追悼文
西村 一
doruさんと私は、2016年2月に肺がんで亡くなった高本淳さんつながりである。 高本さんは私が館長をしていた仮想空間Second LifeとJapan Open Grid内の「アビス海文台」 のメンバーで、亡くなる直前まで、美術史博物館の製作に没頭していた。
http://www.sf-fantasy.com/magazine/Jun-Takamoto/about_Jun-Takamoto_nishimura-hajime.html
doruさんと高本淳さんは30年近く付き合っていた同人誌仲間であり、 2011年以降は仮想空間内でよく一緒に過ごしていたようだ。 doruさんが「三国志」に登場する武将「呂布」、高本さんは呂布の妾となった女性「貂蝉」にちなんで、 ryofuzとchosenというアバターだった。高本さんはその後、攻殻機動隊の草薙素子に影響されて、 もっぱらmotokoという球体関節人形のアバターであった一方、doruさんは男性アバターが馴染めず、 アバター名はそのままで以下の画像のように優しそうで美しい女性アバターだった。 doruさんのシュールな作風からは想像できないでしょう。
私は高本さんが亡くなられて以降、doruさんの闘病と執筆活動についての相談相手となることが多くなり、 今年に入ってからの彼女は、昼間は自宅の1階で寝たきり、夜は家族に隠れて2階でパソコンを片手で打っていたようだ。 元々本人はほとんど推敲できなかったので、私がGoogle Docsを使って問題のある個所にコメントを入れ、 すべて本人に修正してもらっていた。ネット上でのやり取りなので初めはその深刻さが分からなかったが、 病状の厳しさが分かってからもつい無理をさせてしまった。
彼女の最後の作品はハヤカワSFコンテスト2019への応募作品で、もはや郵便局に行ける状態ではなかったので、 私が縦書に整形して印刷し、出版社に郵送した。
この最後の作品の内容は応募中ゆえにあまり紹介できないが、牛頭人身のアバターの人物が迷宮博物館の館長に語るオムニバス形式のものである。 短編しか書けないdoruさんが100ページ以上という応募条件を満たすための苦肉の策として、 これまでの短編のうち、神の気まぐれに翻弄される人間の物語に手を加えて再構成している。 第五章で螺旋構造の博物館が登場しますが、これは高本さんが製作していた仮想空間内の博物館の螺旋構造がモチーフになっている。
以下はdoruさんによる螺旋博物館の紹介文(2016年2月)。
旧約聖書に書かれているバビルの塔はあまりに有名だから知っていますね。 昔々人類は神を脅かすような高い高い塔を作ろうとして途中神の怒りを買い、 バベルの塔は崩壊、それまで人類は一つの言語だけ使っていたのに、喧嘩のきっかけとなる多言語が発生しました。
もとちゃん(高本淳氏のこと)はネットでいろいろな有名な美術品を収集して、 本人も数がわからないぐらい展示していました。その数は大きな美術館の何館分も展示し続けて行くほどのものだったと思います。 それにアビスの美術館は、らせん状の塔の形になっていて、数年のちには無理だけど、20年30年のちには、 世界中の美術館が収まってアビスからバビル美術館と名前がかわってもいいものになっていたのでしょうか。
仮想空間の中でも、人には厳しい神がバビル美術館を作り上げるというのに、神々の怒りがきます。もとちゃんは治癒困難な病気で倒れました。
もとちゃんが制作中、つかさちゃんが、もとちゃんの口から聞いた言葉があります。
「私が物づくりをしているのは生きているあかし、物作りしなければ死んでしまう」
ニュアンスは多少違うところもあるかもしれないけど、だいたいのところであっていると思います。
次にもとちゃんのおかあさんの発言で、朝起きたらアビス寝るとこまでアビスにかかりきりだったそうです。
そんな無理がたたって病気で倒れました。
4月15日、Second Life内で行われたdoruさんのお葬式では、 高本淳さんのアバターの遺影の隣にdoruさんのアバターryofuzの遺影が並べられた。 2人の友人が十数人、そしてdoruさんの妹さんと姪御さんのアバターが参加し、doruさんの生前の様子とdoruさんへの想いを語ってくれた。
doruさんは昨年7月に自分の病名をSNSでカミングアウトしている。ですが、本当の「闘病」の実態が分かってきたのはもう少し後である。
彼女はある病気の治療薬を長い間ずっと飲み続けていたが、ちょっと調子が悪くなるとすぐ飲むようになり、 その過剰摂取のせいで、肩が頻繁にあがる不随意運動があらわれるようになった。 その不随意運動は、「一日中続き、かなり苦しいもの」であり、家族が「あまりに苦しそうだったので」医者に連れて行ったところ、 以前より弱い薬を処方された。
その結果、不随意運動が一日中続く症状はいったんなくなったものの、 「重いうつ状態になって自分の駄目人間と思」うようになり、 「布団の中で自分が逝くことを考えて泣きに泣いて、3日目に自分の思っていることをあらいざらい白状」することを決意。 それが昨年7月のカミングアウトとなったわけである。
「毎日書くねたを思いつきすぎて頭がオーバーヒート気味で眠れないときがある。 あるときは1日中起きていたこともある。1日中起きていたら身体がまいる。身体がまいると元気がなくなる。 当然母親も元気がないのを気がついて気にかけてくれている。この作業が母親にばれないようにしないといけないから気をつかう」(7/26)
「夜はネタが次から次にわいてほとんど寝られないことと、 昼間は私への他の人からの評価が気になってたった一つの物語ばかり気になり、 一日に何度も確認するというネット中毒というべき状態になり、精神的身体的にも疲れいつ倒れてもおかしくない状態になりました」(7/28)
この想像力が暴走する苦しみを抑えてくれたのは唯一、前の治療薬を半錠飲むことだった。
「でも今日は喜怒哀楽がまったくなく、頭の中はまったく動いていない愚鈍状態で、 以前は家族と一緒に見ていた今日からはじまる相撲中継も何の感動もなく見ているだけでした。
で、夏の間は意識しなくても自動的に考えが次から次に浮かんでとめられなくなり夜寝られなかった時も困ります。 そのときとはまったく正反対で今日みたいな何も考えが浮かばない状態なのも困ります (夏の時は心身とも疲労しましたが、今心の中は平穏で比較的楽です)」(9/9)
「想像力が次から次にわいてとまらなかったのでたまらなくなり、 想像力を唯一とめる薬を半分にしていて飲んだら、今度は脳みその中身がなくなってしまった」(1/6)
ところが元旦を過ぎてから、不随意運動が持続する症状が再びあらわれ始め、想像力の暴走を止めてくれる薬も含め、 すべての薬を断ってからもその症状が加速度的に重症度を増してくるようになった。
「でも、この文章を打つにもかなりきついのは確かです。
ああ、ストレスでまったく食欲ないな。 なんか食べた物をすべて吐いたら元気になるような気がするけど、 吐かないのはわかっているような気がするし困ったな」(1/20)
昨日よりはましだけど、こともあろうに首の部分だけ出ているのよね。 おかげで首はぐらぐら常に手で押さえていないといけないし、キーボードを片手で打っています」(1/21)
「身体はますます勝手に動き回る。想像力及び知能は増大する。文章は書けなくなる。しかもこの病気の悪いことは死ぬことはないということだ。
誰が悪いのじゃねえ、すべてが間違っていたということになった、どうすればいい?」(1/22)
「つまりね。今の状態の喜怒哀楽が激しすぎて感情のコントロールができていない状態をおさめるには 「慣れ」(長年のさまざまな経験を積んでいく)しか方法がないということです。
で、別にこのやっかいな身体の不随意運動状態は「慣れ」ではどうしようもないね。こっちはかなり困っています」(1/25)
医者がdoruさんのお母さんに「おかあさんが心配しているほど苦しんでいないと思いますよ。 案外安かな気持ちでいるのじゃないですか」(3/27)と言っていたとのこと。かえって症状の厳しさが伺える。
こういう心と体の二重苦の真っ只中、想像力の暴走によって生まれ続ける言葉を、疲れはてるまでキーボードで打ち続けていた。
「普通の人には異常に聞こえ鬼気せまるものを感じるかもしれないが、 私は死なないために生まれてから今までの自分のことをできるだけ正直に文章にし、 一日一話書いていくことにする。私は命がけで書いていくつもりだ」(昨年7/28)
「でも、私は諦めません。(中略) 薬が効いてなおるかもしれません。 5年前後で逝くと予想をたてていたけど、もしかしたら80歳ぐらいまでしぶとく生きているかもしれません。
私は生きている間文章や物語を書いて、こんな残酷な運命にした神に呪いの文章を全力で書き続けるつもりでいます」(2/15)
ハヤカワSFコンテストの応募作品は次の言葉で始まっている。
「過去は(タイムマシンでもない限り)絶対変えられない。今は全力ですれば努力しだいでどうとでもできる。未来はかなり不安定。」
このように、彼女は最後まで生き続けようとしていた。
・・・
doruさんの作品はタブーやぶりのエグいシーンをさらりと書き、下ネタも多い。 高本淳氏は彼女の作品を「本人は普通に常識的に書いているつもりでも、他の人から見たら異常で、 その異常さが魅力になっている」と評していた。
「バブルの頃企業も景気がよく懸賞を出していました。 いろいろな懸賞に応募しまくりかなりもらいました。中でも文書系では出したら100%とは言わなくてもかなりの確率で採用されました。
ただ、私は人間的に欠陥があるのと同時に文章的にも欠陥がありました。
実際、樹木で言うと芯になる木の部分は長所短所とっても、もとちゃんが言うとおり異常だったと思います。 しかも他の葉や花や実を書く能力はまったくありませんでした。 原稿用紙に10枚ぐらいは簡単に書けましたが、20枚となるとちょっときつく、 ましては新人作家の応募の必須条件となる50枚の文章を埋めるにはどうあがいても無理でした。 それは作家になるには致命的なもので、そういった賞には応募できなくて今に至っています」(昨年10/10)
「その後ある病気の診断を受けて、想像力がなくなると言われて、あまり書かなくなりました。 それでもしょぼい懸賞に応募したら、7割ぐらいの確率で貰いました。もろ文書系においては賞金稼ぎと表現してもいいと思います。」(3/3)
その一方で、本人としては「本質は、ある病気の一つの要因となった私と親との確執を描いた私自身の魂の物語」であった作品を応募して、 審査員長から「まんがを読むより小説を読め」と激怒されたり、別の審査員から「下品」の一言で一蹴されたこともあった。 doruさんの「異常さ」に共感できる読者でないと受入れられない部類の作家といえよう。
それについてdoruさんは、作品投稿サイトやコンテストに応募して自分の評価を知りたいと願う一方、 人から紹介された作品を読んで
「俺よりレベルの高い名作ばかりなんだ。
それでな。傑作だとかあじがあるとか言われていている俺の作品がどれもちんかすみたいに思えてな。 自分の傲慢さを知ったんだな」(4/1)
と自己嫌悪に苦しんでもいた。
脱線するが、高本淳さんが病に伏すまで没頭していた美術史博物館では、 絵画を「左目のアート」と「右目のアート」に分類しようとしていた。 その未完の遺されたピースを繋ぎ合わせ、昨年11月、「見えざる第三の目」を導入することによって一応の決着を付けた。 http://jogrid.net/abyss/pdf/Art/SC20181103ArtHistory3(jp).pdf , http://jogrid.net/abyss/pdf/Art/Left-Middle-Right-eye.pdf
その中で扱いに困ったのがゴヤの一連の「黒い絵」、ムンクの「叫び」、シュールレアリズムなどのダークな絵画である。
これらは時代としては悲惨な戦争、フロイトやユングらによる「無意識」の発見などと呼応する。 リベラルの特徴である『新しい経験・感覚へのモチベーション』と、 保守派の特徴である『脅威や恐れに対する感受性』という対立する評価軸から見て、 ダークな絵画は『新しい経験・感覚へのモチベーション』とも言えるし、『脅威や恐れに対する感受性』ともとれる。 画家が『脅威や恐れに対する感受性』から描いたとしても、 鑑賞者が『新しい経験・感覚へのモチベーション』からその絵画に惹きつけられることもありうる。
ホラー映画に需要があり、れっきとしたマーケットが存在するのはなぜだろう。 人類の進化の歴史が恐怖と隣り合わせであったり、人間が肉食するために不可欠な解体作業が今では嫌悪されるように、 もともとは人の生活の日常風景であったものがなんらかの文化的背景のなかでタブー視されるようになったものもあるだろう。
童話の「かちかち山」には、おおかみがおばあさんを殺してその皮をはいで被ることによって、 おおかみがおばあさんに化けるというシーンがある。doruさんはこういうシーンは平気で書けるくせに、 意外にもゾンビ映画は嫌いで、トラウマ化しているという。その理由として、 腐敗して蛆虫がたかる情景は死をイメージさせるからだと自己分析している。そのくせ、彼女の作品にはゾンビも蛆虫も登場する。
ホラーとエロの関係も興味深い。実は両者は無関係ではなくて、出典は見たことがないが、脳内で発火する部位が近いという。
doruさんは若い頃に西村寿行、夢枕獏、菊地秀行を、好奇心からよく読んでいたというが、 彼女にとってこれらの作品の性的描写からは性的興奮をまったく感じなかったという。 実際、動物の交尾の観察記と同じように扱っているのではと思えるところがある。
彼女いわく「唯一性的興奮を覚えたのは、『封神演義』で哪吒(なたく)が宝珠から人間にかわるところや、 神曲の『地獄編』で蛇から人間に変わったり、人間から蛇にかわったりするシーン」であって、 「どれも共通していることは一つ、他の物質から他の物質にかわるところだね(いわゆる変身譚)」(1/10)だという。
それでいて太宰治の「思ひ出」は、「人間そのものの無意識に眠っている母性本能 (根拠はないがそんな感じがする)をつつきまわっているもの」を感じ、 「あれははっきりいってたらしのエロ小説だと思う」、「あからさまなエロ小説よりたちが悪い。 エロ描写はいっさい書かれていないはずだし、俺があれをたらしのエロ小説と言っても誰も信じてくれないし」(3/5)と言う。 doruさんが書くエロシーンはあからさますぎて男も萎えてしまうぐらいだが、女性なりにエロの繊細さは理解できていたようだ。
doruさんは他の女性作家とも共通して、男性の繊細な願望を叶えてあげようと配慮することはあまりなかった。 泣かせるのがうまいロバート・A・ハインラインの「夏への扉」も、男の願望丸出し、とけちょんけちょんである。
本人曰く、普段は自分のことを「ちゃん」付けで呼ぶ優柔不断な女の人格の下には、 自分を「俺」と呼ぶやんちゃな性格の男の人格が隠れているという。 「ちゃん」付けの私は「どこかで、ピエロ的な幼稚で人を安心させるためにあんな表現方法を使っていた」(1/15) と自己分析する。一方の「俺」という人格は「性格上かなり攻撃的だからな。 最近は敵意を感じるだけで狂犬並みに刃を向ける」(3/19)という。
もともとdoruさんは多くの友人たちが知っているように、人の悩みに強く共感し、 親身になって相談に乗ろうとする優しい性格の人です。 ゆえに、人に刃を向けてしまった自分を強く嫌悪してもいたし、 これからも人を傷つけてしまう文章を書いてしまうかもしれないと怖れてもいた。
今回の応募作品の執筆中は「俺」モードの方が落ち着くといっていた。 ただし本当に男性脳の影響下で執筆していたかというと、私はそうではないと思う。
・・・
私は、亡くなった人がもし生きていればいったい何を成し遂げたかったのか、 それを探る「死者の代弁者」となろうと思ったのは高本淳に次いでdoruさんが2人目である。 まずはハヤカワSFコンテストの落選が分かる8月以降に、その遺作をアニマ・ソラリスで公開してもらう時に、また語ることにしたい。
西村 一
アビス海文台館長、自称海洋SF研究家
http://marine-earth-sf.blogspot.com/
http://arthistorydata.blogspot.com/
http://jogrid.net/abyss/indexj.htm