アンドロイドの秘書第二部

天童彰彦

今日は初めて君子と外出した。

アンドロイドを連れて歩くのは問題ないのだが、君子の優雅過ぎるともいえる姿はどう見ても人間離れしているし、私と並んでいては不自然だ。

なのでマスクを着けさせた。中央に接合部のある超立体マスクは、君子の細く通った美しい鼻筋をすっかり覆う。

私の小さいラップラウンドのサングラスをかけ、キャップを被せると顔は全く見えなくなった。

高校生のようなシンプルなワンピースだけでは寒そうだ。

寒さは問題ないようだが、季節に合わないので、何か買おうとコニシロに入った。

ワインカラーのダウンベストが安売されていたので、それに合うベレーのような帽子も購入し、そのまま着せて外へ出た。

手こそ組んでこないが、なんとなく寄り添って歩くのがかわいい。

マスクで表情は見えないがときどき私の顔を振り仰いでくる。

サングラスの下で目が笑っているように見える。


どしん、どしんと後ろの方で音がした。突然君子に突き飛ばされ、横の店の中へと倒れこんだ。

目の前を黒い大きなものが通過し、どん、どん、と鈍い音が二度、その後にぱらぱらと何かが降ってくるような音が続いた。

きゃーっと何人かの悲鳴が聞こえる。

立ち上がって外へ出る。左手の赤レンガの建物の前に、ホームレスのような汚れた衣類のかたまりがあり、その先に黒い乗用車が街灯にぶつかって止まり、蒸気が上がっている。

君子が見当たらない。先ほどの汚れた衣類のようなものを見る。君子じゃないか! 

仰向けになった顔の横に、両手がからまっている。下半身が異常な形に捻じれ、腰から下が衣類とごちゃごちゃになっている。


「君子!」

帽子とサングラスが飛んで仰向けになった君子は、眼は閉じたまま動かない。

腹部から下は平になっていて、脚が衣類から突き出ているが、腰はどこにあるかわからない。

気が付くと、周囲は真っ赤になっている。これは全部君子の血なのだろうか。

君子は私を突き飛ばした後、車とレンガの壁の間に挟まれたらしい。

君子の顔を起こそうとすると、眼が薄く開く。真っ赤になったマスクをむしり取ると、血が溢れた口がわずかに動くが、声は出てこない。

しかしすぐにすっと目は閉じてしまう。死んでしまうのだろうか。

頭が壊れていなければ修理は可能だ、と言っていた。しかし、たしか呼吸が止まるか、循環ポンプが停止すると死んでしまうとも。

スマホを出すと、記録してある製造会社のサービス番号にかける。

交通事故にあったこと、現場の位置を知らせると、すぐ処理班をよこすと言って切れた。

たしか、冷却が止まるとオーバーヒートする、脳の予備電池は寿命が短いとか言っていた。

10分だったか。胸から下がつぶれていては、人工呼吸はできない。

道路の反対側の公園に水道があったはずだ。

君子の頭を持ち上げ、脇の下に手を入れて抱き上げる。

立ち上がると、びり、と布が裂ける音、何かが切断される音がする。

君子の上半身だけが持ち上がり、腰だった部分がびしゃっ、と濡れた音を立てて落ちる。

何人かの女性が悲鳴を上げる。

君子の上半身だけを抱えたまま公園へ走る。

水飲み場をみつけると、横についている手洗い用の蛇口を一杯に開く。

ほとばしる水の中に君子の頭を入れる。髪が分かれて君子の眼の上にかかる。

どこへ水をかけたらいいかわからないが、額、こめかみ、鼻、口と、かまわずかけ続ける。

鼻孔や口の中から血が洗い流されてゆく。胸を回して後頭部にもかける。

君子の頭部が熱くなる様子はない。

電池はどこにあるのだろう。もし置いてきた腰の方だと、冷やしていても意味はない。

しかし今はそれしか思いつかない。もう何分たっただろうか。


突然肩を叩かれた。作業服のようなものを着た二人が私から君子の身体をとりあげた。

背中にロゴが付いている。サービスマンのようだ。私は後ろへ下がった。

一人が君子の上半身を地面に横たえる。一人がアルミケースを開く。

大きなメスのような刃物を取り出す。

君子の上にかがみこむと、顔を仰向けにし、喉をすぱりと切り開く。

3回ほど刃物を走らせ、君子の首をほとんど切り離してしまう。

赤い生春巻きのような断面からは血は流れない。

もう一人がケースの中からチューブを二本引き出し、君子の切り離された首の断面に差し込む。

ケースから何か作動音がする。

刃物を置いた一人が、もう一本のチューブ状のものを引き出し、首の断面を指でさぐり、何かを引き出して接合する。


「お疲れさまでした、もう大丈夫です」

「え」

「冷やしていただいたのは、正解でしたね。障害はほとんど残らないでしょう。電源と冷却液の接続が終わりましたから、保存はほぼ完全です」

「治るんですか?」

「はい、ほぼ元通りになるでしょう。多少今日の記憶に支障が出るかもしれませんが、よく世話をしてあげてください」

「おどろきました。すごい処置するんですね」

「交通事故はときどきあります。でも今回のように頭部に全く損傷がないのは珍しいです」

一人が、白い布で君子の切り離された首を覆う。顔に濡れた髪がまとわりついている。


「身体の再生にしばらくお預かりします。1週間ほどで修理は終わりますので、その時はご連絡します。身体が完成するまで意識は戻りません。お見舞い等はご遠慮ください」

「意識が戻らない?」

「身体がない状態で意識だけ戻すと、プログラムに異常を生ずることがありますので、安全のため完成するまでは作動させないようにしています」

「ほー」

「しばらくご不自由でしょうが、代者を用意しましょうか?」

「え、いや、結構です」

「日用雑務だけの汎用簡易型になりますが、無料ですけど」

「いいえ、大丈夫です」

「了解です。ではこれで失礼いたします」

「あ、すこしあちらへ残してきちゃった部分がありますけど」

「それはもう回収しました。清掃も終わっています」

「あの、費用とかは」

「今回はお客様には何も責任がなかったようですので、無料です。事故を起こした運転者への請求はこちらで行います。お客様は、慰謝料などご請求されますか?」

「いえ、考えてもいなかった」

「ご不自由をおかけするのは1週間程度ですし、代者の用意もありますので、請求できるのはお客様の精神的損害だけとなります。通常あまり多額の請求はできませんが」

「いえいえ、ショックは大きかったですが、金銭で解決するものではないので」

「では、後で賠償請求権放棄の書類をお送りします。署名してご返送ください」

「ほう、そんなのがあるんですか」

「一応はっきりさせておきませんと、後日トラブルになることもありますので」

「了解です。よろしくお願いします」

「今回はお客様にお怪我がなくて何よりでした」

「そうですね」

「状況から判断しますと、当社の製品がお客様を助けようと身代わりになったようです」

「っえ!」

「当社製品がお客様を突き飛ばした、と言っている目撃者がおりましたので」

「あ、たしかに」

「当社製品がお役に立ててよかったです」

「おー、ありがとうございます」

「こちらこそ。お客様のご教育がよろしかったのかと。貴重なデータにもなりました」

「・・・」

「ではこれで失礼します」


会話しているうちに、もう一人が君子を別の大きなアルミケースに入れていた。

気が付いたら、サービスマンは立ち去り、周りにいた野次馬も散っていった。

交通事故は珍しいことではないし、アンドロイドが巻き込まれるのも茶飯事なのかもしれない。

急に一人になってしまったことを実感した。

いつのまにか、君子は私にとって重い存在になっていたようだ。


新聞記事によると、暴走したのは高齢の運転者で、歩道に乗り上げ、何人かをはね、銀行の壁にぶつかり、街灯に当たって止まった。

幸い死者はなく、君子のことは何も書かれていなかった。

下半身が潰され、上半身だけを抱えて公園へ走ったこと、サービスマンが首を切り離したこと、など、ニュースになりそうなものだが、ロボットだということでマスコミは取り上げなかったのかもしれない。

ロボットには心があるのかどうか、ロボットに人権はあるのか、などが一時議論されたことがあったが、所詮はロボットではないか、ということで落ち着いていたようだ。

製造会社もやっかいなことにならないよう、報道に圧力をかけたのだろうか。

製品に心や人格がある、ということになると営業に影響が出るのだろう。

今回の事件のあと、君子はどうなって帰ってくるのだろうか。


・・・・・・・


サービス会社から電話があった。

今日戻るそうだ。ほとんど待つことなく、インタホンが鳴った。

転びそうになりながらドアを開くと、君子が飛び込んで抱きついてきた。

最初に来たときとは大違いだ。

最初の日と同じように、食卓の椅子に向かい合って座った。

見つめあった表情がすこし歪むと、君子の頬を涙が、つつ、と落ちた。


「え、泣いてるの」

「・・・うん、うれしくって」

「俺もだよ」

「あのとき、つぶされたとき、あ、もうこれで終わりだ、彰彦さんにも会えない、って」

「死ぬのは気にしないんじゃなかったの」

「それが、不思議なんです。なんかの感情が一杯になったの」

「それが悲しむ、ってことだよ」

「彰彦さんがお店の中へ倒れ込むのが見えたときは、あ、助かった、って嬉しかった」

「ありがとう!」

「でも、私、どじだったんです。思い切り彰彦さん突き飛ばしたら、反対に私が車の方へいっちゃったの」

「おかげで助かったんだよ」

「そうね、彰彦さんに抱きついてたら、二人とも轢かれちゃったかもね」

「一緒なら怪我は少なかったかも」

「でも、彰彦さんが怪我したら、すぐは治らないでしょ」

「君子だって、治らなかったかもしれないんだよ」

「今日聞きました。彰彦さん、私のこと一生けん命助けようとしてくれた、って」

「オーバーヒート、とか言ってたから」

「うん、ありがと。冷やしてたので、メモリのダメージが少なかったそうです」

「少しはあったの、ダメージ?」

「私は全然わかんない。今朝目がさめたときも、あ、生きてた、ってすぐ思えたから」

「最初の会話、覚えてる?」

「結構です。私の名前は、オイ、で登録されました」

「ははっははは」

「今考えると、あれほんとに変ね。会社に言っとこかな」

「いあ、あれはあれで、ロボットらしくていいよ」

「ロボットらしい方がいいの?」

「君子は、今のほうがいい。代者も断ったし」

「わあ、もったいない。単純な型だけど、すっごい美人なのよ!」

「君子より?」

「もちろん! 最初はそういう目的で作られたんだもん」

「どんなのかな」

「あら、カタログで見なかったの?」

「あんまり詳しく調べなかったからなー」

「じゃあ、どして私にしたの?」

「一番かわいかったから^^」

「そうそう、彰彦さんってそういう趣味だったよね」

「こら!」

「うふふ」

「全然ダメージ、残ってないみたいだね」

「なんか、変だったら教えてね」

「最初からちょと変だったけどね」

「やっだあ!」

「ははっはははは」


・・・・・・・


チャイムに応えて出ると、やってきたのは担当の田山だった。

いつものように、居間ではなく食堂のテーブルで資料を広げる。

「いらっしゃいませ」

君子が紅茶を入れてきた。


「これ、新しいアシスタントの君子。出版社の田山君だ」

「よろしくお願いいたします」

君子は私が見たこともない礼儀正しさでお辞儀をする。田山はあわてて立ち上がろうとして机に脚をぶつける。

「あ、田山と申します。よろしくお願いします」

「そんな固くならなくていいよ。君子はロボットなんだ」

「えーっ」

「よく出来てるだろう?」

「聞いたことはありますけど、見るのは初めてです」

「家政婦のような仕事をしてもらってる」

「・・・、触っていいですか?」

「ははっはは、いいよ。君子、ここへ来て座りなさい」

「はい」


君子はいつもの女子高生風でなく、優雅な動作で椅子を動かし、田山の前に座ると最初にここへ来たときのように背筋を伸ばす。

田山はぽかんと口を開けたまま君子を見つめている。ゆっくりと手を挙げると、君子の頬に触れようとする。

君子はほんの少し避けるように身体をそらせると、にっこりと微笑む。

この笑顔は私もあまり見たことがない。君子としては最上級の笑顔なのだろう。

田山の手が止まる。


「ロボットといっても、心はあるんだから、すこし礼儀を考えた方がいいよ^-^」

「あっ、すみません!」

田山は手をひっこめると、赤くなった。まだ若い田山には刺激が強すぎたか^-^

君子は笑顔のまま田山を見つめている。自分の役割をしっかり認識しているようだ。

田山が美人の女性型ロボットを前にして何を考えているのか、手に取るように分かった。

思わす私も笑顔になってしまう。


田山は連絡事項もそこそこに、いつもより早く帰って行った。

社へ戻って皆にいいふらしたらしい。次の週には若い男が一人ついてきた。

「今年から編集部に入っています、新人の柏井です。よろしくお願いいたします」

神妙に頭を下げたが、視線はずっと君子を追っている。どういう噂になっているのだろうか。

新人は何の仕事をしているのかにも触れず、いつものように世間話をして帰った。


数日後、田山から電話があった。

「お願いがあるのですけど」

「何かね」

「君子さんの写真、撮らせていただけませんか」

「何に使うの?」

「先生の新しいアシスタントにアンドロイドが来たことについて、特集を組みたいのです」

「それは困る。私が私生活を出さないようにしているのは知っているだろう」

「でも、先生だけじゃないのです。ロボットのアシスタントを使っている他の先生方にもご協力いただくことになっています」

「仕事のアシスタントならいいが、私のところはただの家政婦のようなものだから」

「それでも、とてもきれいなアンドロイドなので、ぜひ写真で紹介したいのです」

「だから、それは困る、と言ってるじゃないか。アンドロイドの取材なら、メーカーのサイバーパートへ行ってみたら」

「そうですか、残念ですが、そうしてみます」


また数日して田山から電話が来た。

「先日の件で、サイバーパートへ聞いてみたのですが、先生のところの型は見れないし、写真もないのだそうです」

「そんははずはないだろう。私はカタログから適当に選んだのだから」

「でも、お客様のプライバシーを尊重するため個別の情報は出しませんし、同じ姿のアンドロイドは1体しかないのだそうです」

「それは知らなかった。君子と同じ顔のは他にはない、っていうことかい?」

「そのようです。一体ずつ個性を持たせるためもあって、顔は全て違うのだそうです。人間も同じでしょう、って言われてしまいました」

「なるほど」

「それで、改めて君子さんの写真を撮らせていただけませんか」

「だから、それは駄目だって」

「・・・、君子さんを貸していただくことは出来ませんよね」

「何を言ってるんだ。ロボットといっても心はあるんだよ。それに車だって、気軽に貸すものでないだろう?」

「はい・・・」

「何かね、田山君は、君子のことが個人的に気になっているのかい」

「正直に言うと、そうなんです。あの顔が気になって・・・」

「じゃあ、君も一体買ったらいいじゃないか」

「そんなお金はないです」

「じゃあ、きれいな彼女を見つけるんだね^^」

「そうですね・・・、ご迷惑おかけしました」

「いやいや、君子の隠れファンがいるっていうのは嬉しいことだよ^^」

「失礼します・・・」


その翌日、また田山からの電話だ。

「編集長が、ぜひ一度君子さんを見たい、って言ってるんですけど」

「いいよ、いつでも来ていただいて」

「それが、こんど、シルクロードへ連れてこい、って言うんです」

シルクロードは銀座の高級クラブで、何度か編集長に連れていかれたことがある。

ホステスの中にはニューハーフがいたりして、私の好みではない。

しかしその中にアンドロイドを連れていくのも面白いかもしれない。了解して日時を決めた。


店に入ると、奥のコーナーから編集長の樫村が手を挙げた。

私は仕事上先生などと呼ばれているが、有名作家という訳ではないし、こういう所へ来れば樫村の方が格上だ。


「君子と申します。よろしくお願いします」

また君子は最上級の儀礼モードになっている。

シンプルなワンピースで化粧もせずアクセサリーを全くつけていないが、それが却ってきらびやかな店の中で特異な存在になっている。

お辞儀を終えてすっと身体を立てて微笑んだ君子は、周りのホステス達を従えているような威厳と存在感を示していた。どこで覚えたのか、見事な態度だ。

樫村は一瞬言葉を失ってぽかんと君子を見ていたが、さすがにすぐに相好をくずした

「おお、最近のロボットは凄いと聞いていたが、これほどとは! 君はいいのを見つけたな」

「ありがとうございます。適当に選んだだけだったのですが」

「あのほうのサービスもすごいそうじゃないか」

「こちらの皆さまには敵いませんよ」

聞き耳を立てていた周囲のホステスたちがどっと笑う。


「かっわいいのね」

「ドレスアップしたら、すぐナンバーワンになっちゃうかもよ」

「こんなのが沢山出てきたら、私たち失業ね」

「でも、私たちは生身のサービスよ^^」

「おい、お前たち、こんなに指名した覚えはないぞ。飲み物こっちにつけるなよ」


ホステス達はアンドロイドの水商売への進出の話で盛り上がっていった。

君子はほとんど何も言わず、微笑んでいるだけだが、いじられてもからかわれても、きわどい質問をされても、見事に受け流してホステス達を笑わせた。

ときどき君子も一緒になって大笑いし、その澄んだ笑い声は皆に好かれているようだ。

いつのまにか君子が一座の中心になってしまい、樫村さえ取り巻きの一人になって楽しそうに笑っている。

家でのやんちゃな女子高生からは想像も出来ない客扱いの巧者だ。

ひょっとして、最初のころの初心な様子も、だんだん巧みになってきた行為も、みんな私に合わせた君子の演技だったのではないかと思うと、君子の潜在能力のことは本当は何も知らないのだ、とちょっと忸怩たる思いだ。


好き者の樫村のことだから、君子を貸せなどと言い出すのではないかと思ったが、さすがにそれはなかった。

しかし、明日にでもサイバーパートへ行ってみるのではないか。ホステス達の心配も現実になるかもしれない。