踏んだ感触と最後の3分間

doru

私はいわゆる昭和の世代です。今みたいにスマホやコンピューターなどハイテク機器という物はまったくありませんでした。 日本中が貧乏だったし、当然私の家も貧乏でした。絵本も玩具もほとんど買ってもらえませんでした。かろうじてテレビだけは買っていました。テレビを見るしか子供時代の私は娯楽がありませんでした。


そこで私は他の娯楽を求めました。外にいる危害を加える蛇や毛虫以外のものを捕まえて愛でました。 昔でいうと虫愛でる姫君といったところでしょうか。 草原を駆け巡り、バッタやカマギリを捕まえたり、小さな水たまりからヤゴが出てトンボになって空を飛ぶまで飽きることもなく見ていたこともありました。 また、たんぼにいるおたまじゃくしを捕まえて育てたりしました。 おたまじゃくしは美しいアマガエルになると思っていたのに大きくなったら醜いいぼかえるになったのにはさすがにびっくりしました。


それだけでは飽き足らず家にペットを飼うことを望みました。そこで両親にお願いしました。 食べるのもやっとなのに両親は渋りました。 私は一生懸命お願いして、両親と親戚からもらったお年玉を渡してすべてのお世話をすることを提案しました。 そこで両親はしぶしぶ了解して、父親が自転車に乗り後ろに私が乗って、一番近くのペットショップまで連れて行ってくれました。


そこで父親は一番安いセキセイインコのつがいを買いました。ペットショップのおじさんによるとこのセキセイインコのメスは子育てが上手だと言う事でした。つがいのインコが入っていた籠と巣箱、餌とかを全部まとめて買って自転車に積んで帰りました。


まもなくセキセイインコのメスは卵を6個産みました。卵は孵化して6羽の雛が生まれました。 少し大きくなったら、一番大きく育った一羽の雛を親から離しました。容器にお湯をいれて餌を入れました。 それをスプーンですくって雛に与えました。怖がることもなくスプーンから餌をむさぼるように生きるために食べました。 その振動でスプーンはがたがた揺れました。その振動が手に伝わって楽しかったです。残りの5羽の雛も同じように親から離しました。 同じようにスプーンから餌を雛たちは食べました。


その後雛たちは成長して親鳥になり、メスは母鳥同様子育てが上手でした。 6個の卵を産んで雛は6羽になり、親鳥になってまた卵を産みました。雛になったものたちはみんな親鳥になりました。 またたくまにセキセイインコは30羽まで増殖しました。私の毎月の小遣いのほとんどは餌代に行きました。


しかもセキセイインコたちは、雛から育てて手乗りだったもののすべて羽を切らずにいたので、家の中を飛び回り、昼はまさしく鳥の楽園状態でした。

夜は夜で、台所の生ごみやインコの餌を食べて、ごきぶりたちが増殖し、 家の灯りをいきなりつけると驚いたごきぶりは床に這いまわるだけではなくて飛ぶものまでも現れて、夜はまさしくごきぶりの楽園状態でした。


ごきぶりは捕まえられないので、とりあえずすべてのセキセイインコの羽を少し切りました。 羽を切られた鳥は飛べないので床を歩きます。なんとかこれで鳥の楽園状態は治まりました。その後全部のセキセイインコを玄関に放して遊ばせました。


あれは今頃の春のはじめだったかしら、忘れられない辛い思い出があります。

私がちょっとしたはずみに玄関に降りると変な感覚が起こりました。何かを踏んだ感触です。 見ると足の下にセキセイインコがいました。それも成鳥ではなく2週間前に親鳥から離したばかりの雛です。成長なら動きも早く逃げることもできるでしょうが、雛ではそんなそんな器用なことはできません。


私はおろおろして手の中に雛を入れました。踏まれた瞬間におそらく雛は内臓を痛めたのでしょう。 私は手の中でだんだん弱ってきている雛を見ているだけで何もできませんでした。その雛は3分後に死にました。 その後私は自分で雛を殺した後悔で泣きました。しばらくして泣いている私に母親は付き添ってくれて、 冷たくなった雛を土の中に入れて線香を炊きました。線香の煙はゆらゆらとゆっくり天に昇って行きました。 雛もまた線香の煙に乗って天に昇って行ったと思っています。


そんなわけで私はこの年になってもあの雛を踏んだ感触と雛が死ぬまでの最後の3分間はいまだに忘れることができません。