ユニゾン・エイリアン
小林ひろき
電話口のむこうでジェイミーは怒っていた。
「今年のクリスマスまでには仕事が終わるって言ってたでしょう?」
「ごめん、ごめんってば……」
ドミニクはカレンダーを見た。二五日まで予定が入っている。二〇日には終わる仕事だったのに終わらなかったのだ。
交通局の素材の配布がずれ込んだのが原因だ。そして処理の遅いパソコン。blenderに読み込むだけで一日もかかっている。
「もういい。別れましょう?」
「なんでそうなるんだよ。考え直してくれ。ジェイミー」
電話はぷつりと切れた。
ドミニクは頭を抱えた。珈琲を一口飲むと苦い味わいが口いっぱいに広がった。
ここは火星。
赤い大地の上にビルがいくつか建っている。ドミニクが幼い頃に見た火星の未来予想図がそこに重なる。
入植者は今月で二七万人に上る。
ドミニクは読み込み中のパソコンから離れた。
美大の卒制が終わり、ポートフォリオを持って、受けた会社の面接は良好だった。しかし春からの勤務先は希望していたロンドンではなかった。
満員のシャトルに詰め込まれてドミニクは火星に向かった。彼は昨日のことを考える。ドミニクはジェイミーと喧嘩した。
理由は遠距離恋愛になることの不安からだった。ドミニクだってそれは感じている。二人の関係が学生時代のようにうまく行かないこともあるだろう。
シャトルの窓から四角いドームやらビルが見えた。いよいよ火星だ。
新しい生活への不安や期待の入り混じった気持ちでドミニクは火星に降りた。
パソコンの読み込みが終わるとブリントン社のビルが画面いっぱいに映し出された。そして視点を動かして微調整する。火星の広告をIllustratorに配置してキャッチコピーをつける。
火星の風を感じてきてくれ――上司のヤンは言った。ドミニクは自分の感じている世界を表現することは楽しいけれど、不満もあった。
火星には知り合いやSNSの類はなく、都市開発の名のもとに黙々と人々が働いている。仕事の愚痴も、当然言えるような状況ではない。
ドミニクは思う。随分と遠い場所に来てしまったな。
彼は素材写真を撮るために出かけた。
都市機能を集中したMCシティから出ると、あとは特別なツアーガイドのついたバスで火星を回ることになる。
地球にいた頃、ドミニクは火星の地図を広げながら、住んでみたい土地を想像した。想像上の火星はもっと人の気配が感じられるユートピアだったのだ。
背後のMCシティが遠くなっていく。ガイドが運河と渓谷と山脈について長い話をしている。
ドミニクはフォンの録音機能を使って感じたことやアイデアを録りためていく。
老婆や作業着を来た職員が外をじっと見ている。視線に違和感を覚えたドミニクも外を見た。
向こうで半円の構造物がにょきっと地面から伸びていた。
「あんなもの、あったか」
「いや、知らないな」
バスの客たちが口々に話している。
ドミニクはシャッターを切った。
その半円の構造物は火星で話題になった。
構造物を覆うようにドームが建設され、科学者や技術者の調査団が結成された。メンバーの中にはドミニクの姿があった。会社からの命令で面白いものを撮ってこいということだった。
ドミニクはパソコンの前で撮ってきた構造物の写真を見つつ、モデリングする。技術者たちの計測によれば、今見えている半円状の部分は構造物の一部でしかないらしい。掘り起こすことは現在の火星の技術では不可能だという。
ドミニクはこの構造物の全貌を想像する。
何度もドミニクは現場に足を運んだ。
構造物に触れるとひんやりとした感じがする。素材は金属のようだ。
しかし地球上のどの金属にも当てはまらない。未知の素材だ。
ドミニクがポケットからカメラを取り出すと、紙切れが落ちた。何度も書き直してボロボロになったジェイミーへの手紙だった。
「あ……」
ドミニクは手紙を拾うとなんだか悲しいような寂しいような気持ちになった。
彼はジェイミーにはいつも誠実な気持ちでいたいと思っていた。けれど素直になれずにいつも言葉をごまかしてしまう。だから手紙を書き始めた。
一瞬、音がした。低い地鳴りのような音。ドミニクは辺りを見る。音が構造物から鳴ったのだということに彼は気づいた。
ドミニクはくしゃくしゃになった手紙をもう一度見る。
気持ちが高まる。ジェイミーとの楽しい日々がよみがえる。
すると一段と高い音で構造物が鳴った。
αケンタウリ星系の惑星で火星と同じ構造物が強く鳴った。地響きがして構造物の全貌があらわになる。クジラのような巨体が空に飛び立つ。
構造物は異星の生命の発声器官だった。
銀河に歌が流れる。孤独な銀河で誰かを恋しいと思う歌だった。銀河のあちこちでクジラ型の生命体が歌で繋がっていく。ユニゾンが響いている。
歌は遠くへ出かけていった同じ種族へのメッセージだ。
乾いた構造物が微弱な波動を発していることに気がついた火星の科学者たちは、波動を頼りに構造物とコミュニケーションをとろうとしていた。
地球の言語、七〇九九個の言語で話しかけても、コミュニケーションは実現できなかった。しかしドミニクが手紙を読むときだけ、構造物は反応をみせた。
「ドミニクさん、もう一度お願いします」
「わかりましたってば。もう五〇回はやっているよな? いったい何回、おれはあんな気持ちになればいいんだ?」
ジェイミーへの切ない思いは手紙を読むたび大きくなった。ドミニクは切なさを忘れたかった。構造物の反応は大きくなる。
実験が終わり、ドミニクは家に帰る。歯磨きをしながら、うとうとしていると、ドミニクはヴィジョンを見る。
とても大きなクジラのような生物が宇宙を飛んでいく。彼らの群れは宇宙のあちこちへ散っていく。彼らは歌う。歌によって、彼らの歴史が伝えられていく。ドミニクの頭にもその歴史が流れ込んでくる。ドミニクの脳波が彼らの脳波と一致していく。
二〇〇万年以上前、彼らの祖先は自らの星を旅立った。そして彼らは散り散りになって別れながら、旅を続けている。旅で多くの同胞を失った。火星の構造物もクジラ型生物の発声器官の一部なのだ。
ドミニクは彼らを理解した。そしていま彼らの最前線の群れは地球へ向かっていることを――。
ルナシティの上空に彼らが来訪したのは、つい五分前だった。人々は彼らに釘付けになっている。
「くじらさん、いるよー」
「そうだな、くじらさん、いっぱいだね」
親子の会話だけが街で聞こえている。
ルナシティの市長のローザ・ハリーズは地球へ通信を送った。
「異星人の襲来です。これはエイプリルフールのジョークではないわ。わたしたちは彼らをどうするべきだと思いますか? コミュニケーション? それとも攻撃でしょうか?」
地球のルナシティを運営する企業の代表、ライラ・マーティンソンは険しい表情で言った。
「相手がなにを求めていているか、わからない以上、攻撃は得策ではないはず」
「わかりました。静観ですね」
「そうしてください」
ルナシティの上空の彼らは歌っている。英語に近似した音のメッセージがルナ・シティのラジオの周波数に合った。
ノイズのあとに男性の声がする。聞いたことのない訛りのある声だ。
『ごめん、ジェイミー。ずっと仕事が終わらないなんて、言い訳だった。ほんとうはいますぐ会いたいんだ』
ルナシティの人々は目を白黒させた。
英語のメッセージはCMではなかった。彼らは「われわれは宇宙人だ」とは言わなかったのだ。
中継で地球にもメッセージは放送された。
「ちょっとドミニク。こんなことされるとすごく迷惑なんだけど」
電話口の向こうでジェイミーはちょっぴり怒っていた。
「ごめん、ごめんってば。まさかこんなことになるだなんて、思っていなかったんだ」
異星人来訪のニュースが新聞に書いてあった。彼らは地球の上空を気持ちよさそうに泳いでいるらしい。ドミニクの告白はニュースになっていた。
「地球と火星――異星人の結ぶ恋」は夏に映画化されるらしい。当事者たちはいまも難しい恋を続けている。
「異星人の楽器は発掘されたの?」
とジェイミー。
「正しくは発声器官だよ」
「同じことじゃない」
「あれは彼らのうちの一匹が落としていったものらしいんだ」
「壊れたの?」
「そう。だから直してやって彼らに返すことになっている」
「そうなんだ。でもどうやってコミュニケーションを取るの」
「それは……ごめん、ジェイミー。またあの告白をしないと駄目なんだ」
「またなの?」
「どうやら、彼らの感情はひとつの経路しかないらしいんだ」
「いいわ。仕方ない」
ドミニクは通信を終えると、机の上の小さな箱に手を伸ばした。なかには指輪が入っていた。出番はまだ先だろう。
ドミニクは発声器官が埋まっているドームへと向かう。
掘り出すのが難しいとされた発声器官も一年でだいぶ掘り起こされた。全体で三〇メートルほどの巨大な器官は目の前にすると圧巻だ。
「すごいな……」ドミニクは呟いた。
科学者たちの集まる研究棟に入ると、常駐している科学者と目が合った。
「お疲れさまです」
「ああ、ドミニクさん。きょうもよろしくお願いします」
ドミニクは繰り返し行われる実験に慣れていた。切ない思いを暴露することも幸せを形作るスパイスのようなものだ。
発声器官を直すためにたくさんの楽器の調律師や建設会社の人間が出入りしていた。一年前とだいぶ変わった。
でもドミニクは相変わらず火星の広告を作っている。動作の遅いパソコンもそのままだ。
でも一つだけ違うことがある。
はっきりとドミニクは自分の気持ちを伝えられる。
発声器官が大きく振動した。
「これは?」
「起動したようですね」
「直ったのか?」
「まだ微調整が必要ですがね」
火星は活気づいた。なにせ、彼らが火星に来るのだ。
観光客がどっと押し寄せた。シャトルも増便された。
ドミニクは発生器官の前に立つ。
真心を込めて気持ちを告白する。今度はジェイミーの前で。
上空に彼らが泳いでいる。ブーンという音を立てて発声器官が起動する。
発声器官が宙に浮かび上がり、かれらのうちの一匹の身体に装着される。
それは感動的な場面だった。
ドミニクの横でジェイミーが微笑む。
「これで私達の物語は終わり?」
「いや、まだ続くよ。夢がある」
「どんな夢?」
彼らは今も宇宙の星々を飛んでいく。同胞を思う歌とともに。
「クリスマスには帰るって言ったじゃない」
エイミーが言った。
「ごめん、ごめんってば。パパが悪かった」
もう六年が経つ。時間の経過はあっという間だ。ドミニクの娘の成長は著しい。怒りっぽいのは母親の影響だろうか。
今、ドミニクは木星の基地にいる。時代が変わっても人々の精神はあまり変わらないらしい。ドミニクは木星の広告を作っている。
入植者は一万人ほどだ。
別の生命を追って人類は宇宙へ広がっていった。
宇宙船をベンチャー企業が販売し、よく売れているらしい。
ドミニクは思う。木星圏はまだまだ都市化していない田舎だけど、発展していくだろう。パソコンはすこし奮発して早いものにしたが、3Dデータを処理する時間が早すぎる。時間がよく余る。
余った時間でできる仕事をいくつも熟す。
ボードにはくしゃくしゃになった手紙が貼ってある。すべての始まりをいつもドミニクは見ている。
電話が鳴った。
「局長、いまチャンネル6かけてください」
「どうした?」
「異星人の襲来です」
「またか。わかった」
今度は何だろう? ドミニクはわくわくしていた。オフィスに着くと部下が震えながら言った。
「戦争でしょうか」
「いや、仕事の依頼だろう」
「こんなときに仕事ですか?」
「そうさ、世界は仕事で出来ているってむかしのひとも言っているだろう」
「そうなんですか?」
「これから楽しくなるぞ」
ドミニクにとっての紛れもなく人生の実感そのものだった。