さよなら、アルクトゥルス

小林ひろき

赤い夕焼けが町全体を照らしていた。研究室の窓から夕焼けが見える。沙枝はパソコンの画面をじっと見ていた。 それは宇宙の写真だった。星々が輝きを放っている。沙枝はその中で星々が歪んで見える部分に注目した。 これは星喰いブラックホールだ。

もうじき十年になるだろうか。

沙枝が高校生のとき、沙枝の知人である秋介が見つけた。いや、それでは正しくない。その兆候を見つけたのは沙枝本人なのだ。

偶然、沙枝が撮った写真が西の空の異常を伝えるものだったのだ。

秋介はその写真から、重力の異常を見抜いた。

それから秋介は知人の天文学者に調査を依頼した。

そして西の空に星喰いが見つかった。

沙枝は外に出る。目の前には真っ赤な夕焼け。沙枝は夕焼けを追った。

レレンは夕焼けが好きだ。

空はどんどん赤くなる。彼は夕焼けを追った。キザサが輝いて見えてくる。

宇宙船が飛び立つ。それは静かな光景だった。空気は潤んで、風景はまるで水彩画のようだ。 宇宙船の推進装置の光が輝いているのが分かる。海にその光が反射して揺らめいている。

宇宙船はこの星から逃げていく人々が乗っている。そのことをレレンは分かっていた。羨望はない。 けれどその光景はどこか悲しかった。自分たちがそっと置いていかれること、彼らはその悲しみを知らずにどこかへ行ってしまうこと。

レレンにはそれが淋しかった。

宇宙船がまた一つ、飛び立つ。それを誰も見送らない。レレンだけがその風景を見ていた。 この星の技術が誇らしい。あの宇宙船はこの星の科学レベルを証明している。

でも、その科学もこの事態には対応できなかった。

この世界が終わる。そんな気分だった。

たくさんの宇宙船が空に上がっていった。どこまでも遠い空へ。

レレンはそれを見送る。

彼らはどこへ行くのかをレレンは思う。

レレンはこの星から出ることなんて考えられなかった。だからただ声をかけた。

「いってらっしゃい」

レレンは言葉を信号にして送った。頭の角から信号は出る。それを受信したのか、しなかったのか、彼らから返事はない。

レレンが宇宙船を見送る3か月前のことだった。

星の代表、ロマがレレン達の前に現れて、この星はもうじき終わりを迎えると言った。 人々はざわめいた。ロマは人々に事情を説明し、宇宙船を建造していることを伝えた。 その宇宙船に乗ってこの星から逃げ出すように言った。しかし、そこには欺瞞があった。

沙枝は夏の宿題に追われていた。

駅前、商店街、中学校と町中をさまよったが、これだという題材はなかなか見つからない。 川縁に佇んでいるとサッカーボールで遊んでいる子どもたちがいた。 もし、沙枝が活発な性格だったら、近づいて一枚撮っていただろう。沙枝にはハードルが高いことだ。仕方なくそこから沙枝は離れた。

ぶらぶらと街を歩く。何も撮りたいと思うものがなかった。きょろきょろと辺りを見渡す。 撮っていいと思えるものがなかった。カメラをバックに入れる。今日は使わない。宿題は終わらないけど、仕方ないと沙枝は思う。

夏のほとんどは遊んだ。だからこんな目に遭っているわけだけれど、そのほとんどは秋介と遊んだのだ。 沙枝は後悔していない。秋介は沙枝の憧れの人だ。秋介はマイペースに沙枝を遊びに誘う。 そのほとんどは星を見る時間に費やされた。秋介は天文学オタクなのだ。だから恋はなかなか進まない。 秋介のことを考えていると、塀の上に黒猫がいることに気が付いた。黒猫はこちらの様子を窺っている。そして沙枝の目の前におりてきた。

「ちょっ……あれ?」

シャッターチャンスだけど、カメラはバックのなかだ。そのまま黒猫は通りすぎていった。

沙枝は昔から引っ込み思案だった。その性格もあってあまり人と仲良くなることが苦手だった。同年代の友達は少なくて、年上の知り合いが多かった。

写真は中学に上がった頃に始めた。写真を教えてくれる知人がいたからだ。だからその知人曰く、筋はいいのだ。でも、撮る前に考えすぎるのだ。

だから、なかなか対象を決められない。

日が傾いていた。

沙枝は思う。暗くなる前には宿題を終わらせたかったな。

そして何気なく夕日の方角を見た。夕焼けが綺麗だ。沙枝は夕焼けを見て、違和感を覚えた。 どうしてか、夕焼けが赤く感じる。夕焼けは赤いものだと思ってみても、違和感が拭えない。

西の空が赤い。夕焼けの狂おしいほど際立った赤色が印象的だった。

沙枝は思わずシャッターボタンを押した。

沙枝は思った。世界の、すべてに色がついたって人はいうけれど、きっとこんな感じなのだろう。

なにか一つだけ色彩を感じられれば、世界は色づく。ぼんやりとした街並みだって、そのなかに色彩はある。今日はそれが夕日だっただけだ。

携帯電話が鳴る。誰からだろうと思ったら、秋介からだった。

「えっと……もしもし?」

「沙枝ちゃん、秋介だけど、今日もいっしょに星空を見ないか?」

「えっと……。きょうは駄目です……ごめんなさい」

これから写真を現像しなければならない。沙枝は宿題がなければ良かったのに、と思った。

「そっかぁ、残念。じゃあ、また今度」

秋介は言った。

沙枝は電話を切ると、自分の家の方角へ歩き出した。

夏休みの最後の日はこうして終わった。

いざ、星からの脱出計画が始まると、優先的に脱出できたのはお金持ちからだった。 レレン達、貧困層の若者は後回しにされた。小さな子どもがいようと、年寄りがいようと関係なく、収入の多い人たちがこの星を去っていった。

人々は不満を口にした。しかしそれをぶつける相手はいなかった。政府の要職はみな我先に星から出て行ってしまったし、王も行方知れずになっていた。

残された人々は占星術師ハバーレンのお告げに一喜一憂した。科学の力は衰えた。

レレンは馬鹿馬鹿しいと思った。

レレンの傍らにはいつもナリーンがいた。ナリーンはレレンの小さいころからの親友だった。ナリーンは言った。

「この星はまだ大丈夫なはずさ」

「そうだね、ナリーン。僕達だけでもうまくやっていける。これまで通りだ」

レレンとナリーンは鉱山へ仕事に出かけた。

沙枝に冬樹から連絡が入った。

「沙枝ちゃん、入賞おめでとう」

なんのことだかよくわからないでいる沙枝に冬樹が説明する。

「写真、コンクールで入賞したみたいだね」

「写真……。ああ!」

沙枝にとって冬樹との接点は、写真と秋介だけなのだから答えは簡単なはずだった。

冬樹は沙枝の写真の師匠でもある。

「……ありがとうございます。冬樹さん」

「この写真、よく撮れていると思うよ。いいね!」

「嬉しいです」

「秋介に写真を見せてみたらどうだい?」

「え……?」

「いい写真だから、きっと気に入ると思うよ」

――と、冬樹に乗せられてしまったけれど、確かに秋介に写真を見せるというアイデアは捨てがたいと沙枝は思ったので、それを実行に移すことにした。

秋介はよく五反田にいる。何故だかは知らない。五反田方面を探してみようと沙枝は見当をつけた。 もし秋介との会話に詰まってもいいように、カメラを持っていく。お守り代わりだ。写真のことを話せばいい。

初めてやってきた五反田の街は、どこか忙しい。沙枝の住んでいる町とはぜんぜん違う。

星薬科大学のまえでカメラを構えてみた。こうしていると自分もプロのカメラマンみたいだ。 沙枝がそんなふうに自惚れていると、門の向こうから大学生がこちらを見ていた。沙枝の顔が赤くなった。

沙枝はその場から離れた。

桜田通りを歩いて、秋介を探す。どこにもいない。沙枝は困った。携帯電話を見た。 もうじき着いてから、一時間というところだった。沙枝は冬樹に連絡を取ってみた。

「秋介さんを探しに五反田に来たのだけれど、見つからなくて……」

「ああ。見つからなくて当然さ。秋介はいつもの場所にいるんだ」

「いつもの場所?」

「それはTOCの屋上だよ」

「ティー・オー・シー?」

「位置情報を送っておくよ」

沙枝はTOCへ向かった。

オフィスと商業施設が一緒になったようなビルだ。最上階へと向かう。

気持ちのいい空間だった。広い空間にポツンと人がいた。沙枝がよく見知った後ろ姿。秋介だ。

「秋介さん!」

「沙枝ちゃん、どうしてここへ?」

「あの……写真を見せたくて。コンクールでこの写真、入賞したんですよ」

「すごいじゃないか。どれどれ?」

沙枝は秋介に写真を見せた。秋介はそれを見て感心していた。ところが、秋介の顔がだんだんと変わり始めた。興味を抱いているようだった。

「秋介さん?」

「いや、やけに空が赤いなと思って」

それは僅かな差だったろう。ただ沙枝と同じく秋介も、なにか違和感を抱いた。秋介は言った。

「これは光が赤方偏移しているのか……」

「せきほうへんい?」

光の波長が伸びて観測される現象で、光の色が、黄色は橙色に、橙色は赤色にずれていく。このとき赤色はより赤くなっていた。

「気づかなかったな。一度、西の空を望遠鏡で見てみよう。沙枝ちゃん、今日は空いているかい?」

「だいじょうぶです」

「夜まで時間があるから、なかで何か食べていこう」

そう言って秋介は沙枝をカフェに連れて行った。

「夏は色々な星を見たよね」

秋介は話を始めた。これは長くなる、と沙枝は思った。秋介の話を一生懸命聞いて、ふと時計を見た。夕方になっていた。

楽しそうな秋介に沙枝は言った。

「……もうそろそろなんじゃないですか?」

「そうだね」

再び屋上に上がる。

「沙枝ちゃん、夕焼けが綺麗だね」

それは確かに絵になった。真っ赤な夕日が輝いている。それからしばらく二人で夕焼けを見ていた。

秋介は望遠鏡を構える。

日が沈み、辺りが青い風景になり、星々が輝きだす。

秋介は西の空を見ていた。

「やっぱりだ!」

秋介は興奮して言った。

「……何が?」

「星の光がやけに赤い。ということは何か強い重力が関係しているのか? 詳細なデータが欲しいな……」

秋介はぶつぶつ言った。

「秋介さん、何が起こっているんですか?」

「それは僕もわからない」

「わからないって……そんなぁ」

沙枝は項垂れた。

どれくらい星を見ていただろう。沙枝は帰る時間を気にしていた。

「秋介さん、その、時間……」

「そうだ、今日はうちに泊りなさい」

「え?」

「なに驚いているんだい?」

「だって……そのっ……」

「親御さんには連絡を入れておくから、安心したまえ」

分かってない、と沙枝は思った。

秋介のアパートは五反田駅から近かった。

「入っていいよ」

そう促されて、部屋に入ってみる。男の人の一人暮らしにしてはよく片付いている。きれいだった。 普段から、そうしているみたいに自然だ。晩御飯を済ませると、秋介はパソコンで複数の相手と連絡を取り出した。 沙枝のことなど、気にしていない。相手は海外の人のようだ。

議論は二時間くらい続いた。

「アダム、だからこの方角をよく調べてみて欲しい」

「シュウスケ、分かった。そんなに言うのなら、明日、調べてみるよ」

沙枝があくびをすると、いつの間にか眠ってしまっていた。

朝日が眩しい、と沙枝は思った。秋介はパソコンに向かっている。

沙枝に背を向けて秋介は言った。

「起きた?」

「はい。ずっと徹夜ですか?」

「まぁ、研究テーマが決まりそうだったから、つい」

秋介は頭を掻いた。

「沙枝ちゃん、もしかしたら大発見かもしれない」

「……何のことですか?」

「沙枝ちゃんが撮った写真のことだよ。あれは重力の異常を捉えた一枚だったかもしれないんだ」

重力? 異常? 沙枝は言葉について行けない。

「そうですか……」

秋介は続ける。

「これがもし、本当のことだったとしたら、世界のニュースになるかもしれない」

沙枝には事の重大さがよく理解できなかった。

「ところで秋介さん」

「何だい?」

「……お腹が空きました」

カップ麺にお湯を注ぐ。三分待つ間、沙枝は秋介の言ったことを反芻していた。 聞けば、あの夜に秋介と確認したことは天文学の新発見だったかもしれないということだ。

「実感なんて湧かないよ」

沙枝はつぶやいた。それに沙枝には気がかりなことがあった。

学園祭が迫ってきていた。

沙枝は学園祭に秋介を誘おうと考えていた。うまくいくだろうか、そのことばかり考えていた。

学園祭のクラスの出し物はアナログゲーム喫茶。それに写真部の展示だ。 展示はあの夕焼けの写真を拡大してパネル展示する。部長の強い意向だ。部長は言う。

「わが写真部の大いなる成果だ。展示しなくてどうするっ!」

沙枝は少し恥ずかしかった。でも少しだけ嬉しい。そんなくすぐったい気持ちだった。

沙枝は手に夕飯の材料を持って五反田に行く。秋介の部屋に着くと、ノックした。

「……入りますよ。秋介さん」

秋介は机で寝ていた。今日もずっと研究だったようだ。

「秋介さん、起きてください」

秋介は起きない。

「仕方ないなぁ」

沙枝は台所へ向かうと、冷蔵庫に食材を入れた。

西日が射しこんでくる。もうじき、夕方というところ。沙枝はバックからカメラを取り出した。

部屋から出て、橙色に染まっていく町を写した。少しだけ寂しい感じのする雰囲気だった。

「沙枝ちゃん?」

後ろに秋介が立っていることに気づかないくらい、集中して写真を撮っていた。

「あ、秋介さん……ごめんなさい。ドア、あけっぱなしで……」

「いいよ」

優しく秋介は答えた。

「あの、秋介さん。来月、空いてますか?」

「来月? だいじょうぶだと思うけど」

「うちの高校の学園祭に来てください……」

「うん、いいよー」

「ほんとうですか」

「嘘じゃないって、日付はいつかな?」

沙枝は詳しいことを秋介に話し、夕ご飯の支度を始めた。その日は張り切って作りすぎてしまったけれど。

秋になっていた。学園祭の準備は恙なく進み、当日を迎えることができた。 学園祭の看板の前で沙枝は秋介と待ち合わせしていた。約束の時間はもうすぐだ。 沙枝はどきどきしていた。これはデートじゃない、と思った。けれどデートかもしれない、とも思った。ゆらゆらした不思議な気持ち。

「沙枝ちゃん、早いね」

「秋介さん、おはようございます!」

さぁ、行きましょうかと沙枝が言おうとしたとき、秋介が言った。

「ごめん、沙枝ちゃん。もう一人来るんだ」

沙枝は思う。誰だろう? 冬樹さんだろうか。秋介は沙枝に話す。

「大学院の先輩だよ。夕焼けの写真のことを話したら、見てみたいっていうから……」

そのことを話す秋介の態度はどこか変だった。十分くらいして、その人は来た。

黒い長い髪が印象的だった。白い肌とちょっと怖い目元。綺麗な人だった。写真映えしそうなスタイルの良い女性。

沙枝は絶句していた。

「涼子さん、遅いですよ」

「すまんな、方向音痴なんだ」

「駅から学校が見えるって言ったじゃないですか」

「そうだったかな」

ふたりの会話を沙枝は聞いていられない。見たことのない秋介の一面。

「この子がそうか」

その女性――涼子は言った。

「すばらしい観察眼を持っているな、君は」

「…………ありがとうございます」

沙枝は少し怯えていた。

「あの……案内しますね」

「よろしく頼む。秋介はまぁ、ボーっとした奴だから、しっかりした子がついてくれていて、頼もしいぞ」

沙枝は思う。涼子は自然だった。いい人だ。でも沙枝は嫉妬した。秋介との距離感が羨ましいと思った。

それからの時間を沙枝はあまり覚えていない。楽しい日になるはずだった。けれどそうはならなかった。

唯一、沙枝が覚えているのは、パネル展示された夕焼けの写真を見て、涼子が目に涙を浮かべている様子だった。

沙枝は思う。勝てた。

ぐちゃぐちゃな気分になっていた。

学園祭も終わりの時間になって、沙枝は気分が悪いことを秋介に伝えて、家まで送ってもらった。 家の前まで着くと、辺りは暗くなっていた。沙枝は言葉が溢れ出してくるのを止められなかった。

「秋介さん、好きです。好きなんです。でも秋介さんには涼子さんがいて、でも……」

沙枝は泣いていた。

秋介は答えた。

「沙枝ちゃん、ごめん。そこまで考えさせちゃって。涼子さんはぼくの目標なんだ。学者としての」

「え……?」

「だから、大丈夫。ぼくも君が好きだよ」

沙枝の目に涙がまた出てきた。

秋介の携帯電話が鳴った。秋介は電話に出た。

「なんだって? そうか、ありがとう、アダム」

電話を切ると、秋介は嬉しそうに言った。

「沙枝ちゃん、大発見だ」

「……何ですか?」

「たしかに異変が起こっている」

西の空で小さな歪みが観測された。ただ、それのなかの星々が消えていく。通称、星喰いは天文学の重要な問題となった。

それから秋介は忙しくなっていった。沙枝は秋介にメールした。

「大丈夫ですか? 地球は」

何も知らない沙枝は不安だった。

それでも秋介は明るく答えた。

「地球は大丈夫。でも宇宙は大変さ」

「……星喰いのなかに宇宙人はいないんですか?」

「宇宙人がいたとしても強い重力のなかじゃ、生きていけないはずだよ」

沙枝は星喰いのなかで潰れていく宇宙人の文明を思い描いた。遠い星のなかでひっそりと終わっていく文明を。

お金持ちたちがこの星を逃げ出してから、しばらく経つ。 

レレンはいつものように鉱山に働きに出た。でも気がかりなことがひとつあった。 最近、ナリーンを鉱山で見なくなった。レレンは胸騒ぎがして、ナリーンの家に向かった。

雲のなか、日が輝いている。風が強くなった。

レレンはナリーンの家に着くと、甘い香りがした。レレンは不審に思った。

「ナリーン、いるのか?」

椅子にナリーンは座っていた。ただ意識がなかった。

「ナリーン……どうして?」

ナリーンの傍らには大量の薬が散らばっていた。薬物を大量摂取したらしい。これは自殺だ。

「助けを呼ぶから、待っていて」

レレンは信号を打った。彼の頭にある突起から、信号が発信された。でも誰も助けてはくれなかった。

考えられる理由は一つ。世界が終わっていくから。誰もが無力感に囚われていく。レレンはそれが分からないほど、幼くはなかった。

「医者を呼んでくる」

レレンはナリーンの家から出た。いや、逃げ出したと言ってもいいのかもしれない。外には真っ赤な夕焼けが見えた。その方角にレレンは向かった。

沙枝は夕焼けを追った。秋介に会いに五反田の街に通うようになってから、夕焼けの写真は増えていった。

沙枝は思う。どうして夕焼けに惹かれるのだろう。そうだ、これはきっと悲しみからだ。 星々が消えていく悲しみから、私は夕焼けの写真を撮っているんだ。

沙枝の撮った夕焼けの写真は五百枚を超えていた。冬樹から連絡が入ったのはその頃だった。

「天体写真に興味ないかい?」

星喰いの写真が見られると聞いて、沙枝はその展覧会へやってきた。

沙枝は待ち合わせの場所に冬樹を待っていると、少し遅れて冬樹が来た。

「じゃあ、行こうか」

大きなパネル展示が目を引く。星喰いの過程を撮った写真に、沙枝は心を掴まれた。

「冬樹さん、この写真はどうしたら撮れるんですか?」

「天文学者になれば、撮れるんじゃないかな」

冬樹の何気ない言葉から、沙枝は宇宙のことに関心を持った。

沙枝は普段の勉強に加えて、秋介の仕事の手伝いをした。それからだんだんと宇宙の知識が増えていった。

春になり、進路希望届に天文学者と記入する沙枝の姿があった。

秋介に憧れたからではない。沙枝の気持ちは純粋に宇宙の姿を撮ることへ向かっていた。

大学生になり沙枝はある夢を見た。

レレンという少年が助けを求めている。けれど、誰も応じようとしない。沙枝がそれに応えた。

「何をすればいい?」

「医者を呼んで」

「分かった。他に何かある?」

アルクトゥルスキザサが消えるときまで僕達を覚えていて」

夕焼けに向かってレレンは走り出した。続いて沙枝も夕焼けを追った。

「だめ! そこへ行っては……。星喰いがあるから!」

沙枝は目を覚ました。冷や汗が出ていた。

ナリーンが死んでからも、レレンは生きていくことを止めなかった。

そんな彼を真珠色の空が祝福していた。

レレンはきょう結婚式を挙げることにした。恋人リリとの愛を誓った。

結婚式に現れた友人達は変わらなかった。研磨工のレーリン、八百屋のウェリル、象嵌職人のギーシャム、 服屋のミュリ、芸術家のソモロ、たくさんの人々がレレンの結婚を祝った。 一番のお金持ちだった宝石商のルーシだけがいなかった。ルーシは宇宙船でこの星から逃げたと噂されている。

レレンは言った。

「今日がとても幸福でいられることに感謝します。僕達はきっと不幸なんでしょう。けれど今は幸せです。誰が何と言おうと」

その日は皆で朝まで飲み明かした。この星が終わるなんて誰も考えてはいなかった。

それからしばらくしてキザサが空から消えた。

キザサは彼らにとって身近な星だった。キザサが消えたことは衝撃的だった。それでもレレンは皆で幸せにやっていくことしか頭になかった。

リリが身ごもり、息子が生まれるとレレンは大層喜んだ。

レレンは息子にキザサと名付けた。

レレンはよちよち歩きのキザサを連れて夕焼けを追った。

「なぁ、キザサ。なんて綺麗な夕焼けなんだろう」

レレンは優しく語りかけた。

アルクトゥルスが呑み込まれて七日。

沙枝は思う。いつか思い描いた、宇宙人たち。彼らは逃げ出せただろうか。今日もまた星が消え、それは日常になっていく。それが怖い。

星が消えることの悲しみは尽きない。

けれど沙枝が夕焼けを追うのは終わらない。