SFの小箱(3)タイムトラベル

小林ひろき

2001年、9月1日。ニューヨーク市警のジャック・スミスは警察署の天井を眺めていた。うざったいくらいに明るい照明は昨日の出来事を思い出させる。全ては完璧なシナリオだった。容疑者を横取りされるまでは。


「FBIなら、しょうがないさ」


同僚のアラン・ホールデンがにやにやしながら寄ってくる。


「近寄ってくんな」


「ひどいな、俺達は仲間だろ?」


「小便しに一緒に行く連中のことだろ、それ」


アランは肩をすくめて出て行った。


ジャックはジャケットのポケットに見慣れない名刺カードを見つけた。


「なんだこれ?」


名刺カードには名前は書いておらず、住所のみが記載されている。場所は行ったことがある。工場が一帯に広がる場所だ。ジャックは車を住所の前で停めると、目の前に建っていたのは暗いヴァイオレットのなんてことのない建物だった。扉を開くと、守衛が椅子に座り込んで新聞を読んでいて、その前では大きな換気扇がブンブンと音を立てている。突き当りにはエレベーターがあり、エレベーターのボタンは「下へ」しかない。ジャックはボタンを押し、下に降りた。


エレベーターの扉が開くと、目の前に恰幅のいい男が立っていた。目元にはサングラス。黒いスーツは葬儀屋を思い起こさせる。


「待っていた。ジャック・スミス君」


「待たせた覚えはないぞ、おっさん」


「まぁ、いい。今から君をオフィスに案内する」


「オフィス? こんな地下に?」


ジャックは不審に思った。自分は何かやばい計画に巻き込まれたのではないか。


「来たまえ」


そこは確かにオフィスだった。7メートルはあろうかという大きなモニターがあり、オペレイターたちがモニターを見ながら作業している。モニターには全世界の地図と位置情報を示す点となぜか年と時間が表示されている。


「一体なんだ?」


「ここは合衆国が秘密裏に行っているタイム・パトロール。その指揮局だ」


「なに?」


「スミス君、昨日はすまなかったね。君の追っていた容疑者は時空犯タイム・トラベラーだったんだ」


スミスはやっとのことで話を理解した。


「じゃあFBIというのは?」


「全くの嘘だ」


ジャックは男の顔をじっと観察する。男はサングラスを外すと、視線をジャックに返した。


「私はロバート・ケイン。ここの局長をしている」


ロバートはジャックに手を差し伸べた。


「スミス君、君には見どころがある。ぜひタイム・パトロールで働いてみないか」



帰りの車中から、落書きされた壁が見える。ロバートは言った。歴史はコントロールされている。自分の生きた歴史は誰かによって守られた歴史だ。時空犯たちによって悪戯に書き換えられることを阻止しなければならない。ジャックは視線を外す。ふたたび壁を見ると、落書きは白く塗り潰されていた。



任務は10日後。アラブ人の警護だとロバートは言った。もし来なければ、歴史は別のタイム・パトロールが守ることになる。ジャックは試されていると感じた。コインを投げる。裏が出れば、ニューヨーク市警のお巡りさん、表が出れば――。




警護対象はアラブ人数名。彼らを今日一日のあいだ、時空犯から守る。簡単な任務だろう。

彼らの行先はリアルタイムで五分先まで分かる。これはタイム・パトロールの特権というやつだ。ウォッチで彼らの行先を確認する。ボストンへ移動、その先は分からない。

ジャックはため息をついた。車に乗り込むまでに何人の時空犯を確保したか。19人である。初の任務でこの数は多い。いや多くないのか? いったいどんな歴史的事件が起こるんだ。 ジャックの胸は高鳴る。


アラブ人たちはボストンのローガン国際空港についた。

搭乗中にも時空犯をふたり押さえ込み、逮捕したジャックは意気揚々としていた。彼らは飛行機に乗り込んだ。

飛行機はユナイテッド航空175便である。


アラブ人との距離は十メートルから五メートルといったところだ。席に座り、様子を見守る。

じりじりと時間が過ぎていく。アラブ人たちは急に立ち上がり、別れた。残ったアラブ人たちが何やら話している。トイレか? と思われたとき、アラブ人の男が声を張り上げた。片言の英語である。


「動くな、動けば、ころす」


ジャックの頭のなかは錯綜した。そして数秒で気づいた。こいつら、ハイジャック犯じゃねえか。

ざわめきが起こる飛行機のなかで、ジャックは腰に手を当てる。ハンドガンは確かにあった。


ジャックはウォッチで残りのハイジャック犯たちの動向を調べる。操縦室にふたりほどいる。


「よし、このままこいつらを静かにさせよう」とジャックは決心した。


カチッ。


頭に硬い金属がそっと当たった。銃口? と思えた瞬間――。


「タイム・パトロールのレオ・ハーキュリーだ」


「じゃあ、速く応援を頼む……」


「いいや、応援は来ない。このまま事態を静観しろ」


「なに? ハイジャック犯は目の前だ。とっ捕まえるのが道理だろう?」


「新人君、われわれは君を試しているんだ。これは歴史の動かせない悲劇だ。われわれは自然歴史主義の配下なんだ」


「自然歴史?」


「そのままでいることが重要なんだ」


「なら、この航空機はどうなる?」


「これからワールドトレードセンターに突っ込む」


「何だって?」


ジャックは混乱して物が言えなくなった。ようやく言葉を継ぐ。


「任務っていうのは、時空犯からハイジャック犯を守るっていうことなのか?」


「ご名答」


レオはにやりと笑った。


「ばかやろう! 俺はタイム・パトロールになんてならなくていい。こんな仕事の手先の前に俺は人間だ。いいか? 俺は……」


ジャックの額に汗が滲む。


「ハイジャックはひとつじゃない。このほかにもハイジャック犯はいる。これが後の歴史で言う、アメリカ同時多発テロ事件だ」


「馬鹿な、合衆国はこれを正しいとみなしているのか」


「歴史の大きな物語では是とされている。われわれはたくさんの人命を失い、ふたたび立ち上がる」


「なんてことだ……なんてことだ……」


ジャックは頭を抱えて? きむしった。


「わかったか、ジャック・スミス。おまえには選択肢はない」


ジャックはレオの顔を睨んだ。 


「ああ、わかったよ。俺はニューヨーク市警のお巡りさんなんでね!」


ジャックはハンドガンをレオに向けた。静かな銃声が鳴り、レオは倒れた。


「俺はFBIの者だ!」とジャックは叫んだ。そしてアラブ人を射殺した。そのまま操縦室へ駆ける。



カチッ。

銃口をハイジャック犯に向ける。もうお終いだとジャックは言う。ハイジャック犯を拘束すると、ジャックのウォッチからロバートの声がした。


「ジャック・スミス君、ぼくは君の器を測り損ねたようだ。君を準一級時空犯として逮捕する」


冷徹で非常な声だ。


「こんな悲劇を黙認しておいてか? 俺は警官なんだ。市民の命を守るのが使命だ」


「それもいいだろう。君は時空犯だ。事実は変わらない」



同じ頃、ほかの3つの航空機のハイジャックは時空犯によって止められた。ありえたかもしれない歴史では、延べ2,977人の死亡者を出す未曾有のテロ事件だ。


アメリカ合衆国のタイム・パトロールはジャック・スミスを準一級時空犯にし、その行方を追っている――無論、これはありえたかもしれない歴史では、の話である。


裁判官は言った。


「ロバート・ケイン、第一級時空犯を死刑に処す」


彼は自然歴史主義をうたい、さまざまな歴史事件に介入し、人命を軽んじ、あったはずの歴史を知りながら虐殺を強行した。この罪は重い。したがって――。


タイム・パトロールのエレベーターで地上に上がると、守衛の読む新聞の見出しには、そのように書かれていた。

ジャック・スミス、タイム・パトロール局長は車で任務へと向かう。


あの日から、歴史観は大きく変わった。歴史とはそもそも揺らぎの中にある。変化し、変化させられ、変化していくことも変化していく。よくわからなくなっている。それはジャックにもわからない。

合衆国はよく世界の情勢にちょっかいを出しては、その罪を償うことの繰り返しでいる。そのたびにタイム・パトロールが重宝されているのは、裏の、つまり時空犯の世界ではよく知られている。


ジャックが今の立場で行っている作戦はアフガニスタンでの任務。空襲で亡くなる子どもたちを守る仕事だ。

激動の時代はひとりの人間の寿命の間ですぐに過ぎていった。



20xx年、アフガニスタン。


「俺はFB、いやCIAのジャック・スミスだ」


見るからに老齢の男を不思議そうな目でアフガニスタンの兵士が見ている。


アフガニスタンの荒れた大地にそぐわない黒いスーツは葬儀屋を思い起こさせる。黒いサングラスを外すと温厚そうな目元が露わになる。


あのとき、アメリカ同時多発テロ事件で、結成された時空犯連盟は、トラベラーと呼ばれ、数多の歴史事件に関与している。きょうはそのリーダーたちの集まりがある。場所はニューヨーク、ワールドトレードセンター。


時間にして、数時間前のこと。リーダーたちの射殺事件が起こるとウォッチが知らせている。

ジャックは彼の残された時間でふたたび、時空をジャンプする。


犯行声明は出ていた。


ロバート・ケインの釈放と死刑の撤回だ。


「ほんとうに運のいいやつめ」


ジャックは時空の守護者になって、もう二度と悲劇を強行する歴史を繰り返さないと誓った。彼のまえには未だ膨大すぎる時間が迫ってきていた。(了)