ラブライフ(仮)
5.ヒトと同じですよ
たなかなつみ
小惑星での仕事は基本的に七日間周期で回している。掘削の仕事、集光器・導光路と居住空間の設備の点検・補修、居住区内に隣接して設置している植物園の手入れと飲料水等生活用品の外星への追加注文。この三つの仕事を大雑把に三日間で割り振り、それを二セットこなしたあと、一日を完全休養に充てている。完全休養といっても、実質は、六日間でこなせなかった仕事を補完したり、予期せぬ事故に対応したりで終わってしまう日が多い。植物園についてはまったく手を入れない日のほうが珍しいし、ホームプラネットよりもはるかに低重力な環境下において筋力を保持するためのトレーニングにも時間を費やしたりしているので、忙しい毎日を送っていると言えば言えるし、充実した日々を送っていると言えば言える。とはいえ、一日分の仕事時間の設定自体は、ホームプラネットにいた頃よりも少なめにしている。ひとりきりの生活で、おれ自身が過労で身動きがとれなくなるようなことがあれば、それこそ即座に生死に関わってくるからだ。
ケイは発送される前に、購買者つまりおれの居住空間であるこの星に模した負荷をかけられる適応テストに合格しており、日常的に特別な整備を必要としているボディではない。けれども、定期的に自身を分解してメンテナンスを施している。細かい調整も必要だが、何よりも大事なのは衛生の維持なのだとケイは言った。
「何分、閨で直接人の肌に触れるご奉仕が私の本分ですので」
いや、その「本分」、ここではもう必要ねーだろ、おい。
休養日に居住区の床に座り込み、自身のボディをせっせと細かく分解しながら、隅々まで丁寧に磨き続けるケイの隣に腰かけ、その姿を横目で眺める。元もとはおれひとりが居住区を離れる機会を見はからってメンテナンスしていたらしいのだが、たまたま居住区に引き返してその場を目撃することになった折に、そうした気づかいは必要ないと伝えたので、今ではおれの目の前で何ひとつはばかることなくメンテナンスする姿を見せる。確かに、かぽっと頭部を外して手元に置き、さらにその頭部のパーツを細かく分解して磨いてははめ込んでいく姿は、そのそれぞれの見た目自体が本当にヒトと変わらないので、グロいことといったらなく、おれの目につかないように図っていた理由はよくわかる。
「おまえ、眼球がそんなとこにある状態で、ちゃんとメンテナンスできんの? いったいどうやって手元確認してんの」
膝の上に自身の頭部を置き、髪を整えているケイにそう問うと、視覚で見ているわけではなく、触覚で認識しているのだと、メンテナンス済みの頭部前面が笑顔で返してきた。
「私は能う限りヒトに似せて作られていますが、ヒトと同じ仕組みでできているわけではありません」
それは、当然のことなのだが。
一緒にいると、錯覚する。わからなくなる。
触れた感触は、ヒトとまったく変わらないのだ。
「おれにも、それ、手伝えるか。やってみてもいいか」
ケイはにっこりと笑い、していただけるのならお願いしたいです、と言った。
耐熱性や耐衝撃性が高い良質の素材や丁寧なコーティングのおかげで、ケイのボディ自体に傷がつくことは稀だ。けれども、分解自体に困難を来さないように、各関節等はおれが考えているのよりもずっと容易に外すことができるということを知る。
ケイの指示に従い、押し出す角度と速度に気をつけると、各部位が綺麗に外れ、また無理なく元に戻せる。寄木細工のからくり箱のようだ。小さすぎるネジのような部品は必要最小限しかなく、また、ほんのわずかでも圧をかける位置や角度を違えるだけで外すことが不可能になるその継ぎ目は、いったん完全にはめ込まれてしまうと、おれの目でも指先でもまったく認識することができなくなる。その高い技術はまるで魔法のようにさえ思える。そして、内部のコア部分には繊細な取り扱いが必要なマイクロサイズのマシンが使用されているが、そこはケイ自身さえ取り扱い不能な別の細工で厳重に守られており、通常の整備で開かれることはないとケイは言った。
「コアの機能が狂ったり物理的に傷がつくようなことがあれば、広い意味での私の同一性は保持されなくなります。そんなことにはそう容易にはなりませんが」
頭部を元の位置に戻したケイは、いつもと同じようにおれの目の位置よりもほんのわずか高い位置から、おれに視線を向け柔らかな笑みを見せ、なんでもないことのようにそう言った。だが、おれはそれを聞いた途端に身体がかたまった。
「もしもおまえになんかあったりしたら、おれはどーすりゃいいの」
「ボディの修理でしたら、メーカーに送ってくだされば数日で済みますよ。ここからなら配送期間が加わるので、かなりの時間がかかってしまいますが」
「もしもコアに傷がつくようなことがあったら……?」
「ボディが使用可能でしたら、コアの交換だけで済みます」
自身の同一性が保持されなくなると断言したのと同じその口で、なんでもないことのように、ケイは穏やかな口調でコアについて説明する。
「じゃあ、そのときはバックアップを……」
「許されません。完全な復元はできません」
なんでもないことのように、そう断言する。
「どうして」
「正確に言うと、許される部分と許されない部分とがあります。リュウも知ってのとおり、安全のために定期的なバックアップ自体はなされています。けれども、私に知ることのできた個人のプライバシーに関わる部分には強い制限がかかるようになっています。バックアップは AI により常時クロールされ、オーナーやその周囲のプライバシーにつながると判断された部分は即時に格納され削除されます。私たちは通常とても私的な部分までオーナーに付随する情報を共有することが想定されるので、そこは非常に厳しく管理されることになっているのです。学習したデータ自体は保存されますが、対人的な部分までを含めた完全なバックアップデータを復元することは誰にも許されません。同じ理由で、仮にコア部分が開かれるようなことがもしあれば、コアに保存されたデータはすべて消滅するようになっております」
「それは、他者による個人情報の悪用を可能な限り避けるために……」
「仰るとおりです」
「自己同一性が保持できなくなるってのはそういう……」
「コアが交換されるようなことがもしあれば、例えば私に関して言えば、リュウに関する記憶だけがぽっかりなくなった私が戻ってくるとお考えください」
なんでもないことのように、言う。
「おまえはそれでさみしくないの」
おれは、目の前にいるロボットがまるで自律的な感情を有しているかのように、そう尋ねてしまう。
「こんなふうにあなたと過ごした時間をすっかり忘れてしまうと思うと、とてもさみしいですよ」
ケイは、当たり前のように、そう言う。
「でも、私はそういう存在ですので。そのように作られた存在ですので。閨で人の肌に触れるご奉仕が私の本分であり、それ以上のものを負う力は許されないのです」
当たり前のように、言う。
「ヒトと同じですよ。不完全なのです。そして、不完全であることで、存在の安全性が担保されています。リュウの記憶も完全に保持されることはないでしょう? そこは、ヒトと同じなのです」
まるで当たり前のことのように。
ボディパーツをすべて元のとおりに組み立て直したあと、ケイはまるで上級ストレッチのインストラクターかヨガの第一人者かと見まごうほどに、いや、当然のことながらそれどころではなく、ヒトでは不可能なまでに全身を柔らかく折りたたんだり伸ばしたりながら、その手と指の触覚を最大限に生かし、表面のスキンチェックをつぶさにする。つまり、全裸の状態でくねくねと動きながら自身の手で身体中を触りまくる姿を存分に見せつけてくれるわけだが…… そして、完了後は清めていた衣服を身につけ、元のとおり隣に座り、柔らかな笑みを浮かべておれを見た。
不完全なセクサロイドが、おれに向かって愛しげに微笑みかける。
「……おまえ、それだけすごい動作ができるくせに、なんだっておれのこと抱けねーの」
「与えられている能力的に、あなたを傷つけずに抱ける保証がないので。繊細な部分に触れる動作に枷がかかるようになっています」
そして、この部屋の備品のようにあなたを壊してしまうわけにはいかないでしょう? と同意を求めるように述べ、柔らかな笑みを見せた。
「リュウは容易に補修できるモノではない、ヒトなのですから」
確かに、ケイの手で破壊され、補修の跡を大きく残している綻びが、いま視界に入るだけでもあちらこちらに確認できることを思えば、まったくもってそのとおりなのだが。
「おれがおまえのことを抱くのも無理なんだよな……」
「できません。私の側に受け入れる機能自体がありません。そのことについてはすでに何度もご説明しましたし、先ほどリュウ自身の目でも隅々まで確認されましたよね」
ケイは笑顔でそう断言する。
確かにそれも、まったくもってそのとおりなのだが……
「本当に、役立たずだなぁ、おまえは」
ケイの腕をつかんで揺さぶりながらそう言うと、そうですね、と応じたケイは、その揺さぶりに身を任せるような動きで、流れるようにおれの身体を柔らかく抱きしめた。
ケイからもたらされるあたたかみを肌で感じる。自身の皮膚を通して、人肌としか思えないその「体温」が感じられる。
それだけで、簡単に癒されてしまう。
役立たずだなんて、嘘だ。
いま触れているこのぬくみは、ヒトとはまったく異なるパーツと原理で出来上がっているということは、つい今しがた分解されたケイのボディを自身のこの目とこの手で確かめ、疑いなくわかっているはずのことだ。
それでもなお、このぬくみをヒトのものだと錯覚し続けてしまうのは、そのことに疑いをもつことのほうが難しいと思ってしまうのは、なぜなのか。
いま、おれに触れているこの存在を、おれはなぜ――
「……おれ、おまえに何がしてやれんのかな。何をやってやったら、おまえ、喜ぶの」
「あなたが喜んでくださることこそが私の喜びです」
「そういうことじゃねーよ!」
それこそ定型句のように繰り返されるその言葉に苛立った声をあげると、ケイは柔らかな声で、そうですね、と応じる。
「あなたが喜んでくださっている様子を見せてくださらないので、今の私に喜びはありません」
「……ずるいだろう、それ」
「そうですね」
ケイの腕に捕らえられたまま、少し視線を上げ、ケイの顔を見上げる。ケイは優しい笑顔でその目をおれに向けていた。
おれの喜ぶこと、ね。
背筋を伸ばし、ケイの唇に、口づける。
間をおかずに唇を離すと、ケイが少し目を見はった表情で、おれを凝視しているのが見えた。
そんな顔、初めて見たよ。おれは少し笑ってしまう。
おれのなかに、何を探している?
なぜそんなことを、とは自分でも思う。何の意味があるんだ、と自分でも思う。
それがどうした。なぜ、とか、何の、とか、どうでもいい。
おれにとっては意味のある行為だ。それだけでいい。
おまえにとっては、どうなんだ。
ケイはゆったりとした笑顔を見せた。そして、おれの後頭部に手を回し、その指におれの髪を絡めながら撫でて抱き寄せ、おれの唇を食むように自身の唇を重ね。
その舌でおれの口中を愛撫するように舐めた。
長い時間をかけて、ゆっくりと舐られる。まるで、絡み合うそこからふんだんに愛情を注ぎ込もうとされているかのように。
まるで、愛しい相手と繊細な部分を互いに深く交わらせることで、さらなる情を交換し合い、さらなる確かなつながりを結び合おうとしているかのように。
なるほど、これがおまえの「本分」ってやつか。すごいよ。さすがだよ。感服するよ。
錯覚しきるに、充分だ。
唇をほどいたケイは、深い笑みをおれに見せた。それは、つまり、おれが喜んでいることが今のケイにはわかるので、喜びを感じていると、そういうことを言いたがっているのだろうか。
そうだ、間違いない、おれは喜んでいる。軽く高揚さえしている。
そして、同時に――
「おまえの名前を、ケイにしなければよかった」
「なぜですか」
おれは笑って首を振り、ケイから身体を離して立ち上がった。そして、いつものやつに行ってくる、と言い残し、日課のトレーニングに向かった。
居住区の端に設えたジムの重力をゆっくり上げながら、身体を伸ばしてストレッチをする。少しでも身体に異状を来さずに、この星で長く暮らせるように。
おまえとふたりきりでいられるこの時間を、少しでも長く引き延ばせるように。
まるで、それ以外にともにいられなくなる期限など存在しないかのように。
指先が唇に触れる。その瞬間、先ほどの口づけの感触をそこが思い出す。
たとえようもなく、甘やかな記憶として。
初めて経験した行為というわけでもないのに。なんなんだ。
この身の内に確かに存在していたはずの違和感は、いったいいつどこへ消え失せてしまったんだ。まったく。
胸が、弾む。
「ずるいだろう、おまえ、本当に、もう……」
自身を抑えるように大きく息を吐きながらストレッチを続ける。
本当に、ケイなんていう名前にしなければよかった。ほんのわずかでも別の誰かを思い出させるような名前になんかしなければよかった。
ただおまえのことだけを思い起こすことのできる、ただおまえのことだけを恋しがることのできる、唯一の特別な名前を与えてやればよかった。
そういう名前で、おまえのことを呼びたかった。