二百日紅

軽茶一かるちゃいち 成助なりすけ

・しょの18 前哨

軽茶が料亭「常世」の時穴に飛び込んで 通り抜けたその先は


「暑い・・ いや 熱いっ どこですかここは」


火事場であった


「ひょっとして 本能時とか いや違う」


あたりに半鐘の音が鳴り響き 半纏を着てまといや鳶口を持った沢山の火消しが走り回っていた 軽茶は這々の体でそこを抜け出し傍の川に飛び込んでまた気を失う


前哨2

軽茶が次に目をさますと二人の顔がのぞき込んでいた


「をっ 気がついたな 土左衛門さん」

「あなた方はどなたですか ここはいったい?」


「わしは鉄蔵 こっちは娘のお栄 ここはわしの長屋だ」

「て 鉄蔵さん そしてお栄さん! 葛飾北斎さんと応為さんですね」


「北斎? そんな奴ァ知らねェぞ 勝川春朗ならこないだまで名乗っていたがな それに応為だなんてこいつァまだ六つだぜ」

「そうか まだ北斎の名を名乗っていないんだ 確かそれ(北斎宗理)は寛政七年(1795年)頃だからな 葛飾北斎の号は文化二年(1805年)だし とゆうことは今は何年ですか」


「いまは寛政六年三月だ」

「うーん とするとあの天明八年(1788年)から6年ほどしかジャンプしてないじゃないか」


「おかしな人だなァ あンた名前はなんとゆう」

「私は 軽 いや 如軽と言い 流光斉とゆう名で上方でちょいとした絵を描いています」


「ほう 絵師だとゆうのか ちょうどいいや わしの仕事を手伝う気はあるかい ちょうど勝川(春章)から破門されちまってよ 困ってたンだ」

「よ 喜んでっ」


「決まった ところでさっきおめェがゆってた北斎ってのは良い名だ これからはそう名乗ろう 北斎辰政てのはどうだ 北辰妙見菩薩みてェだろ」


・しょの19 鉄蔵

軽茶は鉄蔵の長屋にしばらく居候することにした 前項で鉄蔵が新しく北斎を名乗るきっかけになったのが自分のせいだとゆうのは小ネタで本意にしてはできすぎだと思った


「如軽さん どんな絵を画くの」

「お栄ちゃん 君もいずれ有名な浮世絵師になるんだよ おいちゃんの絵を見てみたいかい」


軽茶がその場で筆を借りてちゃちゃっと画いた絵を見て お栄は首をかしげた


「なんかわかんなーい」


しかしそれを見た鉄蔵は唸った


「これはつまり 近景の波濤と遠景の富士の奥行きを描いてあるんだナ 歌川豊春師匠の浮絵でそんな手法を見たことがある」


もちろん軽茶のいわゆる文字絵はこの時代にはまだ早かったのだが そこに漫画と独特のパースが用いられていたことを鉄蔵は見抜いた


「漫画にはこうゆうのがあるんだ わしもやってみてェ」

それがのちの『北斎漫画』や『冨嶽三十六景』など数々の名作に繋がる北斎の遠近法「よつや・十二そう」(寛政末~享和頃)である


・しょの20 如圭

「鉄蔵さん いま浮世絵はどんな人が画いているのですか」

「そうだなァ うちの師匠の勝川春章 春潮 春好 歌川豊春師匠んとこは 豊国 あとはなんといっても鳥居清長かな ずっと戯作を引っ張ってきた酒上不埒や石部琴好なんかは寛政の風俗取り締まりで手鎖になったり追放とかでさ 一筆斉文調や礒田湖龍斉も死んじまって お武家さんの描き手はみんないなくなっちまった いまは町人の時代よ」


「北川重三郎 いや喜多川歌麿はどうです」

「ああ 耕書堂の蔦屋さんが売り出し中の ありァ売れるね」


「私と同じ上方から来た 流光斉の名前で 如圭 とゆう方はそこにいませんか」

「流光斉如圭? 聞いたこたねェな 永寿堂の西村屋さんなら京の寺町三月堂さんと懇意だから知っているかもだが おめェの兄弟子とかかィ」


「ええ まーそんなようなもんで」

「如軽さんも上方から来たつったな わしはいま34だがおまいさんはお幾つか」


「はい (昭和の)にじゅう・・はちです(年生まれで^^)」

「ほう とてもそんな歳には見えねェがな」


「しかし流光斉如圭がいない・・ とゆうことは?」


そのとき軽茶は自分がなぜこの時代に来てしまったかを悟った


※資料 この寛政六年(1794年)の時点での推定年齢

鉄蔵(北斎) 34歳
お栄(応為) 6歳?

平賀源内 没1780年 存命なら66歳
山東京伝 33歳 ※北尾政演
司馬江漢 47歳 ※鈴木春重
鈴木春信 69歳 ※源内と近所住まいで共に錦絵を工夫

写楽(如圭) 31歳?

礒田湖龍斎 没1790年
一筆斎文調 ?歳 ※1794年頃没
恋川春町 没1789年 ※酒上不埒
石部琴好 ?歳 ※1789年江戸所払い

北尾重政 55歳 ※北尾派の祖
勝川春章 68歳 ※勝川派の祖
勝川春好 51歳
勝川春潮 ?

鳥居清長 42歳 ※鳥居派四代目

喜多川歌麿 41歳 ※吉原連
蔦屋重三郎 44歳 ※同

歌川豊春 59歳
歌川豊国 25歳
歌川国直 1歳
渓斎英泉 3歳
歌川国貞 8歳
菊川英山 7歳
歌川広重 未 1797年生まれ
歌川国芳 未 1798年生まれ

曲亭馬琴 27歳


・しょの21 茶楽

「鉄蔵さん ぢつわ折り入ってご相談が」

「おう なんだァ 軽の字」


「西村屋さんの件は良いとして 私は蔦屋さんとは(ここでの)六年前に面識があるのです 向こうは覚えているかわかりませんけれど ちょっと話を詰めなければいけないことがあって今から出かけてきます その後は何が起こっても驚かないでください」

「なんだか知らねェが ま いいだろ あんたどうせ土左衛門だったんだから 拾った命 どうにでもするがいい」


「行ってきました」

「早っ でどうなった」


「いま4月ですから来月から私はいくつかの絵を画きます それらは蔦屋さんを通じて出ることになります でもこれは今年いっぱいしかできないのです 今年は閏11月がありますよね ぢつわそのとき私は皆さんとおいとますることになります それで蔦屋さんとの契約で そのあとも私の名前で作品は続けて出ますが それを鉄蔵さんに代筆していただきたいのです 鈴木春重(司馬江漢)さんや北尾政演(山東京伝)さんはこの事情をご存じなので既にお願いしました 他に豊国さんや歌麿さんにも頼むつもりです」


「なんだって 代筆? でその名前とは」

「東洲斎写楽 いや 踏襲斎茶楽でも良いのですが^^」


・しょの22 終章 上

東洲斎写楽は生没年不詳 その名前を知らない者はいないが 寛政六年(1794年)から七年にかけて 約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち 忽然と画業を絶って姿を消した謎の絵師である

その正体には諸説あり 現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とゆう説が有力だが 能役者にこれほどの見事な絵が描ける才能があるとは考えづらく また短期間に無名の新人を蔦屋が集中プロデュスした理由や 前期(5~8月)と後期(11~翌2月)で大きく作品の質が異なる点については謎解きの的になった そこで 写楽の正体は


複数の作家の集合体ではないか とゆうことなのだ


ただしモデルは居たはずなので それが軽茶だったらとゆうお話しでございます 茶ん茶ん


さて寛政六年には閏月があった 閏月とは太陰太陽暦において加えられる「月」のこと これによって一年が13か月となる 


「鉄蔵さん 色々お世話になりました お栄さんはいい助手になるので可愛がってあげてください あなたの代筆もできますよ」

「てへ あいつがねェ アゴだしだから良い味を出すってわけかィ」


「ところで 軽さんはどうやってまた出かけるんです」

「ぢつわ今年の閏11月に惑星直列とゆう天体事象が起こります(正確にはこの時代で1817年6月5日ですがそこは端折って^^) そのとき時空に歪みが出るのです そこで京伝さんの料亭『常世』の時の穴はもう閉まっていますが あすこの地下に富士のお山から運んだ氷を貯めておく氷室がありまして 『冷蔵庫』とゆうものですが すでに源内さんが乗って帰った時駕籠『出露狸庵』の代わりにそれが使えるんです」

「それはまたなんと面妖な」


「私の時代の素比留婆具とゆうシトが考えた『出露狸庵』は本当は車ではなく冷蔵庫の予定だったんですよ 子供がマネして閉じ込められたらいけないと変更なった」

「へェ」


かくしてまた軽茶は時の旅人となる


元の時代へ戻れるのだろうか


・しょの23 終章 中

写楽の活動時期は10ヶ月(一期~四期)であり

主たる有名作は前期にある 特に最初の28枚だ

当初は受けなかった

とゆうのはこれらの役者絵は一種のブロマイドであり 役者の似顔絵としては特徴をデフォルメしすぎていて 当の役者達には好まれなかったとゆうことだ


「軽さん 年の瀬までに全部画けるのかィ」

「無理です だからお願いしているのです」

「ただ 変体仮名フォントは見つけましたので 筆折れ力尽きるまでがんばります」

「あァ 仕事の合間にネタやってるのか ネタの合間に仕事やってるのか心配だが」

「たいてい呆れていると思いますが 隠れ読者も多いのでね」


・しょの24 終章 下

「成助さん お約束の氷室はここでござんすよ 大丈夫ですかね」

「京伝さん どこでもドアじゃないけど たぶん戻れるでしょう」

「あとのこた わっちにまかせてくんな 蔦屋に頼んでなんとか」

「お願いします とりまこれだけ画きました 残りの作品はまた」


山東京伝は以前に成助と別れたあとも北尾政演の名で挿絵や錦絵を描いていたが 十八大通の一人として吉原通いが過ぎたか 寛政の改革による出版統制で筆禍を得て 画壇からは遠のいていた その間蔦屋の手代として世話をした曲亭馬琴の入門を断るなどあったが ここに至りまた成助との約束を果たすため蔦屋とのタッグを再開する 一方で馬琴も蔦屋のプロデュスで張り合うようになり 京伝が読本から引退後は馬琴は北斎と組んで『椿説弓張月』の名声を築く 『南総里見八犬伝』はライフワークとなった 鈴木春重こと司馬江漢はこの頃には洋画(油絵)や科学研究の方に打ち込んでいたが 茶楽への協力以降は次第に世捨て人になる


この年 江戸に一陣の風が吹きそして去っていった


「粋なお人だったねぇ 成助さん いや茶楽さん」


軽茶は京伝に別れを告げて冷蔵庫のドアをくぐった


・ 

「軽の字よ どこまで行ったかな」


「如軽さん どこまで行ったかな」


「成助さん どこまで行ったかな」


「茶楽さん どこまで


かくして寛政六年の歳の瀬はしんしんと暮れゆく…



 続く?



参考文献

百日紅        杉浦日向子
鼻紙写楽       一ノ関圭
大奥         よしながふみ

神州白魔伝      荒巻義雄
およね平吉時穴の道行 半村良

司馬江漢       池内了
山東京傳       山本陽史
江戸戯作草子     棚橋正博
​ニッポンの浮世絵   太田記念美術館

北斎漫画       葛飾北斎