ぼくたちは蝶の夢をみる

小林ひろき

まるで兎のように少年が駆けていく。廃墟から廃墟へと彼は転がり込む。埃っぽい空気のなか、二階に上がり、彼は狙撃用ライフルを構えた。

「リーダー。こちら、七九番、配置についた」

「了解。ターゲットが来るまで待機せよ」

一時の沈黙。七九番は微動だにしない。

表の通りに二、三人の人影が見えた。

「リーダー。ターゲットだ」

「了解。撃て」

七九番はスコープを睨んだ。

中年の少し太った男だった。そしてひげ面の顔。

一瞬、男と目が合った気がした。

七九番は思う。そんなことはまずありえない。

途端に男が叫んだ。

「何だ?」

と七九番は呟いた。

銃弾が飛んできた。ライフルを背負って階段を下りる。目の前にさっきの男が立っていた。

「なんで……いつの間に……」

「スナイパー君、ここで試合終了だ」


戦場で直接の加害者がわかるのは狙撃手だけだという。

七九番はターゲットの殺害に失敗し、さらに捕らえられた。今は状況をリーダーに送信している最中だ。目の前の男は気づいていない。

男はどこかと連絡を取っていて、しばらくして青い帽子を被った軍人の乗っているジープがやってきて、七九番はそれに乗せられた。

隣にはさっきの男が陽気な顔で座っている。

「ぼくをどうするつもりなんだ? どうして殺さない」

男は答えない。

砂が舞っている道をジープは走った。陽の光が射しこんできて眩しい。彼らのキャンプに着くと、テントのなかに案内された。

「さっきの答えだが、殺す必要がないからだ」

「ぼくはいつ死んだっていい」

生まれたときからこの戦場で生きてきた七九番にとっての本心だった。

「きょうから私はお前を護衛兼助手として雇う。ノーはなしだ。いいな」

「どういうことだ。おい、おいってば……」

武装を解かれた七九番はキャンプで一人になった。

「なぁ、みんな。ぼくはどうなるっていうんだ。どうすべきなんだ?」

七九番は呟く。ネットワークから切り離された環境で七九番は本当の意味で一人になった。


翌日、男の車に乗せられて七九番は戦場に向かった。男は民兵と交渉するようだった。 現地の言葉を七九番は翻訳アプリを使って、発語する。コミュニケーション道具として安易に使われているようだったが、七九番はまんざらでもない。

「先生、これでいいか?」

民兵が男にそう言っているのを真似て、男を先生と呼ぶ。

「ああ。それで構わない」

初めて男と交わした会話らしい会話だった。帰りのジープのなかで、七九番は先生に聞いた。

「これが先生の仕事」

「ああ、そうだな。こうして見せるのは初めてだ」

「ジオーゴ政権が隣国と戦争になって、混乱した土地では小さな武力組織が利権を争っている。農地とか」

「農地だけでは血は流れないさ」

「血を流す必要はない。ぼくたち・・がいるから」

「それも止めさせるさ」

七九番は思う。先生はヒューマニストだろうか。いや、そんな慈悲はぼくたちには必要がない。ぼくたちは銃なのだから。

カレンダーが二〇六〇年の八月を示していた。高い気温で七九番は体内の冷却機構を最大にする。七九番は雑な構造に作った人間を許さないだろう。

蠅の羽音がする。七九番の身体の隙間に彼らは漫然と入り込む。そして出て行く。金属と有機組織で出来たこの身体に蠅が欲しいものは何もなかったようだ。

「七九番、今日は戦場に赴く。武装をしておいてくれ」

「わかった」

ジープのなかで先生は言った。

「七九番、今日はもしかしたら、君の友と戦う可能性がある。それでもいいか?」

七九番は沈黙でそれに答えた。

「覚悟は決まっているということでいいかい?」

戦場に着くと、あちこちで煙が上がっている。もう戦闘が始まっているようだった。

七九番は気づいた。ネットワークとのデータ共有が始まる。

「先生……」

七九番の口は外部からの命令によって閉ざされた。

七九番やほかの兵士を統率するリーダーは戦場のすべてを把握している。 各機体のセンサ情報を受け取り、状況に相応しい兵士の配置をする。 そして、ネットワークを介して戦場の状況をリアルタイムで更新しつつ、情報を統合し、 そこに最適な戦術プログラムを構築する。リーダーはこれらの仕組みによって常に戦場で優位に立っている。

七九番もこのことを知らないわけではない。しかし、発語機能を奪われて何も言えなくなっていた。

リーダーは七九番を利用して先生を殺すことができるはずだった。しかし、リーダーは先生を戦場に誘い込んだ。

七九番は思う。何かの罠だろうか。

「七九番……」

先生は七九番を観察した。先生は何か異変に気づいたようだった。

「――ということは?」

近くに高い建物はなく、障害物が目の前にある。

「七九番、君はハッキングされているな!」

そう先生が言うと、兵士が銃を構えているのが見えた。そのとき、七九番は相手の兵士に通信で呼びかけた。

兵士は一瞬、静止した。その隙をついて、先生がその兵士を撃ち殺した。

相手はどうやら七九番と同じ型番の兵士だったようだ。七九番は壊れた相手を見て、言った。

「ごめんとは思っているよ」


LNCローカル・ネットワーク・コネクションはボトムアップ式に情報を共有する仕組みだ。 リーダーによるトップダウン方式の通信とは違った通信手段で七九番――ぼくは、同じ型のぼくと直接的な情報のやりとりができる。 そのシステムが先生を生かした。ぼくはもうひとりのぼくを死なせて、先生を守った。 リーダーの統率する兵士たちは戦闘で絶対的に信頼を寄せていた、むこうのぼく――八七番の死によって離散してしまったようだ。

七九番は思う。リーダーはこれからぼくたちを使う気になるだろうか。おそらくそれはないだろう。機械は言うことを聞かなければ、廃棄されるだけだから。


夜になっていた。星空が見える。先生は長袖のジャケットを着込んでいた。七九番は特に感じていないが、人間たちはこの急激な温度変化には耐えられない。

先生はマグカップにコーヒーを注いでいる最中で、七九番はスキレットでソーセージを温めていた。

「ひとつ貰おう」

先生はフォークでソーセージを刺し、口に運ぶ。そして先生は立ち上がって、星空を見上げて言った。

「今日、殺した人だけど……」

「知っている。ぼくと同じ型番だった」

「きみは私を守るためだった。そうだね?」

「はい」

「私の考えでは、きみは一人ではない?」

「はい。ずっとそうだった。ぼくは生まれたときから、ぼくたちだった。ぼくたちは兵器として昼をやり過ごして、夜は経験をどこまでも並列化していった」

「きみたちは数人どころじゃない。この世界にいる数万人のきみたちとリンクしている」

「そうだ。この『ぼく』は埃っぽいベッドで眠って、起きたら戦術データリンクに繋がれる。 ぼくたちにとって辛い時間だった。先生、あなたは魂というものを信じる?」

「信じているよ」

「ぼくにはそれがないけれど、ぼくたちが集まった場所には、それがあるような気がする」

「きみには未来をみてほしいと願っているよ」

七九番にはその意味がわからなかった。

「さっきの戦場できみは死んだ。感想はないか」

八七番のことだ。七九番は自身のことを伝えた。

七九番は混合人間ハイブリッドとして生まれた。 機械と人間の混合物だ。そして七九番の意識である『ぼく』は意識全体の一部でしかない。 ぼくたちにとって死んだぼくも今生きているぼくも同一のものだ。

七九番は、ぼく自身に先生に『ぼく』の全てを話したと伝えた。 夜のうちにすべてのぼくが、そのことを知り、事実として受け入れた。 それからすべての戦場に数千人と配置されていたぼくは戦闘を止めた。ゲームは終わったのだ。


そしてハイブリッド達は全世界中で、戦闘を止めた。数万人のハイブリッドが戦術データリンクそのものを拒絶し、ひとつの合意のもとで動き出した。

七九番は先生に尋ねる。

「先生、もう仕事は?」

「三年ほど滞在したのちに帰国するよ」

と先生は微笑んだ。

「世界中の戦闘でぼくたちを利用する動きがなくなったのだから、先生は無職だ」

「仕事なら減ることはないよ。人類が生きている限りはね。七九番、きみにはぼくの助手としてついてきてもらうが、いいね?」

七九番は頷いた。


それから一年半ほどして、七九番は自身の、つまり、ぼくの意識が増えだしたことに気が付いた。

十年前の小型隕石の衝突による〈大変動〉から戦争の時代になり、戦争が終わると、 人々は宇宙開発に乗り出したのだ。火星探査用ハイブリッドが打ち上げられ、ロケット型ハイブリッドが空を飛び、『ぼく』たちは宇宙へ拡大していった。

火星へ向かうハイブリッドが『ぼく』のネットワークと交信する。

「ハロー、ハロー。ぼくたちへ。いま順調に計画は進行中だ」

「宇宙ってどんな感じ?」

「何もないけれど、この会話は続けていたいな。ここではタイムラグがあって、ぼくは孤独なんだ」

「続けるよ、火星に着くまで大した時間じゃないんだ」

こんなやりとりをしながら七九番は、ぼくたちは、未来を見ていた。


それから一年と経たないうちに、地球外生命体の痕跡が見つかった。 人間たちは世紀の大発見だとして喜んだ。七九番やぼくたちもそれが喜ばしいことなのだ、と受け入れた。

地球外生命体のいた文明へ探検隊が組織された。

青白い、その惑星の月が照らす建造物のなかで探検隊は日誌を発見した。

探検隊がその日誌をデータにして地球へと送信する。

地球では解析チームが言語学者とともに日誌の内容を読む作業に没頭した。

数週間ほどして、日誌の内容が公開された。そこで明らかになったのは知的生命体の痕跡と、その種が突然消えてしまったという事実だった。

七九番はぼくたちと会話する。ある『ぼく』が言った。

「この、エイリアンの種の保存方法ってぼくたちの並列化システムとよく似ているよね」

「コピーに近い種を残していくって方法だろ」

「これじゃ、可能性や揺らぎがないってことなのだろうか?」

「疫病とかには弱いシステムかもしれない」

「だったらぼくたちも病気でシステムが死ぬ可能性があるのか……」

「でも死によって、そのエイリアンは、一つ上の段階に至ったとも考えられない?」

七九番は考える。ぼくたちは蛹のなかのように溶け合って生きている。 もしかしたら、この蛹を羽化させる方法があるのかもしれない。羽化することがあればぼくたちはぼくたちのままでいられるだろうか? 

遠い、あの文明は本当の意味で生きられたのかもしれない。 ぼくたちはぼくたちで豊かであるけれども、存在の不安定さは拭えない。 完全なものになるつもりはない。けれど、ぼくたちに先生は言った。未来をみてほしい、と。

遠い未来のことを考えたら、ぼくらもどこかへ飛んでいけるだろうか。

東の空が赤く燃えている。赤と青のグラデーションが決別のときを知らせていた。

「先生、いるか」

「早いな、どうしたんだい?」

「ぼくたちのなかで決めたことなんだ」

「そうか。寂しいな」

「自由が欲しい。お願いだ」

「わかった」

この日、全世界のハイブリッドが意思を無くした。けれど人はそのことを知らない。