太陽系裏歴史01
稲葉小僧
ここは地球を遠く離れた宇宙空間。
今、ここに存在するのは新型の火星ロケットの搭乗員三名のみ。
この報告書を書いている私は、この火星ロケット計画の一員であり隊長でもある。
新型ロケットは巨大だ。
たった三名の乗務員で正確に火星へ離着陸できるように高度な人工頭脳を搭載した宇宙船であり我々の仕事は計器の確認と地球と火星への両方へ定期連絡を入れる事が任務となる。
「パイロット君、進路と速度は如何かね? まあ、トレーニングルームで汗をかいていても足元から異常振動やらは感じられなかったんで大丈夫だとは思うが」
「あ、船長。定期的な進路確認と計器確認において異常は認められません。本宇宙船は全くもって順調に宇宙を飛んでおります」
「そうか……ところで当直は二人組のはずだが? まだ交代時間じゃないのにエンジニアの彼は何をやっているのかね?」
「はぁ……彼については、この頃、見知らぬ人影を見るという相談を受けておりまして……ここは私がいるので医療室で精神の詳細チェックを受けてこいと一時間前に送り出したところなんです」
「エンジニアが? 彼、こう言っては何だが、そんな繊細な精神の持ち主だったかね? 私の第一印象では、たった一人で新型火星ロケットに搭乗したとしても往復した後に笑ってロケットから降りてくるような奴だと思ったが?」
「はい、私も最初は、そう思いました。でも、この数週間、彼の様子が違ってきたんですよ。彼が言うには故郷に置いてきた幼馴染の彼女の姿が見えるとか……それも子供の姿で、チラッと影だけとか服の端だけが見えるそうなんですよ。で、彼女の子供の時の声がするそうなんです……「もう、いいかい? もう、いいかい?」って。彼が「まーだだよ」と言うと、フッと消えるそうなんですが」
「おいおい、なんだそれは? この最新技術の塊である新型火星ロケットの中で、それも宇宙空間で、かくれんぼだと? その子供のような人影は確認されたのかね? コンピュータ! このロケット内に、我々三人以外に生命体が確認できるか?」
少々、お待ち下さい。
と合成音声が流れる。
数秒後、
生命体は三名の他、確認出来ませんでした。
と回答が来る。
そうだろう、密航者がいるはずもなし。
「パイロット君、交代時間まで後数時間ある。私は少しエンジニアの彼と話して来ようと思う。良いだろうか?」
「あ、はい。どうせやることは交代直前に地球と火星への定期連絡だけですから。地球を発ってから今日で二ヶ月、精神が参っているのかも知れませんので、彼の話を聞いてやってくれませんか、船長」
「ああ、そのつもりだ。最低人員で構成されたトリオだからな、誰一人欠ける事なく火星へ連れて行ってやりたい」
私は操縦室を出た。
その足でメディカルルームへ向かう。
この科学技術大躍進の世に幽霊騒ぎだと?
私自身、そのような話が好きで、もう廃れてしまったメディアであるはずの紙の小説やマガジン類を収集して地球に一人住まいで巨大な書庫まで建てている事は仕事仲間でも誰一人として知るものなどいない。
ただし、そういうビブリオマニアというのはどこからか同類を嗅ぎつけるのか地球に数十名の同志はいる。
怪奇小説、ゴースト・ストーリー、とある東洋の怪談噺や、さらに変わったところでは肉体派の幽霊退治物語などという物まで収集している私でも敵わない、私の上を行く人物もおり、定期的に会合を開いては収集物のお披露目や交換会を行っているわけだ。
しかし、私自身、幽霊やゴーストなど、まるで信じない。
これは趣味だから面白がれる。
本気で怖がってしまえば、こんな物は収集できないだろう。
歩いているうち、眼の前にメディカルルームのドアが見えてくる。
宇宙船の規則としてノックなど無意味とされているため、私は問答無用でドアを開ける。
「エンジニア君、調子はどうかね。精神の詳細チェックの結果を教えてほしいんだが? 無理にとは言わんよ」
数日前に見た顔とは全く違った男の顔が、そこにあった。
なんだ?
このげっそり痩せた、頬のこけた顔は?
「あ……船長。詳細チェックは終了しております。精神的には異常は見られず、しかし、体調に不良箇所ありと出ました」
「どうした? 数日前に会った時には、あんなに元気だったじゃないか。今の君は、さしずめ昔のゴースト・ストーリーに出てくる幽霊に取り憑かれた男のような顔色だぞ」
「船長……幽霊をご存知なんですね。良かった……パイロット君だと頭っから幽霊の存在を否定して話すら聞いてくれないんです! 聞いてください、船長!」
その必死の声に、思わずうなずく私。
長い話が始まった……
要約すると、こうだった。
彼は極東のとある地域に生まれ、幼馴染の女性と共に育った。
その仲の良さは両親にも知られるところとなり、双方の両親にも公認の仲だったと。
ところが高校を出て大学に進むに当たり、彼女は理数系へ。
しかし、エンジニア志望だった彼は彼女と違う工学系の大学へ進むこととなる。
距離は離れているが二人は連絡を絶やさず、卒業して職が決まったら結婚する予定だったとのこと。
しかし……
「そうか。この新型火星ロケット計画への参加が決まった時点で彼女との結婚を中止したと……」
「いえ、中止じゃないんです。往復一年かかるんで、その後に結婚しようと延期を申し出たんです。ところが新型火星ロケット計画そのものが、あれやこれやで延期になり……」
「で、彼女の両親の方が年齢もあるんで待ちきれなかったと……」
「ええ、彼女は嫌だ嫌だと言ってたらしいんですが、とうとう両親に説き伏せられて別のやつと見合い結婚すると連絡が来たのが二年前……僕は彼女が幸せな生活してるとばかり思ってたんですけど」
「実は旦那が最低のDV野郎だったと……離婚訴訟中に話し合いの場でDV旦那に殴られて倒れたときの打ちどころが悪く、そのまま彼女は亡くなったと聞いています」
「で、数日前から幼い時の彼女らしき人影が見えるようになったと……ノイローゼか?」
「僕も、そう思いました。地球を離れて数ヶ月、その思い出が懐かしくないと言えば嘘になります……でも、声も姿も幼い時の彼女そのものなんですよ! 未だに顔は確認できてないんですが……」
「そうか……精神洗浄プログラムを受けてみることを勧める。君は、どうしても考えすぎる点がある。彼女の事も君が関われたことではないのでは? 自分を責めても仕方がないぞ」
「はい、隊長。ご心配おかけして申し訳ありません。精神洗浄プログラム、受けてみます」
それを聞いて私はメディカルルームを出た。
幽霊は気の持ちようだ。
見えないものが見えるというのは精神的に見たいと思っているからだと、どこかの学者が論説展開しているのを見たことがある。
そいつの持論によると、人間は無意識の段階で自分が見たいもの、聞きたいと思うものを、そこになくとも見る、聞くことが出来るのだと。
他人には見えず聞こえず、しかし本人には見えて聞こえているのだそうだ。
操縦室に戻るとパイロット君がいる。
「待たせたね。エンジニア君と話してきたが精神的に参っているようで。精神洗浄プログラムを受けろとアドバイスするくらいしかできなかった。数日だが当直を一人にしよう。今から交代だ。君は休憩に入りたまえ、当直は私が担当する」
パイロット君は不満そうだったが、仕方がないという顔で自分の部屋へ戻っていった。
数日後。
「船長、おはようございます。精神洗浄、やってみるもんですね。すっきり爽やか、悩みも吹き飛んだようです」
エンジニア君の挨拶だ。
なんとか不調から立ち直ったようで。
「怪しい人影は見なくなったと?」
と聞いたら意外な返答が。
「いいえ、以前より頻繁に見ますね。でも、いいんです。自分で納得してますんで」
納得している?
疑問を口にする前に、エンジニア君は立ち去る。
それからも、表情は明るかったが何か諦めのような、自分の未来を知っているような、そんな表情が笑顔の裏に張り付いているように見えた。
そして、ついに火星到着が数日後となった時、それは起きた。
「船長、ひと足お先に、いかせてもらいます」
エンジニア君が、そう言ってくる。
「何を言ってる? もうすぐ火星だぞ。君の目標だったんじゃないのか、この新型ロケットで火星に来ることは」
私がそう言うと彼は寂しそうに、
「目前の火星を見られて、もう満足ですよ。船長やパイロット君と違い私の身体は特別製なんです。あ、呼んでますので、これで……」
「おい……」
ちょっと待ち給え!
と言おうとして彼を追いかけ、通路を曲がった彼の肩を……
「あれ? いない……コンピュータ! エンジニア君の足跡を表示しろ!」
数秒経たぬうちに、現在の居場所と数秒前からの彼の行動軌跡が表示される。
「な……自室にいるだと? それじゃ、たった今、私と話してた彼は一体……」
非番のパイロット君も起こして、エンジニア君の部屋へ行く。
「……死亡してますね。昨晩、心臓発作でも起きたのではないかと推測されます」
昨晩、倒れたのなら数分前に私が話したのは……
目の端に子供の男女が手をつないで歩いているような人影が……
まさか。
亡くなったエンジニア君は特別だった。
彼はサイボーグだったが脳は大半が生身のままだった。
私とパイロット君はアンドロイドである。
生体部品で造られているが基本的にはロボットと呼ばれる。
夢も見ないし恋や愛など無縁。
「さて、後数日だ。それが終われば我々の記憶はリフレッシュされ、また別の任務につくこととなる。人間とは不都合の塊だな。我々のように記憶を消したり上書きしたり出来ないとはな」
火星基地へ報告を入れた我々は、この部屋を封鎖し、任務を再開するのだった。