スペース不動産
小林ひろき
われわれが気づいたときには、もう手遅れだった。
恒星が赤色巨星になり、大きく膨らみ始め、われらが母なる星を飲み込んだ。同胞たち、百億人のうち四〇億人は、宇宙船に乗り込んで脱出することができた。ほかの六〇億人はどうなったか知れない。
われわれの文明のおわりだった。
庭球のラケット座の一等星、アンダースピンの周回軌道に運よく棲みついたわれわれは新たな母なる星を見つけるために行動を開始した。
銀河公国歴六四二〇年のことだった。
われわれのひとり、アムルゼッスンは会社星〈ハタ・ラーカ・ヌ・モノ・クゥ・ベカラズ〉、以下〈モノ・クゥ〉から亜光速航行で十年の星域に位置する不動産星〈チ・ンタイ・スー・ミタイ〉、以下〈チ・ンタイ〉にやってきた。
「らっしゃいませ」
双頭の亀がデスクに座って待っていた。早速、アムルゼッスンは事情を説明した。双頭の亀は答えた。
「察しますよ。でもこの広い宇宙では頻繁に起こっていることです」
アムルゼッスンは肩を落とした。
双頭の亀はスープーというらしい。スープーは続ける。
「この辺ですと……そうですね。ここなんてどうでしょう?」
スープーは電気を消す。黒いホログラムが部屋を包みこみ、立体的な銀河の図を表示させる。星々がきらきらと輝き、目がくらみそうになる。そのなかからスープーは〈モノ・クゥ〉を指さし、
「ここからレーザー光を照射します。〈モノ・クゥ〉に近い星を〈モノ・クゥ〉系から探してみましょう。いい場所が見つかるかもしれません」
最初に見つかった星は〈モノ・クゥ〉から亜光速航行で十年の超優良物件だった。
「いかがですか? わたくしとしてもこの物件はおすすめです」
スープーのもうひとつの頭が言う。
「日当たり良好、でも夜は三十年にいちど来るんだ!」
アムルゼッスンは答えた。
「われわれの身体には概日リズムがあります。百年にいちどです。三十年では生活リズムが狂います。われわれに寝ぼけたまま出社しろというのですか?」
スープーは頭を搔きながら、
「分かりましたよ、とてもいい物件だったのになぁ。残念だ」
と言い、もうひとつの頭は、
「このシャチ・クゥ!」
と叫んだ。アムルゼッスンは気にせずに続けた。
「亜光速航行で、十年とは言わない。二〇年、せめて五〇年で良い物件はないのか?」
「そうですねぇ、ここなんてどうでしょう?」
スープーは指をさす。
「籠球の籠座。二等星のトラベリング周回軌道の惑星。名前は前の住人の種族名になってますね」
「へぇ、お家賃は?」
「テラフォーミング料込みで、これくらいで……」
スープーは指で値段を示す。
「それは、お安い」
アムルゼッスンは飛び上がって喜んだ。
「では内覧してみましょう」
アムルゼッスンが戸惑っているとスープーがゴーグルを渡した。
「さいきんはこのご時世でしょう? 現地に飛ぶことは出来ないんです。4D仮想化技術がありますからリアルタイムで星をみることが出来ます。データとしての星ですけれどね」
「なるほど、わかった」
ふたりは惑星に降り立った。冷たい風が吹いてきているらしい。
「ずいぶんと寒い星のようですね」
「まだ二酸化炭素の合成作業が終わっていませんからね。契約前にテラフォーミングは終わらせる予定です」
ふたりのまえに巨大な岩のようなかたまりがいくつも転がっている。
「あれぇ、おかしいな? 情報だと、この星の歴史は戦争で終わったはずなんだけど……」
アムルゼッスンは震えながら言った。
「ということは、これは?」
スープーのもうひとつの頭が叫んだ。
「遺体に決まってんじゃねぇか!」
アムルゼッスンは顔面蒼白になった。
「いやです、いやです。こんな星、お祓いしてくださいよぅ」
「非科学的なことを言いますね。国家、星間規模の戦争なんて、いまどき珍しくないですよ。すべてが終わった星、果てる星ですよ。これからいくらでも産めよ、増やせよ、ですよぅー」
「いや、恋人と事故物件でエッチする生き物がどこにいるんですか」
スープーのもうひとつの頭が言った。
「確かにな」
これより遠い星を探すことになった。年周視差を用いて〈モノ・クゥ〉から三〇〇光年先までの星々である。
アムルゼッスンは、本当にいい星があるのかと半ば疑い始めていた。
「お客さま、ここはどうでしょうか?」
交通の便が悪い。これだけでモチベーションは下がりまくっている。しかし四〇億人の同胞がそれを許すだろうか。気を引き締めて、スープーのはなしを聞く。
「ああ、悪くないな」
「気象条件に特にこだわりは?」
「というと?」
「まぁ、見に行ってみましょう」
ふたりはきらきら輝く砂漠に足を踏み入れた。
アムルゼッスンは息を呑んだ。
一面に輝くダイアモンドの雨だ。そのさまは美しい。荒れ狂う空から、ぎらぎらしたダイアモンドが降り注ぐ。宝飾店を経営すれば多額の利益が見込める。〈モノ・クゥ〉で忙しく働くなんて、そもそもナンセンスだ。
「このダイアモンドの雨は天然ものです。大気を形成するメタンが分離して炭素を高圧で変質させるんです。これを市場にばら撒けばどうなると思いますか?」
スープーの目がこちらを睨む。
「ダイアモンドの価値の大暴落か?」
「はい、お客さまのビジネスパーソンとしての手腕が試されますね」
アムルゼッスンはわが種族のことを思い出す。〈モノ・クゥ〉に勤めている意味を。勤勉だけがわが種族の取柄ではなかったか? われわれが富豪になる? 無理だ。〈モノ・クゥ〉は星系じゅうのサービス、流通、製造、ありとあらゆる分野に長けた超高性能コンピューター群を用いる銀河系企業だ。かれらと張り合うなんて石油王の息子並みの神経の図太さがないとやっていけない。われわれは胃腸が弱いんだ。
「くぅ……止めだ」
「なんですか?」
「止めだ! 止めだ!」
スープーはため息をついた。
「お客さま、もうここらが正念場ですよ。次の星は人工衛星のレンタル料がかかります」
「はぁ?」
「ですから、肉眼で測れる距離には、いい星が、無いんです!」
「分かった。了解だ」
スープーは手元のコンピューターに数字を打ち込んでいる。ホログラムが連動して一〇〇〇光年先までの星々を映し出した。
「亜光速航行ですぐとは言えませんが、このへんになると閑静な星々になりますね。都会の騒々しさとは無縁になってくる。いい星々です」
「今度はどこだ?」
「十柱戯座ですね」
ふたりはゴーグルを被った。
「なにぶん、古いデータになります。最後に訪れたのは、三〇年は前だ」
「だいじょうぶなのか?」
「テラフォーミングはすでに完了済み。エアコンも完備してます」
「エアコン……」
ふたりが星に降り立つと、すでに小人のような黄色い生き物たちがいた。
「おい、ここは契約済み物件じゃないか」
「そうだったかな……。データベースにはそんな記録はないですが」
「三〇年で何かの生物が進化したんじゃないか?」
「そんな短い期間でありえません」
ふたりは小人たちを眺めた。しあわせそうな笑顔だ。なにか、来てしまったこちらが悪いような気分になってくる。
「データベース更新が同期してないのでは?」
「まぁ、確かに。われわれも生き延びるのに必死な業界ですからね。リストから漏れているのかも」
スープーはゴーグルを外す。
「何だったんだろうな……」
スープーはもういちど、手元のコンピューターを操作した。
電話が鳴る。
スープーは受話器をとると、なにやら口論を始めた。
「困るよ、契約を焦った結果じゃないか!」
アムルゼッスンはスープーに尋ねた。
「どうかしたんですか?」
「あの子どもたちは、こちらの不手際でした。別の社員が契約を焦って、特定危険外来宇宙人をですね、審査を通さずに呼び込んでしまったんです」
「特定危険外来宇宙人?」
「印ありってやつですね」
「それで、どうするんだ?」
「退去してもらいます」
「どうやって?」
「駆除ですよ、そりゃ」
アムルゼッスンの背筋が凍った。
「あんな無邪気な笑顔を殺すっていうのか?」
「あれはロンビバレーっていう印ありのなかでも短期間で一気に増えるタイプでして。わたしも初めて見ましたよ。契約のときは一体しかいなかったのが、記録であの数ですから、もっと増えていると思いますよ」
スープーは画面にロンビバレーによって滅んだ星々を映した。
赤い大地の星があっという間に黄色く染まり、地形が変わっていく。見ていられない。
「で、どうやって始末する気だ?」
「まぁ、核爆弾で小惑星を力学的に飛ばして、ドカンかと」
「はぁ……」
物件は傷つかないのだろうか。
「安心してください。惑星のコアさえ残っていれば、ガス型宇宙人との契約ができます。かれらには硬い岩盤は要りませんから」
そういうものなのか……。
「アムルゼッスンさん、この件は人工衛星使用料をサービスしますからご内密に」
「構いません。われわれとしても有意義な時間を持ちたい。それだけです」
そうしてふたりは様々な星々を内覧した。〈モノ・クゥ〉から一〇〇〇光年先の宇宙には魅力的な星々があった。しかし、十分な広さ、重力、気候条件など、ぴったりの星は一向に見つからなかった。
スープーは星の見かけの明るさと絶対光度を比べはじめた。次なる星々はもっと遠くなることが予想された。アムルゼッスンもそれを了承した。上限は十万光年先になった。
「スープーさん。わたしはもっといい物件を、と思って提案を退けてきましたがもうそろそろ、ここという物件を見つけたい。協力を頼みます」
「そうですねぇ……鎧球座の一等星ちかくを見てみましょう。もう、このへんだと物件は少なくて、連星の片方が別の不動産星系の物件だったりする例も珍しくありません」
「それっていいんですか?」
「まぁ、貸す側の意向もありますよ」
「誰なんです?」
多くの星々を持つ高等生命体〈オーヤ・サーン〉は第十二階梯の知性種族の始祖とされている。〈オーヤ・サーン〉はすべての星々を生きとし生けるすべての生物に明け渡した神話上の生命体であり、原始的な種族のあいだでは神と言われている。
「〈オーヤ・サーン〉はいったいどこにいるんです? かれらと交渉できれば、すべての生命体は安住の地を、いや母なる大地を手に入れることができる」
「そう簡単なことでもないんですよ」
宇宙は無限大の広がりを持つ。その無限大の広がりほぼすべてに〈オーヤ・サーン〉は、固有の名と強い宇宙生命原理に基づく住みよい土地を与えた。かれはわれわれとは違った次元でものを考え、違った法則でわれわれを導く。かれと交信できるのは不動産星系を統べる特別なシャーマン〈シャッ・チョサン〉のみである。
「なんてことだ……」
アムルゼッスンは頭を抱えた。
「われわれには次の母なる星が用意されているんですか? 教えてください。スープーさん」
「善処します。わたしたちもこんなに宇宙の距離はしごを使って物件探しの旅に出るとは思っていませんでした」
スープーは明るさが周期的に変わるセファイド型変光星を見つけ、その周期と絶対光度から一定の関係性を抽出した。そして不動産星最大規模の宇宙望遠鏡を使って六〇〇〇万光年先の銀河団まで、かれの視野は広がった。
アムルゼッスンが遠くの星からとある星を見つけた。
「あ! あの星なんていいかもしれない」
「闘球座。たしかにこの銀河団のなかでは適していそうだ、一旦降りてみましょう」
もうこの頃になるとデータベースは底を突き、宇宙船による内覧が始まっていた。ふたりは宇宙服を着込み、闘球座スクラムの第七惑星に訪れた。
「どうでしょうか?」
「悪くない、なんという広さ、重力。申し分ない」
アムルゼッスンが決めた、と言おうとしたその時だった。
スープーの腕時計がけたたましく鳴りはじめた。
「アムルゼッスンさん、高重力反応です」
「逃げろっていうのか? なぜだ」
「ブラックホールです」
「なんだ、それは?」
光さえ逃れられない死の天体。ブラックホール。アムルゼッスンは初めて聞くその名に好奇心を覚えていた。スープーはそれどころではない様子でアムルゼッスンを宇宙船に乗せて飛び立ち、スクラムの第七惑星がつぶれていくさまをふたりで眺めながら、ブラックホールの事象の地平面の境界ぎりぎりをスイングバイして加速、脱出した。
「すばらしい!」
「危うく死ぬところでした」
「こんな気分になったのは銀河公国歴二〇〇一年のお祭りの夜、敵将の首でバーベキューをした時くらいのものだ」
「けっこう残忍ですね」
〈チ・ンタイ〉に戻る途中、スープーは振り返った。
「あれは……」
おおきな重力レンズができていた。
「見てください、お客さま。あんなに遠くの星々が見えますよ」
「あ、ほんとだ」
「行ってみましょう。いい物件があるかもしれない」
ふたりは宇宙船で遠くの星々に向かった。
星座の名前もわからない。恒星のまわりの惑星には魅力的な物件がたくさんあった。スープーはデータベースを見ながら茫然とつぶやく。
「〈オーヤ・サーン〉も知らない星ですよ、すごい。ブルーオーシャン!」
「そうなのか? 降りてみよう」
ふたりは惑星に降り立つ。そこには大気がすこしあった。宇宙服を脱いでみる。
「すごい、すごい。空気が美味い!」
「そうですねぇ。ここは穴場かもしれない」
ふたりは惑星を探検した。背丈ほどの大きな木がならび、神殿のような石柱が見えてくる。ピンク色の空に紫色の雲。楽園と言っても過言ではない。
石畳の道をふたりは歩く。明らかな文明の痕跡。さきに定住している生物がいるのかもしれない。おおきな音がする。これは鳴き声? アムルゼッスンは腰にぶら下げた光線銃に軽く手を伸ばした。
「お客さま?」
「獣の咆哮だ」
「やっかいですね」
「だいじょうぶだ」
神殿の奥に巨大な大蛇がいた。石のように、硬い鱗を持っている。手元のブラスターでは歯が立ちそうにない。
「だいじょうぶ、じゃないな……」
「何者だ?」
と大蛇は言った。言葉が理解できるようだ。
「おまえは何だ?」
大蛇はこちらを睨みつけてくる。
「わしは、この土地に長らく住んでいるものだ」
スープーが叫んだ。
「わたしたちはいい物件を探しに来たのです。敵意はない」
「物件だと? 侵略者か。いいだろう。わしを倒してみろ」
言葉がまるで通じていない。
大蛇の尻尾がふたりに巻きつこうとしてくる。アムルゼッスンとスープーは咄嗟に草むらに隠れた。大蛇はじっとあたりを見渡しつつ、
「無駄だ。おまえたちを殺すのは簡単だ」
大蛇は頬をふくらませた。なにか、くる――。
炎だ。燃え盛る息吹がふたりを襲う。
「お客さま!」
スープーがアムルゼッスンの盾になった。スープーの甲羅が黒焦げになる。
「スープーさん!」
彼のもうひとつの頭が、
「熱い!」
と叫ぶ。スープーがとなりで、
「わたしは大丈夫」
と言った。
「でも、スープーさんが。甲羅が融けてしまいます」
「確かに。このままではまずいですねぇ……」
じりじりと時間が過ぎていく。
アムルゼッスンが天を仰いだ。
――神よ、たすけてくれ。
ピンク色の空が裂けた。青白い光が大蛇のはらわたを引きちぎる。
大蛇はおおきく呻いた。
スープーは甲羅を冷ましながら、その光をじっと観察した。
「あれは、わたしが一〇〇〇年前にいちどだけ見た〈オーヤ・サーン〉の光だ」
「〈オーヤ・サーン〉、あれが?」
光は、巨人の姿になってアムルゼッスンたちの前に立つ。
「すまない。全宇宙でわたしの知らない星があったとは。わたしの使命、それは宇宙生命たちのために住みよい星を整備して、知性階梯に上る生命を生み出すことなのに」
言葉が頭のなかに直接、流れこんでくる。
これが〈オーヤ・サーン〉との接触。
「これから、この星の地鎮祭をする。〈シャッ・チョサン〉を呼びなさい」
スープーはいったん、宇宙船で〈チ・ンタイ〉に戻った。しばらくアムルゼッスンはこの星でひとり佇む。〈オーヤ・サーン〉の光はうつくしい。こんなに感動したのは本当にひさしぶりだ。アムルゼッスンの四つの目から涙が溢れた。
幼い日の記憶、母親の匂い。
こっぴどく叱られた日の、涙味の食事。
父親のビークルから眺めた山頂のむこうの夕陽。
すべての感情が凝縮された崇高な気持ち。
我に返ったとき、〈オーヤ・サーン〉はすでにいなかった。
スープーが隣にいた。
「お客さま。地鎮祭の件なのですが、そのですね……いまからしばらくのあいだ時間が必要になりまして……」
〈シャッ・チョサン〉の地鎮祭は二〇〇〇年ほどのあいだ行われる。「手水」で体を洗い清めてから「直会」までの時間だ。ほとんどは〈シャッ・チョサン〉と集まった宇宙生命たちがお神酒で酔っ払った結果の後片付けに費やされる。
「申し訳ございません」
アムルゼッスンは遠くを見た。
「いいんだ。大切な記憶を思い出せた気がする」
「はぁ、そうですか。まぁ、いいです」
ふたりは〈チ・ンタイ〉に引き返した。銀河路線図を見ながらスープーはなにかを呟いている。スープーは電波望遠鏡による観測と光学赤外線望遠鏡による観測の組み合わせから渦巻き銀河のスピードと明るさの関係を導き出し、二十億光年むこうの星々を映し出す。
「もうここまでくると、交通の便は度外視ですね」
アムルゼッスンは顎を触りながら言った。
「そうですねぇ……。氷球座から通ってる〈モノ・クゥ〉社員もいますよ」
〈モノ・クゥ〉から五五億光年むこうの星だ。
「えっ、そんな遠くからですか? じゃあ遠距離通勤はわりとポピュラーなのかな」
「かれらはまぁ、移動中はコールドスリープして、何代も、世代を重ねて移動してきます。毎朝、三〇〇〇くらいの世代をかけて通勤してきます」
「そんなことが」
「われわれは長命な種族ですから移動中の時間が問題になることはほとんどありません。出社時間は比較的ルーズです。成果主義なので結果を出せれば問題はない。〈モノ・クゥ〉でいちばん好きなルールです」
「初めから言ってくださいよ。そもそも時間を無視していいなら、もっといい星から紹介したのに」
「わたしはスープーさん、あなたを見誤っていた。身を挺して客であるわたしを守ってくれた。あなたはわたしの恩人だ」
「お客さま……」
もうひとつの頭のほうの、目から涙が流れた。
ふたりは宇宙船に乗り込んだ。遠い、とても遠い。宇宙は無限大の広がりを持っている。しばらくのあいだ、アムルゼッスンは眠ってしまった。
「お客さま、お客さま。着きましたよ」
「お、おう。そうか」
「〈オーヤ・サーン〉の記録によれば、太陽系という星系のようですね」
彼方には小惑星帯がみえる。
「いいところでしょ」
「スープーさん、あの白いものはなんでしょう?」
小惑星の表面に粉雪のようなものがついている。
「小惑星に自生する菌類ですね。マ・サーという菌類ですよ」
「問題ないのか?」
「ちょっと待ってください」
小惑星帯はこのへんの宇宙生命たちにとってのホテル街である。大小さまざまな小惑星に〈コンドミニアム〉と呼ばれる宿泊惑星が点在している。マ・サーは宇宙生命にとっては麻薬成分をふくむ菌類だ。マ・サーはこのへんではいくらでも自生しているため、価値はほとんどない。マ・サーは疲れた宇宙生命の癒しとなっている。
「麻薬だって?」
「そうです」
「ダメだ、ダメだ。〈モノ・クゥ〉をクビになってしまう」
「ではマ・サーをすべて刈り取ってもらうことになります」
「料金は?」
「お客さま持ちです」
アムルゼッスンは首を縦に振らなかった。
「では太陽系をすこし移動しましょうか」
宇宙船は小惑星帯をくぐりぬけていく。
むこうに輝く星があった。
「うつくしい、燃えるような星だ」
「太陽ですね」
宇宙船からレンズで拡大すれば色とりどりの星が太陽のまわりをぐるぐる回っている。
どうでしょうか、とスープーはアムルゼッスンに語りかける。
四つの物件が候補に挙がった。水星、金星、地球、火星の四つである。
「まずは水星を見てみましょう、お客さま?」
アムルゼッスンはひとつの星に目を奪われた。
「あの星がいいな」
スープーが構わずに続ける。
「まずはですね、水星を見に行きます!」
アムルゼッスンはじっと遠くを見ている。
「では、赤い惑星はどうでしょうか?」
「赤はきらいだ」
「悪くない星ですよ、テラフォーミング料も安く済みますし……」
スープーの顔は引きつっている。
「では金星なんていかがですか? 権力者にぴったりな名前かと」
「わたしたちはそこそこ金を持っているが、平社員だ」
「そうですか。でもいかがでしょう? もっとほかの良い惑星がありますよ」
スープーはデータベースを確認しながら太陽系全体の物件を探す。
「青いのがいい。自由を感じる色だ。あそこに決めよう」
「アムルゼッスンさん、まことに申し上げにくいのですが……」
「何だ?」
「あそこには原住民がいまして……」
「誰だ?」
「人類と言います」
そうだな、と言ってアムルゼッスンはニヤリと銃を構えた。
「お客さま?」
「原住民は、根絶やしにする」
スープーは目を瞬かせた。
「ええ? 困りますよ。それはちょっと……」
「われわれには時間がない。いまも同胞たちが飢えに苦しんでいる。さっそく物件を占領して、惑星を改造する」
「お客さま、これは契約違反になります」
「うるさい!」
「銀河連邦警察を呼びますよ。これであなたたちは印ありになる。あなたたち種族は、銀河のお尋ね者だ」
「構わない」
スープーは突き飛ばされた。
「ちょっとぉ!」
「スープーさん、あなたはわたしの恩人だ。傷つけたくない」
アムルゼッスンは腕時計に声をかけた。
「全同胞に告ぐ。いまから送る座標に艦隊を集結させるんだ」
庭球のラケット座、アンダースピンにいたわれわれはアムルゼッスンの命令で地球という惑星を包囲した。イキュッセン将軍がアムルゼッスンと握手する。
「此度は艦隊を引き連れた長旅、ご苦労様です」
「われわれの新たな母なる星だ。なるべく傷つけたくない」
「人類という原住民の、抹殺ですね?」
「ああ、そのために中性子爆弾を用意している」
アムルゼッスンは目を閉じてそのときを待った。
かれの脳波に同調した〈オーヤ・サーン〉が語りかけてくる。
「アムルゼッスン、きこえるか? 人類を滅ぼすのを止めるんだ。銀河の法をやぶるな。宇宙は広かっただろう? そこでさまざまな生命が暮らし、自分の人生を生きている。それを破壊してはならない。おまえはもう知っているはずだ」
「〈オーヤ・サーン〉、あなただって獣を殺したではないですか? それとこれの何が違うのですか?」
〈オーヤ・サーン〉はアムルゼッスンに優しく語りかけた。
「あれは知性階梯に上るにふさわしくない生き物だった」
「知性階梯?」
「邪悪な知性と力で世界を蹂躙しようとする、最も宇宙の調和を乱すものだ」
「だったとしても、人類は知性階梯に上るにふさわしいとでも言うのですか?」
「いや、ちがう。アムルゼッスン、おまえたちが人類を導くのだ。人類はまだ愚かで弱い種族だ。わたしがスープーをつかっておまえたちをこの太陽系の物件に案内したのは、人類を新たなステップに上らせるためだった……」
アムルゼッスンはごくりと息を呑んだ。
「わたしたちのような、醜い姿の種族が、ですか?」
「そうだ。見た目は関係ない。おまえたちは高度な科学技術と、忍耐を兼ね備えた種族だ。人類を導いてやってほしい……」
「導くって、どうやって?」
「過ちを犯そうとしたとき諌めてやり、前に進もうとしたとき、背中を押してやるのだ」
アムルゼッスンは目を開いた。
イキュッセン将軍が爆弾発射の命令を出そうとしたとき、アムルゼッスンはブラスターを構えて立っていた。
「なにをする気だ? アムルゼッスン」
「われわれは結論を急ぎすぎました」
「人類を滅ぼせば、われわれは母なる星を手に入れるはずだ」
「わたしたちは成熟したのです。母を探すのはもうやめましょう、わたしたちは気づくのが遅すぎた。わたしたちは父になるのです」
イキュッセンが目を閉じて降伏の意を示した。
スープーが待っていた。
「らっしゃいませ」
われわれは不動産星に言われるがまま、地球を分譲し、人類と共存する道を選んだ。さいわい人類はさいきん言葉を覚えたようである。ちいさなわが子だ。
宇宙は広い。われわれは新たな宇宙航法を開発しながら、〈モノ・クゥ〉に通勤している。ずっと長い間、われわれは故郷という幻想を持っていた。だが、いまはちがう。ともに歩むものがいてこそ、宇宙の未来はあかるい。〈終〉