探偵助手は闇の中

稲葉小僧

「ふむ、君の言っている事に矛盾は無さそうに見えるな」


これが、俺が目覚めた時、最初に聞いた言葉だった。



ちなみに、俺は斎場八十一さいじょうやそいちという。

年齢は35、しかし、どう見ても35には見えないと誰もが言う。

この前、中学の同窓会に久々に都合をつけて出席した時にも、周りから異口同音に、


「お前、変わらんなぁ……どういう若返り法、使ってるの? 特別な乳液? それともエステに秘密があるとか?」


男女とも、俺の変わらぬ姿に興味があるようで。

ちなみに俺は、健康法も、エステも、乳液も何も使ってない。

中学を卒業した後の写真(証明写真や免許写真など)をいくら見ても、どの時期に撮ったか判別出来ない始末である。

保険屋などにも、年齢偽装? と本気で疑われる始末。



あ、話が逸れたな。

俺の職業は、興信所……というか、興信所まがいの探偵事務所の調査員だ。

キツイ仕事もあるが、概して実入りは良いし、暇になればなったで長期の旅行にも行ける。


それで、今の状況。

とある妻子ある男(30台後半)が、こともあろうに高嶺の花を欲しがってしまい、告白を撥ね付けられるとストーカーに変身。

その野郎の調査を頼まれた事務所が、俺を担当にしてくれたという事で。

まあ、最初にやるのは、そのストーカー野郎の身上調査。

少し調べただけで、出るわ出るわ、灰色に塗り固められた生活。

俺の勘では真っ黒と言いたいが、こいつ、何故か犯罪歴として載るようなことはしていない。

しかし、どう考えても黒決定なのに被害者が訴えを取り下げているとしか思えない事案もあり、裏で細工をしてる奴がいるとしか思えない。


ということで、所長との議論の末、こいつのストーカー疑惑、いや、犯罪者としての疑惑は、疑惑の灰色から真っ黒だと結論付けられる。

じゃあ、何でこいつが、いけしゃあしゃあと世の中に放たれているのか? 

裏に何かの存在があると、所長と俺で調べることとなったわけ。

あ、費用はかかるよ、これは。

だけど、被害者の女性の家が金持ちらしく、金に糸目はつけないので、あいつの正体を暴いてくれ! 

と、頼もしい援軍となったわけ。

所長と俺は、ターゲットとなった男の素行調査を開始。

いやー、出るわ出るわ、罵詈雑言。

私生活、仕事、絶対自己愛主義の塊みたいな奴で、他人の迷惑顧みず。

客のトラブルすら自分の利益にしかねない男で、なんでこんな奴が世の中に存在できているのか不思議なくらい。

それも、企業では、それなりに高い地位にいるというから、世の中不思議だ。

完全に、裏と表の顔を使い分けているんだろうなぁ……


現在は、こいつの黒の証拠を掴むように所長も俺も動いてる真っ最中。

で、何故に俺が病院(警察病院?)で目覚めたのかというと……


「俺は、気を失って倒れていたから、ここへ運ばれたわけですか……もう一人いたと思うんですが?」


ベッドの横にいた、刑事と思われる奴に聞いてみる。



実は、容疑者の男と俺は、よりにもよって、至近距離での会話を余儀なくされてしまって……

尾行してたんだが、こいつ、妙に勘が良いのか、俺に近づいて来やがったのだ。


「私に何か?」


口数は少ない。

周囲に聞き込みしてみたが、いつものことだそうだ。

言葉より行動が先ってタイプなんだろうな、多分。


「あ、えーっと……あなたの行動が、妙に不審でして……」


話しかけられるとは思っていなかったので、すこーしだけ本音が出た。


「は、お前もか。これだから人類ってやつは。鼻が効く奴が、ここにもいたか」


そう言うと、俺の意識が霞む。

奴は、何もしていなかった、と思う。

立ち話をしていたら、急に下からのアッパーカットを見事に喰らい、伸びてしまったわけだ。

意識を失う直前、奴の言葉が聞こえた。


「……この場所と地位も、この姿も、いい加減に捨てるか。また旅に出ねば」


どういう意味なのか理解不能のまま、俺は闇に沈んだ。

でもって、目を覚ましたら、病院のベッドの上だったわけ。


「君の他に誰もいなかったと聞いている。どうして、君はあんな路地裏に倒れていたんだ? まあ、スリや強盗にやられたのではないとは思うが。君の財布も、ちゃんとポケットにあったしな」


刑事は、そう答える。

俺は、もしかして雑魚だと思われて見逃されたか? 


「そうですか……挙動不審な男を追いかけたら、不意に一発殴られて、このざまです。相手は強盗じゃなかっただけ俺の運が良かったかな?」


俺が殴られたということで、被害者届け出すか? 

と聞かれたが、そこまでは、と固辞して、俺は病院を出る(診察代と称して大金取られた。医は算術だなぁ)


探偵事務所へ顔を出すと、所長がいた。

殴られたこと、病院へ担ぎ込まれた事を話すと、


「大変だったな。こっちは周辺調査で、思いもよらない事が分かったぞ」


「何です、それ?」


詳しく聞くと、ストーカー男が変わったのは、数年前からとのこと。

それまでは、礼儀正しいとは言えないが、それなりに世間付き合いも、女性への執着も、あまりない普通の男だったと。

素顔を隠していたのかも知れないが、それでも30年近い行動と、それ以降の数年間が、あまりに違いすぎるだろ。


「その、数年前に何かあったんですね?」


俺は、確信に近い推測で、所長に問う。


「やっぱり、そう思うか。事故でな、奴は重症を負ったんだ。その事故からの回復後から、世の中全てが己の思い通りになるだろうなんて妄想を現実にしたような生活になったらしい」


事故? 


「重症って、死ぬ一歩手前まで行ったとか?」


「医者も一時は手のつけようがないくらいの怪我だったらしい。実際に数秒間は心臓も止まり、呼吸も絶えて脳波すら停止したんだと。しかし、その後の回復は奇跡のような短期間だったと、これは主治医の言葉だ。何もしなくても傷口が塞がり、傷跡すら消えたらしい」


「それはそれは……神の奇跡みたいですね」


「医者は奇跡だと言ってる。治療費タダにする代わり、学会で病状発表したいと言ったんだが奴が拒否したそうだ。高額の医療費も払ったそうだよ」


おかしな男だ。

医者が治療費タダにするから学会で発表させてくれと言えば、普通は乗るだろう。

それに、いくら考えても、奴のアッパーは姿勢からして、あの状態から俺に向けて打てるような状況ではなかった。


俺は格闘技のジムを数軒、回った。

奴の技が、どのようなものなのか知りたかったからだ。

まあ、俺も格闘技オタクではある。

とは言え実際に殴り合うのは勘弁で、知識としての格闘技だ。

しかし、どのような格闘技であれ俺の語る状況と体勢からアッパーカットをクリーンヒットなんて出来ない、無理というのが全員の答え。


「もしも、腕が3本あったなら話は別ですけどね」


とあるボクシングジムのトレーナーは、こう話してくれた。


「どんな体勢や状況でも、例えば隠し腕のようなものがあるなら、そんな攻撃が可能ですよ。まあ、普通の人間には不可能ということですな」


隠し腕、ねぇ……

そんなもの、気づかなかったけどなぁ……

大体、立ち話をしているということは、ファイティングポーズすらとる体勢ではなかったということ。

隠し腕、か。

本人の意思と無関係に襲いかかるような隠し腕なら、可能性はあるよな。


尾行相手に感づかれたということで、俺は別件の担当に回されることとなった。

所長と、別の奴のコンビで対応するという話を聞いたが、もう俺の担当物件ではないので、上の空。

後で聞いたら、尾行も周辺調査も順調で、妨害工作とかはないという。


「先輩、俺達の物件相手に、伸されちゃったんですって? いやー、お年ですかぁ? 反射神経とか鈍ってません?」


俺と代わった後輩が、言いたいことを言い放つ。

こいつ、後で覚えてろよ。


「油断してたからね。ところで、奴を尾行してて、おかしな点は見なかったか? 挙動や行動、話し方など、俺のときには、あっちこっちに違和感があったんだが」


俺は、後輩に情報を教えてやる。

俺の二の舞を踏んでほしくないからだが、後輩は、


「いや、別に感じなかったですよ。挙動不審な点は、まあ少しはありましたが、こっちも色眼鏡で見てますからね。行動? 歩き方とか普通でしたね。話し方は……確かに言葉は少ないですが、会話は成り立ってましたんで、ありゃ性格かな?」


おいおい、俺の感じた違和感を、ことごとく普通だと言いやがる。

そうすると、俺の感じた違和感というものは、普通の人間には感じない程度のものなのか? 

そう言えば奴は、鼻の聞くやつが、ここにもいたか……と言ってたな。


普通の人間が気づかない違和感、だけど、特殊な体質や訓練を受けた人間なら感じる……ああ、分からん! 

奴が幽霊とか、それこそゾンビと言うなら話は分かるが、そんな映画のようなシチュエーションはありえない。

待てよ……


「所長! 俺の担当物件は、ターゲットが海外旅行へ行ってて当分は帰ってこないようですから、所長達の物件で、当たってみたい箇所があります。調査許可と予算、ください」


所長、少し渋面しつつも、


「斎場、少しは休んだらどうだ? このところ、動きっぱなしだろ。2,3日でも良いから休み取れ。うちはブラック職場じゃないんだから。有給休暇って事で、少しだが小遣いも出す。一旦、休んで周りを見回すのも良い考えが出る方法だぞ」


ということで、俺は今、とある温泉地にいる。

行く予定だったところじゃないので、それは不満だったが、所長が身銭切って、2泊3日の温泉旅行切符をくれたんだから行かずばなるまいて。

まあ、調査資料は持ってきたし、温泉旅館でもWi−fiは使えるのが今のご時世。

小さなノートPCの画面を見ながら、俺は気になる点を調べていく。


「ふーん……死んだ人間が生き返ったって事件は、過去にも色々あるわけだ。それで、生き返ったとたん、前の人格からは180度違う行動や性格を見せるとなると……ん?」


アメリカで、死体から人造人間を作るって計画があったらしい。

この年代は……そうか、独立戦争か。

内戦が大規模だっただけに、国内の死者も相当数で、寡婦が大量に発生したって。

担当ドクターの名前は黒塗りで潰されているが、計画としては、半分成功らしい。


半分成功、というのは、死者の肉体をパーツとして繋ぎ合わせて、何かの薬品を用いたらしいが、生き返った例があると書かれている。

ただし、生き返ったのは良いが、意識とか人間性とか皆無で、それこそバーサーカーのように敵味方関係なく暴れて殺しまわったと。

あと、こいつが面白い点で、時間が経つと、筋肉や神経が死んでしまい、自由な行動が取れずに固まって、ウーウーなんてうめき声上げながら、そのうち本当に死んでしまったらしい。

バーサーカー化は例外なく、意識や人間性は少しも見られなかったと書かれている。


あいつが、この実験体のように人造人間として生き返ってしまったのなら、性格や意識、行動が、普通の人間と変わってしまってても変ではないが、バーサーカー化は少なくとも感じられない。

じゃあ、あいつは何だ? 

普通の人間とは思えない、しかし、人造人間のように誰かれ構わず殺し回ったりもしない。

まてよ……

あいつ、最後に……


〈「……この場所と地位も、この姿も、いい加減に捨てるか。また旅に出ねば」〉


と呟いてたな。

地位も姿も捨てる? 

まるで、全く別な人間が、既に死んでいる人間の身体を乗っとったか、あるいは服を着替えるように身体を乗り換えていくような化け物が、あいつの中にいるのか。


いいや、まさか。

宇宙人の侵略を描いたSF映画じゃないか、こんなの。

昔、インベーダーって、モノクロのTVドラマシリーズもあったな。


まあ、妄想に浸っていても仕方がない。

夕飯には時間あるんで、温泉にでも浸かりに行くか。


温泉も堪能し、夕飯も堪能し、心身ともにリフレッシュした俺は、街に帰る。

温泉リフレッシュのついでに、面白そうな情報を手に入れたので、それを確認したかったためだ。


ここは、某医学大学の一室。

ここの主、某教授(名前は出さないで欲しいと言われたので、こうなる)に意見を伺いたく、訪問している。


「さて、教授。今日は、あなたの専門分野に近い事件、というか、近い人間というか、そういう男がいたんで、ご意見をお伺いしたく」


「ふむ、面白そうじゃの。この儂、**大学のマッドサイエンティストと二つ名がついているような者の研究に、多少なりとも興味を向ける人間がおるというのも珍しい。で? 儂の研究に近い事件と人間? こりゃ面白そうな話じゃの。ほれ、話してみんかい」


俺は、一度死んだ人間が、全く違う人格や性格で生き返ることなど、あり得るのかどうか、聞いてみる。


「……と言うことです。詳しくは、レポートに纏めてありますが、どう考えても、腕が三つある可能性やら、生き返る前の性格とは全く違う人間のことやら、普通の人間には、どう考えて良いのやら……教授のお考えを聞きたくて」


教授は、俺の話を聞いているのかどうなのか。

俺の提出したレポートを、食い入るように読んでいる。

二時間後、教授の口が開く。


「うーん……儂の研究というのは、死んだ人間の意識、つまり、魂が何処へ行くかという研究なんだが、こいつは、ちょっと違うな。君の推察通り、何かが死体を乗っ取って、つまり、取り憑いておると考えねば辻褄が合わん」


やはり。


「じゃあ、教授。その、取り憑いた奴を、死体から引き剥がすには、どうすれば? 実は、俺は、そいつと話して、殴られてるんですよ」


驚く教授。


「おい、そこまで動く、そして喋ることまで可能なのか! ? 殴られたと言ったな……うーむ……一度死んだ肉体は、死後硬直で動かなくなるのが普通なんだが。その、身体を乗っ取っている奴は、精神体、つまり魂だけとは思えんな。神経系まで操っていると考えると、身体の中に物理的な肉体が潜んでいるとも考えられる。ゾンビを操る虫や動物のようなもんじゃな」


「教授、そうすると、その、死体の中に潜む、どういう物か分かりませんが、そいつを引っ張りだせば、死体に戻るってことですよね」


「そう、そうなるはず。無理矢理にでも、その、操っている奴? 生物? を引っ張り出せば、死後硬直が始まって、動かぬ死体と化すじゃろう」


「ありがたい! それが聞きたかったんです! じゃ、レポートは差し上げますんで、これで! 参考になりました!」


「気の早いやつじゃな、もう一言だけ聞いていけ。操っているやつは、たぶん上半身よりも下半身を重視しておるようじゃな。気をつけろよ、見えないところから必殺の一撃が来るじゃろう」


「ほぅ……あのアッパーは、それでしたか。重要な参考意見、ありがとうございます! よし、もう負けねー」


「そして……もう行ったか。まあ、見えぬ一撃を躱せば大丈夫じゃろ。それじゃ、このレポートは、いつものように、極秘資料の金庫へ……未だ、人類が知るべきではないレポートと来れば、こうなるのが当然じゃな」


教授は、そう呟きながら、何処にあったのか、重々しい、時代を感じさせる大きな金庫の前に立っていた。

若き探偵助手から提出されたレポートを手に取り、金庫の扉を開ける。

そして、金庫の扉が開ききったと思われた途端、金庫の中から何かが飛び出し、教授の手にしたレポートを掴んで、引き込んでいった。


「よしよし、可愛いやつ。まだまだ、この研究資料は、若き人類には毒じゃなからな。もう少し成熟してくれないとパニックになるばかり。この金庫が不要になる日は、何時になるのやら……」


教授は、重々しい金庫の扉を、いとも軽々と閉じるのだった。



俺は、探偵事務所に戻った。

所長に、俺の体験と推論、そして某大学教授の参考意見を話すと、当然のように、元の仕事に戻してくれる。

こういう、臨機応変さが所長の良い点だ。


「それじゃ、ターゲットの家族に会ってきます。俺のやろうとする事は、下手すると人殺しとも見えかねませんからね。奴の家族と話し合って来ます」


「お前のことなんで間違いはないと思うが、気をつけろよ。奴は普通じゃない。お前の後輩を代わりにつけたが、今は病院だ。顎を砕かれたよ」


「やっぱりですね……俺は、ガタイが丈夫なのが唯一の取り柄ですから」


「私は、それだけとは思わんがな。まあ、今回ばかりは注意のし過ぎはない。ただ、やりすぎるなよ。ターゲットだけならまだしも、この前のように、暴力団の組員全員の手足を砕くなんてのは、ありゃ、やりすぎだ。警察や、こっちの弁護士が奮戦してくれたおかげで、過剰防衛にはならなかったが」


「所長。あれは仕方がないかと。向こうはドスやチャカまで、挙句の果は重機関銃まで持ち出してきたんですから。殺す手前で止めるのに苦労したんですよ、あの一件」


「向こうさんが、そこまでやったんで、お咎めなしとなったんだぞ。チャカとドスだけなら過剰防衛決定だと地元の警察署長から言われたんだ。くらぐれも、やりすぎるなよ」


「分かってます! それじゃ、行ってきます」



数時間後、俺は、ターゲットの家にいた。

奴の偏執狂とも言える行動と、依頼者の怯えと困惑を伝えると、家族は、ため息をつく。


「もう、あの人が何を考えているのか、私達には分かりません。生き返ってから段々とおかしくなってきましたが、この頃では私達と話もしなくなりました」


狂った思考が、段々とパワーアップしてきたという事か。

俺は、ターゲットから受けた強烈な一撃を話す。

この攻撃で、俺の後輩は顎を砕かれているとも。


「あの人が格闘技やっているなんて聞いたこともありません。生まれたときから争いごとが嫌いで、どちらかというと家にいるほうが好きな人でした。中学校での酷いイジメで登校拒否となって、それでも私立の高校と大学は優秀な成績で卒業してるんですよ。ちょっと待ってくださいね。あの人の卒業証書……ああ、これです。英語ですが」


こっちに見せてくれる。


「ああ、これが卒業証書……ん? ミスカトニック大学? すいません、高校の方は……ああ、やっぱり。ミスカトニック大学付属インスマウス高校ですか。高校や大学で、どのような研究をしてたか……

それは持ってきてないと。分かりました。すいませんが、ご主人の部屋に入らせていただきたく……あ、いえ、犯罪の証拠ではなく、彼が本来は無実なんだと証明したいので。研究資料とか、大学時代のものを自分の部屋に置いてると思うんですよ」


警察関係者ではないという事を話すと、気を許してくれたのか、ターゲットの自室の鍵を開けてくれる。


「あの、これは合鍵でして。いつもは神経質なくらい、他人が部屋に入るのを嫌うんです、あの人」


そうだろな。


「大丈夫です。ただし、危険な物があるのかも知れませんので、入るのは自分だけということで。ご家族の方々は、扉の外で待っていてください」


ギィ、という重々しい音と共に、ドアが開く。

この部屋のドアだけが、中世の欧米にあったような大きな重いドアに付け替えられていた。

俺は、ためらわずに中に入ると、ドアを閉める。

ターゲットは外出中だと聞いているので、家探しは簡単だ。


大きな樫材の机の、一番大きな引き出しに鍵がかかっていたが、そんなもの初期のピッキングで簡単に外れる。

中に入っていたのは、大学時代の資料だろうか。

邪神のいくつかに関する、英語が堪能ならば悍ましいと感じるだろう文章が並んでいる資料やレポートがいくつか。

実家が金満家だと聞いていたが、こいつはヨーロッパ旅行すら何度もやっていたようで、イギリスやイタリアの僻地から出土したと見られる、見るのも悍ましいレリーフが刻まれた太古の守り石のようなもの、石碑を拓本したのか、こいつも悍ましいシーンを浮き彫りにしている絵がいくつか。


しかし、俺の目当ては違う。

こんなものは奴の研究資料に過ぎない。

こんな事態になった原因があるはず。


俺は、空気を嗅ぎ分けながら、壁を見ていく。

ん?! 

この書架、他とは違わないか? 

並びもおかしい。

よくよく見れば、一冊だけ手垢に塗れているような……

その一冊を引き出す。


当たり。

ダミー本で、そいつを引くと、隠し棚が現れる。

欧米の大きな屋敷なら隠し部屋なんだろうが、ここは日本。

隠し棚でも大したもんだ。


見つけた。

今回の事案、というか事件というか、その大元を握る書類。

そうか、こいつが主犯か。


「分かりました。ご主人は、もう亡くなっていますね。ご主人の遺体を、中にいる何かが操ってると思われます」


俺は、奴の家族に正直なことを話す。

死んだのは確定。

今はもう、ゾンビのごとく、死体が操られていることも包み隠さずに話す。


「分かりました。もう、死体で良いから、あの人を戻してやってください。別のものに操られて生き返るなんて、あまりに酷いです」


「承知しました。では、ここにサインを。ご主人が死体に戻っても、こちらに非はないという確約書です。そうしないと、警察や弁護士がうるさいので」


「そうですよね、こんなこと普通は信じられませんもの。これでよろしいですか?」


「ありがとうございます。では、今からご主人を、いや、ご主人の遺体を取り戻してきます」


お願いします、という声を背に、俺は家を辞する。

奴の居所は、だいたい見当がついている。


いた。

被害者女性のストーカー、まだやってたか。

まあ、仕方がない。

死んだ時の執念のようなものに縛られやすいと書いてあったからな、あの本には。


俺は、さも偶然に会ったかのように、男を遮る。

危ないねぇ、今から女性に刃物持って突撃しようとしてただろ。


「おや? 偶然ですね、**さん。いや、こういったほうが良いかな? 邪神シアエガの一部である、触手さん、と」


男の足が、ピタリと止まる。

不自由な口を無理やり開いたように、言葉が出る。


「どこで、いつ、それを知った? それは、禁断の、知識。人間ごとき、が、知って、良い、ものでは、無い」


あ、とうとう死後硬直に勝てなくなったか。


「君の部屋だ。隠し棚の奥にあったものを読んだよ。君は、小説のダンウィッチの怪みたいなストーリーを思い浮かべたんだろうが、邪神は想像を超えて君を襲ったという事か? それでも、一時は邪神を押し留めたんだが、日本に帰国して気が緩んだのかね? 邪神の精神力に負けて、君は死んでしまった」


「ふ、ふ。よく、知って、いる、よう、だ。では、吾が、不滅、である、ことも、分かって、いる、と、思うが?」


はいはい、よーく知ってますとも。


「不滅というか、不死ね。でも、この世の依代が失われると、あなたも、この現世に留まれないはずですよね? なにしろ、触手だけじゃ、この世に留まれるだけの精神力がない」


「うむ、よく、分かって、おる、な。しかし、それ、には、少し、抜け、が、ある。それ、は、な。次、の、肉体、に、すぐ、に、乗り、移れ、ば、な!」


不意に顔の下から異様な気配が! 

直感的に後ろにのけぞる。


天を向いた俺の目に、長く伸びる一本の棒が見える。

こいつにやられたのか、俺も後輩も。


「さて、ネタがバレたな」


奴の下半身から、長い肉棒……というか、こいつが触手か。

こりゃ、男が油断するはず。

まさか、社会の窓からアッパーカットがくるなんて思いもしないよな。


手品の種がバレたのか、奴は三本の腕で攻撃してきた。

死者の硬直したパンチなど、簡単に躱せる。

問題は、触手だ。


奴、邪神シアエガの触手は、次の操り対象に俺を選んだようで、なるだけ傷つけないように、しかし、しっかりと命は狙ってくる。

具体的に言うと、触手の先端を平にして拳にしたようなパンチではなく、触手の先端を尖らせて心臓を突いてくるってわけ。


しかしね。

そんな、来るところが分かってる必殺技なんぞ……


「ほぃっ! と。捕まえた」


「何をする! 放せ、放さぬか!」


おお、のっぺりとしてる触手が、死体よりも流暢に話すか。


「いーや。邪神の一部は、本体に戻りな!」


掴んだ触手を引っ張る、全力で。


ばり、べり、ぶち。

嫌な音を立てて、触手が死体から引き剥がされる。

服も一緒に破れたが、もうそんな事は、かまってられない。

逸物のあるべき箇所から、心臓部まで一気に引き裂かれて、触手は死体から離れる。


「惜しかった……もう少しだったのに。こいつを利用して、本体を招くはずだったのに……」


「そんなこと、他の神々が許すはずが無いだろ、バカが。もう少し考えろ。やっぱ触手だけでは知恵が回らねぇか」


「そ、そんな! お前は、まさか……」


触手は消えていった。

この死闘は、周りの人間達には見えていない。

こういう、闇の戦いとは、普通の人間には見えない角度の中で行われる。

あの触手も、俺が声をかけた時点で、このポイントが三次元から切り離されたものだと気づくべきだったな。

そうすりゃ、もう少しは生きていられたものを。

俺は携帯電話を取り出す。


「あ、所長ですか。はい、ストーカー野郎の事件は終了です。はい、最後は乗り移ってた奴との戦いになりましたが、仕留めましたよ。はい、周囲には気づかれていません。では、帰ります」


闇の案件や事件ばかりを扱うと、その筋では有名な探偵事務所へ、俺は戻るのだった。