楽園への階段

小林ひろき

記憶はいつも曖昧だが、あの日は雨だったのが印象に残っている。

俺だったか私だったか修正デバッグが必要だ。頭はいつもスッカラカン。 名前おれはB。ボールドウィンだったりバーバラだったりする。 信じる必要はない。凄腕ってわけじゃない。ここに来るのは大した仕事じゃない。

今日、俺は――当事者ボリスだった。 ボリスはリボルバーをこめかみに押し当てる。手はぶるぶると震えている。 ボリスおれは死ぬ。今日までのことを思い出す。走馬燈ってやつ。

祝砲は鳴った。

透かさず追跡トレース。 目当ては一番でっかいプログラム――有り体に言えば魂ってやつ。

ただ、このプログラムは重い。俺のおつむでどこまでやれる? 俺は自問自答するが、そんな暇はもとよりなかった。

このときだけ彼はボールドウィンでもバーバラでもない、彼に戻る。誰かの精神に触れる瞬間だけ、彼は生を感じる。

これっぽっちか。俺はボリスの魂を食らいながら、分け前をお得意様に売り込む準備を始めた。

ボリスは自殺者だ。それ以外に面白みはない。プログラムたましいが偽物だという点以外は。 プログラムの型番は最新式クールなやつ。 俺も見るのは三回目くらい。だからか、少し飽きてきた。整えられた意思と整えられた人格ちょうせいずみ。 彼が自殺した理由、それは不明だった。

頭を掻きながら、今月分の報酬を数える。先月分と大して変わらない。俺は中身の薄い俺に戻る。今日の、ボリスの残滓を味わいながら。

捜査は暗礁に乗り上げていた。

相棒のFが俺に問いかけてくる。

「で、当事者は何か語ってた?」

何も、と言いかけて俺は口を噤む。無能だと思われてしまうからだ。俺は手を合わせながら考える。見てきたものにあまり驚けない自分がいる。

見えたもの――。

それは完璧な自殺だった。だが俺には突破口があった。

無くなったものの再計算。魂を読み出すこと。それは意思の在り処を探すことと一緒だ。 それは危険な行為だ。子どもがやったら即ゲームオーバー。ゲームっていうのは人生って意味。

そして俺は腹の中の、いちど死んだボリスの魂と接続ワイアードする。

接続完了。

ボリスの魂を再構成する。

「綺麗なもんだな」

ボリスの記憶。目の前に広がる光景に雑音ノイズはない。これは映画でも見ているようだ。

俺はボリスになる。

ひとりの女性が映る。

これはボリスが深い信頼を寄せている誰か。

カーテンの向こうに楽園が広がっている。そこでは彼女は自由を手に入れられる。

おれは彼女について行きたい、でもその方法は一つしかない。

――同じところへ行くんだ。

次に映ったのは拳銃。

そして発砲音。

俺は薄れている意識の中で接続を解く。

「ちょっとB、聞いてるの?」

「ああ、今、接続していたところ」

相棒はおかんむり。無理もない。車の運転中なのだから。

「危ないなぁ」

「これくらい義体サイボーグなら簡単な芸当だ」

「あなたがサイボーグだって知らなかった」

俺はFにボリスについて話す。Fは言う。

「そう、被害者は辛い方を選んだ。未来を失ったのだから」

シビれた頭から汚れをパージする。汚れのほとんどは感情っていう暫定的なものだ。

「信愛というのかな。深い愛情を感じた」

「その主人は今どこに?」

「それが実在する人物か、不明なんだ」

ボリスの所有者は?」

「リンダ・ギャレット。情報ではミナト区に在住。現在、消息不明」

雨が降る。

東京の街を俺は相棒と車で走っていく。

「行方が分からないなんて奇妙……」

俺は再びボリスと接続した。彼の記憶のなかへ深くダイヴする。何かないか? 

この違和感は何だ? 

情報に欠損が多すぎる。

一見してこれはアンドロイドが主人を信愛する物語だ。でも細部ディテールがなさすぎる。

電脳空間サイバースペースにはすでに何人かの捜査官が集まっていた。

今月に入ってアンドロイド自壊事件は5件。じゅうぶんに速いペースだ。

被害者の共通項はなし。

アンドロイド所有者は、行方不明。

皆は簡単に状況を確認して、共有する。

俺は違和感について報告する。

「アンドロイドの最期の記憶は彼自身が背負ってきた物語ストーリーのようにも見えますが、 細部が無さすぎます。経験上、もっと現実は込み入っているのです。これはある意味で劇だ。作られた記憶とでも言おうか?」

「わかった。各員は消えた所有者を探し出せ。情報の共有を忘れるな」

捜査員たちは持ち場に戻った。

アンドロイドの所有者リンダ・ギャレットの自宅に訪れた俺、そしてF。

狭いワンルーム。パソコンと食べ残しヌードルの器とゴミ袋。決してきれいではない。

窓から暗い光が差しこむ。

俺の嗅覚は彼女のパソコンに向かう。

「ウィルス感染があるかもしれない。気を付けて」

とFが言う。

いそいそと俺は接続。履歴から追跡。リンダの魂の匂いはどこへ続いている? 

「ウィルスなんて、ありゃしないさ……おっと……ここは?」

目の前の現れたゲート

そこに「ιδέα πόλιςイデア・ポリス」とある。

「F、なんてことだ……イデア・ポリスだ」

「イデア・ポリスって、あのイデア・ライフの後継の?」

「そうだ」

2年前のイデア・ライフ事件は記憶に新しい。

仮想空間へ魂が流失し、のべ72万人が消失した未曾有の事件だ。

消えた72万人は帰らず、運営会社プラトンは未だに彼らが死んでいないと説明している。 仮想空間の、精神世界インナースペースで生存しているという証拠は未だない。 そして今もイデア・ライフは名をイデア・ポリスに変え、こうして目の前に存在し続けている。

俺はブルブルしながら言う。

「こいつに潜ったら最期って噂だ」

「ビビってるの?」

「いいや、やってみるさ」

接続開始。

電気信号になって俺は飛ぶ――。

「B! ちょっと何してるの!」

銃口が自分に向いている。

どこでハックされた? 介入される隙なんてないはず。腕が言うことをきかない。

「これだから、機械はよぉ!」

俺は叫ぶ。腕のコントロールをオフにする。ダランと垂れさがる腕、床に落ちる銃。

「何があった?」

とF。

「わからない。ハックされていたらしいということしか……くっそ……」

俺はそこに座り込んだ。

脂汗が額に伝う。息が荒い。心拍数が上がってる。

「このパソコン、押収した方が良さそうだ」

「……そうだな」

そして二人は部屋から出た。

リンダがここからイデア・ポリスにアクセスしていたことはわかった。

だとしたら彼女は今どこにいる? 

俺は最悪のパターンを考える。

彼女の肉体と魂は別れた、とするなら? 

まだ魂の流失事件は続いている――。

ヘリのライトが都市を照らし出していた。

天候は雨。俺は憂鬱な気分だった。立ち入り禁止のテープを抜けて当事者と対面する。

アンドロイドの遺体――頭部が半分無くなっている。

鑑識は言う。

「ショットガンで一発ですね」

そうか、と返事をする。遺体を観察した。自殺、そう結論付ける。俺は辺りを注意深く見た。

こいつの魂を読み出したい。けど頭はお釈迦。何も残ってはいない。機械部品があちこちに散らばっている、凄惨な現場。刺激が強い。

当事者の死ぬまでの動きを想像した。死ぬまでの逡巡はなかったか? 

こいつの所有者マスターはやはりいないのか……。

パソコンに目が行く。

「このパソコン、誰もいじってないよな?」

「ええ、まぁ」

と鑑識。

「こいつに接続する」

ハッキングを仕掛けられる心配はあったが、今、銃はロックしている。

だいじょうぶ。行けるさ。

接続開始。

履歴から追跡。

リストの中にイデア・ポリスのリンクを発見する。これか? 

この前の出来事が蘇る。来るか? すんなりと門は開いた。

そこは見慣れた東京の風景だ。これが仮想世界か? と疑うほど視界はクリアだ。

俺はスクランブル交差点の真ん中に立っていた。人はおらず、人を示すアイコンだけが通りすぎていく。

俺は表示を簡易表示にした。解像度が下がっていき、マップが表示される。

情報ならこれだけで十分。俺は被害者の所有者を探しに行く。被害者宅へ一気にリンク。

俺は光となって飛んだ。

「なんだぁ? 被害者宅なんてないじゃないか」

情報の食い違い。そこはオフィスだった。イデア・ポリスの、そのオフィスの一室で、俺は別件の捜査官と鉢合わせした。

「B、どうしてここに?」

「E、捜査中だ。俺もお前がここにいる理由を聞きたいが」

Eもアンドロイド自壊事件を追っていた。こいつもホトケの所有者のパソコンからここへ接続してきたらしい。

だとしたら、俺もEも同じ人物を追っているということだ。アンドロイドの二重所有者。そいつの仮想世界上の部屋がここだ。

オフィス、とは言ってもパソコンが一台ある殺風景クリーンな部屋だ。俺はパソコンを弄ってみる。

「E、ちょっと見てくれ。この部屋の住人のログアウト先だ」

「ミナト区ダイバ……」

俺は意識を現実世界に戻すフォーカス

「こちらBブラボー、 現在、仮想世界イデア・ポリス内でEエコーと一緒にいる。 アンドロイド所有者の痕跡を追ったら仮想世界の部屋に着いた。ここの、端末からログアウト先を見つけた。何が待ってると思う?」

「持って回った言い方をするな。そこへ捜査官を派遣する。詳しい住所を言え」

それから、すぐだ。

アンドロイド所有者の遺体が見つかった。

そして過去の5件も同じ。 アンドロイドの所有者の痕跡はイデア・ポリスにあった。ログアウト先から次々と遺体が見つかる。 遺体はきれいなものだったという。暴行された痕や縛られた痕もなく、ただ眠っていた。

暴かれたのは彼らがイデア・ポリスの愛好家だったこと、そんなことは分かっている。 けど2年前の事件でイデア・ポリスのユーザーは激減していた。膨大な名義アカウントのみが残されている、 こんな場所で生活するなんてまっぴらだ。

アンドロイド達の死、それは所有者たちの死を知らせに来たものだと俺は思う。ここから彼らは何を見た? 何をされた? そして何故死んだ? 

俺はデスクから東京トーキョーの摩天楼を眺めた。 完全なる都市。ここをそう評したのはマイケル・マグワイヤだ。彼の建築思想はここを楽園に見立てた。

でも、ここは一方で退廃を感じさせる空間。

電脳空間サイバースペースのほうが俺には合ってる。 電脳空間は俺に意思をくれる。俺が誰だったのかを教えてくれる。それはいわば啓示だ。経歴が、プロフィールが埋まっていく。

いつも曖昧な俺はここではクールだ。意思の読み出しがこれからの仕事だ。

用意されたのは5つの脳、これから俺はそこに没入する。

アナログは久しぶり。

だが死んでからしばらく経つ。

どれもみな、腐敗臭のしない、きれいな脳だ。

どの脳も、気の抜けたコーラみたいなまずい。明確な意思はそこから感じ取れず、俺は舌打ちした。

朝だった。

ブラインドの向こうから光が差し込んでくる。

眠い目を擦り、冷蔵庫を開ける。グレープフルーツジュースをグラスに注ぐ。すると昨晩のまずい記憶が蘇ってくる。死んだ奴らからは何も感じ取れなかった。

記憶の混濁がひどく、現実とも幻想ともとれない、不思議なイメージ連なり。そして唐突な死。麻薬反応はなし。

電話が鳴る。

次のアンドロイドの遺体が出たらしい。現場へ急行する。

ブラッドリーと名付けられたアンドロイドの目はしっかと開かれており不気味だ。 ナイフを首に突き刺し、脳への血流を止めていた。とはいえこれくらいではアンドロイドは死なない。

俺の出番というわけ。

魂がこの遺体に残っているうちに捜索を始める。

ブラッドリーと接続する。俺の意識は飛び、俺はBブラッドリーになる。 Bはなぜ死んでいる? 俺はどういう因果でこうなっている? 

ブラッドリーは語りだした。 主人がイデア・ポリスから帰らなくなって3日のことだ。 彼は主人からメールを受け取った。そのメールを開くとウィルスに感染した。そのウィルスは彼を死へ駆り立てた。

俺は死ぬ算段を立てる。 冷静になってこの身体をどうすれば死に近い状況に近づけるかを考える、 しかしこの部屋には 身体を調理するものはなかった。

ナイフが手に握られている。これが最後の映像イメージ

俺は無意識化で情報を小包パケット化する。 腑分けされた魂の断片をオンラインで売る。食いつきはあまりよくない。当然だ。マニア向けだもの。

意識に戻る。

Fが尋ねる。

「どう? 何か新しい発見はあった?」

「どうも何もないさ。こいつはウィルスメールを受け取ったらしい。脳に直接な」

「所有者だけにしかできない芸当じゃないか。そうだろ?」

「ああ。ってことはブラッドリーの所有者はまだ生きているはずだ」 

あそこイデア・ポリスへ入ろうってことかい。ああ、俺の仕事さ。

俺とFはイデア・ポリスにアクセスした。

ふたたび仮想世界イデア・ポリス

ブラッドリーの所有者のマンションに俺とFは着く。俺達はマンションの部屋に入る。男性のアバターがそこにいた。そのアバターに質問してみる。

「ブラッドリーの所有者だな?」

男性は頷いた。

「どうしてブラッドリーにウィルスメールを送った?」

「……それは、知ってほしかったからだ」

「何を?」

Fは尋ねると、急に顔をゆがめた。

「どうした? F……」

現実に戻ると、Fが倒れていた。

「おい、しっかりしろ」

男性のアバターは笑う。

「てめぇ。Fに何しやがった?」

「これはιδέα πόλιςイデア・ポリスの祝福だ」

Fの身体はそのまま動かなくなった。脱魂現象だ。俺はFに接続。そして追跡。

「魂を取り戻してやる。待ってろ」

俺は必死にFを追跡するが、Fの魂は物凄い速さでどこかに転送されていく。

「本部、Fフォックストロットの魂がイデア・ポリスで流失した。俺だけで追っているが、速すぎる。本部からも応援を頼む」

「了解」

何なんだ? この手際の良さは? 脳裏に罠だと過る。

「くっそ!」

俺はFの魂を見失った。

男性のアバターは勝ち誇った様子で言った。

「どうかね?」

「署に来てもらう。そうだな、お前には聞きたいことがたくさんある」

そして俺はそいつの顔を殴った。

相棒は死んだ。あいつの魂はどこかへ行っちまった。

俺は頭を抱えた。様々な感情が激流となって俺を混乱させる。無力感が体を重くさせる。

Eが言う。

「残念だが、嫌なら普通の仕事してろ。自分の心を強く持て」

「ああ、わかってるさ、わかってるさ……」

言葉ではわかってる。

でも心では何をすべきかわからないでいる。

デスクから摩天楼を眺める。

ふとアンドロイド達に植え付けられた物語を思い出す。それは単純な物語だった。なぜそんなものを用意した? 

知ってほしいから――あの男の言葉は何だ? 

俺は記憶媒体メモリで物語を再生する。

信愛する主人を追う旅。主人は死んでいる。告発めいた、死の有り様。

しにたくない、それはアンドロイドの声だ。

それがわかったところでどうにもならない。

取調室へ向かう。ミラー越しの男は相変わらず不気味な笑顔を浮かべたままだ。

俺は別の捜査官に問う。

「何か分かったか?」

「いや、何も」

捜査官は肩をすくめた。

「何を話しているんだ?」

「さっきから意味不明なことばかりだ。イデア・ポリスに祝福を、って。そんなことばかり話してる」

「精神は?」

「イカれてない」

こいつは本心でそう言っているってことなのか? 

俺はその場から立ち去った。正面玄関から外へ出る。相変わらずの雨だ。俺はアンドロイドの脳からいくつかの断片的情報を記憶した。

ただのアンドロイドがそこまで主人を慕う……。 物語はよく出来ていた。でも、明らかにあれは作られたものだ。誰が何のためにそんな物語を作ったっていうのだ。

Fは死んだ。俺の不手際だった。

Fの魂を奪った実行犯は誰なんだ?  

俺は知りたい。

アンドロイド・バーに入る。捜査のためなんかじゃない。

酒が目当て。

ウィスキーを呷ると、隣にアンドロイドが座る。 俺はそいつとひとまず接続。魂で交接する。一晩のお楽しみ。それを終えると俺は女に聞く。例のアンドロイドの信愛の物語を。

「この物語、知らないかい?」

「知らない。でもリヒトマスターなら知ってるかも……」

「マスター?」

「ええ。私の所有者。このバーの経営者」

「話を通してくれるかい?」

女が店の奥へ行く。俺はそれを待つ。オレンジ色の明かりとピンク色の明かりが情動ムードを高める。

奥から別の女が出てきた。アンドロイド? 人間? どちらともつかない。

「いらっしゃい。刑事さんは珍しいね」

「この物語を知らないかい?」

俺はその女と接続しようとする。女はそっと制止した。

「……おっと、オレは処女なんだ」

俺はコンパクト・ディスプレイで映像を見せる。女は興味深そうにそれを覗き込んだ。そして感想をひとつ。

「無垢だねぇ」

そして続ける。

「これきっと誰かの記憶を雛形にしてるのかも……」

「誰か?」

「そう、例えばアンタとかさ……」

目の前が眩む。混沌が広がる。さっき何か仕込まれたか。俺は眠りに落ちていく。

――記憶。

擦り切れた俺の頭の中には、そんなものはない。

ただ無数の魂が腹の中で嘆いている。

俺は目覚めた。目の前にリヒトがいた。俺は縛られているようで動けない。

「なにしやがった?」

「少しね。眠り薬を飲ませたんだ。珍しい記憶を持ってるって、アンドロイドビヴァリ―がいうのでね」

そう言ってリヒトは俺に触れようとする。

「触れるな!」

細く白い脚がロングスカートから覗いている。リヒトは俺に跨る。でも俺はそれどころじゃない。ピクリともしない。

「アンドロイド・ソサイエティ―は、あなたみたいな記憶の持ち主を欲しがってる。どういう手を使ってでもね。あなたって、とっても美味しそうだもの」

「あまり嬉しくないな。記憶なんて俺にはない。いつもスッカラカンさ」

俺は目を回しながら嘯く。

「価値をしらないってわけ……そうだ」

リヒトはそばにある装置と俺の脳を結ぶ。首に電極を突き刺すと快楽がなだれこんでくる。俺は気を失いそうになりながら、ぐっと堪える。

「気持ちいいでしょ。さぁ話してよ。あなたの記憶、買ってあげる」

「黙ってろ、このクソアマ……」

俺は自分の意識を別の場所、イデア・ポリスに没入する。門をくぐる。電極を刺されて40秒というところ。

俺は何かに乗っ取られる。膨大なデータが逆流して、装置はパンクした。

「……なに、したの?」

驚くリヒト。俺は首から電極を引き抜く。

「俺は……」

何かが分かった気がしたが、イデア・ポリスのそとにいる俺は何も分からないでいる。じれったい。

俺は拳銃を構えている。

「なに、ちょっとやめてよ」

リヒトは怯える。

俺はゆっくりリヒトに近づいて、拳銃を彼女に握らせる。

「……殺してくれ。そうすれば、すべてが分かる」

静かに俺は言うと、リヒトは小さく頷いた。

祝砲は鳴った。

さっきの裏口バックドアを通って、俺の魂はイデア・ポリスへと向かう。 俺の魂が意味消失するには15秒というところ。それだけあれば、全てを悟ることができるか? 

疑問はいい。やってやるさ――。

魂はイデア・ポリスの精神世界に繋がろうとしている。目の前に広がるのは魂の渦だ。

ここに繋がるいくつもの魂。この風景は壮観だ。

魂が弾んだり、跳ねたりしている。球の形をとったそれらのなかに俺はアクセスする。いくつもの物語を俺は味わう。

俺はやがて溶けていく。俺は俺じゃなくなっていく。

そんなときだった。よく見慣れた物語が俺の心に沁み込んできた。

俺はその物語をよく知っている。アンドロイドのなかにあった物語だ。

この魂が雛形か。

俺はこの魂のなかに耽溺していく。俺はこいつになる。

彼は自らをBブルースと言った。 しかしこの魂は容量が軽すぎる。若くして死んだか? それともプログラムか? 判別ができない。

この物語を読んだ者が死ぬように仕向けた誰かがいるはずだ。

それは誰だ? 

俺は一瞬、何かの意思に呑み込まれた。

ハックされたのだ。

俺はどこにいこうとしている。

俺は精神世界を抜けた。

この空間の向こうに何かあるのか? 

精神世界の向こうの扉が開いた。

ブルースを介したときに自動的にここに繋がるようにプログラムされていたようだが……。

魂がどこかへ、向かっていく。

気づくと俺は暗黒のなかをさまよっている。

情報で埋め尽くされた場所だ。俺はそこを漂う。俺の意思を読み取り、まるで鏡のように俺を言語化していく。

わたし、I、僕、俺……。

俺の経歴をすべて読みだそうとする。データに俺はなる。永遠の存在へと変わっていく。魂がデータに変換される。

……このシステムがイデア・ポリスの裏側にあったのか。

そのときだ。懐かしいFの声がする。

「まだここに来てはいけない。ここに光を当てられるのはあなただけだ」

それは夢だったのか。俺には分からない。

俺は死んでいたはずだった。目覚めることはない。それは確かなはずだ。でも俺は目覚めた。

俺は状況を確認しようとする。アクセス禁止の文字が出る。

ここはどこだ? 

GPSは動いている。マイハマ総合病院だとわかる。

すると近くの扉が開く。

入ってきたのはEだった。

「よう! 元気か?」

「これが元気に見えるかよ」

「まぁ、格好はつかないみたいだが」

俺は医療機器に配線され、身動きがとれないでいる。

「いったい、何がどうなっているんだ?」

と俺は尋ねる。

「B、お前の魂を追跡した」

約24時間前のことだったという。撃たれた俺をアンドロイド・バーの経営者が通報。 通報者によれば、俺は自殺したという。 それは、まぁいい。リヒトが咄嗟についた嘘だろう。 警察と救急が到着したときには俺はアンドロイドの予備電源でかろうじて生きている状態で、魂は意味消失しかかっていた。グレーゾーンにいたということだ。

そして捜査官が俺に接続。 俺の履歴に片っ端からアクセスして俺がイデア・ポリス上の隠し倉庫データバンクにいることが判明する。 隠し倉庫では魂がデジタルデータに変換されており、事件が公になった。

そして運営会社プラトンに強制捜査のメスが入る。

「プラトンの言い分はこうだ。 会員のなかで魂のバックアップを取りたい連中がいた。 連中はおかしくなっていたんだな。 その内に仮想世界だけで生きていけるコピーを自分と錯覚した。肉体を捨て、データの魂を手に入れたいと言い出した。プラトンはそいつらを追放」

「それで?」

「そいつらはイデア・ポリス内の魂をデータ化するインフラをハッキングした。 そしていわゆる自殺のインフラを構築した」

「ウィルスメールを送信してきた連中もそいつらか……」

「ああ」

「捕まえた男も追放された会員の一人だ。所有するアンドロイドにも試したかった、それが動機らしい」

「でも、なぜアンドロイド達はあの物語を最期に見たんだ?」

ブルースの記憶、あの記憶は一体? 

「それはアンドロイド達にでも聞いてみるんだな」

看護用アンドロイドがやってきて俺に微笑みかける。ちっとも嬉しくない。そして看護用アンドロイドは無表情になった。

こいつらにも魂に近いものがあるってことなのか? 

最後にEは言った。

「お前はクビだ。これまでのことが祟ったな。被害者の魂のデータを横流ししていたのだからな」

そうかい。

なら肩の荷が下りたということだ。

アンドロイドは今日も俺に微笑みかける。時折、こいつに話しかける。彼女は月並みな反応をする。俺は清潔な彼女に接続したいとは思わない。

治療が終わると、俺は車に乗り込んだ。そしてビヴァリーに接続する。

「聞こえているか? リヒト」

「B? なんの用だい」

「俺はいま暇なんだ。美味い魂の出所を教えてやる。付き合え」

「わかったよ。仕方ないね」

「居場所は今から送る」

楽園への階段を、俺は昇り損ねたのかもしれない。だが俺はまだ生きている。頭はいつもスッカラカンだが、俺は俺だ。

ボールドウィンでもバーバラでもボリスでもない。青い空の下を、黒い車が走る。風が激しく吹いている。それでも俺は運転を止めない。

車は暗い雨の街へと向かう。暗い世界にダイヴする。そこに俺がいることを誰も気がつかない。

続けて、接続。何かを求めている。それはありきたりな物語ストーリーじゃない。 俺は魂を追いかける。それは変わらない。

魂は電気信号になり都市を駆け巡っている。

それは例えば雨の用水路、あるいは路地裏の隅に。