと同じだけの感情を彼女は持っていたのだ。


ぼくは湯殿を出た。

彼女はいない。

彼女はぼくに白い衣装を着せた後、自らの身体を洗うことになっている。

彼女はぼくに洗ってくれたように自らの身体を念入りに洗っているのだろう。

それが何代も続いたぼくたちの習慣になっている。

ぼくの螺旋は濃い。

一人を除けばぼくより濃い螺旋を持つ者はいない。

濃い螺旋を持つぼくは生まれる前から当主と決められていたのだった。

湯殿からお湯のこぼれる音がした。

ぼくは振り向かなかった。


再び迷路の廊下を抜けて大広間に出た。

ぼくは一礼をしてしかるべき席に座った。

一族のものはすべて女だった。

男はいない、ぼくを除いては。

ぼくは一族で螺旋の濃いものであり、たった一人の男だった。

目の前には料理がならべられてぼくに食べられるのを待っていた。

わんの中には特別につくられた料理が入っている。

ぼくは今宵のためにそれを食べなければならなかった。

それがどんなものであろうとも。

それはほんの少しゆりの匂いが残っていた。


ぼくに遅れて能面の女が入ってきた。

ぼくの顔と能面の顔が交差する。

ぼくは軽く一礼をした。

能面の女も軽く一礼をした。

今宵ぼくは彼女の婿になる。

今宵彼女はぼくの嫁になる。

ぼくたちは今宵婚礼の儀式を行うのだ。

女たちも今宵の婚礼を指折り数えて待っていたのだろう。

大広間の中には微かな興奮があった。

婚礼を始めよう、ぼくは言葉を出さずに皆に云った。


しゃんしゃんしゃん鈴の音が聞こえる。

白い衣装を来た女たちが舞っている。

ぼくはゆりの匂いが残る料理を食べていた。

隣の女は能面の下からその光景を見ている。

女たちは次の世代に備え今を舞っている。

長かった冬と短い夏を祈る蝶のように。

ぼくは立ち上がった。

踊り狂う女たち。

みんなぼくの合図を待っていたのだ。

ぼくは隣の女の能面を剥がした。


能面の下はかあさんの顔。

いや違うぼくの顔だ。

ぼくと同じ時に生まれ同じ父同じ母を持つ女の素顔。

一族の中で一番螺旋が濃い女。

ぼくは本能の誘われるままに女の唇を吸った。

女は身を乗り出して唇を与える。

二人の間で息ができないほど激しい接吻が続く。

かあさんもこうしてぼくたちを生んだ。

そしてぼくたちも同じことを行い続けるだろう。

狂宴の始まりだった。


蝶たちの螺旋


狂宴の中で蝶たちは夢を見ていた。

蝶たちは昔星から星を渡る船を持っていた。

安住の土地を求めて蝶たちは星から星にさまよっていた。

そんなとき、この星を見つけた。

蝶たちはこの星が気に入った。

蝶たちはさまざまな地域に降り立った。

星船をばらしこの地で必要な物を創った。

蝶たちは新しい土地で幸せに暮らしていけるものと思っていた。

そのうちに蝶たちはあることに気がついた。

雌の蝶は増えているにも関わらず、雄の蝶の数が減っていたのだ。


最初は誰も気がつかなかった。

そのころは各地に散った蝶たちも多く、原住民との交流も盛んだった。

幸せの虜となり大きな代償を払ったことを気づかずにいたのだった。

誰か一人ぐらいはこのことに気づき叫んだものもいたのかもしれない。

その声も安住の土地を見つけた喜びでかき消されてしまったのだった。

彼らは真実に気づいたときは遅かった。

世代を経るごとに雄の蝶が生まれなくなっていた。

なぜだかわからない。

この星の大気に蝶の螺旋体を阻害するものが含まれていたのかもしれない。

少しずつ雄の蝶は生まれなくなっていった。


まだ星船の技術を残していた蝶たちは原因を探した。

自らの螺旋レベルまで調べてみた。

正常な螺旋運動を続けている原住民を捕らえて実験のためにあらゆる方法が試された。

このとき蝶たちが必死だったとはいえ原住民を実験に使ったのは誤りだった。

この星で進化した原住民と蝶たちの螺旋体には共通点はなかった。

この実験で蝶たちが得たものは原住民の恐れと憎悪だけだった。

これが後世行われる蝶狩りの原因になるとは傲慢な蝶たちはわからなかった。

忌まわしい実験を繰り返す蝶たちをあざ笑うかのように雄の蝶が生まれた。

実験の結果ではなかった。

蝶の兄妹が密かに蜜の受渡しを行った結果だったのだ。


その当時蝶の間では近親婚は禁忌とされていた。

蝶たちは神が創ったものだと神書には書かれている。

神書、それは蝶たちの神が書いたものだった。

神書は蝶の近親婚はいけないことだと諭していた。

蝶は神々を敬い、拝め、そして恐れていた。

蝶たちはこの地に降りるまでは神のいいつけに従っていた。

しかし、今その神々は滅んでしまっていた。

蝶たちの神々は何らかの原因があって滅びたのだと云う。

なぜ神々は滅びたのか蝶たちには知るよしもなかった。

除々に神々は減っていったと云う。


蝶たちは同じ父同じ母を持つ雄と雌との蜜の受け渡しの実験にあけくれた。

実験台にされる二匹の蝶は泣いて抗がった。

二匹の蝶を縄でくくり結合させ、蜜の受渡しが確実になるようにした。

雄の蝶は蜜の受渡しが終わると拒絶反応を起こして死んだ。

しかし雌の蝶は死ななかった。

当時を知るものがいないからどのような手段で雌の死を救ったのかわからない。

雄の螺旋体が雌を守っていたのかもしれない。

しばらくして雌の蝶は二つの生命を生んだ。

雄の蝶と雌の蝶だった。

この瞬間、蝶たちは進化の袋小路に入り込んだ。


近親婚で蝶たちは雄を獲得した。

雄は生まれなかった方が幸せだった。

蝶たちは味をしめて更に改良を加えた。

近親婚の実験に力を入れた。

実験を繰り返す。

実験の結果同じ螺旋体を持つ蝶が最も雄を生みやすいことに気がついた。

蜜の受渡しで雄が死ぬことがわかっていても次代に雄が生まれればなんとかなる。

蝶たちは近親婚を繰り返していった。

そして時代を経て近親婚はあたりまえの習慣となった。

最後は同じ時間、同じ母、同じ父の蝶でなければ雄は生まれなくなっていた。


近親婚の結果蝶たちは簡単に雄を獲得する方法を見つけた。

いいことだったのか。

悪いことだったのか。

蝶たちにはどうでもよかった。

雄が生まれればそれでよしとした。

一度近親婚を行った雄はその日の内に死ぬ。

それでもよかった。

同じ日にできる限り他の蝶にも蜜の受渡しを行う。

雄の蝶は次代を作る。

一番血が濃い雌の蝶にだけ雄は宿ることができた。


蝶たちは神書の言いつけを破り近親婚を行い続けた。

近親婚はいけないことなのか。

なぜいけないのか神書には書かれていなかった。

蝶たちはそのわけを知らなかった。

蝶たちは掟破りの兄妹が雄を生んだことに目をつけた。

兄妹は雄の蝶を生まなければよかった。

そうすれば蝶たちの間で近親婚は行われることはなかった。

蝶の螺旋体にも変化があらわれいつかはこの星に適合する蝶もあっただろう。

閉じられた螺旋はいつまでたっても変化がない。

蝶たちは神々と同じ道を辿ることになった。


今も雄と雌の蝶の狂宴は続いている。

白い蝶が狂ったように舞っている。

白い蝶が大広間にたくさん舞っている。

一匹の雄の蝶のまわりにたくさんの雌の蝶が群がる。

群がる雌の蝶は甘い蜜を求めさかんに一匹の雄の蝶の蜜を吸う。

雄の蝶は甘い蜜がすべての雌に行き渡るように飛び回っている。

雄の蝶は精いっぱいの羽を広げ蜜を出している。

それが雄の生まれた意味でもあり、ただ一つの使命でもあるかのように。

蝋燭の火は妖しく燃えていた。

夏の夜は長く蝶たちの狂宴は続いていた。


夢のはて


故郷を去ったのは赤子のころだった。

ぼくはかあさんの手にひかれて故郷を去った。

かあさんは白い和服でぼくを背中におぶって外に出た。

ぼくは精いっぱい泣いた。

そのときのぼくには泣くことが抗議の手段だったのだ。

ぼくがいくら泣いても故郷は去っていった。

故郷が去っていくのではない。

ぼくが故郷から去る必要があったのだ。

故郷にいれば成人を迎える前にぼくは死ぬ。

ぼくが雄だからだ。


かあさんはどんな気持ちだっただろう。

ぼくのためにかあさんは犠牲にならなければならなかった。

かあさんは一度も故郷からでたことがない。

かあさんはぼくのために人の中で暮らさなければならなかった。

辛かっただろうぼくは思った。

ぼくでも外で暮らすのは辛い。

ぼくが内で生きていけることができないとわかっていても外は辛い。

かあさんは濃い螺旋体を持っていたからだ。

濃い螺旋体を持つものは雄を生む。

かあさんは次代を生む必要があったのだ。


ぼくはかあさんから一度も愛されたことがなかった。

ぼくにはかあさんは辛くあたっていた。

手も握らしてくれなかった。

言葉もかけてくれなかった。

もっともかあさんとぼくの間には言葉はいらなかったのだけど。

それでも声をかけてほしかった。

それでも手を握りたかった。

ぼくはかあさんには優しくしてほしかった。

ぼくの命がつきようとも。

かあさんが生きている間に愛されたかった。


ぼくはかあさんの愛に飢えていたのだ。

ぼくは次代の父になるものであってもかあさんの愛情に飢えていた。

ぼくはすべてのものに愛を伝えるものにならなくてもよかった。

かあさんの愛さえあればよかった。

ぼくはかあさんの唇を狙った。

かあさんははっきり拒絶した。

人間と云ってぼくをののしった。

ぼくはかっとなった。

かあさんの細い首に手をかけた。

かあさんが初めてぼくの前で微笑した。


かあさんの笑顔が見える。

かあさんの声が聞こえる。

かあさんが薄目をあけてぼくを見ている。

ぼくの手はかあさんの細い首に力をこめる。

かあさんが笑っている。

今まで笑ったことのないかあさんが笑っている。

ぼくはかあさんの笑顔に吸いつけられている。

更に力をこめて首をしめた。

かあさんぼくをわざと怒らしたね。

冷たくなったかあさんを見て気がついた。


かあさんの唇にぼくの唇を重ねた。

その日ぼくは死ぬことはなかった。

死者との接吻は死ぬことがないのだった。

かあさんはぼくが死なぬようにわざと怒らしたのだった。

ひどいよかあさん。

ぼくはかあさんの愛があれば死んでもよかったのに。

ぼくはかあさんの唇をあわせた。

涙はでなかった。

次の日ゆりの花をかあさんのために買った。

故郷にかあさんが死んだことを連絡した。


今かあさんの口にはとうさんが入っている。

ぼくのためにかあさんはとうさんと蜜の受け渡しをしている。

とうさんは必死だった。

一人でも多くの雌に自分の蜜を与えなければならないからだ。

蜜を与えた後とうさんは死んでしまうのがわかっているからだ。

死んでから、とうさんはかあさんたちの口に入る。

とうさんはやがてぼくたちの肉になるのだ。

とうさんの母親はとうさんの肉となったように。

今、ぼくの身体にとうさんの肉がとどいた。

どうやらとうさんは役目を終えて死んだらしい。


ああそうだ。

さっきから変だと思っていたら、ぼくはまだ生まれてなかったのだ。

ぼくはとうさんの記憶を覚えていただけだったのだ。

とうさんだけではない。

かあさんの記憶も覚えている。

今までのことはすべて螺旋体の記憶だったのだ。

ぼくは形の定まっていないもう一つの螺旋体をみた。

この螺旋体は妹になるものだった。

ぼくの妹はどんな夢をみているのだろうか。

ぼくもかあさんの中でしばらく夢をみることにしよう。


やがて来る日まで・・・・・・


その三 夢幻城の戦い

山から、黒牛と青年が降りてきた。

付近で農作業をしていた民が一斉に恐ろしそうに見た。黒牛が怖いのではない。乗っている青年に鬼気迫るものがあったのだった。

青年は白い衣装をまとい、顔も白く唇だけが異様に赤い。 近づいてみると白いはずの衣装に血の臭いがすえて漂ってくるのがわかる。生前狗だった民たちは鼻が効く。

青年の血の臭いに興奮し、次に怯えているのであった。

「どこにいきなさる」鍬を持つ村の長老が青年に聞く。 その声はやや怯えているものの、長老であるだけに、村を代表するだけの度胸は据わっているのだろう。眼光はどこか鋭かった。

「夢幻城へ」青年は長老に答えた。

「やめなされ、やめなされ、おまえさんが夢幻城に行くと皆が不幸になる」老人はそう言うと牙をむいて、襲いかかってきた。 それを合図に、昔、長老が狗のリーダーだった頃の習性か、城主を慕う心か、それとも怯えた狗の最後のあがきか、村人が一斉に牙をむいて襲いかかる。

黒牛が歯をむき出していななく、襲いかかる民の一人に蹴りをいれる。

狗が威嚇のうなり声をあげ、牛に乗った青年にも民が襲いかかる。

剣が民の身体を一閃する。

きらり、太陽の光を浴びて、狗の民の身体が真っ二つに割れ、あたりを血の噴水にかえ、地面が染まった。それでも民が恐怖にかられ襲いかかってくる。

青年は、衣装を血に染めながらも、民を一人一人葬っていく。なぜか黒牛には、血がかからぬように避けているように見えた。

そして最後の一人が、青年に最初に声をかけた長老だけが残った。

「夢幻城はどこにある」

「誰も知らん」

「知らないはずはないはずだ。お前は長老、少なくともこの狗どもの親分だろう。以前は城主とも知り合いだったはずだ」

「おまえさんが夢幻城に行くと皆が不幸になる」長老はそういうと自分の腹を裂き、黒牛に血を浴びさせ果てた。

黒牛はこきざみに身体を震わす、何かに耐えているように見える。 血に染みた黒牛の口から二本の牙が生える。肉食獣のくぐったうなり声が間ごえてくる。

青年は牛の名を呼び、血の匂いをかぎ興奮する牛の首を叩いてなだめた。 そして地面に横たわる死骸を見て、青年はいずことも知らぬ夢幻城に向かったのだった。


ここは夢幻城。一人の少女が窓際に腰掛けている。その少女は透き通った肌を持ち、 つややかな長く延びた黒髪、黒いどこまでもすんだ黒い瞳をしていた。少女は、 物語の姫君そのもののようで、可憐で清純でそして美しかった。 男はいつもならこんなに美しく綺麗に作り上げた少女を見て喜ぶところだが、 今日ばかりはそんな少女を見れば見るほど、痛ましげに思えるのだった。

そんな少女を見ながら、男は悩んでいた。 こんなことなら目の前の少女は男の理想像に近く少しでも外を見せたいと思った親心の表れとは言え、 こう天守閣から見晴らしのいい窓辺に置いたのは間違いだった。 少女の場所から城下が見えるということは同じく城下からでも少女が見えるということだった。 つまり少女といつも一緒にいる男の場所が青年にわかってしまうということであった。


「父上、なぜわたしが隠れなけれぱならないのですか」男が窓辺から天守閣の奥に少女を移動させるとき男の苦渋を知ることもなく、 少女は普通考える疑問を美しい瞳を向けて男に聞いているようだった。

「私たちのために、今回ぱかりは父のことを聞いてくれ」男は、少女に尋ねられたならこう答えるつもりだった。

「嫌です。父上。いつもなら私が少しばかりの悪さをしようと放っておいてくれるではないですか。 それが何故今日ぱかりは天守閣の奥へ行けと言われるのです」少女は口を動かすことなく聞く。

「それは……」男は少女を抱きしめ少女の重みを感じた。若さを宿らせた少女とは別に老いの皺が浮き出て、 男の顔から汗がしたたり落ちる。このところ男はろくに満足な眠りについていないのである。 寝ると夢を見、そして目覚める。そして叫び声をあげては、夢に落ちるといった具合である。

そんな男の苦労を知ることもなき少女は怒っているように見えた。男は夢幻城の主である。 今まで男の思い通りにこの城は成り立ってきた。それが、昔の過ちが今ごろになって襲いかかってくるとは思いもつかなかったのであった。

城門が見えるところで、男は頭を押えてうめいていた。

「許してくれ」男はどこにいるかわからぬ天に向けて謝った。しかし天は何も答えることもなく、青々とした空が広がっているだけだった。



あの呪わしき日、まだ夢幻城主にもなっていなかった頃、黄金を掘りにでかけた。 夢幻城下の民にとって、黄金は力でもあり、強さでもあった。 男は、その頃何もなく、ただ力だけがあればよいと思って、神でも悪魔でもなんでもいいから魂と引き換えにしてでも、 黄金を欲しがっていた。そして、長い探索の結果、噂で黄金がわいているという泉の存在を知った。

男は、長い年月をかけて黄金がでる泉にたどりついた。 そして泉を探していると、森の奥深く清らかな泉がわいているそばで女同士が性の限りをつくしているのを目撃したのだった。 男は驚愕した。なぜなら男は多少他のものより秀でているものがあったとはいえ、 しょせんどこにでもいる男で、女同士の恋路を見るのも初めてであり、彼女たちの邪魔にするような勇気はなかったはずであった。

しかし、そのときの露を含んだ樹々の下、あの女同士の交わりの末、彼女たちが生み出すものを見て、 男はどうしてもそれが欲しくなったのだった。彼女たちが交わって作っているのは、男が長年捜し求めていた黄金であったのだ。 黄金は泉から出ているのではなく女たちの秘所から黄金が滲み出していたのだった。 黄金の愛液がぽたりぽたりと落ちていく。黄金は、種となり、胞子となり、空気となってあたりの一面の雰囲気を変えていく。

男は溜まらなくなった。男は抱き合っていた年かさの女の頭を大石で砕くと、 若い女に馬のりになった。男は思った。若い女の肌がいけなかったのだ。身なりこそ簿汚れていたが、 目前の女は吸い付きそうな肌と魅惑的な瞳を持っていたのが悪かったのだ。女に抱かれるふりをして、実は男を待っていて、 男を誘っていた。そして邪魔な年かさの女を殺すために男の見えるところでやっていたのだ。そうして男は若い女をものにしてしまったのである。

「この子が成長したときあなたの城を貰いうけます……あなたの城を貰いうけます」男女 の営みが終わった後、若い女は下腹を押えて恨みごとを言った。下腹部からはきらきらと 黄金がわき出ていた。男はその黄金のほとんどを飲み干し、力とした。だが、女の奥深く にも黄金が残っていたとしたらどうなるであろう……。



あのとき女に、あの鋭い眼でにらまれたのは覚えているのだが、そこから先のことは覚えていない。 気がついたときは身体中黄金だらけになって、狂ったように歩いていたと言われている。

その後、少し寝込んだものの、男は一人の女を殺し、一人の女を犯したことなど、若き日の過ちとしてすっかり忘れていた。 しかし、このところ毎夜毎夜見せつけられる悪夢が、あの日のことを昨日のように思い出させたのであった。 さらにその悪夢にはおまけがついていたのだった。昔の出来事を思い出させるだけではなく、この夢幻城が焼け崩れるさまが眼について離れない。

金でやとった赤蟻隊たちの悲鳴が聞こえ、夢幻城門には二つに裂けた素々たる屍が重なっている。 これから夢のとおりなら、城内には四肢のない血まみれの死体が散乱するはずであった。それからのことは……。

「そんなはずはない」あまりのおぞましさに男は苦いものを噛んだように吐き捨てた。


城主の男は夢を見ていた。黄金を首尾よく手に入れたと思ったら、黄金になるはずが赤い蟻に代わり、 身体の中には入り込み、食い破っていた。むずがゆい痛みはある。最初は黄金を持った手のひらが食い破られ、 そこから中に入っていった。そのときに、手の一本や二本切り取ったところで、すぐに再生してこよう。命には別状がない。

だがこうも身体の内から蟻に食われているということになってしまってはいただけない。 自分の体を糧に赤い蟻が巨大な塚を作ろうとしている。一つ一つの細胞に一匹一匹の赤い蟻が入り込み蝕んでいく。

溜まらなかった。気持ち悪い。そんなことも思っていたが、それも他人のような感覚で、 どこが遠いところから眺めているようであった。遠いところから蟻にたかられた姿が見える。 眼球や、口、耳から赤い蟻がぽろぽろ落ちるのが見える。もうだめかも知れないな。 そんなことも考えていた。身体中に赤い蟻がはっているのだった。目覚めると蟻がたかっているかのように全身から大量の汗が吹き出ていた。


城から、わらわらとでてくるのは今回だけのために夢幻城の城主に黄金で雇われた兵たちであった。 彼らは赤蟻隊と名乗っているものたちで正規の兵はいない。 今まで父親が美しい少女との二人だけの生活を夢見、男以外の人間をこの城に作ろうとは考えなかったのだ。 それがあだになった。頑丈無比な夢幻城に立てつくものはいなかったこの世界で、 唯一血をわけた青年だけが男の城を崩壊しうる業を持っているとは、城を作った当初男は何も考えてはいなかったのだ。

城門でお互いを怒鳴りあう声、剣と剣が激しく打ち合う音が響く。 青年がとうとう夢幻城を見つけだし、城門まで入ってきたのである。黒牛に乗った青年は威嚇の咆哮をあげた。

「邪魔だ」黒牛に乗って青年は、剣を振り上げ、城を無茶苦茶に潰していく。 赤蟻兵は悲鳴をあげる間もなく、青年に切り殺され、城門には首と胴が切断された死体が延々と積み重なっていくのであった。


少女が閉じ込められた天守閣の奥からも赤蟻隊の雑兵の悲鳴は聞こえてくる。 少女のいるところまで血の匂いがするようだ。少女は血があまり好きではない。 男が少女のために家庭料理をつくってやったことがある。そのときに誤って男は指先を怪我してしまった。 その時男が傷口から珠となった血を少女の口に持ってこさせ、飲ませたのである。今だにその跡が唇についたままである。

そのとき少女にほんの少しだけ感情が生まれた。それ以来少女は血を見るのも血を流すのも嫌になったのだった。 これ以上血が流れるのが嫌だったので、せめて、男が精魂込めて作った自分ならその清純さ美しさで、 青年の気がかわり復讐を止められるのではないかと思い、男に窓辺で置いてくれるよう願った。 だが、少女の願いは届かず男は少女を天守閣の奥に置いてしまったのであった。

男は血が出るまで爪を噛んで、この度の戦いのこと、 過去に何をしたのかと思い出し部屋の中を檻に閉じ込められた野生動物のように行ったりきたりした。 何故自分だけがこんな目に、外では血を血で洗うようなことが起こったのか、どうしようもなくいらいらしていた。

今まで何の不自由もなく美しい少女と語り、暮らしていたのに、 こんなにもあっけなく平和だった夢幻城の生活が崩れるとは男には夢にも思わなかったのだ。


城門を突破し、城内に人った青年は、雑兵の返り血を浴びて白い服も真っ赤に染まっていた。 あの黒牛でさえ真っ赤な牛となり、口からは巨大な牙が生えていた。

「くそ! 男はどこにいる」青年は大声をはりあげる。 気の弱い兵ならばその声を聞いただけで失神するほどの大声であった。 だが感情を持たない赤蟻隊は象に集う蟻のように黙々と青年を取り囲んで行く。

「こんなことってあるのかっ」青年はまたもや叫んだ。 その声は、怒りと赤蟻兵に阻まれ思うように進むことのできない自分の苛立ちを含んだものであった。 この城に入ってからは勝手が違った。城内に入ってからは、赤蟻隊の抵抗がますます激しくなり、 青年も少しずつだか着実に傷が増えていくようになっていった。赤蟻兵の一人が斬られると赤蟻兵が一斉にむかってくる。 槍と刀を構えて、青年に突撃していく。

青年は吠えた。赤蟻兵たちに吠えたのではない。この呪わしい夢幻城に向けて吠えたのだ。 そうすることで、夢幻城主と男の愛するものの居所がわかるかと思ったのだ。たくさんの赤蟻兵が一斉に突っ込んでくる。


青年がやられそうになったところに、あの牙の生えた黒牛が飛び込んできて間一髪のところで青年を助けた。

「大丈夫か」青年はそう言うと牛にかけよった。

牛の首からはどくどくと血が流れている。

そして青年の日に血を飲めというように擦りよせてくる。

「やめてくれ、おまえの言いたいことはわかる。だがお前の血を飲めばぼくまで鬼になってしまう。 今はまだこのままでいたいのだ」青年は涙を浮かべて、荒々しく息を吐く牛の首を持って横たわらせた。

それでも牛は最後の力を振り絞り、青年の口元へ牛の首筋を持ってきた。 牛はどうしても血を飲ませようとしているらしい。そして青年の悲願であった夢幻城を、牛に宿った鬼の血で落として欲しかったのだ。

「わかったよ」青年は牛の首筋からごくりごくりと血をすする。青年から肉食獣のうちくぐった声が漏れる。

「くそっ、もっとだ」青年は白い歯で、牛の首をかじる。生媛かい血が肉が骨が、どんどん胃の中へ人り青年のものになっていく。

「痛いよ、痛いよお、痛い、痛い、おまえの痛みが中にはいってくる・・・・・・かあさん」青年がいるはずのない母親を求め、 うめいた。全身からみしみしという筋肉の音が聞こえてくる。そしてやがて額かち大きな角が一本生えてきた。 牛は、その生命の象徴であった鬼の牙がなくなり、ただの牛としての死を迎えたのだった。

牛の超人的な力は、元は人間であった青年の肉体に宿った。

「かあさん、牛の力がぼくの中にはいってきた。こんなにも力が溢れてくる」傍に通りかかった赤蟻隊の一匹を、 両手で引きちぎる。赤蟻隊の血が噴水となって天井まで飛んだ。

それがきっかけになって、戦いが再び行われた。今度は青年のようすが変わった。 人間としての終わりを迎え、最後の頼みの綱であった牛の血を飲んで、青年は今や無敵になった。 赤蟻隊の数にやや圧されぎみだった青年が、その数をものともせずに突進していく。 今や赤蟻隊は蟻塚に水を注ぎ込まれた蟻のように崩壊していく。城にへばりつく血潮は、集まって河のように流れていく。

「とうさん、やってきたよ」ついに青年は、天守閣までやってきて、扉をあけた。 ここにはもう赤蟻隊はいない。いるのは男と少女だけだった。青年は知っていた。 ここ奥の院こそこの男の最後の砦であり、何者にも踏み込まれたくない最後の聖域であったのだった。

最後の砦にはいくつもの結界や罠がしかけられているはずであった。 以前の青年なら難儀したものであろうが牛の血を飲み、肉を食べ、骨を齧った青年は無敵だった。 今、天守閣の奥には野獣を見るような目で見る夢幻城の城主つまり青年の父親である男と、 男が出しうるだけの金と最高の技術力に作らせた少女の姿をした人形しかいない。男の夢には生きている人間は必要としなかったのだった。


怯えている男の前で青年はゆらりとやってきた。

青年は人形の少女に近づき、「かあさんに似ている」と言い、白い陶器の頬をさわった。 男が刀で青年に切りかかろうとしたが、青年は経穴を瞬時にみきわめ強く押した。 そのとたん男は指一本ですら自分の意思で動かせなくなった。

「ちょっと待っていてね」とつぶやき、少女の唇に軽く接吻をした。 初めて男以外のものから唇を奪われた少女を見て、男は悔しさで涙した。 汚らわしい青年に愛すべき少女をさわられるのなら、見ない方がいい。

今男は身動きが取れない分、意識は鋭敏になり、 男の支配する夢幻城で何百匹の狗や何千匹の赤蟻が死んだのかわかるほど血潮の匂いまでかげるようになっていた。 そして、その大虐殺を起こしたのが、今目の前にいる青年であり、 それよりも男の心を悩ませたものにはこの青年が男と同じ匂いがしていたことだった。


「夢幻城城主……いや、とうさん、逢いたかったよ」青年はにこりとして笑う。 だが男はその笑いを見て凍りついた。その笑顔は春の陽射しのようではなく、 凍てついた氷の表面のように張り詰めて一言の弁解を許されるものではなかったのだった。

「なぜ、こんなことが起こるのだ」

「忘れたの」青年は一瞬無邪気な顔をして笑った。顔中、 身体中血まみれでいるだけにその無邪気さがより一層棲惨なものに思えた。

「昔、かあさんを抱いたのだね」青年はちらりと少女を見て言った。 少女が母親に似せて作られているのを見るためだ。人形の少女は瞬き一つすることなくこの異常な光景を見ている。

「知らん、そんなことを知らん」

「嘘ばっかり」青年は笑い声をあげた。

「それじゃどうしてぼくが生まれたのだろう。ぼくは木の股から生まれたことになっちゃうよ」

「おまえなんか知らん」

「あなたはまだ簡単には殺さないよ。本当なら理想的な黄金の世界が別の形で生まれるはずだったのに、 あなたの自分勝手な欲望でその世界を破壊した。あなたの行いは許されるものではないよ。 今からぼくがかあさんたちに代わってお仕置きしてあげるよ」

枯れ枝が折れるような音が聞こえる。二人しかいない城内に悲鳴がこだまする。男の指を青年が折った音である。

「それぐらいで悲鳴をあげちゃあいけないよ。お仕置きははじまったばかりだ」青年は少し嬉しそうにちろりと赤い舌を舐めた。 青年の舌は毒々しい血の色だった。


これで何度目の悲鳴が城内が響いただろう。一本一本の指の骨を砕かれた男は悲鳴をあげすぎて声もすでに枯れている。

「ぼくがどんなに苦労したか間いてもらわなくちゃならないのだもの」青年は持っていた刀で、わざと折れた指の痛さがますように切った。

そして人形の少女の口に押し込めようとする。ガラスの瞳に一瞬動揺が走ったかのように見えた。 人形の愛らしい唇が嫌というように口をすぼめ、青年が指を押し込むのに手間取る。 だが青年は人形の少女の体内に入るまで指を口の中に押し込んだ。少女の唇には血がついている。 青年が少女の口に入れるときに瞬きすることのないガラスの瞳にも血がついた。それは男の肉を食べさせられて泣いているように見えた。

「辛いだろう? ぼくの辛さはこんなものじゃなかった。ぼくはね 、かあさんが死んだときにかあさんの肉を食べたのだよ」青年は昔を思い出すように語った。

「本当にかあさんの肉なんか食べたくなかったのに、かあさんの恨みを知るために食べさせられたのだよ。 それでかあさんは、かあさんの辛さ、衰しみ、不幸のすべてをぼくに押しつけようとしたのだよ。 酷いと思わないかい」今度は男の親指を切断し、自分の口に放った。

「とうさんの肉は、かあさんのと違っておいしいね。苦労という味がしない。 ずるいよとうさん、かあさんやぼくが苦労している間にこんな幸せなことをしていたのだね」


「人間じゃない」男は、化け物を見るような眼で、指を喰らう青年を見ている。

「そうだよ。とうさん、ぼくはもう人間じゃないのだよ」青年は、頭に生えた角を見せた。牛を食べたことで生えた角である。

青年は少女に男の肉を食べさせたが、自分は一度しか男の肉は食べなかった。 少女は肉を口に入れられる都度抵抗した。そのたびに青年は優しく、だが強引に男の血肉を少女に食べさせた。 それからまた焼けた鉄の縄で男の身体中をうちすえた。 身体についた縄の跡にそって、首のつけねから切り裂き、皮をはいだ。全身からじわりと血が吹き、男は激痛で悶えた。

青年は少女の衣服を剥ぎ、代わりに男の皮をかぶせた。すると男の皮は、少女に張りつき陶器の肌が、 血肉を持った本物の肌になった。人形だった少女の変化はそれだけにとどまらなかった。 青年が父親の血や肉や骨を少女に食べさせると、少女の表情のなかった顔に感情がやどっていく。少女は人形から人間になっていく。

男の手足の肉がすべてなくなり、胴体だけの存在になったとき「おとうさまっ」人間になった少女がついに叫んだ。


「とうさん、今度はあなたが見るほうだよ」少女が人形から人間になると青年は男に言った。

男は胴体だけになったもののまだ生きている。夢幻城では意識さえしっかりしておけば、死ぬことがないのである。

青年が少女の秘所に手を入れた。

「いやっ」少女はあらがった。

「そんなことを言っていると痛い思いをするよ」青年は全身の力をこめると一瞬にして青年の筋肉が盛り上がり、 青年の衣服が破れ壁にまで飛び散った。全裸になった青年と少女は、何もできない男の目前で抱き合った。 抱き合う姿を見て、男の男根がぬえぬえと勃起していた。

「産むんだよ! 産むんだよ! 産むんだよ! ぼくたちの子供を」青年は泣き笑いながら少女をいつまでも犯し続けた。



「うそだっ、こんなことがあるはずがない!」私は叫んだ。

「そうだよ。こんなことはあってはならなかったことなのだよ」どこからか声が聞こえる。それはあの青年の声に似ているようだった。

「あなたは地球でごく普通の人間として一生を迎えるのがよかったのだ」私が黙っていると声が流れるように聞こえてくる。

「あなたがこの星に種子を蒔くのは間違いだ」

「それは警告か?」私は電波を出してその声に応答した。どうやら私はこの星の未来と話しているようだった。 超異空間航空している間に私は未来の惑星の意志と話しているのであった。

今私は思い出した。昔、私は昔偉大な人間であった。 私の言うことを聞かぬわからずやどもが人類の総意とかいう言葉で私を無理やり改造し、宇宙船に乗り込ませ、有機脳として追放した。 そして宇宙船のコンピュータが補助できぬ領域まで私は眠り続け、その何かが起こったとき目覚めるように設定されていたのだった。 それが長い間かかって今未踏の惑星に踏み入れるまで有機脳の私は眠っていたのだった。

「警告だ」未来の惑星の声は反応した。

「あなたはこの星の父になるには傲慢すぎる」

「ええい、黙れお前の指示など受けない」私は未来の惑星に攻撃した。超異空間航空は終わり、私と未来の惑星の声との通信は途切れた。


目の前には美しい惑星が広がっていた。有機脳は探索の準備をした。宇宙船を降ろそうとし大気圏に突入した。

びりびりと宇宙船に振動が走る。宇宙船が大気圏に入る間小さな塵や石の衝撃があった。

有機脳は指令を出し宇宙船から生物が誕生すべき種子をまいた。同時に一人の男が女を

犯している映像が頭の奥で見えた。有機脳は寝ぼけてこの惑星の未来との通信することで、夢幻城の戦いを象徴的に夢見ていたのだった。

宇宙船に積み込まれた種子を蒔くことで、惑星の現住種はほとんど絶滅し、私の種子はこの星にねづくだろう。 やがて私はこの星の主になり、将来、私の種とこの惑星の現住種が混じった新たな新種に象徴される青年-この星の未来に復讐されるのであろう。

それでもいいそれまでしばらくわたしは惑星の主になろう。


こうして有機脳である男は、処女惑星である女を強姦したのだった。