SFの小箱(12)クローン

小林ひろき

クローンつくります、という貼り紙を見つけた。マンションの掲示板に青い紙、メールアドレスが入った小さな紙をポケットに無理矢理ねじ込み、ごみを置く。

超過密社会。週休一日。残業時間は月80時間を超える。自分がもしふたりいたら、と誰しもが思うだろう。

そんなときに、便利なクローンを。自分がふたり以上いれば困難に直面しても大丈夫。とクローン技術がわりと簡単に導入されて3年。

お隣のおじさんはお仕事にクローンを三交代制で一日をうまくやり過ごしている。

お隣の隣のお兄さんの神谷くんは今日はデート。ダブルブッキングでの約束は彼のクローンがやってくれるらしい。

このマンションあたりでどれほどの依頼があるかは知らないが、けっこう依頼は、あるという。

階段を上がって自分の部屋に戻る。さっそくメールアドレスに送信する。一分ほどで返信が来る。返信メールには青字のURLが載っている。クリック。

北宇美大学とクローン・テックのページが出た。クローン・テックはクローン技術の大手の会社。父が読む新聞によく載ってる。東証一部がどうたらこうたらって話らしい。将来有望な会社ってことか。

クローンのつくり方のページをスクロールしてから、ご依頼はこちらからというリンクをクリック。ご依頼方法が図示されたページに辿り着くと、さっそく準備を始めた。

自分の毛髪サンプルを添付した手紙を用意する。これだけで簡単に依頼ができるというのだから、時代は変わったなぁと父なら言うだろう。

クローンが届くのは、わずか3日後。家族にその旨を知らせる。母はポカンとしている。父も同じ。代金は? 届いたら、どこに置くの? などと聞かれたが、クローンには独立式専用ユニットがつくし、自室でいいとつっぱねる。代金は一体あたり切手代より安い。公的な補助金もある。調べておいて正解だった。

こうしてクローンが届くのを待つことになった。目的は内緒だ。

お隣のお兄さんの話ではデートは成功して、お兄さんは二組のカップルになったらしい。クローンが死んだら遺産分割とかどうするんだろう。片割れのお兄さんの配偶者だって黙っていないだろうし。やっぱりクローンをもう一体ほど用意するとか。それにしたって考えれば考えるほど男の欲望ってわからんなぁとなってしまう。それほどに付き合いたい人間がいるって話だろう。しかも複数。それは法的な制度が許さない。もちろん、法務省だってクローンの登場で二重戸籍者の問題をどう解決するかは昨今の課題になってると、新聞には。うーん、生涯でどれだけの恋人をもうけられるか、ギネスワールドレコードもびっくりだね。

クローンが届いた。トラックが家の前に停まる。ひとつの独立ユニットが部屋に運ばれてくる。高鳴る胸、脈が心なしか速くなっている。クローンを使える期限は3ケ月。この期間で何をしようか。学生の身で明日から市村玲はふたつの人生を送る。それは並行的になにかを成し遂げられるということ。たとえば学生をしながら、銀行強盗をするとか。銀行強盗をしたところで3ケ月で犯人は自然死してしまうんだ。そのあいだに市村玲は奪ったお金で研究を続ける。研究というのは自由研究の延長だけれど、やっぱり資金は必要だと思うんだ。

研究内容、その一。クローンのブーステッドは可能か。つまり後天的にクローンは才能に目覚められるかということ。研究内容、その二、クローンの延命は可能か。つまりクローンをいまあるクローン・テック独占のシステムの軛から自由にできるかということ。

市村玲クローンは銀行強盗に成功して、山の上にある市村玲の研究所で息絶えた。超過密社会で警察から逃れられる手はいくらでも存在する。警察が機械化された捜査を行っているのは確かなのでそのシステムをハッキングしてやればいい。人員を警備にだけ集中させたセキュリティホールが、これだ。警察は楽をしたいのか監視システムをクローンによって監視しているのであるが、訓練期間はまちまちでいまいち成果は上がってないらしい。

市村玲はその遺体を背負ってクローン・テックの回収車に引き渡す。

市村玲はさっそく資金をプールした金庫を山の上に隠してクローンの研究に乗り出した。忙しくなりそうだ。研究はすぐに答えを発見した。クローン・テックはテロメアの抑制機能を操作して、クローンの寿命を決めているのだ。ここで市村玲はテロメアをエピジェネティクスという現象に基づいて遺伝子の装飾を変えたのだ。テロメアをがん細胞のように増殖しつづける構造に変えてやった。つづいて、クローンのブーステッドは可能かという研究に乗り出す。後天的な学習によるクローンの改造は、答えが出た。つまり専業化である。人の脳には自律神経系のほかに運動機能や思考、記憶を司る部位がある。脳の特定の部位の神経構造に磁気的な刺激を加えて、脳の神経系を運動に特化したものや記憶に特化したもの、あるいは数学的思考に特化したものとさまざまなバリエーションを生み出してやる。こうしてクローンはさまざまな才能に目覚めることになった。


クローン社会になって自分がかけがえのない自分にならなくなったのは本当にありがたかった。わたしには代わりがいるもの、イエス。そう言って代わりの人材を安価に用意すると自分ではできないようなことを「彼ら」は始めた。どうしてか自分には運動の才能や芸術の才能、勉強にだって恵まれたことはない。

ただクローンたちは別だった。クローンたちは凡庸な自分とは違う才能があった。モントリオール冬季五輪でスキージャンプを飛んで金メダルを取ってしまったり、世界で活躍する盆栽作家になったりしてしまった。すべての名は同じ。市村玲だ。

市村玲たちはそこから大躍進していく。ノーベル賞級の研究をつぎつぎとして、地球がひっくり返るような新事実を発見したりする。私がなぜこんなに戸惑っているのかはお分かりいただけただろうか。これから私たちが世界を変える。六本木ヒルズの高層階で私たちが集まっている。これから始まるのはクローンの独立戦争だ。


ちょっと待て。ちょっと待ってください。市村玲は叫ぶ。


クローン独立戦争はこうして始まってしまった。クローンたちはいわゆる親を殺すオイディプス派と、新たな王国を建設する千年王国派に分かれてしまった。

市村玲危うし。

そう言っているとクローンのなかにも傑出した十二勇士が集まり、兵団が生まれたり、そこで十二勇士との熱い友情をここで語る必要があったりするのだろうが、ここでは語る必要がない。というわけで市村玲はやっぱりぼんやりとした王様なので、簡単にトイレでオイディプス派クローンに刃物で刺されて死んでしまった。こうなったら市村玲の本領が発揮される。どれだけの死体が転がろうとも、クローンたちは徹底的に闘い続ける。彼らは自己同一性の問題を抱えつつ苦悩していく。自己という本質が肉体の複数化に耐えられるはずがないではないか。自己もまた新たなパラダイムを建設しなければならない。哲学者市村玲はそのように語っていたところを別のクローンに天誅だとか何だとか言われて刺されてしまう。


私達はそういう暗黒時代をこえてきたのです、そのように市村玲のクローンたちは語っている。暗黒時代という時代を過去に置いて未来では、もうこのような過ちは二度と起こさないと固く誓ったのだ。



超過密社会において、食料問題、エネルギー問題といった問題群は人々を悩ませた。クローンによって解決し、カバーすることは本質的な問題を解決させなかった。乾燥した半分の量で済む、水で増える糧食、二倍の発電効率を持つ新素材の発明、それらはすべて市村玲によって解決された問題群だった。市村玲それ自体が問題の発端であるのにも関わらず。市村玲たちはここで自らを発展させていきながら、同時に自らで自分の進路を絶っていく孤独な生命群だった。このことを多くの市村玲たちは危惧していた。自分が世界の中心だということを理解しつつ、回転しながらも同時に壊れていくもの。


市村玲たちはこうして超過密社会から逃れるために市村玲であることを隠し、生きていくことを決めた。さいわい市村玲のオリジナルがそもそも存在しないのですべての市村玲はドッペルゲンガーとして人々の認識から消えていった。つまりはよく似た人ということである。クローンを受け入れた超過密社会では人の顔などのパタンは消えてゆき、番号でその名を呼ばれるのがふつうだ。


しかし、どうしたって市村玲という特異点たちは進歩をしてしまう。彼らはそろそろ気づいたのだ。超過密社会というクロノスに縛られた世界からの脱出を。つまりは宇宙進出である。

遠い宇宙に自分だけの楽園を作り出す。市村玲のつぎなる目標になった。かれらは持ち前の才気で簡単に宇宙船を作ってしまう。そうして第一期宇宙開拓団が編成された。市村玲たちは意気揚々と宇宙船に乗り込み、発進した。かれらはオールトの雲あたりで気がついたのだ。


――わたしたちはひとりぼっちだ。


いくら脳改造で、そのバリエーションを確保し、長く生きられたとしても、彼らの孤独は癒せなかった。彼らは待ちつづけた。その間もかれらは自身の生命基盤である肉体を電子化したり、またはテロメアの機能を無制限に変えたり、つまりは長生きする生命に変化していた。

とある市村玲は宇宙背景放射のなかに自らを封じ込めて、宇宙を漂うウェイブとして延命した。彼が宇宙をただのどこまでも拡がるスペースだと意識したとき、市村玲たちはふたたび宇宙船を減速させようと考え始めていた。

地球に帰る。起源のない市村玲たちは決心する。


宇宙船を減速させ、方向を変え、地球に辿り着いたとき、地球はすでに高度情報超過密社会化して、市村玲たちも想像のつかない変容を迎えていた。生命現象がすべて数字の羅列として、光や波となって飛び交い、青い海のうえを泳ぐ無数の光線になる。市村玲たちはそこにあるクローンもオリジナルもなくなった境界のない世界で、そもそも私達はなんだったのかという結論に至った。


もとは私達は市村玲の始原の情報だったのだ、と。