SFの小箱(14)ロボット
小林ひろき
虚空蔵菩薩のまなざしの前で赤子を抱いた男が立っている。
すべてを失うなら、赤子だけは助けてほしい。そうして虚空蔵菩薩は目を閉じた。
回り続ける車輪と、那由他の星が虚空蔵菩薩を動かしている。銀河を渡るいくつもの蝶が彼の意思を紡ぐ。深宇宙探査機スターロード一〇八機が列を作って長旅に出かける朝に人工僧、四体が虚空蔵菩薩の眼のなかに座って真言を唱えている。荒々しい声色が真空を伝わることはない。それでも人工僧、バザラは真言を唱えることを止めなかった。
京都の山寺でバーチャル仏教が起こったのは二〇四八年のことだった。仮想空間、仏ヴァースでさいしょの念仏が起こったことは今も記憶に新しい。そのころ、母は末期ガンだった。私は神仏に祈るしかないと寺のブッヴァースに来たときには、すでに百人もの人々が座していた。私は座禅を組み、丹田に力を入れて念仏を唱えた。仏具の並んだブッヴァースで何時間、いや何年過ごしただろうか。時の流れは残酷で、私が帰ったときには母の余命は一週間となっていた。肺に水が溜まり、苦しそうにする母を前に私はなにも出来なかった。
私たちは永遠につながりのなかにいるのではない。繰り返す輪廻も現実の前ではただのまやかしに違いない。どこか苦しげに、母は逝った。私は京都の山寺にたびたびアクセスする。無常の世では、私はみずからの居所をなくしたのだ。雪がしんしんと降る石庭で、ただ凍えていくだけの息と、呼吸の音だけを聞いていた。胸から入る冷たい空気が、腹の暖かい空気と溶け合う。そうだ、私は発電機になりたかった。ただの機械になりたかった。そうすることを母は止めた。私は自身の心をどこかで失いたかったのだ。
宇宙望遠鏡が光速度不変原理の破れを発見し、時空構造の解明を目指したことも記憶に新しい。時空の構造は連続性を持たず、それは私たちの意思の在り方を大きく変えた。時空は選び取るものだと科学者は言った。私たちはすでにさまざまな有り様で現世に顕現した。いちばんは量子通信でいつでもどこでも私という存在を送信できることだった。私という存在はひとつではない。空から両義、四象、八卦と私たちは分かれた。太陽系のどこでも私という存在は遍在した。
私は仏として、顕現した。
虚空蔵菩薩の身体を得て、さまざまな大地に座した。私の目は数多の苦しみを捉えた。どこまで行っても人は苦しむことを止めなかった。だから私のできたことなど、意味が無いのだと理解された。けれども人の列は永劫続いた。
十億分の一秒後の苦しみのなかにある女、砂粒の数だけある欲望に苦しむ男、無限の命を欲しがる老婆、産まれたら、戦場に送られる命、あらゆる苦行を私は虚空蔵菩薩のなかから眺めた。そうして、虚空蔵菩薩の大艦隊は宇宙を旅した。どこまでも苦しみは続き、戦争と言うより救済の旅は続いた。三年後に、寿命を終える異星の客と、六秒後に、ここから九光年先へ飛ぶ異星の客と、真言を唱える日々だった。どこまでも苦しみが続くなら、時空とは苦しみで満たされていると言っていい。私の意思はどこまでも遠くへ飛ぶ。人工僧の脳オルガノイドは未だ智恵を知らない。
どれだけの月日が経ったかはもうわからない。母の死から私はなにも変わっていないし、変えられていない。ブッヴァースも今や、天の川銀河全体の命を包み込むほどの規模になりつつあった。私たちの精神はブッヴァースのなかではるか遠い世界へとつながり、悟りを得ることも容易くできるようになっていた。しかし悟りを得た霊魂がつぎつぎと異常拡散する事態も起こっていた。
人は光となり、駆け巡る。それは宇宙の大規模構造をひとつの脳として機能させる。人の光はその神経ネットワークを巡る電気となった。宇宙がひとつの脳として産声を上げることはそう遠くない。そのとき私たちは真の悟りを知るだろう。そうなったとき、すべての苦しみの意味は分かる。私はそのように信じていた。
ダークエネルギーがその姿を本来の姿として現したのは、それから一年後だった。ダークエネルギーは宇宙脳のシナプスを少しずつ切断する病魔だった。ダークエネルギーから宇宙を守るために虚空蔵菩薩の化身たちが宇宙各地へ派遣されることとなった。
私、虚空蔵菩薩オメガもその病魔を倒す役目を持った、ロボットだった。
私は仏舎利を腕に、ダークエネルギーとの戦いの日々に身を投じた。終わることのない狼の牙との戦い、傷だらけになりながら、落ちていく螺髪、組めなくなった印相、次々と墜落していく菩薩たちを見上げた私はダークエネルギーを徳エネルギーで相殺する。マニ車を回し続ける人工僧たちは壊れるまで動き続ける。私の精神はいずれ朽ちるが、ダークエネルギーが滅びるまでそれは終わらないだろう。私は虚空蔵菩薩のなかですり減る精神でダークエネルギーを徳エネルギーに還元していった。
最後に残った黒い塊のなかに戦場で死んだ親子の死体があった。慈悲の心も枯れ果てていたはずなのに涙がこぼれた。
ダークエネルギーの依り代はすべて報われぬ命の苦しみだったのだ。
すぐさま、真言連盟の使者が銀河中に派遣された。
私は虚空蔵菩薩の量産に急いだ。
宇宙は無限の広がりを持つ。ならば無限の広がりをも包み込む無限を考える必要がある。カントールの連続体仮説だ。私たちは純粋には証明不可能な命題を取り組む科学者だった。私は母のような存在を生みたくなかったのだ。苦しみからの救済の旅は螺旋を描くように銀河中を巡った。私たちは救済のためにダークエネルギーを根絶する。世界から絶望を無くす、無理でも通さねばならぬことがある。そうして人類だけでない、機械生命でさえ救済した。ダークエネルギーが宇宙から消えるまで旅は終わらない。私はダークエネルギーの依り代となるエントロピー増大則の中心を次々と救済した。
宇宙は崩壊へと向かっている。巨大な救済行為は宇宙の均衡を破壊し始めた。宇宙は熱的死を迎えている!
私はエントロピーの最大になった中心で虚空蔵菩薩の眼から、絶望の中心を見つめていた。それはあらゆる荒野で、あらゆる海の底で、あらゆる血のなかで、膨らみ、弾け、落下していった。
ブッヴァースのなかで人々はつぎつぎと電気信号となって宇宙脳を目覚めさせる。その目覚めが終わりの始まりを迎えようと!
宇宙は考え始めた。ひとつの巨大な意思が世界を覆っていく。光はさらに輝きを増して、私たちの眼をまばゆく照らす。目をもう一度閉じるなら、私はもう目覚めることはないかもしれない、ひとつの安堵が、私を安らかな眠りに導く。私は虚空蔵菩薩の止まらぬ量産に歯止めをかけようとするが、ベルトコンベアをエッジワースカイパーベルト上に配置した工場を止めるわけにいかずに徳を紡ぐ道と救済のシステムを止めることはできなかった。
私たちはみずからへの償いの旅に出なければならない。誰でもない自分自身を救う旅だ。 どこまでも続いた巡礼は終わる。私が歩いた、無限とも言える旅はもう少しで終わるだろう。それが宇宙の悟りを促すならば!
私は少しずつ、原初の石庭で瞑想をしている。雪がしんしんと降る石庭で、若葉の芽吹く春を見つめている。ほんとうに未来が来ないと思ったあの石庭で私はひとり座禅を組む。私の操縦する、虚空蔵菩薩が一組の親子を見つめていた。彼らの前でほんとうに滅びるのは誰かとみずからに問う。父親は叫ぶ。その声の意味するところを私は解読する。こんなにも人のこころが分からなくなってしまった私たちを許してほしい。せめてお前がダークエネルギーに堕ちぬように、終わらせることを始めたのだ。彼の抱いた子どもの眼がやがて開くとき、私たちは悪人として世界に知られることになろう。私は悟ってなどいなかったのだ。ブッヴァースのなかで今生の苦しみから逃げ出したのが私だ。
私は無限ではない。
彼らも無限ではない。
何を言ったとして、弁明に過ぎないことは分かっていた。私は宇宙脳をまえにして、邪念を引き継ぐ存在になり果てていた。
私はいつの間にか時空の隙間で立ち尽くしている。どこへ行く必要も無い。宇宙は悟りに向かっているのだ。そうして私は永遠の眠りにつく。
そのあとの宇宙を私は知らない。虚空蔵菩薩の量産は終わらない。救いは終わらない。ひとつのシステムを成すそれは宇宙の免疫機能としてこれからも働いていくだろう。そこに人間はいない。
あの温かい母の手はない。宇宙は苦しげな顔を滲ませて、マシンになっていく。私たちは機械になりたかったはずなのに、その機械でさえ、苦しむ地獄の道を歩いている。
この世に救済らしい救済はない。
私を見よ。人工僧バザラのなかで、新たな思考が始まるとき、やっと宇宙はひとつの悟りを描く。機械の僧侶は救済の夢を見ない。その悟りはやがて宇宙を満たす。人々の光となった意思が宇宙を駆け巡り、私たちのしてほしかった希望を描き出す。二度と、絶望など起こらぬと誓えと誰かが読んだ詩のなかに私はいる。私はもはや人間ではなくなってしまったことを今日ほど憎んだ日はない。私は人間でいられなかった。人間でいることが苦しすぎたから。私は機械の虚空蔵菩薩になったのだ。
いまから私の始原に戻る旅を始めなければならない。安らかな母の腹のなかへ、子宮の奥へと、遠い、あまりに遠い旅だったと私は虚空蔵菩薩の智恵に尋ねている。そうして私と人類は深い眠りに落ちる。宇宙脳の覚醒を目の前に人類の時代は終わる。
すべては無常に。万物は流転する。
私はそうして開いた眼を閉じようとしている。閉じていく瞼のむこうに、灯火を消した安らかな涅槃が待っていることをただ祈っている。(了)