臨宙学校
小林 蒼
「リンチュウのプリントいったかー。希望者は七月以内に申し出ること」
カトウはそう言い終えると、授業を始めた。
昼休み、エナたち三人は弁当をつつきながら、言い合った。
「夏休みの貴重な時間をリンチュウに使うなんてありえねーし」
「たしかにー。カナは?」
「えーと、井澤屋でバイト」
「ジュンは?」
「ヒミツ」
「彼氏かい。はいはい」
「そう言うエナは?」
「予定はない。けどね……」
エナは見てしまった。リンチュウに行くことを決めていた、アイツ。
ミチトゥ。となりのクラスの男子。ロシア人のハーフでルックスはいいけど無口。何考えてるか。さっぱりわからない。今回のことだってどうして? って感じだし。
「エナ?」
彼女はなにも言わなかった。
*
帰宅するとリンチュウの希望届をじっと見ていたエナは覚悟を決めた。
八月だった。夏服から覗いたミチトゥの肌は女の子みたいだった。ふたりでバスを待つ。エナ達の年齢からすれば幼く見える黄色いスクールバスがやってきた。バスに乗り込む。
エナがミチトゥとすれ違った瞬間、ミチトゥが言った。
「この匂い……」
そしてエナの手をミチトゥは掴んだ。
「なに……?」
困惑するエナをよそにミチトゥは言った。
「イジニチャ……」
ミチトゥはそう言って、だんまりしてバスの座席についた。
種子島にはすぐに着いた。
*
「希望者はあなた達、ふたりですね。ようこそ種子島宇宙センターへ」
クワシマと名乗る女性が言った。
「あの……質問があるんですけど」
「何ですか?」
「これからすぐに打ち上げなんですか?」
「そうなります。スケジュールではこれから二時間後に打ち上げ、そして学校に着いたら、授業を始めます。九〇分を七コマです。すぐに終わります。だいじょうぶ、緊張しないで」
「わ、わかってます」
エナは隣に座っているミチトゥを見た。落ち着いていて、本当に同い年かと疑ってしまう。
「では、ブリーフィングは以上です」
クワシマは退出した。
ミチトゥとエナは二人きりになった。エナがミチトゥに尋ねる。
「どうしてさ、宇宙なんかに行こうと思ったの?」
「思い出したいことがあるからだよ」
「それは何?」
ミチトゥは答えた。
「幼いころの記憶。俺、宇宙で生まれたんだ」
「え?」
聞けば、ミチトゥのお母さんは宇宙でミチトゥを出産したらしい。それから数日後、ミチトゥのお母さんは死んでしまって、ミチトゥは一歳までISSにいた。
「母の記憶を思い出したいんだ」
「そうなんだ」
ミチトゥは真っ直ぐ前を向いている。エナはそんな横顔をじっと見ていた。
*
ロケットにふたりは搭乗する。
エナは緊張していた。轟音とともにロケットが打ちあがる。すごい振動と押さえつけられているような感覚がするけど、強めのジェットコースターと思えば我慢できた。
「ISSとドッキングいたします」
「もう? 早い」
ミチトゥは黙って、エアロックの前にいる。
拍手の音がした。
「ようこそISSへ!」
ISSのクルー達がふたりを出迎えた。明るい人たちだ。
「緊張したかい?」
と小柄な男性が言った。
「ぼくはエンドウ。君たちの指導教官さ」
「よろしくお願いします」
ミチトゥとエナは頭を下げた。エンドウは言う。
「まぁ、見て欲しいものがある。来てくれ」
そう言って、うなぎの寝床のような通路を進む。泳いでいるみたいだ。
「ここ」
そこには窓があった。
「覗いてごらん」
ミチトゥとエナが窓から覗くと、地球が見えた。息を飲む二人。
「これが母さんの見ていた風景か……」
エナはミチトゥの横顔をちらりと見ると、ミチトゥの表情から感情が読み取れた。
*
エンドウはふたりに言った。
「きょう君達にやってもらうのは宇宙ラベンダーの栽培です」
「は?」
「宇宙に来るまでして、やることは小学生みたいじゃないか」
ミチトゥは言った。
「まぁ、そう言わないで。この品種はね、宇宙でしか育たない特別な品種なんだ」
エンドウは説明した。
宇宙ラベンダーは三時間で発芽し、六時間で花が咲き、一時間半で枯れるという。だからこれを育てる時間が臨宙学校の主なイベントだった。
「はい、これ種ね」
ふたりは種を受け取った。
実験棟にふたりは向かった。銀色の実験棟は清潔な印象だった。そこに土が敷き詰められた花壇があった。
ふたりは小指で穴を掘る。そして宇宙ラベンダーを植える。三時間待つ間、ふたりはISSを案内された。外が暗くなった。
「ISSは九〇分で地球を一周するからね。だから昼夜は四五分ごとなんだ。早くそのリズムに慣れてくれとは言わないよ」
ふたりはエンドウに案内されるまま、広いスペースに着いた。様々なクルー達が思い思いの時間を過ごしている。悪く言えば雑魚寝状態だった。
「おーい。みんな。リンチュウが来たよ」
クルー達が一斉にこちらを見た。彼らは様々な言語で感想を言った。エナにはよく分からなかった。でも楽しい。
楽しい時間はあっという間だった。
宇宙ラベンダーを見に行く。
ラベンダーは蕾になっていた。もうじき花が咲く。
「そういえば、朝は何で私の腕をつかんだの?」
「香りがしたんだ。懐かしい香りが」
「香り? そういえば今日はラベンダーの匂い袋を持ってた」
「あ、花が開くぞ」
ラベンダーの蕾が開いた。
「この香り、何て懐かしくて、記憶が……」
それは彼にとって母親そのものだった。どうしていたって思い出すことのできなかった母親。その温もりや優しさが彼の心を満たしていた。
ミチトゥの頬に涙が伝っていた。
*
帰りの宇宙船のなかでミチトゥとエナは小さな約束を交わした。
記憶のことを周りに公言しないこと。
ふたりのこれからの関係を言わないこと。