Chapter III The Hero in Today
嘘のような話ですがこれは事実なのです。
彼こそは現代に生きる英雄そして私達に新しい夢を与えてくれた、
救世主でもあるのです。
太陽系史(二一五五年刊)より
ここで時を少し戻して舞台を再び宇宙へと移すことにしよう。
ドクター・カッパー・ステイトのレンズ眼はヴィデオ画面に向けられていたが、注意はそこに向けられていなかった。
あの日、地球で最後の戦争が起きたあの日から、カッパーの心はほとんど空白状態であった。ほとんど顔を見たことすらない彼の実の子供よりも大切であった坊や、ピートはもう戻ってはこないのだ。
太陽系政府は、あれから二回の探査機を地球に送っていた。はじめの探査機は地上で消息を断ったが、二回目の探査機は地上の放射能濃度は次第に薄まりつつあるけれども、微生物よりも高等な生物の痕跡はまるで見られ無かったことを示していて、それをもって政府当局は公式に地球が死の星と化したことを公表した。
『しかし皆さん。本当に地上からほとんどすべての生命が姿を消してしまったと考えて良いのでしょうか?』
ヴィデオは部屋の中でひとり虚しく音をだしていた。
『皆さんがご存じの通り、私はかつてキャプテン・アレフと行動をともにしたことのある仲間であり、今もそうであると考えております。私達、彼を助けた仲間のほとんどが、専門以外の研究にも明るい科学者として活動して来ましたが、私達が地上を観測した限りにおいては、地球は完全には死んでいないことがはっきりとしています。いかに地上で全面核戦争が起きたといっても、すべての地域を同時に爆撃にさらすことはできません。いかなる天変地異が地上を襲ったとしても、そうやすやすと人類を完全に消し去ることはできません。人類に、人類自身の痕跡を完全に消させることができると考えるのはおろかなことです。
シェルターには、救出を今かと待ちながら、まずい再生食に我慢している同胞達が必ずいるはずなのです。なのに、政府は私達の話に耳を傾けようとすらしません。何故でしょうか?』
カッパーは四年前に収録された、故ラック・マッキ−リーのヴィデオを見るとなしに見ていた。ラックは大分前にカッパーの研究所をでてテレビのスターとなったが、このヴィデオが撮影されたころは、すでにあの彼の命を奪って行った未知の病に犯されていて、見る影も無く痩せこけていた。ラックは売れっ子スターで、しかもいわばピートの兄弟分であったが、その彼の「地球を救おうキャンペーン」はことごとく失敗していた。
デジタル録画された映像は、四年間止まることなく再生を繰り返されてきたにもかかわらず、鮮明な画像を保ち続けていた。
カッパー・ステイトには子供がいたが、正式な法的に認められた子では無かった。彼には愛する妻がいたが、当時の彼の仕事は大変な危険がつきまとっていたため、彼は妻を気遣って半ば強引に別れていた。そんな彼にとって、ピーター・アレグザンダー・ジョン・アレフは三重にも息子以上の存在となっていた。つまり、若いころ長年行動をともにした親友の孫として、一緒に研究を行なった同僚の遺児として、そして、彼自身が実際に赤子から育てたことによる一種の父性愛のため、いつしかピートの存在は彼の生きる原動力となっていた。
ぼんやりとヴィデオに見入るカッパーのもとへ興奮した足音が近付いてきた。足音はカッパーの真後ろで止まったが、彼はそれを無視した。
「カッパー。」
彼は依然として反応を見せ無かった。足音の主はもう一度声をさらに大きくして彼の名を繰り返した。
「ドクター・カッパー! この老いぼれ爺さん。いい加減にこっちを向いておくれ。」
そこでようやっとカッパーは声の方へレンズ眼を向けた。
そこには、ピートの従兄にして、そしてやはりカッパーの親友だった男の孫に当たる、ヨーク・トヨークが立っていた。
ヨークはピートより四つ年下で四十六歳になる。少しひょろっとしたところがあるが、若い時から拳法で鍛えている体からはどこかしら力強さを漂わせている。
「ヨーク、私の時間を邪魔しないでくれないか?」
そんなことを言いたそうなカッパーをヨークはうんざりした顔で見下ろしたが、すぐに機嫌を戻してにこにこし始めた。
「あんたが喜びそうな話しを持ってきたんだ。」
カッパーは相変らず興味なさそうな様子だったが、ヨークは構わず続けた。
「まずは俺達の研究の成果だ。何をやったと思う? まったく、少しは興味を見せてくれよ。本当にこまった爺さんだな。俺はついにやったんだよ。もともとはあんたが設定した目標だぜ。」
カッパーは我関せずとばかりにレンズ眼をヴィデオに戻しかけてしまたので、ヨークは少しいらついたような声で続けた。
「c方程式を理論的に導き出すことに成功したんだよ!」
始めてカッパーは少し反応を示した。カッパーのわずかに震えるマニュピレーターは、ヨークの差し出した論文の草稿をつかんだ。素早くそれに目を通したが彼はすぐにそれをヨークにつっかえした。
「しばらく数学から遠ざかっていたせいかの。ほとんど理解できん。」
久しぶりに聞くカッパーの声に、ヨークは笑って見せた。
「それは理解できなくって当然なんだ。何しろ最近編み出された数学的手法を用いてるんだからな。」
「直接c方程式にテャレンジしたわけではあるまい。どこから手を付けたんだ?」
ヨークは薄暗いカッパーの部屋の電気を付けると、部屋の片隅にあった黒板にチョークで小さな曲線と円を描いた。
「始まりはこいつさ。」
カッパーがまだ肉体を持っていた時ならきっと彼はまゆをひそめていただろう。
「それはもしかして、閉じた{弦}{ストリングス}のことか?」
ヨークはチョークに降り積もっていた埃を吹き飛ばして、芝居がかかった調子で説明した。
「その通り。すべての粒子と空間は十次元多様体上の弦の異なった振動モードにすぎない。この世界が十次元でなくて四次元であるのは、宇宙の始め、ビッグバンの頃、空間の相転移が起きて他の六次元が十の三十五乗分の一メートルの大きさにコンパクト化された結果であるって奴だ。こいつは二十世紀の終わりごろに一時期はやったんだが、結局完成はしなかったんだ。」
「それ位のことはわかっている。」
カッパーは苛立たしげに言った。
「おっとそこまではぼけて無かったか。これにとっかかった当時、俺は五十年ぐらい前のことを思い出していたんだ。白田英雄のg方程式の解として{s波}{超光速波}が導き出された時には、拡張されたテンソルに四次元のものじゃなくて六次元のものを使っていた。ということは、コンパクト化されるのは六次元じゃなくて四次元の方で、空間の本質は実は六次元なのではないかと考えたんだ。それでもってその空間の計量(空間の性質を表す量)を満たす式、つまり四次元でのアイシュタイン方程式に当たるものを作って、それに重力転換の実験結果からくる適当な制限を放りこんでみたら、c方程式が求まってしまったんだよ!
正確に言うと局所的な視点で眺めたらc方程式に等価な方程式というわけだが、そんなことはどうでもいいや。
わかるかい、カッパー、俺は二十世紀の悪魔、量子力学と一般相対論を近似無しで初めて矛盾無く結びつけることに成功したんだ。」
そこまで聞いたところでカッパーは興味を失ってしまったらしく、ヨークに背を向けてヴィデオに再びながめ入ってしまった。ヨークはため息をついて、話題を変えることにした。
「もうひとつあんたの興味をひきそうな話があるんだ。」
カッパーは反応しようともしない。さすがにヨークも彼をこのままほうっておこうと思い始めたが、その気持ちをぐっと押し殺して、なんとか事務的な口調で話した。
「{白田英雄}{しろだひでお}の遺体が七十一年振りに発見された。遺体はノートを抱えているそうだ。遺体は我々のグループの一人が発見したが、まだ政府には報告して無い。」
カッパーの心の中でなにかが弾けた。
まだピートが生まれる前、彼のすべての行動の原動力となっていた人物。
長い年月の内にその大切な人物の名すら忘れてしまっていたとは。
「私が直接そこにいって判断するまで政府には一切知らせるな。」
突然に生気を取り戻したカッパーのレンズ眼は、心なしか輝いて見えた。
そして彼は八年間も閉じこもっていた部屋をでると、ヨークに聞いた。
「今空いている船は?」
「ムーンライトIIが現場に行っているから、今はストリームが残っている。」
それを頭の半分で聞きながら、カッパーはこれから行こうとしているところに対して畏怖の念を抱き始めている自分に気付いていた。
しかしそれも行動の原動力となり得るのだ。
本来は太陽系外航行用に開発された、流線型の宇宙船ストリームは、火星の衛星フォボスにあるカッパーの研究所を飛びたった。
カッパーの部屋に、太陽系史上最大の天才で英雄とまでうたわれた男の最後のノートがおかれた。
結局彼らはその男、白田英雄の遺体について太陽系政府当局に知らせることを見合わせた。彼の直接の知り合い――と言うよりは親友――としてはおそらく残された最後のひとりであるはずの人物、カッパー・ステイト博士のたっての望みで、七十年も昔に逝った宇宙の英雄の安らかな眠りをこれ以上妨げないようにとの配慮によってである。
彼のノートを目の前に、ふとカッパーは英雄の宇宙葬の時のことを思い出した。
英雄の昔の恋人で彼の従姉でもあった女性、彼の最期の船出となってしまった二一〇四年の航海の後で、英雄と再婚する約束をしていた女性、{鉄}{くろがね}由香利が、カッパー・ステイトと言う今の名前を名乗る以前の、まだただの渡良井哲也だったころの名で彼に話し掛けてきた。彼女は英雄が最後にしたためたあの記録を、カッパーないしはその縁のものに託すと言う彼の遺言をカッパーに伝えた。ところがそのノートは英雄の遺体ががっちりとつかんだままであり、まるでまだその時期ではないといわんばかりであった。
カッパーはその遺言のことを一部の人間にしか打ち明けていなかった。
ピートとヨーク、そしてピートの息子であるサイオンの三人がそれである。ピートとヨークはやはり英雄の親友であった男の孫に当たるし、カッパーにとっては二人とも自分自身の息子のようなものであった。また、サイオンはカッパーの実の曾孫でもある。
ヨークがその遺言について覚えていたおかげで、英雄のノートはアステロイドベルトで見つかった棺ともども手を付けられずにおかれていたのだった。
かつての英雄の遺体は、永年真空にさらされつづけていたために完全に乾燥しきっていた。
カッパーは{英雄}{ひでお}の今やからからに干上がってしまった指を、彼のマニュピレーターで優しく解きはなち、問題のノートを取り上げた。今度は遺体は彼に抵抗しようとはしなかった。
彼の部屋の隣にある放射能防護が施された小部屋でカッパー・ステイトは、改めて残されたノートの表紙を見つめた。(ノートは長い年月宇宙にあったため、宇宙線をたっぷりと吸っていた。)
彼はそこに、消え入りそうな鉛筆の線を発見して驚いた。
そこには、英雄の読みにくい字で『渡良井哲也、豊福健一、そして彼らと私自身の子孫達へ』と書かれていた。
そこでカッパーははっと思い付いた。
鉄由香利は、彼に間違って遺言を彼に伝えていたのだ。彼女は英雄本人の子孫のことを遺言から除いてしまっていたのである。(これは明らかに異常なことだ。ことによると彼女はこれを故意に除いていたのかもしれないとカッパーは思った。もっともどう考えても、異常であることに変わりは無かったが…)
カッパーは部屋の外で待っているサイオンを呼んだ。サイオンはすぐに入ってきた。
「すまないが、一人探偵でも頼んできてくれないか?」
「探偵? なんて言って頼めばいいんです?」
唐突なカッパーの頼みに、サイオンは困惑して聞いた。
「そうだな、かなり大掛かりな人探しとでも言えば良い。白田英雄の子孫について調べてもらうんだ。おそらく彼らはばらばらになっているはずだから、腕の立つ奴を頼むのだ。」
サイオンはまだぐずぐずしていた。
「でも、どこ行って探偵なんか探せばいいのですか?」
「それ位は自分で考えろ。ジェフの息子が惑星警察に勤めているからそこへ行って紹介でもしてもらえば良かろう。」
サイオンはさすがにピートの子らしく優秀な頭脳を持っていたが、それは机上の空論に費やされることのほうが多く、実際の行動に移すことはへたであった。大分前からカッパーはサイオンをキャプテン・アレフとして育てることを断念していた。行動力に関してはサイオンの弟のパトリックの方があったが、彼は必要な才能を持っていなかった。カッパーがピートを失った悲しみに沈んでいる間、二人の基本的な性質に変化は無かったようである。
カッパーは心のなかでつぶやいた。
「だからどうだと言うのだ。今更キャプテン・アレフの代わりを作ったとてなんになる。
所詮、〈アレフの平和〉なぞ作りものにすぎなかったのだ。」
その日の内に一人の男がカッパー・ステイトのもとに案内された。
サイオンが紹介したのは、おそらくもうかなりの歳だと思われる背が低くて痩せたぼさぼさ髪の男と、二人の若い男だった。
「こちら、{小惑星帯}{ベルト}で一番の腕利きと言われる白田{春太郎}{しゅんたろう}氏と、その孫で春太郎氏の助手をしている白田弘安氏と井上ともみ氏です。」
歳とった方の男が軽く会釈した。
「春太郎です。何でも白田英雄の子孫を探してらっしゃるとか。」
さすがにこの道のプロらしく、カッパーの異形な姿に少しもひるまず彼は言った。
「そうだ。彼の遺体とノートが見つかったので、その内容を彼の遺言にしたがってその子孫に伝えようと思ったのだ。」
カッパーは春太郎を味方にひきいれるため、取り合えず本当のことを言った。
「へぇ、そんなニュースは聞いてないぜ。」
一番若く見える、井上と紹介された男がつぶやいたのを春太郎は制して質問を始めた。
「その後遺体はどちらに保管されているのですか?」
「遺体は発見された場所にまだある。」
「それでは、政府はそれをどうするつもりなんでしょう?」
「政府には知らせていない。」
春太郎は片方の眉を少し釣り上げて見せた。
「それが法律違反になることをご存じですか?」
「知ってる。」
春太郎は少し言葉を切って、後の助手達と短い会話をかわした。
「遺言状は今すぐに見られるところにありますか?」
「遺言と言っても口約束にすぎない。まあ、それに相当するかもしれない言葉なら、問題のノートに書いてあったが。」
「では、そのノートを拝見させていただけますか?」
「私はこのノートを彼の子孫以外にはサイオンとパトリックとヨークを除いて誰にも見せないつもりなのだが。」
「ならば問題はありません。私は白田英雄の息子の一人ですから。」
その言葉にはさすがにカッパーも驚いて言葉を失った。
「失礼だが、きみはどの母親から生まれた子なのか教えてもらえるかな。」
「私の母は幸子と言います。私はその末っ子なのですよ。」
白田英雄は二度結婚し二度妻に死に別れていたが、その他にも何人かの女性と関係を持っていたことをカッパーは知っていた。白田幸子は英雄の非公式の、そして最後の妻であった。
「英雄が幸子と言う女性を養子にしたと言う噂はあったが、まさかその人と関係があったとは知らなかった。」
春太郎はにやっと笑って見せた。
「そう言ったことも含めて調べて欲しいとおっしゃるのでしょう? ならば私を選んで正解だったですな。私は今でもそのうちの何人かとつながりがありますから。で、ノートは見せてもらえますか?」
カッパーは少し考えてから、それを許可した。
春太郎はサイオンから放射能防護服を受け取って、カッパーと問題のノートの収めてある小部屋に入った。彼は表紙の鉛筆の線に注目したほかは、中身はざっと目を通しただけでカッパーにノートを返した。
小部屋からでるとカッパーたちに春太郎は向き直って告げた。
「おそらくご存じだと思いますが、あなたが故白田英雄氏から託されたとおっしゃります遺言は、法的には何の効力も持ち得ません。したがってあなたがあのノートを保管していることは、他のことと同様犯罪行為とみなされてしまいますよ。
となると、あなたが伝えようとしている白田氏の子孫についてですが、これは人選をしっかりしないと意味が無いですし、また危険でもあります。」
「すると君は…」
「ええ、この仕事お受け致しましょう。常に法律が正しいとは限りませんからね。特に今の時世では。」
それからの九年間、カッパーはなんとか政府を動かして地球に救助の手を差し伸べようと努力したが、そうしている間にも、地球に残された人たちの生存確率は刻々と小さくなっていった。
第一、カッパーが活動を停止していた期間ははあまりにも長すぎた。すでに人々の関心は薄れ、カッパーの声に耳を傾けようとするものはいなかった。
太陽系政府議会首席は何度も代変わりをして、次第にカッパーと縁のある人物は減っていった。
人々の考えも、地球で最終戦争が起こった当時と比べてかなり変わっていた。特に大きな事件も無く、大きな変化も無かったこの時期の政府の支持率は史上最高となっていた。
この期間の間に、サイオンは結婚し火星に移り住んでいた。
そんな中、カッパー・ステイトは春太郎からの伝言を、地球を見下ろす静止軌道で受け取った。
彼はすぐにテドにフォボスへの進路変更を命じた。テドは火星へ到達するのに最適な軌道を計算すると、重力転換機構を作動させて待った。そして計算したタイミングが訪れると、小型艇の動力を入れた。艇はすぐに地球の脱出速度をこえて曲線を描きながら軌道を離れた。普通ならここで噴射を切るのだが、テドはそのまま噴射を続けた。加速を続けながらの宇宙航行は、太陽や惑星の重力の影響で複雑な軌道をとるためその軌道計算が大変となる。カッパーもテドがいなかったらこのような無茶な軌道を指示しなかったろう。何しろ彼らの乗るムーンライトIIは数日で光速の五パーセントまで加速ができるという、化物のような宇宙船だったからである。キャプテン・アレフのディスカバリーが行方不明の今、ムーンライトIIはストリームを除けば太陽系で一番速い船であった。目一杯の出力のもとでは、少し計算を間違っただけで太陽系の外に簡単に飛び出してしまう。
信じられ無いほどの短時間のうちに、艇はフォボスについた。
テドに押されて船の外にでると、パトリックが迎えにでた。彼は二人をまず春太郎の待つ部屋へと案内した。春太郎は以前見た時よりかなり老けて見えた。春太郎は前置きをおかずに説明を始めた。
「まず現在生存が確認された白田英雄氏の子孫の人数ですが、直系傍系を含めて二十四名ほどと考えられます。正確なことの言えない理由は後で説明します。内訳は直系、つまり白田家を正式に継いだもの達は、孫が一名、曾々孫が一名。ただし、この曾々孫に子供がいるかどうかは、彼女がエスパー村にいるため確認不能。傍系の方は息子が私一人で、孫は七名。ただし、内一名は『外洋』へ出てしまっているため生存の確認は不能。曾孫は十一名、曾々孫は三名ですが、曾々孫の方は一名が昨年から行方をくらましています。
人数が思ったより少ないのは、英雄氏の子孫の内では、従兄同士の結婚または親が従兄同士であるような間の結婚が非常に多いためです。ドクター、私はこの事実を確認した時、古代の王家のことを思い出してしまいましたよ。彼ら、いや、私らはまるで自身らの純血を守ろうとしているかのように思えて来ますよ。これらのほとんどが、自分達が血縁だとは知らないで結婚しているのですからね。
私はこの内、誰が例の遺品を受け継ぐに値するか考えたところ、やはり直系の人物がもっとも適していると結論しまして、この数年間その家系を追ったのです。そのほぼ完璧な家系図すら出来上がっています。ところがその家系は、エスパー村のところでぷっつりと途絶えてしまっています。」
エスパー村と通常呼ばれている小惑星は、かつて最終戦争の時地上に残された超能力者達が中心となって、重力転換を使って彼らの住んでいた土地を持ち上げ、その土地ごと地球を脱出したものたちのすみかであった。大国の間で人工的に高められた超能力者達が多数この地に逃げ込んだと言われているが、その実態は政府がこことの行き来を認めていないため、闇に包まれていた。
「私の調査のほとんどがこの直系の調査に費やされました。その結果、つい数カ月前逮捕されたエスパー村代表が、この直系の女性の配偶者であり、その女性はまだ健在であることまではわかりましたが、それ以上の調査は不可能と見て、ノートの内容を受け継ぐべき人間の人選に入ったわけです。」
カッパーは内心この男の調査に舌を巻いていた。白田英雄は地球生まれであり、彼の子孫も地球で生まれたことが多い。地球にあった資料はほとんどすべてが失われたのだから、この男はこれらのデータを、残された知識から外挿によって得たのだ。
「ノートの冒頭には豊福健一と渡良井哲也の名がありましたが、失礼ですがこの二人のことも調べさせてもらいました。この二人の死亡を告げる記事が、二〇九八年の新聞に載っていました。ところで、白田英雄が亡くなったのは、二一〇五年。彼は故人に対して遺言を残したことになってしまいます。さらにドクター・ステイト、あなたは二一〇六年に金星立大学の教授に迎えられるまでの経歴を一切発表していない。つまりあなたは英雄の知り合いだった可能性はあるが、なぜそのあなたがノートを優先的に守ろうとしたのか気になったわけです。
さらに言わせてもらえばあなたの言うサイオンやパトリック、そしてピートとヨーク、彼らがみな初代大統領ジョン・トヨケンの子孫だと言うことはすぐわかりましたが、当のトヨケンと言う人物がまた経歴不明だったりするのです。すなわち、少し調べただけではあなた達と白田英雄はつながらないんですよ。」
カッパーには返す言葉が無かった。彼には自分の正体を明かせない理由があった。
「いや、ドクター。実はあなた方の素性についてはもう調べがついているのです。ただこのことを断っておかないのは、フェアでないと思ったものですから。」
そこで春太郎はソファに崩れ落ちるように座り込んだ。立ったままの姿勢を続けるカッパーのボディーに思わず付き合って、立ちながら話していることで急に疲れがでたようだった。
「…失礼しました。
ところで、ドクター、あなたはあのノートを誰かにもう見せましたか?」
「いや、まだ誰にも。私すら見ていない。」
「ふむ、まあそんなところだと思っていましたが。
まず、ドクター、あなたがこのノートを見ることは、私の予想では問題ないはずです。いや、ことによると、あなたへの個人的メッセージすらかかれているかも知れません。またトヨーク氏とその息子、さらにアレフ兄弟も見る権利があるはずです。ところで、問題なのが、私達子孫の方です。
ドクター、確かにあなたが聞いた遺言には、子孫のことは省かれていたのですね。」
カッパーが肯定の意を示すと、春太郎はうなずいた。
「それが本当なら、このノートを見ることを許された白田家の血縁は、一部の者に限られるはずです。全員に知って欲しかったなら、ノートを息子のうちの誰かにたくせば良かったはずです。そうしなかったことから白田家の大部分の者が対象から外されると考えて良いと思います。では誰がその記録を受け継ぐべきなのか?
ところでドクター、英雄氏本人の遺言を知っていたのは一人だけでしたか? つまり、あなたに伝えられたようなことをです。」
「鉄由香利から遺言のことを聞いたのだが、もしもう一人知っていた人物がいたとしたら、それは木下秋子――つまり英雄の長女だけだろう。」
「それなら話は簡単です。白田家の者でその二人の血をひいているのは、数名しか生きていませんから。」
春太郎はそう言うと、懐からメモを取り出して何か少し書き加えてから続けた。
「まず本家白田家の人物、つまり、鉄由香利の血の者は富男のほかは、エスパー村にいて連絡の取れない摩美とその子ども。傍系では、私の息子と娘の雄とその息子であり私の助手の弘安、そのほかには私の娘の井上ゆみ、ゆみの息子で私の助手のともみだけです。弘安は勘当されていますが、父親の雄は私の呼び掛けを無視した。
あと、もう一人私の娘、小出大統領の妻であったるりは、小惑星帯居住者に戻ってしまっているので消息不明です。
そのほか、私のものとには、ほぼ完璧と考えられる白田家の家系図ができてまして、他にも彼の子孫で生存が確認できる者がおりますが、あえて権利なしと判断してリストには加えませんでした。詳しくは報告書の方を見てください。
富男と弘安、ともみはここに来てもらっています。後はあなた方の方の人物が揃えばいつでもノートの公開は可能です。」
カッパーは後に控えていたパトリックに声をかけた。
「みんなをここに呼んで来なさい。それから春太郎君、富男氏と君の助手達を連れて来たまえ。君達にもこれは聞いてもらう権利があると思うよ、私は。」
テドが放射線密閉容器に入れられたノートを持って来て、カッパー・ステイトのマニュピレーターにそれを手渡した。
カッパーは放射線防護された別室から、聴衆の顔を眺め渡した。神妙な顔つきで待っている端正な顔立ちの富男老人。カッパーを除けば最年長の春太郎は、目にいっぱいの好奇心を浮かべている。ヨークはと言えば、大切な研究の最中に呼び出されたことにイライラしているのがここまで伝わって来るし、パトリックはぼおっとし、サイオンは不安げに周囲を見回している。春太郎の助手二人は、何かしきりに意見を戦わせていた。
カッパーは自分の音声出力端子に、音響装置のプラグを挿した。咳ばらいのような音がして、みなは静かになった。カッパーはいまなお放射線を放出しているノートのページを開けた。
ノートには次のような文章が書かれていた。
このノートは渡良井哲也、豊福賢一、そして私、白田英雄の子孫達に送るメッセージである。
このノートは、私の洞察にしたがって、最低二十年間人手に渡らないようにしてある。その時点で、もしこのノートが不要な物となっていたなら、また何年か人の手に渡らないようにかくして欲しい。
もしこのノートを偶然にも手に入れた方は、このノートをバーニー・ステイト博士かその縁の人にこのノートを渡して欲しい。彼らならこのノートに示される意味を知ることができよう。
哲也よ、もしくはこのノートを託されたあなた。私は数年前に哲也に話した無責任な言葉が彼を駆り立て、今のような状況を作り出してしまったことを悔いている。彼の試みは一時的には成功するだろう。彼がかつて高校で体制を新たに立て直した時と同じように。
しかしまた、私は知っている。彼がやり遂げた改革の後、代替りの果てに彼の縁の者がすべて卒業してしまい、体制は元に戻ってしまっていることを。
おそらく彼が祖先達が永年に渡って計画を立て築き上げてきた、今回成し遂げたもっと大がかりな改革においても、同じようなことが起きるのではないだろうかと。
これはすべて杞憂なのかもしれない。しかし私の洞察は明確に、このまだ完成していない惑星間国家の衰退を予測している。彼の息のかかった人間は二、三代で絶えるだろう。体制自体も、半世紀が限度であろう。楽観的に考えても、一世紀内外のうちに分裂ないしは、もっとありそうなことだが、士気の低下による衰退が待ち構えているのが手にとるように私にはわかる。
それだからこそ、哲也もしくはその意志を継ぐ者に頼みたいのだ。手遅れにならないうちに軌道の修正をするように。
このことは本来なら私の口から直接哲也に伝えるべきことなのだろうが、私の命はおそらくそこまでもたないであろう。私は哲也が決して私のレヴェルまで到達することができないだろうということを知っている。なぜならこの私の特殊能力が、私本来の物ではなく、私の直系の祖先が彼自身の、何代かの生まれ変わりをも含めた寿命と引き換えにミーミルより得た、泉の水によるからである。
私はその特に血の濃い異能者、ミーミルの泉の水を飲みし先祖の生まれ変わりなのだ。
私の子孫達よ。あなた達へのメッセージはまた、このことと関係がある。私の祖先を変えた泉は、決してこの世に存在するわけではない。だが、その世界特有の法則のため、この影響は子々孫々まで遺伝して行くだろう。
最初の数代は、おそらく意識することは無いだろうが、遺伝情報を定着させるため、血縁同士の結婚も起きるだろう。夫婦が互いにまた従兄だったりするかもしれない。あなた達のある者は知能がめざましく発達しているかもしれない。またある者は特殊能力を持っているかもしれない。誰がその能力を受け継ぐことになるかはわからない。また中には数奇な運命をたどる者もあろう。だが自分の運命を嘆かないで欲しい。あなた達はその運命を良い方に持って行く力があるはずだからである。そしてこのことをさらにその子孫にまで伝えて行って欲しい。
哲也そして賢一へ。私の影響は君達にもいくぶん伝わっていると思う。君達自身私と祖先を共有しているからだ。ことによると君達の子孫の中には異能を示す者が現われるかもしれない。私の発表したg方程式とc方程式の二つは、君達か私の子孫のうちの誰かが発見すると思う。
もちろん、私はこの二つの方程式を完全に証明している。しかし、それを導くのに必要な数学は現代のレヴェルをはるかに越えている。それでこれを、私は実験式として発表した。それは、これを書いている現在では、魔法とみなされるようなテクノロジーの適用によって初めて解明されるだろう。
後の参考のため、ヒントを与えておく。このノートの後の方にある数式を使えば、新しい宇宙航行の理論が得られるはずである。
私はしかし、私の先祖に代わってあなた達にあやまらなければならないのかもしれない。彼の巻き込んだ運命に。だが、その運命を呪う前に、その意味を考えて欲しい。この世に無用な者などいないのだから。
しばらく沈黙があたりを支配した。
しばらくして、春太郎が口を開いた。
「ミーミルというのは、北欧神話にでて来る神の名で、オーディンは彼から自分の片目と引き換えに知恵の泉を一口飲ませてもらったと言う。英雄は、父はその寿命と引き換えに知恵を得たとでも言うのか?」
その真の意味は誰にもわからなかった。
それから三十四年がすぎた。
あれから多くのことが起き多くの者が亡くなった。
自分が発見したばかりの方程式の解法が、英雄のノートにほとんどそのまま書かれていたことにしばらく気落ちしていたヨークは、英雄のノートをたよりに同僚のローリーと共にウォープ航法の理論を完成し、テスト機まで開発して見せた。彼らは、人類に初めて太陽系外へ簡単に行ける方法を示したのだ。
そのヨークももういない。
三十二年前、カッパーはかつての妻が亡くなった年に、太陽系政府中央議会の議員に選ばれた。
彼の活動はそれから大きく分けて二つに絞られるようになった。ひとつは、本当に数奇な運命にもてあそばれつつある英雄の子孫の消息を探ること。もうひとつは、地球を見離そうとする政府の体質を変えていくことである。
ひとつめの活動は、春太郎に任せたが、ノートの内容が公開されてから五年後に彼は亡くなってしまい、その後の調査は彼の助手達に引き継がれた。彼らは秘密裏にエスパー村への潜入に成功し、まだ若い白田家の当主と接触することに成功した。
流石にそれ程詳しい話はできなかったが、カッパーは彼らの悲惨な生活をじかに知ることになった。そのときから、カッパーの活動は、エスパー村の人権問題も含まれていった。
もうひとつの活動は遅々として進まなかった。それどころか、政府の体質は年々硬化し、民衆の政治への関心は薄れ、いつしか議会は終身制となっていた。カッパーがいくら改善を試みても、それはすべて徒労に終わった。
カッパーはこれまでに幾度も地球上に生命が残されていることを示した。しかし、政府の先駆者達が見捨てたこの星を、顧みようとする者はいなかった。彼らの関心は、増大する工業製品の原材料をどこから手に入れるかに終始していた。
西暦二二一七年に、ある一人の議員が、資源調達のためのとある法案を提出した。
そしてこの年二二一九年。議会はこの法案を可決した。
もはや歴史は後戻りできない状況まできてしまっていた。