SFの小箱(17)ビーム兵器
小林 蒼
レーザードームが灼く小惑星の嘆きを聞く。アステロイド・レインの降る朝には、決まって妻は目玉焼きと人工ベーコンを焼いている。電力は先月から三倍になっていて夫婦仲は最悪だ。フライパンで焦げ付くベーコンと油が音を立てている。
プランDの発電方式は全天候型発電施設フラワーヒルからのマイクロウェーブによる送電方式だ。これもアステロイド・レインの降る今月中はだいぶ怪しい。電力不足が予想されるだろう。妻の顔は不機嫌そのもので今朝も軽く喧嘩した。
レーザードームの灼く空が青白い朝を告げる。こうして僕はネクタイを締めてぴっちりとしたハーフスーツに着替え、モビホイールに乗って出社する。
まったくあんなに怒らなくても……。
天の川銀河を東に見て、このバッカス星雲は回転している。おそらく天の川銀河より遥か先のブラックホール、ディオニューソスの重力圏内である。会社はリング・ステーションにある。リング・ステーションはバッカス星雲の主星サテュロスの静止軌道上に存在する、軌道商社だ。バッカス星雲の天然ワインは今月最盛期を迎える。今年のブドウは日照条件が悪く、例年よりも良くないとデータが揃っている。すべてはアステロイド・レインのせいなのだから仕方が無い。
ほかに買い付けているのは、例年通り、外宇宙のレアメタルが多い。半導体はいつでもよく売れる。バッカス星雲中央の反物質発電とその研究所はいつでも半導体生産をしている。これもバッカス星雲の軌道修正プログラムのせいだから仕方が無い。バッカス星雲はさきほど回転していると言ったが、正確に言えば緩やかに蛇行しながら軌道上から遠ざかっている。
農業には安定した日照条件が欠かせない。ところがバッカス星雲と来たら、酔いどれ星雲の名の通り、時折軌道が僅かにずれるときがある。これがブドウの不作を招いたり、安定供給を邪魔したりしている。さらにこのアステロイド・レインだ。アステロイド・レインは天の川銀河とバッカス星雲のあいだに存在する小惑星帯で、いつも小惑星雲状降雨と呼ばれる小惑星の雨が降っている。それを撃ち落とす迎撃システムがレーザードームだ。
それでも今年は雨が予想以上に多くて、レーザードームでさえ、撃ち漏らしが発生してシティ3に小惑星が落下する事故が多発している。シティ3はリング上に配置された底のない都市で、小惑星が落下しても大惨事にはなっていない。ただこうしたリング・シティ群がまったく無傷でいられる保証なんてないのだ。
きょうは白いごはんと人工焼き魚、味噌汁だ。熱い味噌汁を啜りながら、電気代以外の会話を探す。うちでは仕事の話がNGなのが辛いところで、時事ニュースと絡めて、それとなくブドウの話をして誤魔化した。結婚から三年半、子どもはいなかったが、それも僕たち夫婦のあいだのある秘密が存在していたからだ。
僕たちは人間じゃない。アンドロイドだ。おそらくバッカス市民の三割が自然分娩を伴わない方式で子どもを成しているし、そのなかでも人種やそういうボーダーは限りなく宇宙では薄いファクターだ。アンドロイドでも普通に働けるし、シティ3に住宅を持てる。ただ妻は電気供給がこれから不安視されていることを気にしていたし、僕もそれを知っていた。僕たちは有機体じゃない。あくまでシステムのなかに取り込まれている歯車のひとつでバッカスという酔っ払い惑星のなかの精密な機構なのだ。
たとえば創発という言葉がある。創発は組織論やマネジメント論のなかで語られる概念で、単純な部分の総和ではない特性が全体として現れることを指す。自律的な要素が集積し組織化することで個々のふるまいを凌駕する、高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象を言う。空を飛び交う鳥の飛行の軌跡は自由だ。ところが鳥の群れとなったとき、全体としてパターンが現れる。僕たちはそういう群れの思考をいつも感じている。それらは有機体の持つパターンではないと僕は思う。もっと無機的なものだ。僕らは人工生命研究の分岐点で生まれた副産物だ。
妻はある日、気晴らしだと言ってレーザードームシステムと自分を有線接続してレーザードームでシューティングゲームを始めた。標的はいつでも、というより日増しに増えていた。妻は笑いながら、シューティングゲームに興じた。僕は妻の後ろ姿にどことなく狂気を感じて立ち尽くしていた。僕たちはどうなっていくのだろう。そう思えてモビホイールで出社した。出社中にどうしてかキャノピーの染みが気になった。いつもは綺麗に磨いているのに、その汚れが気になって、操縦を間違えた。
見る見るうちにモビホイールはバッカス星雲から離れて行き、リング・ステーションはどんどん離れて小さな点になった。それでも僕は自分がおかしくなったのかもしれないと思いつつ、その小さな染みを見つめていた。どれだけ遠くまで飛ばされたかはわからない。
気づけば小惑星雲状降雨のなかで迷子になっていた。
僕たちには思い出と呼べるものはなかった。いつも決まった時間に起きて、ご飯を一緒に食べて、夜まで仕事の繰り返しだった。その円環のなかで僕たちはどんな全体としてのパターンを描けたのだろうか。僕たちはそういうシステムを抱えた存在なのだから、仕方がないと苦笑いして生きていく。それで良いんだと分かっていたのだ。僕はレーダーでバッカス星雲を探す。
ちぇ……見つからないや。
酔いどれ星雲は見えない。僕はきっと誰にも見つからない。くるくると飛んで行く。
僕たちに重力はない。例えばどんな過去が僕たちを縛り付けているというのだ? 僕たちを縛り付けるのはただ電力だけだ。
僕は古来の意味での彷徨う星だ。惑星だ。僕はふらふらとモビホイールで飛んでいる。見上げれば、かつての郵便船の群れが飛んでいる。宇宙へ墜落して二度と戻らない死者の群れが僕を誘っている。僕もあの全体のパターンに創発される運命なのだろう。
機械は無限の命を持つ。電力が無くても、意識は保存される。次に目覚めたとき、僕はどんな未来を見るのだろう。豊作のブドウ、人々の団らん、グラスに注がれる至福……。僕は気づけばパワーゲージが5パーセントを切っていることに気がついた。もう終わりかもしれない。
虚空に消えたモビホイールを探す人なんていないだろう。
パッと光が灯った。その光の線はどこか懐かしい光の色をしている。それは妻が放ったレーザードームの明かりだった。
なんて懐かしくて暖かい光だ。僕のなかで生命力が漲ってくる。命は電力でしかないはずなのに。その光を追っている。後ろに遠ざかっていく、郵便船の群れに生命力が宿る。朽ち果てた船に再び、光が点る。その光が鳥の群れの如く、ふわりと宙に舞った。きっと自由を夢見た太古の船乗りたちの霊が光を取り戻したのだ。そうして僕のモビホイールのうえに光の鯨が姿を現した。鯨は、次の瞬間には巨大な鳥となり、龍になった。そうして命を繋いだ。命などなかったモノたちに生命力が宿った。集まり、離れ、解ける。
その光の夢をずっと見ていたい、と思った。
妻の目の前に僕はいる。二人並んで食事を作る。電力消費の話題はさらに加速している。でも喧嘩は前より減った。
「――ねぇ、知ってる?」
「なに」
「レーザードームに電子脳を搭載する実験が始まるらしいわ」
「どういうこと?」
「レーザードームの光網目構造を使った計算システムの実装らしいの」
僕があの日見たレーザードームは機械に光を与えた。
レーザードームは強靱なシリコンフィラメントによって巨大な電子脳を構築する。それは人間で言う脳に限りなく近いコンピューターだった。
バッカス星雲ではあれからレーザードームを兵器から一歩進めて、僕たちのような無機的生命のデジタルコンピューターへの道筋を作った。
僕たちの創発する新たな組織はコンピューターによって小惑星雲状降雨を避ける軌道修正プログラム更新に役立てられる。僕たちは光で思考を加速させられる。
それでも妻はいつも不機嫌だ。焦げ付いた人工ベーコンの皿を僕に出す。ただ僕たちには重力が出来た。僕が迷ったときには妻が助けてくれる、そんな重力だ。それは人間で言えば思い出と呼べるものだろう。
レーザードームの明かりが窓から漏れる。その明かりが、宇宙へ埋もれていった数多の無機的なものたちに生命を与える。未来は光で満ちあふれる。芳醇なワインが市場に出回る頃、僕たちはやっと生命の意味を知るだろう。
光の降り注ぐ窓を開ければ、そこには優雅に空を舞う光の鯨や、青い鳥が飛んでいる。
そうだ、今度は僕が彼女を自由にしてやらなければならない。
妻の家事プロトコルを僕に引き継ぐ。僕たち夫婦は永遠に別れるだろう。焦げ付いた人工ベーコンも、熱い味噌汁も、食卓から消えるのだ。
分かっていたことだ。
ずっと彼女の精神はこの家に囚われていた。レーザードームから受け取った彼女の意思は僕をここに留める。でも彼女はずっとあのアステロイド・レインに焦がれていたのだ。
いつか、君が言ったこと。
「アステロイド・レインは綺麗だね、ずっとあそこに行ってみたい……」
その意味を僕はやっとログのなかから見つけ出したのだ。
妻の乗った宇宙船はバッカス星雲からレーザー推進でずっと遠くへと加速していく。きっとこれでいいのだ。僕はバッカスに残って、君の見た風景を見てみたい。それが僕たちなのだ。僕たちの思い出と未来なのだと信じている。
バッカス星雲から離れて行く一筋のレーザー光が宇宙を両断していく。モビホイールでも届かないむこうへ。大切な君へ。僕は自宅のテーブルでペーパープレインを静かに折っている。白すぎるダイニングキッチンの隅に赤いリンゴが置いてあった。それを磨いて一口囓ると鈍い痛みがした。〈了〉