SFの小箱(16)パワードスーツ

小林こばやしあお

むかしむかし、鬼の鎧と鬼の首を落とした刀がありました。お侍さまが鬼の出る山に鬼退治にでたあと、鬼のつけていた鎧とたくさんの財宝を持って帰ってきました。村の男たちはお侍さまと一晩中飲み明かしました。鬼の鎧はふと気づくと、その場にはなく、どこへいったのだろうと探してみれば、若い男が気になってそれを身につけていたのでした。若い男は見る見るうちに体に力が満ちあふれ、百人力になりました。若い男は暴れ回り、女を犯し、子どもを食べようとしました。騒ぎになっているところをお侍さまが気がつき、若い男の頭を刀でかち割りました。血がびゅーびゅー噴き出して、若い男は死にました。若い男は事切れる瞬間まで「くやしい、くやしい」と呟いていました。お侍さまは若い男の母親にすまないとだけ言い残し、鬼の首を切った刀とあの鬼の鎧を寺に預けて、村を後にしました。

お寺の住職が読経をしてお札を貼り、鬼の魂を鎮めたあとも、鬼の言葉につられた若い衆がたびたび村人を殺すのでどうしたものかと思案していると、高貴な旅のお侍さまたちが村にやってきては、鬼の鎧を着た若い衆と一騎打ちをするようになったので、この村は鬼鎧村と呼ばれるようになりました。

村人たちは鬼の鎧から聞こえる声を聞かないようにお寺のお札を耳に擦り付けました。そうして眠ると、村人たちは無事だったのでお寺は名高い寺として有名になりました。本堂にある首切りという刀はそれからしばらくお寺の奥にしまい込まれていました。気づけば雨音が聞こえる本堂でそれは静かに目覚めました。それは鬼の血を吸ったものですから、ふしぎな霊気が宿っていました。

いっぽう鬼の鎧は村一番の金持ちの長五郎の家にありました。寺から長五郎が奪ったのです。高貴なお侍さまからいただいたお茶を長五郎はごくごくと飲んでいました。長五郎はしばらく貧乏だったので、鬼の鎧で儲けられるなら、いくらでもそうしたいと思っているのでした。

ところがある夜、寺の住職が二重三重の札を貼っていた本堂の扉が開け放たれていることに気づいて、首切りが盗まれていることがわかったときには体中から脂汗が吹き出て、走って、村中へ探し回ったのです。夜も丑三つ時、首切りはいずこへ行ったのでしょう。

村の者たちをみんな起こして、気が狂った者がいないかと確かめても誰もそうした者はいません。なにより住職は胸騒ぎがしていました。鬼の鎧にもなにかが起こっていないかと。

長五郎が鬼の鎧から「くやしい、くやしい」という声を聞いたのは、首切りが盗まれたその時刻とぴったりと重なるのでした。鬼の鎧の迷信など、信じていない長五郎でしたが、さすがに五感を通してそのような声がするものですからびっくりして、寝間着のまま月明かりの下に逃げたのです。月明かりが雲に隠れたとき、びゅんっと矢のようにものすごい速さで首切りが長五郎の腸を切り裂き、部屋を血で染め上げたのでした。

長五郎は金色のお釈迦様の像の前で、苦悶の死を遂げたのです。長五郎屋敷で女中がその惨状に気づいたときには、鬼の鎧も首切りもそこにはなく、寺の奥に戻っていたというのが住職の話でした。

それからというもの、首切りも鬼の鎧も厳重に保管されるようになり、村ではその話をする者さえいなくなりました。

ところがその寺は火事で焼けてしまうのです。焼け跡から鬼の鎧と首切りが見つかり、それからどうなったかはわかりませんが、ひとつは伊豆へ、もうひとつは平泉へと渡ったと記録には残っています。

鬼の鎧は伊豆から鎌倉に渡ったと言われており、首切りは平泉から京都に渡り、また平泉に戻ったというのが知られています。鎌倉の鬼の鎧は三代の源氏一族につぎつぎと渡り、実朝の代でその消息を絶つのです。首切りもまた東の最果てに消えたか、大陸へ渡ったかもわかりません。

そうして鬼の鎧がふたたび表舞台に姿を現したのは、三河国でのことでした。陰流の師から授けられた鬼の鎧を家来が家康に披露してみせたのは、今思えば瑞兆だったのかも知れません。家康は忠勝を呼び寄せ、この鬼の鎧を扱えるかと問いました。忠勝は黙って頷くのでした。そうして忠勝の武勲は始まったのです。しかし忠勝もまた人間であったので、夜に泣く鬼の鎧を見かねて、月光の下に置き、静まるまで待つのでした。朝、鬼の鎧は泣くことを止めて戦場へ忠勝とともに趣き、つぎつぎと武功を立てたのです。

そんな折、鬼の鎧が忠勝に語りかけるのです。鬼の鎧は首切りを求めていると言いました。首切りと鬼の鎧はふたつでひとつ、一心同体だと鎧は申すので、忠勝は平和な世の中になったならば鎧も刀も揃えてやるぞと答えるのでした。呼応するように、忠勝と鎧は鬼神のごとき強さを発揮するのです。

そうして忠勝が亡くなるまで鎧は彼の屋敷にありました。しかし、その後、誰が扱っても鎧はただの鎧に過ぎず、忠勝の遺品として手厚く保管されておりました。

いっぽうで首切りがどうなったかを申し上げますと、首切りはその主とともに大陸へ渡りました。首切りは荒々しい波の立つ海を見て、その先に広がる大地を見ていました。首切りはいずれ鬼の鎧とは運命的に出会うと知っていましたから、主にはそのことを黙っていました。首切りが元の国に着いたとき、元王朝は大きな帝国でした。首切りはそこで語学を学び、ありとあらゆる言葉と世界を知ったのです。首切りの主は旅を続けて、その先々で刀を振るい、生計を立てていました。とても強い東洋人の噂は大陸を駆け巡り、オスマン帝国の地でその噂は途絶えたと聞いています。

つぎに目覚めたとき首切りは船の上にいました。

マゼランの船でした。首切りはカタカタと笑いました。マゼランが首切りに気がついて話しかけます。世界はどんな形をしていると思うかねと言いました。首切りは言いました。馬の鞍でしょうか。マゼランは笑って言いました。面白い、でも世界には果てがあると信じられている。皿のような形をしていると言われている。マゼランの眼差しは遠くを見ていました。首切りは夜の星空を眺めました。ずっと前に、あまりに遠い宇宙のさきを首切りは旅をしていました。彼に残る鬼の血がそのように語りかけてきます。どれほど遠い場所にいても首切りは鬼の鎧を忘れませんでした。マゼランの船がフィリピンに着いたとき首切りはこの時だと感じて、船を下りることにしました。巧妙にその土地の商人と交渉して、ふたたびジパングに向かおうとしたのです。首切りはマゼランの艦隊が世界のかたちを見つけられるようにと祈ったのです。そうしてスペインの商船に乗った首切りでしたが、思わぬところでジパングには入れませんでした。鎖国下にあったジパングではスペインの商船は入港できませんでした。ジパングを間近に見た首切りは一人のフィリピン人に語りかけるのです。彼は幻覚に襲われながら泳いでジパングに入り込みます。そうしてひっそりとジパングに入り込んだ首切りは山のなかで薩摩の鬼と恐れられていました。そこへ東郷重位ちゅういが薩摩の鬼退治に出かけました。彼は薩摩の鬼を討ち取り、首切りを奪ったのです。首切りは東郷をたいへん慕って剣術の心得を東郷に伝えるのでした。東郷もまた自身の剣術はまだまだ伸びると考えていましたから東郷と首切りは共鳴するかのように己の剣術を究めました。示現流が薩摩の地で誕生する前夜のことでした。首切りはそうして鬼の血を絶やさずに、再び動乱の起こるときまで眠るのでした。首切りが目覚めたときには明治の世が明けていました。首切りがトロトロと眠っている間に首切りの主人は西郷隆盛となっていました。首切りは彼の懐刀でした。首切りの知恵はあらゆる政治手腕に長けていました。しかし、後に起こった西南戦争で首切りの消息は途絶えてしまいます。

そうして江戸にあった鬼の鎧と薩摩の地で消えたふたつの武具は、上野で厳重に保管されておりました。ガラスケースに収められてふたつの武具は安寧の地を得たのです。

ところがしばらくして天遣あまつかいと呼ばれる敵性生物が日本に攻めてきました。天遣いは強力な兵器と、尋常ならざる力で人類を殺戮しました。天遣いによって世界が闇に飲まれそうなとき、ひとりの学芸員が孤軍奮闘して天遣いをつぎつぎ倒したのです。彼はあの鬼の鎧と首切りを身につけていました。天遣いを一度、撃退した地球人はそこから二度目の襲来を考えて、鬼の鎧と首切りを徹底的に分析して天遣いの弱点を洗い出しました。首切りに含んだ鬼の血は天遣いの血を凝固させる血でした。その血はいくら年月が経とうと消えることのない呪いだったのです。地球人はこの鬼の血を増産しました。対天遣い用の刀を鍛えました。

天遣いは二度と地球には来ませんでした。しかし、地球人は気づいてしまいました。鬼の血によって闘争本能を覚醒させた地球人は蛮族となって宇宙に進出したのです。

決戦のときは迫っていました。こうして目の前にいる兵たちは切実な眼差しで私を見ています。そう、かれこれ千年に亘る昔話です。パワードスーツの起源とさせるふたつの武具はこうして身につけることで声が聞こえてくるのですね。「くやしい、くやしい」兵たちの熱い視線が私に注がれています。私たちの目の前には一万の鬼が待ち構えています。天遣いのほんとうの主は鬼だったのです。そう、すべては祖である渡辺綱の退治した鬼の血を含ませた髭切と同じくして鍛えられた刀、膝丸と、歴史にないもうひとつの鬼の血を含ませた刀、首切りから始まりました。 

いざ、ここには髭切、膝丸、首切りの名刀が並んでいます。そして人工知能によって同じ製法で鍛えられた刀が千本あります。

決戦の火蓋は落とされました。私たちは死地に生きることを約束します。どうかこの戦で、すべての鬼が滅亡しますように。そうして鬼の鎧の悔恨の声が止むようにと、ずっと祈っているのです。(了)