SFの小箱(7)反物質

小林ひろき

枚数にして20枚にも満たないプレゼン資料だった。

図やら表やら、将来性の見込みやらが書かれた資料は聴衆の興味を誘った。

文科省科学推進会議での話である。

国家プロジェクトとしての科学技術の推進を目指したこの会議は、さまざまな未来図を展開した。

そのうちのひとつ。ヨーロッパから文科省に移ってきた早見真一は高鳴る鼓動を抑えながら、説明をした。

夢のエネルギー源としての物質の生産、つまり反物質の生産を目標に掲げた計画。それに伴う粒子加速器建造計画。資源のない日本にとって必要であると早見は訴えた。

結果、文科省科学推進会議は2030年までに国内に粒子加速器を建造する運びとなった。2021年現在の話である。

無論、反物質の生産計画に反対した学者、市民団体は存在した。対消滅反応によって粒子加速器とその周辺の地域がまるごと無くなる可能性も指摘されている。それでも、この計画が進んだのは、逼迫したエネルギー事情による。火力発電の排出する二酸化炭素の排出量に抑制の動きがあることはよく知られている。また原子力発電の危険性は3.11で明らかになった。これらを踏まえて環境省と文科省の協力によって、反物質生産の道が開けた。理論的には反物質の生産、保管は可能である。京都大学の研究で知られる通りである。


さて、われわれの目の前には粒子加速器がある。ヨーロッパのCERNと同型とも言える設備である。反対する市民団体も建ってしまった設備に対しては最早、文句が言えなかった。

早見もその場にいた。早見の目は確かに未来を見ていたのだ。


ところが、である。

粒子加速器が国内にあることで科学界は沸き立つ湯のように異様な盛り上がりを見せた。

反物質生産以外にも様々な実験の予約が山積し、反物質生産の計画は少しずつ後回しになりつつあった。さらに三年ほどで、様々な功績を生み出した。

粒子加速器バブルが目の前に広がっている。

事故が起こったのはそんなときだ。

ヨーロッパのCERNで対消滅による事故が起こり、スイスのジュネーブとフランスの一部が消失した。

またしても反物質バッシングが起こり始める。

政府も反物質生産には及び腰になった。しかし早見は黙って仕事を続けた。

同僚に早見はこんなことを漏らした。


「反物質は試金石になるに違いない」


2035年のことだ。

正式に政府から生産のゴーサインが出た。反物質生産へのゴーサインである。しかし早見の眼差しはもはや国内にはなかった。

太陽の静止軌道上に巨大なソーラー発電システムを作る。そしてマイクロウェーブで送電し、宇宙にある粒子加速器を稼働させる。このアイデアを早見は次なる計画として構想し始めた。

誰も早見の言うことに対して首を縦に振らなかった。

同僚は早見を止めた。しかし早見はすでに話をJAXAに持ち込んでいたのだ。


いまは地球時間で4月1日の8時であった。宇宙では着々と粒子加速器が建造され始めていた。今年は2075年である。早見は道半ばで亡くなった。肺癌であった。

しかし計画は引き継がれ、こうして宇宙での粒子加速器実験が始まった。太陽光発電機のシリコンは太陽の強烈な日差しに勝てなかった。素材の技術革新に一年を要した。また、マイクロウェーブの送電システムも、宇宙空間では問題を少なからず残している。


1マイクログラムの反物質が生産できるころ、すでに地球の国々はひとつの連合政府になっていた。

人類の宇宙進出は目まぐるしく、人口の増加と食糧問題によって宇宙進出の需要は高まった。

辺境の惑星ではつぎつぎと帝政の国家が誕生した。時代と共に反物質の需要は高まる。

そして粒子加速器を宇宙に建造する帝国が現れ始める。早見が20枚の資料を書いてから実に100年が経過しようとしていた。

どんなに人類が進歩しようと、求められるのは力のみであった。反物質を気軽に生産できる帝国は核戦争を日夜行い、ぼろぼろになった。そのたびに惑星は廃惑星となり、人類は住む場所を変えた。移動するのに反物質エンジンは役に立った。世界は回って、回り続けた。帝国が帝国を食いつぶし、そして最終的な銀河の統一国家が出来た。これを後の歴史ではロマーナ帝国と呼ぶ。ロマーナ帝はかつて地球に自分とそっくりな王がいたことなど知らずに領土拡大を目指した。

このころになると比較的簡単な方法で、膨大なエネルギーを粒子加速器に注ぎ、反物質が得られるシステムが登場していた。

ロマーナ帝は反物質を体内に取り込めば、力が得られると、1マイクログラムの反物質をお茶漬けに注ぎ、飲み干して、ロマーナ帝国は消滅したとされている。


馬鹿なロマーナ帝と、つぎつぎに統一国家が生まれては消えていった。


銀河には投棄された粒子加速器と発電システムが残されていった。反物質を保管する自動システムが経年劣化し、つぎつぎと対消滅反応をする。

花火が打ちあがるように夜空に人類のかつて見た夢が消えた。


人類の争いは無くならず、反物質爆弾がとある帝国に落とされた。3発の反物質爆弾が惑星都市と連合国家を破壊した。

人々はプロメテウスのことを覚えていたかどうかは知らない。火は人類にとって神に与えられた物であった。後のギリシャ人たちは火を元素として考察したが、現代ではそれはエネルギーとされている。反物質は身近なエネルギーであった。だからこそ、それを武器として使うなど考えられてはいなかった。

すっかり更地になってしまった銀河では、次なる国家が成長を始めていた。

すでに人類はこの世代になると、自分で自分の世界を破壊でき、消し去ることができることを知っていた。


したがって力の存在は低く見られ、札束でなんでも解消しようとしていた。

反物質爆弾の数は全銀河で97発。これを買い集める商人による国家、通商同盟が生まれる。

金の力で実質的な力を買う、この勢力はその他の帝国を震撼させ、帝国間の合体を余儀なくさせた。そうして、銀河帝国が生まれることになった。銀河帝国は帝国の集まりでしかなく統一国家の樹立まで時間が必要だった。また、そのほかの勢力も、合併やコンツェルンを作り、企業連合を作ることになった。

銀河は様々な形態の人類の統治機構を生み出した。100にも満たない反物質爆弾のために世界は動き出した。


そんなこととはつゆ知らず、地球では反物質生産が日夜行われている。地球も全銀河にとっては反物質生産プラントのひとつであり、反物質販売の基地である。地球程度の規模では反物質も多量に作り出すことは叶わない。

赤字になることもよくあるのだ。スプーン一杯分の反物質が作れたらなと先代は最期にこぼして死んだ。

次期社長の逸見孝弘は生産計画書を読みながら、われわれにこのように言った。


「一体だれがこんなこと始めようって言ったのかね? こんな赤字にしかならない産業を。だって誰が見たって、明らかでしょう?」



われわれのレポートもこの辺で結論を出さなければいけない。

われわれは企業連合に潜り込んだスパイである。どこからのスパイかは最早どうでもいいことであるし、それを知ったところであなたの記憶を消す技術をわれわれは有している。

この100年で地球から銀河の隅々にまで版図を広げた人類であるが、その火つまり力の使い方は無様である。かつての夢想者が思い描いた未来は来てはいない。われわれは考えている。われわれが人類の目の前に現れることがあるとすれば、それは人類がもう少し利口になってからではないかと思われる。人類は未だに反物質を持て余している。

反物質を爆弾にした結果は最早、理解を超え、呆れている。われわれは反物質エンジンさえあれば、どこへだって行けるが戦争をするためではない。

このまま、人類に接触しないのも手である。

われわれはしばらく考えている。



早見はむかし言った。


「日本には未来が必要だ。そのための試金石を反物質にする」


その横でわたしは無理だろうと笑ったひとりだった。

ジュネーブが消えた日から風当りが強くなった。早見は笑っていたが、ほんとうはどんなふうに考えていたんだろうか。

世界は激動の時代にあった。反物質の生産基地を宇宙で作るとした発表は人々を驚かせ、未来への希望を抱かせた。わくわくした。だから早見さんのビジョンはわたしが引き継ぐことになるだろう。

食糧問題とエネルギー問題は未だ解決を見せない。でも未来はひとつずつ現実になる。青写真を描き、実行に移す。単純明快なことだ。いまもう一度、早見に出会えるとすれば彼は何を考えるだろうか。わからないからドキドキする。わたしはわたしで考えていることがある。誰にも言えなくて困っているけれど。

夢がある。これだけでどれだけの人が救われるだろうか。それとも救われないのか。わからない。けれど夢を抱き続けたい。



われわれは三つの勢力を前にして、宣戦布告をした。

人類はこの宣戦布告を受けて反物質爆弾を炸裂させる。われわれは反物質を電気的に封じ込める策を講じた。人類はこの時点で負けを覚悟すべきであった。戦争はたったの3分。後に言う3分戦争である。

どれだけわれわれが人類を愛おしく見つめ続けたか、彼らは知らない。

彼らは成長しなかった。これは実に悲しい事態であった。



地球の反物質生産プラントで逸見孝弘は、ニュースを見ていた。三大国家が宇宙人によって、敗北を喫した。この事態に逸見は明日の予定を変えた。休日というものが、今まであっただろうか。反物質生産プラントの稼働を止めて、逸見は帰る支度を整える。実に30日ぶりに帰れる。

夕暮れの帰りの道で、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。たくさんのロケットが打ちあがっていく。激動の時代が終わったのだと孝弘は悟った。夕凪。そして次の時代を予感した。(了)