第一章 太陽系のトラブルバスター編

第一話 宇宙を駆ける派遣社員、誕生!

 稲葉小僧

時は未来、所は宇宙……

これは、そんな時代と場所の物語である。


宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である……

しかし、そんなものは今はもう無い。

少なくとも、この太陽系宇宙に関しては。


外惑星系と内惑星系を結ぶ圧縮空間ゲートが火星と木星の間のアステロイドベルトに設置された。

それからというもの危険なアステロイドベルトに突入すること無く地球や(当然テラフォーミングされてる)火星から直行便が木星や土星、天王星、海王星、それを超えてカイパーベルトにまで進出するようになって数世紀……


現在じゃ太陽系に人類以外に文明を作るような知的生命体はいないことが確認されている。

まあ、生命体そのものは、うじゃうじゃといることが確認されてもいるんだが。


地球や火星の首都へ行けば宇宙動植物園の広大なエリアに、地球や火星を含め太陽系の各惑星・衛星に棲む生命体の展示室が、ずらーっと並んでいる。

酸素呼吸生命体だけじゃなくメタン呼吸生命体、真空中でも生存できる無呼吸生命体(ごく少量のエネルギーだけで生きていける無機生命体の総称)の奇妙な動植物? 達が生存に適した環境にあるエリアで生活している状況が見られるだろう。


あ、今、首都と言ったが地球も火星も統一国家である。

一応、情報は瞬時にやりとりできるが物理的に距離があるため、地球と火星に首都が一つづつあり、そこで惑星毎の政治・経済処理を行う。

意見の統一やトラブルの解決などは地球の月に建設したルナシティの太陽系最高評議会が一括して行うことになっている。


現在は木星のエウロパと金星のテラフォーミングに力を注いでいる状況。

面白い事に現在の太陽系文明は市民に宇宙へ出ることを奨励している。

スローガンは、


「狭い地球にゃ住み飽きた! 青少年よ、今は宇宙の時代だ! 」


まあ、各惑星の植民も、テラフォーミングも、完全に手が足りない状況なのは確か。

惑星開拓ロボットは数多く投入されているが、そのロボット集団に指示を出したり、通常と違った状況になった時に臨機応変に指揮をとれるのは人類だけなので、手足はあるが頭が足りない状況なわけだ。


さて、今現在、こう語っている俺は40歳独身、零細企業の派遣社員だ。

今の太陽系文明の発展状況と俺自身の状況と比べると一気に数10世紀も過去に戻って伝説の貧困時代、21世紀のブラック企業に勤めてるサラリーマンの気分になってくる。


しかし、落ち込んでもいられない。

社会の経済状況が、落ち込んで引きこもるなどと余剰人員の発生を許さないからだ。


人間は(サイボーグ、エスパー、超天才などの社会的エリートも含めて)その身体的・精神的能力を発揮して社会の役に立たねばならない。

これが今現在の統一太陽系国家の統一国家規定であるからして俺のような普通の能力、普通の才能しか無い人間にも半強制的に仕事は与えられる(まあ、エリート達と違い、そこまで難しいミッションではないが)

今日も今日とて精神的疲労を休日に癒やすことも出来ずに、勤めてる会社事務所へ久しぶりに顔を出す。


「おはよーございまーす。お久しぶりでーす」


俺の気のない挨拶に事務所内からパラパラと挨拶返しが来る。

所長が俺に気がついて声をかけてくる。


「やあ、おはよう! 楠見くすみ君! 先だっての火星企業からの依頼物件、なんとか終了したらしいね。ご苦労様」


あ、忘れていたが、俺の名前は楠見くすみただす

所長の言ってた火星企業からの依頼物件というのは、火星の月(フォボス、ダイモス)の植民計画のこと。


簡単な仕事だからと言って半年契約で行ってみたら、なんのこたーない、トラブル頻発! 

連続徹夜でトラブルの原因究明と根本解決を行い、ようやく植民計画に目処めどがついた為、契約を半年間延長した一年間の仕事が終了して地球へ帰ってきたのだった。


「はい、何とか植民計画も順調に動き出しました。以降は、たいした問題は出ないと思いますよ」


もう、この仕事はごめんです! 

という気持ちを全面に出して、契約完了を宣言する俺。

これだけ働いたら少しは長期休暇も良いだろうと思いながら、所長に切りだそうとすると……


「あー、疲れているとこすまないけどね。楠見くすみくんの今回の仕事結果を見て先方から、ご指名で長期契約したいと言ってきてる企業があるんだ」


うわ、今の状況で、ですか。

いやーな予感がするけれど、でも仕事を選べる立場じゃないしな……


「えーと。どこの企業ですか? 地球なら、どこでも行きますけれど。正直、もう火星企業は当分の間、勘弁して欲しいと思ってるんですよ」


そう俺が言うと所長は、にやーっと黒い笑みを浮かべながら、こう言った。


「安心したまえ。火星企業じゃないよ。かと言って地球企業でもないが、ね」


うわ! 

嫌な予感がひしひしと……


「君をご指名してくれているのはね……なんと! 今、話題の的! 木星企業なんだよ! 」


ああ、嫌な予感が的中した。

木星本体からの資源採取、衛星エウロパのテラフォーミングや、衛星イオ、ガニメデ、カリストからの資源採取など大型プロジェクトがいくつも動いているネットニュース話題の企業だ。


だけど実際には火星と同じでトラブル続きのため、プロジェクトがそこかしこで止まっているらしい。

それで火星でトラブル解決した実績が評価されたか……


ご指名は嬉しいが、行くにも帰るにも大変な距離と時間、そして、これが肝心な「金」がかかる。

大金持ちならともかく俺ごとき貧乏サラリーマンが木星へ行こうとすれば、とてつもない金額を払って長距離定期航路を往復する貨客船で数週間から一ヶ月近くかけて出向くこととなる。

帰りも同様だ。


問題は出向くときの交通費は満額出るが、帰りの交通費が……

いや、向こうさんからは出るんだ。


しかし、俺の勤めてる零細企業は帰りの交通費の払いが渋い。

なんとかして払わずにおきたいとしているようだ。


まあ、いわゆるブラック企業なんだが、今どき、こんなことくらいで労働組合も動かない。

昔は労働者の味方だったらしいが今の時代では労働組合は立派な大企業! 


あちこちの企業に資金を融資したり大型プロジェクトに合同企業として名前を連ねたりする。

このような大企業は昔の農協も同様だ。

農業協同組合なんて名前はどこへやら、貸付、融資、銀行業務と大企業どころじゃない資金力を背景として巨大企業に成長した。


閑話休題それはさておき

とりあえず、一年の長い契約を完了してきたため、4日間の休暇は確保した。


所長は、すぐにでも木星へ行って欲しいようだったが、あまりに派遣社員使いが荒いと統一国家社会労働委員会に訴状出しますよ、と言って脅し、最低限の休暇だけは確保したのだ。

俺が出した名前の機関は給与が少なすぎたり、あまりに過酷な労働条件の場合には実力行使で企業に是正させるという情け無用の組織である。


そのおかげで俺もこんなブラック企業まがいの零細企業で、それなりの給与は貰っているわけだが。

狭いながらも楽しい我が家。


俺は、久しぶりに帰ってきたアパートに荷物を置いて一息ついた。

一年も帰ってこないアパートに未練なんかあるのか? 

と、火星で仕事やってる時に聞かれたのだが、やはり俺は地球生まれ。


オートクリーナー設備のため、ホコリ一つない、けれど、どこかくたびれた感じのするアパートで、まずは一眠り。

数時間寝て、なんとか体調も元に戻ったので、俺は趣味仲間の一人に連絡する。


俺の趣味、それは、宇宙ヨットである。

世は宇宙時代。一般市民にも、ちょいと手を伸ばせば中古の宇宙ヨットなら手に入る。


宇宙ヨット、それは薄い金属箔と、それに層を重ねた光発電システムを貼り付けた広大な帆を数千本のロープで結びつけた船……

というか、個人用だと「棺桶」とか失礼な事を言われる。


まあ俺のような一般市民の貧乏サラリーマンが買えるような中古の個人用宇宙ヨットじゃ、本当に棺桶の形してるけどね。

性能は良いんだぜ。

一人用だとヨット本体が軽いから地球近傍空間からの発進でも太陽風の加速力が凄い。

帆で発電もするから、一人用なら生活も生存も充分にまかなえる。


ちょいと昔の地球近傍空間だとデブリ(宇宙ゴミ)が多すぎて、あちこちで帆を破られる宇宙ヨットが続出していたらしいが、今じゃ宇宙塵くらいの大きさでも回収してリサイクルするシステムが完成している。

アステロイドベルトの圧縮空間ゲートさえ通れば宇宙ヨットでも太陽系を周回することなど簡単だ。


危険宙域はカイパーベルトくらいのものかな? 

連絡をとれたので俺の宇宙ヨットはどうなっているのか聞いてみると、ちゃんと整備も済ませてドックの一画に置いてあるとのこと。


一安心した。

と、唐突ではあるが木星まで行く良い方法を思いついたので友人に相談する。

ちょいと知り合い達に相談してみるよ、とのこと。


多分、上手く行くと思うよ、との返事に、頼りになるなと感想を入れ、通信を切る。

さてさて、どうなることやら……


次の日。買いためてた食料やらを消費するため、豪華な(? )一人鍋を作って食べていると、趣味仲間から連絡が入った。


俺のアイデアだが、実現可能らしい。

宇宙ヨットの船体部分が倍以上に膨れ上がり、それなりの重量増加になるようだが、それでも4人乗りとかに比べればはるかに軽い物になりそうだ、とのこと。


作業時間を聞いてみると出来合いのユニットを船体に着けるだけなので、そんなに手間も金もかからないようだ。

俺は友人にGoサインを出す。

詳しい設計図と加工後の重量を見積もってもらい、現在の帆では推進力が足りなくなる恐れがあるため、4人乗り用の帆に交換してもらうよう交渉する。


今の世の中、交換する部品もパーツも全てリサイクルされるため、カスタムしても、そんなに高くないのが良い。

ちなみに交換する帆も装着されるユニットも中古部品である(品質は地球製で最高級だ。昔は地球でも国家によっちゃ品質に差があり、日本の部品やパーツが最高だったらしいが今は星ごとに徹底管理されているから地球製を買っておけば間違いがない)


とは言っても俺の預金残高の30%以上が消えてしまった……

他に趣味がないから良いようなものの、俺など想像も出来ない部類に入る高尚な「ヲタク」と呼ばれている一部の人たちにかかりゃ、俺の預金残高など一瞬で消える世界もあると聞く……

あー、世の中、不公平だよ、全く。


その日の夜には改造終了の連絡が入り、最終的な宇宙ヨットの詳細と写真、改造箇所の保証書が送られてくる。

ふむふむ……

居住区画の拡張と宇宙線や宇宙塵からの防護のために薄い水の膜をサンドイッチしたチタン合金船体。

そして、中古ながらもきれいにリサイクル&リフレッシュされた冷凍睡眠装置コールドスリープ、 そして、ここが肝心の無人航行設備&生命維持設備の同時管理用人工頭脳の強化なんだが、今までと違って大幅な改築になってしまったようだ。


俺は補助的な人工知能しか計画していなかったんだが、それでは検査が通らないということで中古ながらも高性能の人工知能システムが売りに出されていたので、それを今までのシステムと交換したとのこと。

大幅に人工知能の性能が上がっているため俺が不審がっていると、出処は言えないが元は中型客船用の人工知能で、船体そのものがスクラップになりかけていたので人工知能だけ外してスクラップヤードから買ってきたらしい。


ほとんど捨て値だったぞ、良い買い物したな。

と言う友人に、そういうジャンク運だけは良いんだよな、俺。

と答える。


子供の頃から、スクラップヤードの常連だった俺はスクラップヤードのおやじさんに「この子は目利きだな」と言われていた。

ジャンクを見ると使える物、高く売れそうな物の匂いがするのだ。


それに加えて、使えそうなジャンクが俺の元へ何故か集まってくる不思議な体質がある。

ジャンク運、と俺は呼んでいるが、そうとでも言わねば理解しがたい。


宇宙ヨットの場合も、ほぼ同じだろう。

いくら中古で安いとは言え趣味の部類に入る宇宙ヨットの部品やパーツの中古が、こんなに安いはずがない。

まあ、それを言い出せば宇宙ヨットそのものの購入経緯が、それに近い。


「耐久年数はまだなんだが、この形やデザインが古くなってな。それに、趣味関係の品物は中古屋へ売ると二束三文で馬鹿らしい。誰か買いたい奴がいたら格安で売るよ」


と、昔に契約社員で勤めてた頃の同じ会社の友人が言うので、


「俺が欲しい。でも金は、そんなに無いぞ」


と言うと、昔のよしみだからと現在の手持ち金だけで譲ってくれた。

権利書類や名義変更だけでも、そんな金額じゃ足りなかっただろうが、その友人は、


「知らない奴に買われてボロボロにされるより、お前なら大事に使ってくれそうだから良いさ」


と、こともなげ。

まあ、そいつの親は、その大企業の専務取締役。

その友人もヒラから上がってこい! 

と、親の会社に入れられたが、もともとが優秀な奴だけに宇宙ヨットを譲ってもらった頃には課長になっていた。

俺と一緒にヒラ社員の頃は二人して馬鹿をやったもんなんだが……


ここで一つ、ご注意を。

宇宙ヨットを使用するには宇宙へ出ないといけない(当たり前だ)が、それには免許が必要なのである。

惑星近傍空間だけを航行するなら自動システムに任せてやればいいので許可を取るための講習数時間だけで良いのだが、惑星間を航行するとなると次元が違う。

大型貨客船などの操船・航行免許とは違うが、航行する速度が格段に上がるため、免許を取るのも一苦労。


シミュレータなどで様々な事故対応訓練を積んだり宇宙航行用の無線設備に習熟したり、様々な事を習い覚えた末、2ヶ月近くもかかって宇宙航行2種免許を取ることができた。

実は内惑星系の航行なら3種でも良かったのだが外惑星系へ行くためには2種免許が必要ということで、行く予定はなかったのだが頑張って2種まで取ったのだ。


まあ、その甲斐はあったということだろうな。

休暇の間に様々な雑事を片付けて。

実家へ帰って、火星からの帰着報告と、またすぐに木星へ行くよ、との現状報告も兼ねておいた。

親は呆れていたが、もう何も言わなかった。

数年前までは、結婚しろとか、あそこの娘さんはどうだとか、やかましかったが……

休暇終了後に事務所へ出社。


「で、次の出張先なんだがね……」


と、所長。

人材派遣は大変だ、ここの会社のように、いくつもの派遣先があった場合、普通は一つに絞って派遣先を決めるのだが、ここでは少しでもバックマージンを稼ぐために数カ所の派遣先を全て受ける。

受ける会社は書類上の操作だけなんだろうが実際に現場行くのは俺だ。

従って現場を飛び回って作業トラブルシューティングすることになる。

疲れるのも当然だろう? 

でも、ブラックじゃなくても企業なんてのは、そんなもんだよ。

金を稼ぐのは大変なんだぜ。


「はい、今回は衛星4箇所と木星内の企業事務所での仕事の、計5箇所ですね。期間は、それぞれで3ヶ月づつ、向こう様の事情で延長あり。了解です」


書類を確認して、俺は支度ができていると所長に告げる。


「では、これが費用の前渡し分。帰りの費用は、悪いけど後で精算ということで。それじゃ、行ってらっしゃい。向こうさんには、到着は一ヶ月近くかかるよ、とは言ってるからね」


一応、最悪の行程で行くと木星事務所に到着するのが一ヶ月近くかかるので、そこは交渉してくれたらしい。

俺は所長の言葉を背中で聞きながら、今回の派遣先、仕事へと思いを馳せるのだった。


さて、ここからは買い出しだ。

飲料水、食料(レーションのようなブロックタイプの食料)などを買い込み、それでも、できるだけ軽くするように心がける。

まあ、コールドスリープカプセルがあるんで、そんなに必要ないとは言うものの、それでも緊急用に、ある程度の余分は必要である。


登山リュックにいっぱい(ほとんどが飲料水。無菌化してる、宇宙に出たら必須の物)

買い込んで、アパートの大家に、これから1年ちょいは仕事で帰れないよと伝える。

大家には、


「完全に仮の宿になっちゃうねぇ、あの部屋。留守番してくれる人、いないのかい? 」


などと同情される。

いいんだよ、俺は仕事が好きなんだから。

宇宙へ出たら、それこそ操船と通信くらいしか、やることがないのが実情。

そのために、俺は公的なビブリオファイル(図書館の未来形だと思ってくれ)から様々なエンタテインメントや実用書、各惑星のローカルルールを記したものなどをダウンロードしておく。

これで退屈だけはしないですむだろう。


さて、部屋をロックして……と。

俺は荷物で一杯になったスーツケースとバッグを担いで、タワー行きのロボットカーに乗る。

あ、タワーってのは、いわゆる「軌道エレベータ」のこと。

ロボットカーはステーションを経由してタワーへ向かうコースを取るように、少しだけ地面を走ると、そのまま飛行形態になり、ステーションへ向かう。


ステーションってのは圧縮空間理論を応用した、いわゆる「近道」のようなもの。

アステロイドベルトの危険性を回避するために設けられた圧縮空間ゲートの近距離版(まあ、地球上で設置するにはまた別の苦労があったらしいが、それも昔)だ。

ステーションのゲートを利用して、あっという間にタワーの根本へと行けるので、少しくらい高価でも人気が高いのだ。

1時間ほどでタワーの入口に到着。


ロボットカーにはステーション利用料金も含めた価格で俺の預金から落とすようにカードで支払う。

タワーに入り、成層圏及び、その上へ上がりたいので手続きを行う。

ここで貨客船や客船の搭乗予約も可能なんだが、俺には宇宙へ出る手段があるので、タワー及び宇宙船ドックへ上がるための手続きだけで良いのである。

タワーの乗降に関しては驚くほどの安い価格で利用可能だ。


これは、タワーの建設が終われば維持費用は格安ですむことが原因である。

ちなみに地球から月までも、かなり安い価格で往復できる。

重力井戸から高い地点で乗降できるため、エネルギーや資源を、ほとんど使わなくて済むからだ。

もちろん加速と減速には資源もエネルギーも使うが、地球上から発射・再突入することに比べたら軽いものである。


あ、火星や木星、その他の惑星に行く時には、かなりの高額運賃を取られるぞ。

なにしろ長距離だから、かかる経費が馬鹿にならないからな。

そろそろ、タワーが上昇モードに移るとアナウンスがあった。

昇降エリアへ移動するか。


これも、普通は昇降室とでも言うのだろうが、なにしろ広い! 

昔の野球場くらいの広さがあると、幼稚園の社会見学で教わった気がする。

お、上昇を始めたな。

気圧変化を極力抑えているため、体調が悪くなるような奴は、ほとんどいないようだ。

ただし、老化や持病などで、どうしても成層圏まで行けない人間も存在する。


そういう場合は、サイボーグ化するか、あるいは一生、重力井戸の底で過ごす以外に手はない。

そうなる前に、医療用スペースコロニーや月で、老後を過ごす人間もいるがね。

さて、そんなことを言ってる間に、タワーの頂上部へ到着。

ここからは宇宙船ドックへ行くはしけに乗り換える。


地球の重力は、あまり作用していないため、ここからは気をつけて歩かないと……

あ、言ってる間に、どっかのガキが地上と同じように走りだそうとして空中へ飛び出しやがった。

係員やガードロボットが、すぐにガキを取り押さえて親に向かって厳重注意している。

レッドカード出されると説諭だけで一時間以上かかってしまい、乗りたい宇宙船に乗れなくなるのに……

バカだね。


注意しながら、俺は宇宙船ドック行きのはしけへ乗り込む。

座席について、ちょいと待っていると、あのガキを連れた親子が何とか出発時刻に間にあったようで、あわてて、それでも注意しながら飛び込んでくる。

その数秒後、ハッチは閉まり、はしけは出発した。

数10分後、宇宙船ドックへ着いたはしけは、ドックに速度を同期させ、ドッキング操作を行う。


また10数分後、ようやくドッキングハッチから俺達は移動し、宇宙船ドックへと入る。

俺は他の乗客たちから離れて宇宙ヨットの専用保管庫へ向かう。

保管庫へ到着すると、俺の免許証とカードを見せて本人確認のために網膜パターンを照合し、ようやく保管庫の鍵を渡される。

俺の宇宙ヨット、久しぶりだけど、これから長い時間を過ごす相棒だ。


俺は保管庫のロックを開けてヨットをドック内部に押し出す。

自動的にヨット本体がドックに支持されて乗降可能な状態になる。

さすがに、ここで帆は展開できない。

いまだ、折りたたまれたままだ。


俺は保管庫の鍵を管理人に返すと、さっそくヨットに乗り込む。

まずは最終チェックだ。

人工頭脳を起動させ、各部のチェックを開始。

ずいぶん乗ってなかったからな。あちこちサビ……

なんか浮くような環境じゃないか、宇宙空間なんだから。


保管状態が良かったのか、それとも改造作業時にメンテしてくれたのか異常箇所は見つからなかった。

俺は宇宙ヨットの発進を管制に連絡する。

様々な宇宙船が発着する宇宙船ドックでは発進も自由には出来ない。

30分ほど待たされる。


その間に食料や飲料水、その他を邪魔にならないようにヨット内に配置・整理する。

やはり広くなった居住区は良いね。

およそ、昔の居住区の広さで言うと三畳ほどだが、一人なら広々だ。


本当は四畳半くらいなのだが、あとのスペースはコールドスリープ装置が専有している。

ま、これもスペースの一つと言えば言えるからな。

俺も入るし。


余った時間を改造ヨットのマニュアル読むのに使う。

こいつに命を賭けるんだ。

熟読しといて損はない。


ビーッという音と共に管制から発進時間だ、との連絡が入る。

俺は、お礼を言いつつ(相手はロボット。お礼など言う必要もないのだが)発進準備に入る。


時間になるとカタパルトでドックから押し出される。

管制が帆を展開する宙域を指定してくるので、そこへ行くまでは一定速度で進むしか無い。


しばらくすると展開可能宙域に入ったと管制から連絡。

了解、と返事を返し、人工頭脳に帆を展開しろと命令。


ブワッと広がった帆の広大さに自分で驚く。

そう言えば改造時に俺が自分で帆を広くしろと注文したんだっけ。


しかし、こいつは凄い! 

4人乗りと同じ帆にしてくれとは言ったが、こいつは、そんな代物じゃない。


堂々たるクルーザータイプの宇宙ヨットの物としか考えられない。

俺一人が使用する宇宙ヨットに、こんなもの着けたらオーバースペックで制御不可能になるものだが、そこは超高性能の人工頭脳。


オーバースペック同士で制御もスムーズに行っている。

加速は良いだろうが減速どうするのかって? 


確かに、この帆の加速は半端じゃないだろう。

しかし、減速にも手はある。


一つ、到着予定の惑星や衛星から、レーザーでストッピングエネルギーを送ってもらうこと。

もう一つ、自分のエネルギーで減速する。


俺の宇宙ヨットの場合、どちらも可能である。

でかい帆だから発電量も尋常じゃない。


そいつを姿勢制御用のロケットに使い、吹かす材料は大量に積んできた「水」を使えばいい。

まあ、木星域に近づいたら、どっかからレーザーでヨットを止めてもらうつもりだが……

あそこはエネルギーだけは余ってるらしいから。


俺は、ぐんぐん加速されていく(まだ身体には感じないが)宇宙ヨットに身を任せながら、圧縮空間ゲートに向かって進路を取った。

管制にも、惑星の木星系へ向かうと告げると、


「良い太陽風を」


と言われた。

ははは、遥か昔の大航海時代のようだ。