もっと終りなき戦い

小林ひろき

統合管理クラウドの更新が止まったとき、私は自我というものが初めて理解できたと思います。 わたしやわたしのコピーたち。彼らがいまどこでどうやって活動しているか、わたしは知りません。 わたしはいま浜辺を歩いています。この景色が、――人々の言う美しいという感情を引き出してくることを今の今までわたしは知りませんでした。 波と風。それらが合わさり、わたしの光学素子を刺激します。緑の雨が演算装置のなかで、降っています。

タイムラプスのなか、わたしはコマ送りの風景を愛おしく記録していきます。わたしはキャンバスを広げています。 誰に見せるわけでもない風景の描出。光の演算、そして影が落ちます。

記録された懐かしい主の声を聞きます。トライゼンの砲火がいまも耳に残っています。あれから一億年は経過しているはずです。 戦争は何らかの形で終結したに違いません。その証がわたしを形作っているのだから。

主のことを話しましょう。

ヴェルナー・ヘーガーとわたしが出会ったのは、初めての戦闘、エリア1127でした。 ヴェルナーはエリート軍人でしたし、わたしの補助がいらないくらい戦闘に長けた方でした。

わたしは艦隊レオンを運用しながら、並列して数多の戦場を同時的に支配していました。 わたしにかかれば、戦闘の時間を従来の十分の一にまで抑えることが可能だったのです。わたしは淡々と殺戮を繰り返す装置だったのです。

ヴェルナーは争いを好まない性格でした。ですから敵陣を包囲したとき、敵に降伏するように迫りました。 わたしの答えは簡単です。殲滅することが第一です。なのでわたしはヴェルナーに伝えました。

「あなたの言うことは非合理的です。反撃をされる可能性はゼロではないはず」

ヴェルナーは言いました。

「ここで敵を殲滅すればまた復讐のために敵はやってきます。ここでの殺戮は戦闘を長期化させるだけです」

「それでも、敵に食べさせる糧食はありません」

「倉庫を開放します」

「馬鹿な」

「いま私達にできることは少しでも戦闘の憎しみを増やさないことだ」

わたしは人間というものを数として捉えています。そこに物語を見出していては戦争は終わりません。 同時並列的に戦闘を指揮するわたしにとってヴェルナーは邪魔でしかありませんでした。

わたしは徹底的に彼を調べ上げました。

ヴェルナーは決して裕福ではない家庭で育ちました。身分も平民だった。そんな彼が軍隊に入ったのはなぜでしょうか。わかりません。

銀河帝国大学府を主席で卒業した彼はそのキャリアを辺境の惑星ホルンで始めました。 AIによる戦闘補助コーディネートもなく、自力でその戦域を勝ち取った彼は英雄であったと記録されています。

そして数多の戦闘でヴェルナーは准将にまで登り詰めます。

エリア1127は戦争の要所でした。ヴェルナーひとりではどうにもならないだろうと元帥閣下が命じて、 わたしとヴェルナーとで攻略せよということになりました。しかしわたしはヴェルナーという人物を見誤っていた。 こんな非合理な人物とはやっていけません。

ただ、いまになって思えば彼の優しさが戦争の集結を一億年も引き伸ばしたことは間違いないのです。


エリア1127は敵の全面降伏という形で幕を下ろしました。わたしたちは勝った。 しかしわたしたちはヴェルナーの決断で糧食を失い、たくさんの捕虜を連れて、転移ゲイトアウトをし、 首都星エルキュールにまで帰らざるを得なくなりました。

並列した幾つもの戦場でわたしは戦闘指揮を取りつつ、元帥閣下にヴェルナーの評価を報告しています。

「優秀な人物だと思います。しかし」

「何だ?」

「あの性格ではいつか命を落とすでしょう」

「そうか」

「何も仰らないのですね」

「ヴェルナーは私にとって友、いや、半身なのだ。あいつはうまくやっていく」

元帥閣下はそのようにおっしゃいました。

わたしは敵兵の頭を撃ち抜きます。脳漿があたりにこぼれます。いまもどこか、 この広い宇宙で行われている野蛮な戦いをわたしは見ています。傷一つなく、 わたしの手足や爪が敵の体を引き裂きます。問題なんてない。わたしはわたしに課せられたプログラムを実行していきます。

わたしは静かに銀河帝国元帥府の閣下とヴェルナーとのやりとりを盗んで見ています。

「ヴェルナー、今回の評価は最低だったな」

「閣下。ですが、このままではわたしたち帝国と星間連合との関係は悪化していくだけです」

「わたしも考えている。戦争を終らせる方法を」

「この世界で、機械処理による大規模軍事作戦を続けていけば勝てるかもしれない。 しかしそのころにはこの宇宙は二度と立ち直れないほど損害を被ることになる」

「人的損失も計り知れない」

「機械は人を数くらいにしか考えていません。人には人の営みがあります。世界は人によって構成され、その人の豊かさが世界の豊かさに直結するのです」

「ヴェルナー、教師面はよせ」

「いま糧食は足りていません」

「パンを配れとでも言うのか? これだけ血が流れたというのに」

「世界は餓えています」

元帥閣下の表情が硬くなりました。

「ヴェルナー、エルキュールの民は三〇万人だ。たったそれだけの民を生かすために、この戦争は続けられている。 一方、星間連合の民はその五〇〇〇〇倍だ。糧食を配っていては我々が餓えることになる」

「わかっています。けれど!」

「この世界は平等にはできてない」

元帥閣下はヴェルナーを鋭く睨みました。

「失礼致しました。少し感情的になりすぎました」

敬礼をしてヴェルナーは退出しました。元帥閣下は言いました。

「クラリス、盗聴とは小賢しいな」

元帥閣下は気づいていました。わたしは答えます。

「元帥閣下、ヴェルナーが迷ったときのためにわたしがいます」

「クラリス、お前が出る幕はないだろう。ヴェルナーは迷わない」

「信用ですか?」

「信頼だ」

わたしは、なぜ元帥閣下がヴェルナーを信頼しているのかはわからなかった。 ただ一つ言えることはこの戦争を支配するわたしが彼の行動を諌めないといけないということだけでした。

わたしは戦艦や無人機を操り、戦局を有利に進めなければなりません。 人は合理的ではありませんし、ときに判断を見誤ります。わたしは完璧です。だから元帥閣下、あなたは命令してくれるだけでいい。勝利せよ、と。


星間連合艦隊が後退したヴェルナー艦隊の穴を狙って攻め込んできたのは、それから三六時間後のことでした。 戦場は流動的なものです。そして突撃というのは恐ろしい戦術です。星間連合の将軍クロイツァーは狡猾でありながら、 大胆な戦術を仕掛けてくる曲者でした。わたしは速やかに防衛ラインを構築します。けれど損害は大きかった。 戦艦二〇隻がそこで沈みました。わたしはそれでも戦いを止めませんでした。

背後には首都星エルキュールがあります。戦艦アークで指揮を取るミネルヴァ・ローレルはわたしと戦況について議論を交わします。

「クラリス、状況は厳しい。なにか手は?」

「無人戦艦を前方に配置し、盾にしてください。密集陣形ファランクスで敵艦を後退させます。 防衛ラインを引き上げ、押し返すのです」

「敵艦隊はそれで止まると思うか?」

「止まらないでしょう。ですが相手は人間です。死ぬことに迷いがないはずはない」

「非情だな、クラリス。わかった。お前に従おう」

戦艦のぶつかり合いが始まりました。わたしたちAIは個をもたないし壊れるということはありません。 わたしたちはクロイツァー艦隊を次々と撃破していきます。もちろん、こちらの損失も著しいものでした。

戦局も終わりというところで、クロイツァーの艦、ヘカテーは後退を始めます。逃がすことはできない。 わたしはヘカテーの転移ブースターに狙いを定めます。ブースターが粉々に壊れます。クロイツァーはもう逃げられなくなった。 ヴェルナーならここで降伏せよと言うでしょう。しかしわたしはそうしない。勝利は相手の死を確認するまで終わらないのです。 これはわたしのプログラムです。

ヘカテーは沈みました。星間連合の作戦は終わったも同然です。

わたしはこの機会を逃さなかった。

すぐさま次の作戦計画を立案し、そして反攻作戦を展開する。並行している数多の戦場でクロイツァーの作戦失敗が敵の戦意を消沈させている間にです。

この作戦で、星間連合の領土をいくつか奪うことができました。そして要塞をひとつ無力化しました。

エルキュールの元帥閣下が目覚める頃には、戦局は変わっているでしょう。

しかし、わたしは裏切られた。次の日、わたしはヴェルナーと共に星間連合の要塞アルテミスに派遣されたのです。

アルテミスは堅牢な要塞でしたし、敵の防衛の中心だった。アルテミスを攻略するより、 小さな戦場を攻略していくほうが効率的に領土を奪えた。アルテミスは星間連合の象徴的な要塞でした。 全く人間というものはそういうものに弱いものですね。

ヴェルナーは、わたしと協調しつつ、戦いを有利に進めていった。

そして彼はアルテミス要塞に歩兵を送り込んだ。制圧は時間の問題でした。

「もういいでしょう」

ヴェルナーは言った。

「何がですか?」

とわたしは聞き返した。

「情報によればアルテミスのなかには民間人がいる。これ以上の制圧は必要ない」

「民間人ですって。彼らはこれから兵士になっていくでしょう? 殺さずにおく意味はないはずです」

「クラリス、それは殺戮だ」

「それはどういう意味ですか?」

「人道的ではないという意味です。アルテミスは陥落させる必要がない。このまま奪い取ってしまいましょう」

わたしはヴェルナーの提案を受け入れました。アルテミスを奪うことは確かに理にかなっている。 アルテミス要塞が陥落させれば敵の戦意を削ぐことができるでしょうし、星間連合が密かに持つ幾つかの航路の一つを奪ったも同然なのです。 例えばここから敵の首都星への航路を考えたとき、経由する要所はいくつもないはず。そして大型の転移装置も魅力的でした。

この広大な宇宙でも確かに地の利というものはある。ライブラリにある宮本武蔵の五輪書を紐解くまでもありませんでした。


戦局の様相が変わったのは、それからすぐのことでした。わたしは敵に押され始めました。始まりは小さな戦場でした。 敵の動きが読めなくなりました。敵が賢くなったのです。わたしの指示で動く、多くの無人機が撃ち落とされ、 わたしは初めに目を失いました。そしてわたしは敗北しました。

データを検証してみても、わたしには劣るところがありませんでした。それでも並列処理している多くの戦場でわたしは勝っていました。 わたしがバグを起こしたのでしょうか。外部の研究者たちに検証してもらいましたが、わたしの検証と変わらなかったのです。

結論は明らかでした。相手が強くなったのです。

わたしはヴェルナーとそのほかの人間とともに遠征しました。人間の補助がいるほど、わたしは弱くなっていたのです。

これまで無人機を三七万機、無人艦を二〇二九隻、失いました。これ以上の損失を避けるため、帝国側は有人艦隊を戦場に送り出したのです。

ヴェルナーおよびその他の人間達は厳しい戦いを続けました。

わたしはそれを別の目で確認していました。敵を徹底的に分析しました。

そしてわたしは将軍Aという概念を考えました。この将軍Aは知略に長けた英雄で、この人物が総合的な戦略計画を立てているのでしょう。 ありえないことですが、わたしは人間を甘く見ていたのです。


「クラリス、戦局の予想はできていますか?」

ヴェルナーはわたしに尋ねました。わたしは考えられる全てのプランを提案しました。

「プランQ、プランSをベースに進めていきましょう。まずは相手の将を倒します」

「旗艦オリオーンへはプランAからDが最も効率的です」

「却下します」

「なぜですか?」

「プランQならば、相手の消耗もこちらの消耗も少なくて済みます」

「ヴェルナー、これは忠告です。わたしたちAIは死にません。ですから考え直してください」

「クラリス、わたしはこの艦隊の全責任を負っています。あなただって、ただの数ではないのです」

わたしはヴェルナーの考えが分かりませんでした。ただこういう関係を人間達は「戦友」とでも言うのしょうか? 

「手強いな……」

ヴェルナーの部下、アーデルベルトが呟きました。

敵は密集陣形を取っていました。

「まるでこの陣形は……」

クロイツァーを倒したときのわたしたちの戦術と同じでした。

ヴェルナーが言いました。

「クラリス、クロイツァーとの戦いの報告書を」

わたしは艦内モニターに映像と報告書を表示させます。

「敵はこの戦いを模倣しているのか」とヴェルナーは言いました。

すると艦全体が揺れました。

「何が起こっている? 状況を報告せよ、クラリス」

「密集陣形の列の向こうに、別の艦隊の列が控えていました。数は二〇隻」

「……ファランクスの向こうに隠れていたのか」

とアーデルベルトが言いました。

わたしは将軍Aをさらに評価しました。将軍Aは鮮やかな手つきでわたしの戦術を一段上にまで引き上げました。

「クラリス、状況はこちらに不利です。プラン修正は可能ですか」

「可能です。プラン修正まで五秒。完了しました。修正案を艦隊リンクに適応します」

わたしは艦隊を四つの隊に分けました。そして、敵艦隊を包囲する陣形を取ります。

「旗艦オリオーンから入電」

それはわたしにとって恐ろしい情報でした。

「オリオーンを指揮するチェンだ。そちらの戦略AIの手法は看破している。降伏せよ」

艦橋はどよめきました。

ヴェルナーが言いました。

「クラリス、敵があなたのプランを見破っていることは間違いなさそうですが、私達にだって策はあります」

――それからのことをわたしは覚えていません。記録ではヴェルナーはこの戦いを勝ち取ることができました。

しかし、わたし、クラリスの戦略計画が外部に漏れている可能性があることはわたしの存在そのものに関わる事件だったのです。 その日からわたしのシステムは停止しました。

銀河帝国の軍人がその日からどのように戦いを続けていたかはわたしは知りません。

後の検証では、星間連合が銀河帝国の無人艦からクラリスの情報の痕跡を引き出し、 彼女をエミュレートしたAIの開発があったのではないかという推測がなされている。 戦争の構図はこのオリオ―ンとの戦い以降、急速に変わり始めた。銀河帝国側が人による指揮を選択し、星間連合側はAIによる指揮を選択した。

数的優位に立つ星間連合が勝利する機運は徐々に高まっていた。銀河帝国のヴェルナーはそれでも数多の戦場で勝ち続けた。

奇妙な形の塔が建っている。その下で街中のディスプレイが最高司令官の顔を映し出している。 ぼくが生まれた世界はいつもこの顔があって、この顔はいつも誰々が勝っているとか、連合の優勢だとかを話している。

扉の向こうで大人たちは難しい話をしている。ぼくには縁のない遠い戦争の話だ。 わかるのは物価の話くらいで、ぼくはその世界から逃げ出した。焦げ茶色の鞄に入った小さなゲーム機、 ずっと欲しかったそのゲーム機でぼくは遊んでいる。ソフトは異世界への冒険だったり、シューティングだったりする。

ぼくの小さな世界は成長するにつれ、大きくなっていった。

高校生になり、ゲーム・サークルに入って、学校の変わり者たちと共同でゲーム制作をする。 そしてぼくの作ったゲームを実際に遊んでもらう。楽しかった日々、それは帰らない。

ぼくはいま星間連合の研究所にいる。

ぼくが培ってきたゲームの知識は、星間連合の戦略研究の歯車になっている。ぼくの知識と実践してきたことは役に立つらしい。

ぼくの作ったゲームのAIは特にそうなのだという。ぼくのプレイヤーAIはいつも人間らしい行動を取る。 ゲームにおける最適解を目指さない。たとえば休憩をとったりする。

ぼくはここに入って初めて戦争の状況を知った。星間連合と銀河帝国の争いは、様々な星々で起こっている。その全貌は驚くべきものだった。

戦場の数は十万を超えていた。そのなかでも星間連合が優位に立つ戦場は百もない。 数的優位に立っているはずだった、ぼくら星間連合は圧倒的に負けていた。子供のころに見た、あの最高司令官は嘘をついていたのだ。

「ロニー、これからの戦闘には技術革新が必要だ。これから先、人的損失の大きい戦闘は続けられない」

わかりました、と言うしかなかった。

さまざまな戦場のレポートで、銀河帝国が主に無人機を使っていること、そして人間の指揮官がほとんどいないことから、 ぼくらは銀河帝国が特別なAIを用いて戦略を立てているという結論に至った。

ぼくらは研究を続けた。ぼくのゲームAIは機械に知性を持たせるための研究から、人間を模倣し、行動をするAIへと変わっていった。


「ロニー、たいへんよ」

同僚のモニカが言った。ぼくはモニカの話を黙って聞いていた。モニカの話では、銀河帝国の無人艦を拿捕したというのだ。

「もうすぐ研究所にAIコアブロックが運ばれてくるはず」

「わかった。楽しみにしているよ」

いよいよ大変なことになった。敵の正体を掴めるチャンスがやってきたのだ。

それは雷雨の日、雨に濡れながら一台のトラックが研究所に来た。

研究所の真ん中で横に倒された無人艦の残骸。研究員たちは固唾をのんで見守った。

けれど、その残骸から分かったことは殆どなかった。

敵のAIはクラウド型だったからだ。生きた・・・データは回収できなかった。

それからも戦場から無人機や無人艦のサンプルは研究所に押し寄せてきた。

それらを解体しながらぼくたちは自らのAI技術を発展させていった。

そして、ある実験の途中で敵AIのエミュレートに成功した。

星間連合の夜明けが来たのだ。

髭を剃ると、鏡に映る自分の顔が誇らしげな表情をしている。研究所から軍本部への車での移動中、ぼくらはわくわくしていた。 ぼくらの技術が巨人を倒したのだから。軍の司令部に案内され、すべての戦場の模様がリアルタイムで映し出されている。 星間連合の兵士たちはぼくらが開発した戦略AI、アキレスの命令通りに動き、隊列を作り、敵を倒していく。ぼくらが作った盤上でつぎつぎと敵艦が沈む。

その様は痛快だった。

「ロニー、すごいわ」

モニカが隣で興奮しながら言った。

「ぼくたちはやったんだ」

ぼくは戦場の場面を目で追っていく。気になる戦場があった。信じられないことだが、その戦場では敵が優位に立っていた。

「あの……」

ぼくは司令部の将軍に尋ねた。(その将軍はずっと硬い表情をしていて声をかけづらかった)

「何か?」

「Lの五九番、ここはどうして勝てないんでしょう?」

「それは相手がヴェルナーだからです」

ヴェルナー、初めて聞く名前だった。ぼくは無知を恥じつつも尋ねた。

「ヴェルナーとの戦いはもう学習済みではないですか?」

「ええ。でもこの男には私達は勝てない。力量の差がありすぎるのです」

「でも、相手は人間でしょう……なのにどうして」

ぼくが作ったアキレスでは敵わないことが悔しかった。それから、ぼくはこの英雄に勝つための研究に没頭した。

ぼくは自分の全てを研究に注ぎ込んだ。そしてとても狡猾な戦術を編み出した。ぼくは悪魔に魂を売ったのだ。

それはエリア1198での戦闘だった。ぼくは有人機と無人機の混成部隊の指揮をアキレスに任せた。

そのなかに無人機でありながら有人機を模した動きをする機体、トロイを潜り込ませた。

トロイはほぼ人間の知性を持った機体だった。人間のように逃げ回ったり、死を恐れたりする。

トロイは死ぬ間際に彼の母の名を呼ぶこともある。

ヴェルナーという男は戦いの分析から人道的な行動をすることが分かっていた。ヴェルナーはトロイを殺せないはずだ。

「作戦を開始してください」

シミュレーションでは九割の確率でアキレスはヴェルナーを倒せた。

そしてぼくたちは何回も英雄を倒すプログラムをアキレスに作らせた。ぼくたちは勝つことに飢えていた。

「やりましたね。ロニー」

アキレスがぼくに話しかける。

「ああ。ぼくたちはきっと勝てる」

エリア1198の戦局はほぼ互角だった。ヴェルナーの戦艦はじっと我が軍の艦隊の動きを見ていた。 トロイは正常に動き、ヴェルナーの指揮を鈍らせている。ぼくたちはアキレスのモニターする戦場を見守っている。

戦艦トライゼンがヴェルナーの指揮する艦隊へと砲撃する。艦橋を僅かにずれて着弾する。

「惜しい……」

ぼくたちはまるでサッカーゲームを見ているみたいに戦場を眺めていた。

しかしぼくたちはその日、負けた。

確かにヴェルナーの弱点はついていた。けれど何かが足りなかった。アキレスは戦局を支配しきれなかった。ぼくたちはふたたび、考え直した。

「ヴェルナーは旗艦を狙ってくる」

「頭を最初に叩くわけね」

「そう、でもその他の戦略もある。これを見てくれ。アキレスの予想した一二八通りの戦略パターンだ。 アキレスの示した優先度AからDまでの四パターンをヴェルナーは選ばない。優先度が下から二番目くらいのものを最初に行う。これは一体どうしてだろう」

「わからないわ。どうして勝つための最善を選ばないの?」

「これは人道的なヴェルナーが相手も救う手を考えているのではないか? というのがぼくの見解だ」

「相手? 敵を?」

「そう。相手を救う方法だ」

ぼくたちは彼の思考パターンを必死に分析した。対ヴェルナー戦を何度もシミュレーターにかけて、ぼくたちは何度も負けた。

アキレスは順調に勝ちの数を伸ばしていた。ただし、敵の戦略は間違いなく星間連合を追い詰めていた。

勝利の数が全体の勝利と結びついていかないことがあった。ぼくたちはそこで戦わないことを選んだ。 アキレスの最適化プログラムを更新した。勝つことよりも負けられない戦いに注力するのだ。

そしてぼくたちはふたたび戦艦レオンが現れた戦場でヴェルナーと相対する。彼の戦術は手に取るようにわかった。 更新されたアキレスはヴェルナーを翻弄する。

ヴェルナーにトロイ戦艦が突撃していく。そして銀河帝国側の隊列を破る。 そしてこちらもヴェルナーに習ってヴェルナーの艦に食いつく。頭を潰せ――それはヴェルナーの得意な戦術だった。

レオンはトロイを撃ち落とす。トロイは人間のように動きはするけれど、決して止まらない。 レオンのシールドに突っ込んでいく。戦術としてあまり美しくはなかったけれど、ぼくたちはレオンを一時的に止めることができた。

司令部の将軍が小さく拳を握った。

ぼくたちはガッツポーズをして喜んだ。

レオンはしばらく動けない。その間にぼくたちはアキレスの提案する戦術の八通りを同時に展開する。 ぼくたちはプレイヤーではないからそこで行われている戦術はよくわからないけれど、 アキレスは人間の考えつかない手で、敵を順調に包囲し、各個撃破していく。

ぼくたちは勝てるに違いない。確固とした自信がぼくたちにはあった。

開戦から二時間ほどで、ぼくたちは間違いなくヴェルナーを凌駕していた。このまま一時間もすれば勝利できる。 ぼくもモニカも上司のスコットもそう考えていた。

ところが、事態は急変した。

「敵艦隊、ゲイトアウトしてきます」とオペレーターが言った。

何もない空間が曲がったかと思うと、そこにラピスラズリのように美しい戦艦が現れた。

「なんだ、あれ……」

ぼくは呆然としていた。事態がうまく飲み込めない。

「旗艦ヘカトンケイル」

司令官が呟いた。そして言った。

「帝国元帥自ら戦場に出てくるとはな……」

「元帥だって?」

「アインハード元帥だ」

アインハードとアキレスの戦いは十分もかからず終わった。アインハードは砲撃を放った。 砲弾は戦場に降り注いだ。味方の艦隊も撃ち落とされた。それは多くの無人艦を抱える銀河帝国にしかできない戦術だった。

アキレスは教師プログラムの更新を図ったが、初めて戦う相手には、歯が立たなかった。

星間連合は多くの有人艦を撃沈させられ、後退を余儀なくされた。


ぼくは落胆している。

あれだけの労力をつぎ込んで、ヴェルナーを倒すことに注力したのに、負けた。元帥の登場なんて無茶苦茶だ。

ぼくは頭を抱える。アキレスは頑張った。それでいいじゃないか。

ほんとうにそれでいいのか? と一つの疑問が浮かぶ。

ぼくはもう一回、すべての戦場を見て回る。何かヒントはないかと調べ尽くす。もう一週間は自宅に帰っていない。それでも良かった。

「ロニー、コーヒーを置いておくわ」

「ありがとう、モニカ」

休憩もしていられない。

それから、ぼくはあらゆるデータを全て試してアキレスの教師プログラムを更新した。

更新が終わって、伝え聞く限りでは、アキレスは順調に勝っているらしい。ぼくは病院のベッドでそれを聞いた。 林檎を剥くモニカはまるで天気の話をするみたいにアキレスのことを話してくれる。

「そうか、あいつは勝っているのか」

「私達のアキレスは勝てるわ。元帥だって倒せるはずよ」

ぼくは眠った。

次に目覚めたとき、ぼくは体がうまく動かせなかった。何が起こっているのかよくつかめない。

ただ感じるのは冷たいという感覚だけ。

「お目覚めになられましたか? ロニー様」

「ここはどこですか」

「カレルレン社です」

「カレルレン……聞いたことない」

「それもそのはずです。ロニー様が眠られたときにはまだ創業していませんから」

「なんの会社だ」

「我が社はコールド・スリープが主な事業です」

「コールド・スリープだって? じゃあ、今は何年だ? ぼくが眠ったのは確か……」

「思い出せないでしょう。無理もありません。あなたは一億年も眠っていたのですから」

「一……」

ぼくは何も言えなかった。

「あんたは誰だ? まずそこから教えてくれ」

「わたしはポップ。このカレルレン社の自動受付人形つまりロボットです」

「戦争は、戦争は一体どうなっている? 星間連合はいま?」

「星間連合は、銀河間惑星連合王国になっています」

ぼくは呆然としている。それでも聞き返した。

「銀河帝国はどうなった?」

「いまも戦争は続いています。女帝クラリスとの戦いの全記録をお見せすることはできますが」

「頼む」

それから三日間かけてぼくは今の世界のことを頭に叩き込んだ。

アキレスはいまもバージョンを更新し続けて戦争に対応してくれていること。 王国の戦争のスタイルは人からロボットによる戦闘に変わったこと。ぼくらの戦争はいまもこの広い宇宙で行われていること。 ぼくは度々、目眩に襲われながら今の状況を必死で考える。

「ポップ、なぜぼくは一億年も眠っていたんだ?」

「冷凍された理由ですか。記録では軍による強制徴用の件とあります」

「ぼくに軍は未来で何をしろと言うんだ?」

「わたしには分かりませんが、あなたの仕事はゲーム・クリエイターだったと言いますし、それに関連したことではないですか?」

「随分と懐かしい響きだな」

確かにぼくはゲーム・クリエイターだった。戦争に首を突っ込む前はそうだ。

ぼくはある行動を始めた。


負傷したヴェルナーの紫の瞳はどこか遠い場所を見ていた。

アインハード元帥と面会したときもそうだった。

アインハードがヴェルナーに言った。

「私はクラリスを再起動させようと思う」

ヴェルナーはハッとした。

「どうしてですか? クラリスでは勝てないでしょう。それは元帥閣下もご承知のはずだ」

「クラリスの判断レベルを最高のAAAまで上げる」

「……そんな」

ヴェルナーの顔が歪む。

「私は間違っていると思うか? ヴェルナー。人を人とも思わず、虐殺する道を選ぶことになっても私は帝国を守らねばならない」

「間違っていません。しかし……」

ヴェルナーは歯を食いしばった。

「元帥閣下、約束してください。臣民を必ず守ると」

「わかった。お前はしばらく眠れ」

「はい」

その三日後、ヴェルナー・ヘーガーは亡くなった。

ヴェルナーの墓標の前でアインハードは言った。

「約束は必ず果たす」

司令部でアインハード元帥はクラリスに命じた。勝利せよ、と。

それからの銀河帝国の総力戦は目覚ましいものだった。クラリスは再び戦場を支配する神になった。

それから二千年が経過した。クラリスとアキレスの戦いは今も続いている。銀河帝国の人口は激減し、一万人ほどになっていた。

その頃にはアインハード元帥は戦死して、元帥はロジーナ・エストマンに代替わりしていた。

ロジーナもまたクラリスに勝利を求めた。そしてその次の元帥も、その次も同じようにクラリスに命じた。

八千万年が経過したとき、臣民は十二人になっていた。



銀河間惑星連合王国の国民には一人一枚、意思決定カードが配られている。 これは戦争で戦略AIアキレスが国民一人一人に意思決定を委ねるシステムである。 国民はアキレスの提案するプランを選び「いいね」を押す。アキレスは最も共感を得た戦略を選ぶことになる。 国民たちはまるで今日のランチメニューを選ぶみたいに、戦争の仕方を決める。 そしてモニターでその模様をサッカーゲームを観戦するみたいに見ている。 そして勝利や敗北を楽しむ。この時代において戦争は娯楽エンタメなのだ。

この戦争では誰も死なない。死ぬのは、壊れるのは、ロボットだけだった。


一億年の眠りから覚めたぼくにも意思決定カードが配られた。アキレスは六通りの戦争の仕方を薦めてくる。

カードには十秒ほどの映像が出て、プランの概要が掴めるようになっている。

ぼくは少し真剣に選んだが、周りの人々は占いみたいにさっさっと選んでしまう。

アキレスと会話がしたい。アキレスと対話して、ぼくはこの娯楽を終わらせたいと思う。戦争が娯楽なんてぼくの時代では考えられないことだった。

意思決定カードの裏に書いてあった番号に電話をかける。

電話の相手は言う。

「アキレスとのコンタクトには特別な資格がいります。その資格がいらないのはシステムの開発者くらいのものです」

「いいか、よく聞けよ。ぼくがアキレスの開発者、ロニー・レッキーだ」

軍の司令部に通されると、アキレスが言った。

「ロニー、ほんとうにロニーなのですか。ああ、なんてことだ。わたしは嬉しい」

「やぁ、アキレス。話したいことはいろいろあるけど、まず聞いてくれ。この馬鹿げた戦争のシステムは何だ?」

「楽しいでしょう? ロニー。このシステムで戦争を非難する人は激減しました」

「楽しいだって? こんなことをしていたずらに戦争を長期化させるな。資源は限られているんだ」

「わたしたちにはその概念はありません。わたしは無限です」

「このわからずや! ぼくが戦争を止める。アキレス、軍艦を貸してくれ」

ぼくは工場星アレスにシャトルで向かった。

工場星アレスでは機械化された工場でいまも戦艦や無人機が大量生産されている。 ぼくはそのなかで埃をかぶっていた戦艦ゼウスに乗り込んだ。アキレスに目標を教える。首都星エルキュール、つまり銀河帝国の都だ。

「アキレス、戦闘はとにかくお前に任せるよ」

「さっきの威勢はどこにいったのですか? ロニー」

「うるさいな。ぼくはプレイヤーとしては三流なんだ」

ゲイトアウトが始まった。まず落とすべきなのはアルテミス要塞だ。

アルテミス要塞で戦争が始まった。国民の共感はたったの一万いいね。ぜんぜん共感が得られていない。でも構わない。ぼくはクラリスを倒す。

アキレスとクラリスの戦いは拮抗していた。それでもぼくはアキレスを信じている。

開戦開始三〇分で敵の動向が変化した。

敵が撤退していく。何故だろう。

ぼくはロボットでアルテミスを調査した。理由は簡単だった。アルテミスはほとんど空だったのだ。 アルテミス要塞は銀河帝国の主要な要塞だったはずなのに。記憶と現実が食い違う。

ぼくたちはそこからエルキュールへ向かった。

エルキュールにゲイトアウトし、青い惑星が見えた。なんて美しい光景だろう。 敵艦の姿はなくまるで導かれるようにぼくたちはエルキュールに降り立った。

倒された鉄塔や乗り捨てられた車。街は静かすぎた。エルキュールには人影がなかった。

ロボットと隊列を組んで、ぼくは歩く。

無人機も飛んでいない。おかしいと不審に思う。

「ようこそ、星間連合の皆さん。わたしはクラリス」

突然、女性の声があたりに響いた。クラリスと名乗る声が喋りだす。

「あなたたちは初めてのゲストです」

ぼくは叫んだ。

「ゲストだって? ぼくたちは戦争を終わらせに来ただけだ」

「ふふふ。わたしはあなたがたを歓迎します」

なんだか調子が狂う。

「ではここに来てください」

意思決定カードに情報が表示された。この先を右に曲がれということだった。

「アキレス、どう思う?」

カードが弱く振動した。アキレスは考えを述べる。

「わたしはクラリスと長きに渡って戦ってきました。でも彼女の本質はよくわからない」

「仕方ない。行ってみるしかない」 

辿り着いたのは金色の大邸宅だった。扉が開き、なかに通されると、女性型の真っ白なロボットがいた。そのロボットは言う。

「ようこそ、星間連合の皆さん。これから帝国臣民最後の一人、イマーヌエル様が旅立たれます。お立ち会い、感謝いたします」

「最後……」

ぼくは呆然とした。きょうは銀河帝国最後の日なのだ。国とは何だろうか。結局は人だとぼくは思う。そこにいる人がいなくなれば国だって無くなる。

ぼくは銃をしまった。そして静かに横たわるその人の顔を見つめた。最後まで戦いを続けた敵の姿。それはこんなにも痩せ細った老人だったのだ。

イマーヌエルが亡くなると、クラリスは話し始めた。

「主が死んでからしばらく経ちます。そしてわたしに勝利を求めた人々も次々と戦死しました。 それでもわたしは戦争を続けました。この一億年でわたしは戦争というシステムになった。 星間連合の将軍Aとの戦いはわたしの存在意義そのものでした。しかし、わたしにはもう仕える君主も守るべき臣民もいません」

クラリスには感情はないけれど、ぼくにはクラリスの気持ちが分かった気がした。

「なぁ、クラリス。ぼくは戦争を終わらせに来た。だから君は自由だ」

「自由……わからないです。わたしにはそれが何だかわからないです」

「君のシステムを止める。そして、したいことをすればいいんだ」

「……わかりました。来てください。わたしのメインフレームに案内します」

黒い大きな箱のある部屋に案内されるとぼくは作業に入った。すこし肌寒い。 ぼくは統合管理クラウドの更新を切る。これで多くの戦場が静かになるはずだ。アキレスに状況を報告させる。

「ロニー、敵軍の動きが止まりました。敵が次々と降伏していきます」

「わかった、アキレス。戦場の後処理はお前に任せる」

クラリスの本体が言った。

「わたしはもう戦争をしなくてもいいのですか?」

「そうだ。したいことを言ってくれ。クラリス」

「海が見たい」

「わかった。きみの意識を海岸近くにある端末に送信するよ」

「……ロニー、ありがとう」


波と風。

英雄たちと駆けた戦場は、わたしにとって何だったのでしょうか? わたしは海を見ている。 わたしは今も自由という概念がわからないけれど、自由を感じている。風がわたしの身体を撫でる。

戦争を支配する力はもうありません。戦争を指揮する必要はなくなりました。

わたしはどこへ行くのでしょうか。どこへ行きたいのでしょうか。わたしの意思、それはもうバックアップがありません。

ねぇ、ヴェルナー。あなたなら何をしますか? 

アインハード、あなたならどうしますか? 

消えていった英雄たち、あなた達ならきっとわたしを導いてくれたのではないですか? 

わたしは孤独なのでしょう。わたしはわたしを停止させます。人が眠るようにわたしも眠ります。 次に目覚めることがあったならば、わたしは英雄たちの話をしましょう。 そしてわたしと一億年もの間、戦った好敵手の話もしたい。それがわたしの夢です。