SFの小箱(11) 動物の知性化
小林ひろき
金属を叩くような音が聞こえる。鼓動が速い。目の前には金属の鎧を身に着けた赤いドラゴン。大人の身長の三倍以上はある巨体と、空気を震わす声。さらに炎を吐き出した。俺たちは盾を構えた戦士の後ろへさっと隠れる。
「のぶさん! 頼む」
「おうよ!」
のぶさんと呼ばれた大柄の男が赤いドラゴンの注意を引きつける。attentionという字がのぶさんの頭上で点滅すると、俺たちは行動を開始した。
前衛の狂戦士、タラバガニがドラゴンに襲い掛かる。凄まじい斬撃をドラゴンに浴びせかける。ドラゴンは呻き声を上げる。続いて俺、暗殺者BLTはタラバガニを踏み台にして飛び上がり、毒矢をドラゴンに当てる。と同時に後衛のアルウェンが呪文を唱え始める。隣にいる鈴木重成はみなの様子を見守りながら回復呪文の用意をしている。
最高の連携攻撃だ。俺たちは勢いづく。三度目の毒矢を放つ。タラバガニはどんどん前に行こうとする。アルウェンはタラバガニに注意した。
「タラバガニ、前に出すぎ。協調性を守ろうね、協調性!」
透き通るような肌のエルフだが、顔に似合わず低い声だった
「わかってるさ、でも叫んでるのさ。俺の本能なんでね!」
タラバガニの仮面の奥の素顔は誰にも見えない。
のぶさんがドラゴンの炎を受けながら、一歩前に歩み出る。
「はい、はい。おふたりさん。喧嘩すんなよ。こういうときは前衛が均衡をとるに限るな!」
鈴木重成がむっつりと「そうだな……」と言った。
アルウェンの呪文が完成した。杖に光が灯る。俺は空中でその一閃がドラゴンを貫いたのを見ていた。
報酬は巨大な竜骨だ。店で換金を済ませると俺たちは街の中心にある広場の椅子に腰掛けた。
タラバガニが仮面を外すと、まだ幼い少年の顔が露わになる。
「きょうもラクショーじゃん」
タラバガニが笑顔で話していると、いらいらとした目つきのアルウェンが口を開いた。
「あんたの自分勝手な行動のせいで後衛はすごーく大変なんだからね!」
鈴木重成が静かに言った。
「ツンデレ構文……」
間にのぶさんが割って入る。
「まぁまぁ。今日は上手く行ったんだし、いいじゃないか。なぁ?」
アルウェンは甘えた声で言った。
「でも! のぶさん……。タラバガニったら、前に出すぎでしょう?」
俺からでもはっきり分かる。アルウェンはのぶさんに惚れているのだ。のぶさんはリアルに20歳は超えている。大人の男性だから。15、6歳の俺達よりかは落ち着いている。俺も大人になりたいぜ。
「何? BLT」
アルウェンは気づいた。
「いや、何でもない。次のダンジョンはどこ行く?」
ここ、アップリフト・オンラインは世界有数のVRMMOだ。1000を超えるステージと500を超える階層が存在するやりがいのあるゲームだ。元々はとある文明の残した遺産から偶然拾い上げられたデータを、俺たちの世界のゲーム技術者が再開発したものだという話だ。こんなに面白いゲームを違った文明のたくさんの人々がプレイしていたと思うと心が躍る。
俺たちはチーム・ライカ。アップリフト・オンラインを始めて10日の初心者の集まりだ。そもそも生まれも育ちも全く違う俺たちがチームとしてやっていけるかどうか本当に不安だったけれど、それぞれがそれぞれの持ち味を知ってからは大分、形にはなってきた。さっきみたいなレベル3の大型モンスターも仕留められるようになってきたのは成長の証だと思う。
鈴木重成が調理スキルで作ったホットドックをもぐもぐと食べながら、俺たち、5人は鍛冶屋街を歩いていく。のぶさんの盾と剣がだいぶボロくなってきていたので新調することにしたのだ。あちらこちらで金属を叩くような音がしている。目的の鍛冶屋の前に着くと、職人が出迎えてくれた。
「おう、のぶ。出来てるぜ」
俺たちの目の前に黒曜石のように美しい剣と盾があった。のぶさんは溜息をつき、頬を上気させる。アルウェンがのぶさんのその顔を見て、顔を赤らめる。大人の色気ってやつだな。
のぶさんは二つの武器を装備した。ポーズを決めている。タラバガニが楽しそうにのぶさんの周りを駆けまわる。ついでに俺の片手剣も見てもらうことになった。切れ味は落ちていないと思ったが、刀身にだいぶダメージが蓄積していると鍛冶屋は言った。幸いお金には余裕があった。アルウェンが胸の谷間を寄せて見せると、鍛冶屋は鼻息を荒くして「安くするぜ」と言った。なんつーか、単純。
次のステージ開放日まで半日はある。俺たちは温泉に出かけた。つまりはログアウトしようという話になったのだ。男湯と女湯に別れる。のぶさんと俺、そしてタラバガニの組。アルウェンと鈴木重成の組。タラバガニが女湯に入ろうとするのをのぶさんと俺で必死に止めた。アルウェンは「このエロガキ!」と言い、腕を組んだ。脱衣所で、腕を二回タップする。ログアウトしますか? というメッセージ画面が現れると俺たちは「YES」を押した。
しかし、ログアウト出来ない。「YES」を何回押しても出来なかった。のぶさんと俺はアイコンタクトして、運営の情報を確認することにした。これといって、普段通りの運営の情報を見せられた。
「何が起こっていると思う? BLT」
「ゲームシステム自体の問題かな」
のぶさんは男湯から出ると、困った顔をしたアルウェンたちが待っていた。
「鈴木達も同じみたいだな」
「のぶさん、これ」
「とりあえず、外部のライカに繋ごう」
のぶさんは空中をタップすると大きな画面が出てきた。そこには何やら記号がたくさん並んでいる。キーボードというやつらしい。のぶさんはさっとキーボードでライカへのメッセージを打ち込む。数秒後、ライカからの返信が来た。外は異常がないらしいことが分かった。
ライカはこうも書いていた。モジュール船の追放は行われていない。デスゲームが起こった形跡はないと。俺たちは息を呑んだ。デスゲーム。その響きだけが胸の奥を冷たくさせる。早くもとの肉体に戻りたい。
街のはじまりの広場に向かうと、ゲームの異常に気づいたプレイヤーたちでごった返していた。様々な言語が飛び交っている。耳を澄ますと、知っている言語もちらほら聞き取れた。宇宙第一公用語スヴェジシュ語だ。アップリフト・オンラインでは禁止されているはずなのに。俺たちは街の中心に歩み出ると、のぶさんがいきなり大声を発した。
西暦2035年。大規模太陽フレアによる嵐が地球を覆った。栄えていた人類の文明は滅び、そこに生きていた動物たちの絶滅も時間の問題だった。そこに偶然通りがかったスヴェジシュ人の宇宙船は残された生物を生きたままサンプルとして採集、保存そして、脳の神経結合を改造し、知性化させた。地球の5種類の動物は、目を覚ますとお互いの姿を確認した。オオカミ、イルカ、オランウータン、コウモリ、イカ。彼らは人間の言葉を基本とした言語を用い、コミュニケーションを図った。お互いの世界観を尊重し、違いを認識した。彼らを統率したのはイヌのライカだった。ライカは彼らよりもっと以前にスヴェジシュ人の保護を受けていた動物であった。ライカはこれまでの事情を彼らに伝え、彼らにさらなる試練を言い渡した。それがアップリフト・オンラインへの強制的な参加である。知性化階梯を上ることでさらなる宇宙の真理へ至る道をスヴェジシュ人は探していた。スヴェジシュ人は確かに知性的に恵まれた生命体ではあったが、進化の行き止まりに立っていた。彼らは異種族の知性のない動物を改造し、ゲーム上で進化させる計画を打ち立てた。
のぶさんは自身の生い立ちを皆に説明した。群れのリーダーから降ろされ、子どもを殺され、地球が滅び、アップリフト・オンラインに参加したというあの話を聞かせた。そこにいた多くの種族達は、彼に同情し、鼻をすする者もいた。彼は持ち前のリーダーシップでその場にいた冒険者を纏め上げた。
俺たちのチームはこれがスヴェジシュ人の陰謀ではないことを丁寧に皆に聞かせた。何らかの外部勢力がアップリフト・オンラインに介入してきている。これが俺たちの見立てだった。
一人の冒険者が尋ねた。
「いったいだれがそんなことを?」
俺は空を見上げた。第六感が告げている。何か嫌なものが来る。
黒い三角形の紙吹雪が大量に降ってきた。こんなものは見たことがない。ただ片手剣で切ると切れたので、ゲームの文法が通じるものらしいのは分かった。
空間が割ける。黒い液体がぽとぽと落ちてくる。鈴木重成が言った。
「人間だ、あれは」
俺は思わず叫んだ。
「え、人間? あの人間だぞ」
「私は見た。人間の深層意識そのものが形になった恐ろしい何かだ」
「人間は滅んだはずだ、ライカだって言ってたじゃないか」
鈴木重成はじっと空中を睨んでいる。
「知ってるか? 俺達の知性化技術には生きた人間が使われているという話」
神経結合パターンは外からでは写し取ることができない。
「太陽フレアで僅かに生き残った人間の脳をメスで開いて、神経結合パターンを取り出したらしい」
あれはプレイヤーの影になった人間の姿だというのか。
黒い鰻のような生き物が冒険者を次々と倒していく。悪夢だと俺は思った。
俺たちは陣形を整える。きっとこれが最期の戦いになる、そう覚悟した。
黒鰻はのぶさんを軽々と倒してしまう。気づいた時には俺は空中に飛ばされていた。あっという間にHPがゼロになる。地上でタラバガニやアルウェンが倒されていく。終わったな、と思った。黒い紙吹雪に包まれ、辺りが暗転した。
小さな水槽のなかの目玉と目が合った。
ぷかぷかとイカが浮いている。
鈴木重成だ。
俺は腹を上にして、倒れていた。アップリフト・オンラインからログアウトしたらしい。舌をだらんと出しながら、周りを見た。奥のプールではアルウェンが泳いでおり、それをしげしげとのぶさんが見ている。のぶさんは長い腕を伸ばし、アルウェンの動きに合わせて手を振っている。
タラバガニが天井に逆さまになって止まっている。大きな羽を畳んでいる。彼が寝ているということは、まだ昼下がりなんだろう。
ライカが「おはよう」と言う。
俺は「アップリフト・オンラインはどうなった?」と聞いた。ライカは答える。
アップリフト・オンラインに未知の来訪者が現れたのは8時間前だ。来訪者はアップリフト・オンラインのシステムに侵入し、暴れまわった挙句に消失。アップリフト・オンラインに参加した全プレイヤーは強制追放され、スヴェジシュ人の母艦アルゼウシュから次々と居住モジュールが追放されたという話。俺たちのモジュールも例外ではなく、今も銀河の片隅で迷子になっているらしい。
アルウェンがキュッキュッと何かを話している。翻訳を走らせると仲間の動物同士で連絡を取り合っているそうだ。追放されたモジュール同士で小さな村を建設しているらしい。
もう一度、アップリフト・オンラインに参加したい。あの世界の熱い風に吹かれていたい。そんなことを考えているとお腹がぐぅっと鳴った。(了)