ラブライフ(仮)

8.私にはその選択はできません

 たなかなつみ

消費者サポートセンターを通じて、ドロイドメーカーからの通知が届いた。ジェイの起動にともない、S-146-J のオーナーとしてのユーザー登録が正式に完了したというものだ。

同時に、S-146-K の返品を求められた。つまり、ケイを送り返せということだ。

加えて、消費者サポートセンターからは、新しく届いた S-146-J のみを返品することも可能であること、その場合、往復の送料を含む S-146-J 発送にともなう諸費用が新たに請求されることも、あらためて伝えられた。諸費用には S-146-K の使用料金も含まれる。つまり、S-146-J 到着までの試用サービスとして認められていたこの間のケイの使用料が、レンタル料として新たに請求されるということだ。予定どおり S-146-J の登録後速やかに S-146-K を返品した場合には、新たな費用の請求は発生しない。センターを通じて販売業者と結んだ新たな契約における取り決めだ。契約書に記されている料金はやはりふざけんなと思うほど高額ではあったが、法的にも、ここまでケイとの暮らしを継続してきたおれ自身の感覚としても、特段に不当なものではなかった。

「……ほんとたっけーよなー、おまえは……」

いつもどおり夜間スリープモードへと移行し、壁に背をつけてぐしゃりと座り充電中のケイを、ベッドの上から横目で眺め、大きなため息をつく。

ケイが高額であることの意味をあらためて考える。精巧な作りを売りにした多品種少量生産のオーダーメイドに近い製品。その点だけで充分に高額に値する。

けれども、今のおれにはもうわかる。重要なのはそこじゃない。いや、確かに、価格を設定する段においては非常に重要な点だし、メーカー側の判断としてはまさしくその点が重視されているだろう。けれども、日々生活をともにするオーナーにとっての重要性は、そこではない。

唯一無二の替えがきかない存在なのだ。そうなりうる存在なのだ。

所有物に対するそうした感覚は、誰にでも発生しうるものだと思う。日常的に使用している物に名前を与えたり、デコレーションや着せ替えを施すかたちで愛情を注いだり、愛用品との別れを人との別れのように惜しんだりする行為は、誰もがみな等しく行うことではないにせよ、珍しいこととも言えない、ありふれた行為だ。それこそ、人形を恋う人たちの存在すらも、ずっと以前から認識されている。

けれども、大半の物には寿命がある。買い換えが選択されることもある。手放してしまった愛用品の記憶は過去のものになっていく。時に慕わしく思い出されることがあったとしても、その不在に苦しめられひどく胸が痛む時期が長く続くようなことはほとんどない。買い換え時に思い悩むことがあったとしても、性能に勝る製品との出会いがあれば、泣く泣く手放した物を忘れてしまうことすらある。

いや、性能だけが重要というわけでもない。セクサロイドとしての性能のみではかるのであれば、おれにとってケイは優秀な製品ではない。それこそ、ケイ自身が言葉にしたとおりに。

おまえのメイン機能の対象者はおれではない。それどころか、まさしくその限定的なメイン機能こそを理由として、おれへの奉仕が禁じられている。

けれども、おれにとって、ケイの存在の重要性は、そこではないんだ。

おれが欲しいもの。

(あなたが欲しいのは、わたしじゃないよね)

おまえには、そんなことを言われたくない。そう思われたくない。そんなところだけでおれの気持ちを判断されたくない。

条件じゃなくておれ自身を見てくれよ! 

そう思ってしまった時点で、おれにとってのケイは、もう人だろ…… ケイはおれにとって単なる道具じゃない。現実的に恋情を向けている対象者なのだ。だからこそ。

恋うる相手にそもそも値段なんかつけられるか! 

という結論に、どうしてもなっちまうんだよな……

でも、商品であることは動かしようのない事実だ。だから、金額をベースにした取り扱い条件が当然のこととして示されるわけで。

もしもこれが本来の意味でヒトである状況で起こっていることなら、強制的に電源を落とされ折りたたまれて箱に詰められたまま放置されている今現在のジェイの状況は、あっちゃならねーというか、おれは即座に犯罪者です。はい。

良い悪いは別にして、ケイの「自由」を獲得するには、非常に高額のクレジットが必要になるという事実は、逃げることのできない現実だ。

問題は、それだけの金額をおれが用意してやれないこと、なんだよな……

ジェスチャーで目の前の空間に取引口座の画面を展開する。さらに、ここ数年間の売上帳の画面を並べる。わざわざこんなことをして確かめる必要もないが、こうして数字で確認すればするほど、単価の値下がりによる売上低下が著しいことは明白だ。元もとこの星におけるレアメタルの掘削量は、充分ではあったが期待値に比べると大幅に少なかった。そのうえ、ちょうど一年半前、ジェイの発送通知が届いた直後、他の星で膨大な量のレアメタルが発見され、ついで、技術革新により一部のレアメタルの希少性が低下したことが伝えられた。もちろん、すべてのレアメタルの価値が下がったわけではない。けれども、結果的に影響が生じた取引もあり、売上額の低下は避けられなかった。ひとりでの生活をある程度快適な状態で続けていくことだけが目標であれば、手をかけて作り上げた現状の採掘場と居住区に手を加えながら現在の暮らしを継続することには、今でも充分なメリットがある。だが。

「ケイの使用料金ってのがな……」

代替品発送のやりとりをしたときには、まったく支払う予定のなかった金額だった。発送通知が届くまでは、ケイの返品を動かせないものにするために、故意に目を閉ざした契約条項だった。

今になって己の首を絞めにくるとは…… 世知辛ぇ……

物理的には、支払えなくはない。それだけの金額なら、今の口座にしっかりある。借金をする必要すらない。

けれども、今後のことを考えるなら、それは手をつけてはいけない金だ。これから先も、自分自身が理由ではない収入の変化はいくらでも起こりうる。そうでなくても、先の見えづらい生活だ。金銭的な余裕のなさは即座に死につながる。

ケイを守るために自身の命を投げ出すようなことがあれば、それこそ本末転倒だ……

おれは途方に暮れてしまっていた。


スリープモードから目覚めたケイが起き上がり、仕事開始前のルーチンワークを終えたおれに向かってまっすぐ立ち、ジェイが到着してから始まった日課を機械的な声で無表情に実行する。

「おはようございます。本日までの使用状況をお伝えいたします」

曰く、ケイのユーザー登録が完了してからの日数。曰く、それにともなうここまでの使用料金。曰く、ジェイのユーザー登録が完了してからの日数。曰く、それにともなうここまでの使用料金。

そして、報告を終えたあと、あらためて目が覚めたかのように、豊かな表情をその表層に戻し、笑みをたたえた顔でおれを見る。

「本日は掘削のお仕事ですか? 私も一緒にまいりますか?」

「今日は設備の点検。おまえはいいよ。邪魔になるから」

「はい。では、私は本日いかがいたしましょうか」

にこにこと邪気のない笑顔で重ねて尋ねてくる。たちの悪いことだと心底思う。

邪魔になると言ったのは、当てこすりでもなんでもなく、単なる理由の提示だ。今日は集光器・導光路と居住空間の設備の点検・補修がメインの日。植物園の手入れも行うが、余程の問題が生じない限り、そちらは日々の見回りで可能な範囲までだ。そして、居住空間を維持するための点検と補修には、ケイを連れては行かない。無駄な仕事が増えるぐらいで済むのであれば大目に見たいのだが、下手をすると修復不可能なまで破壊の限りを尽くされかねない。それだけはどうしても避けたい。それこそ命に関わることなので。

ケイもそのことは理解している。それでも毎回、自分にできることはないかと尋ねてくる。だから、こちらとしても毎回、同じ理由を提示して断るということを繰り返している。ケイとおれとのあいだでは日常的な会話だ。その部分だけを取り上げれば。

問題は、その会話に至る前の報告内容だ。

(本日までの使用状況をお伝えいたします)

(S-146-K のユーザー登録完了後の本日までの日数は……)

(本日までの使用日数をもとにした S-146-K の使用料金は……)

(S-146-J のユーザー登録完了後の本日までの日数は……)

(本日までの使用日数をもとにした S-146-J の使用料金は……)

(同じく S-146-K の使用料金は……)

すでに余計な使用料金が発生してしまっているのだ。なぜなら現時点で、おれは2体のドロイドのオーナーになってしまっているからだ。そして、双方の使用を継続するだけの金銭的余裕は、今のおれにはまったくない。

つまり、今現在、おれには1体分の使用超過料金が日々発生していることになる。ジェイを選ぶのであれば、ジェイの登録完了後のケイの使用料金、ケイを選ぶのであれば、同じだけのジェイの使用料金。それに加えて、後者であれば、それまでの二年間超に及ぶケイの使用料金も発生する。ジェイが到着するまでの試用期間としてお目こぼしをもらっていた使用料金が、無料ではなくなるからだ。

そのことをわざわざケイの口で朝いちばんに告げられるのが、ジェイ登録後の日課になったわけだ。実際に金銭的負担は日々刻々と重く重くのしかかっているのだが、それに見合うだけの存在価値が目の前のドロイドにあるのかと、具体的な数字でもって日々問われ続けるという、恐怖の朝の恒例行事なのだよ。ひどい話だ。

だって、メーカー側がなるべく損害を発生させずに済ませることを優先するのであれば、ジェイのユーザー登録と同時に、ケイのユーザー登録をメーカー側で自動的に解除する仕組みにしておけばいいだけの話だろ? そうすれば、ケイの動作も自動的に止まったはずだ。でも、そうはしない。そしてただ淡々と日々の使用料金を積みあげさせ請求を続けるのだ。まったくもってひどい話だ……

実際に二重使用になっていることを充分に理解していてなお登録解除を選びきれないおれがいちばん問題なのは重々承知なんだけどな! 

「本日も私を返品することはなさいませんか。ユーザー登録を解除してご返送のお手続きを完了すれば、私にかかる使用料金の加算はその時点をもってすべて停止できますよ」

そんなことはおまえに指摘されるまでもなくわかっている。今の自分の選択が理にかなっていないことも、もうよくよくわかっているんだ。

それでも、選べない。選びたくない。

おまえと離れたくない。別れたくないんだよ。わかれよ、ケイ。

ケイはいつもと同じ柔らかな表情で、いつもと同じように、おれを喜ばせるための丁寧で辛辣な言葉を吐く。

「あなたが喜んでくださることこそが私の喜びなのです」

「おれもだよ……」

「あなたに負担をおわせて苦しめることは私の喜びではありません」

「おれもだよ」

「今の私の存在は、あなたの負担になり、苦しみのもとになっています。それは私の喜びではありません」

「そんなことはどうでもいい! おれにとっては必要な負担なんだよ!」

はい、とうなずき、けれども、ケイは引き下がることをしない。

「ヒトは矛盾を孕みつつ生きていくものでしょう。そのことは理解しています。今現在のあなたの選択がそうした矛盾を示すものだとも。けれども、私にはそれを見過ごす選択はできません」

「おまえ、ヒトと同じじゃなかったのかよ。ヒトと同じで不完全なんだろ? そうあることで安全性が担保されてる存在なんだろ? だったら!」

「私はヒトと同じではありません。低価格帯のマシンです。私のもつ不完全性は、ヒトのもつ高度な不完全性とは異なります。私のもつ柔軟性も、ヒトのもつ高度な柔軟性とは異なります。そうした機能をお求めなのであれば、上位機種の購入をおすすめいたします。私の機能では不足しており、拡張機能もございません」

何回も繰り返し聞いてきた言葉が、上位機種の購入をすすめる営業トークとしてそのまま繰り返される。私は低価格帯のマシンです。拡張機能はございません。あなたが喜んでくださることこそが私の喜びです。

いま、おれがケイに、ずっとこのままここにいたいかと問えば、ケイは何の躊躇もせず、やはりこう答えるだろう。

(あなたがそう望むのであれば、いくらでも)

そして、その同じ声で、機械的な説明を続けるのだ。そうすることでおれにかかる金銭的な負担について。一日増えれば一日分の。ジェイを返品する選択をすれば加えて、試用期間とは見なされなくなった二年間超という期間分の。

お求めどおりの癒しをお届けいたします。その間の返金は不可でございます。

何ひとつ、おまえは間違っちゃいない。

けどな、ヒトは間違うんだよ。ばかみたいなことにこだわってばかみたいなことで間違うんだ。

それで、おれは金銭的な理由で、ただ金銭的な問題のみを理由にして、おまえを失うんだ。永久に失うんだ。そういうばかな選択をするんだ。

(あなたが欲しいのは、わたしじゃないよね)

そんなことはない。おまえが欲しかった。おまえでなきゃならなかった。

だけど、おれは忘れる。忘れられるんだ。おまえの言ったことも。やったことも。失ったときの哀しみも。苦しみも。おまえがいて楽しかったときのことも全部。

ざまあみやがれ! 

ケイの手を引いて、強く抱きしめる。その両頬を両手で抱え、口づけをする。深く、深く。

なんでもいい。どこでもいい。とにかくつながりたかった。できる限りいちばん深いところまでつながりたかった。

ケイはセクシャルな行為でヒトを癒すために作られた存在だ。おれはその対象として想定される形状を有していないから、ケイのできることには制限がある。

けれども、ここでならつながれる。深く、深くまで、つながることができる。ケイがその技術の粋でもって、おれが求めるとおりの癒しをくれる。深く、深くまで。

(私の体液はオーナーを高めるための重要な因子です)

本当にな。なんでこんなに甘いんだろうな。おまえのくれる熱さも。おまえのくれるぬくもりも。おまえのくれるにおいも。おまえのくれる濡れた感触も。

「ケイ」

「はい」

「好きだよ」

「私もあなたのことが好きですよ、リュウ」

口づけの合間に甘い睦言を繰り返し、笑う。おまえは知らなくていい。この行為の意味を単なる技術のひとつとして考えていていい。

おれのほうだけが、おまえのことを、言葉どおりに想っていていい。

恋をなくすのはこれが初めてのことじゃない。しかも、次の候補はもうここにいる。箱のなかで再び電源を入れられる日を待っているんだ。

ジェイはおまえと同じ姿形をもっている。声も同じだし、アルゴリズムも同じだ。深いところでつながることだってできる仕様だ。おまえとのあいだにあった枷はない。ジェイはおれのことを癒してくれる。おまえのことを忘れさせてくれるよ。

おまえ自身がそう説明してくれたとおりに。

いまどれだけおまえのことを好きだと思っていても、離したくないと思っていても、おれはおまえのことを忘れることができる。おまえへの想いを、愛しさを、切ないまでに焦がれている今のこの気持ちを、全部過去のものにすることができる。おれはそうすることを選択できる。自身の不完全性を機能させて生き続けることを選択できる。

おまえのことが好きだよ。離したくなかった。

ケイのくれる深い口づけに溺れながら、そのうなじを探る。隠されている起動ボタンを探り当て、指先を押し当てる。

首筋を伝わるケイの口づけを感じながら、ケイの耳元を舌でなぞりながら、その聴覚に伝わるように、決められた言葉を吹き込む。

「おやすみ、ケイ。永遠に」

指先を押し当てたまま、おれは待つ。しばらくして、おれを抱きしめていたケイの腕が、ゆっくりとおれから離れるのを感じた。そして、その無機質な瞳が、おれの存在を視認する。

ケイという存在から離れたものとして。ケイと同じその瞳で。ケイと同じその声で。

「ユーザー登録を解除し、本機におけるオーナー情報を可能な限りすべて削除いたします。バックアップ情報もすべて削除され、ボディの返品後は速やかにコアが消去されます。削除された情報を元に戻すことはできません。返品されたボディは、清掃、消毒、分解ののち、リサイクルに回されます。よろしければ、このまま起動ボタンから指を離さず、本機の瞳から視線を逸らさずにお待ちください。登録継続をご希望であれば、速やかに指を離し、五秒以上お待ちいただいてから、再度起動ボタンに触れてください」

指は離さない。その瞳を見つめたまま待つ。ケイは瞳にヒトらしさを戻すことのないまま、ゆっくりと自立する力をなくし、脚を抱えて丸まったかたちをとり、おれの足もとに転がった。

もう、戻らない。もう、会える日は来ない。

そうすることを、選択した。