寿命を教えてもらえたら
糸井翼
アプリからの通知が来た。毎週土曜日、この時間に来る、私の最新の寿命データの連絡。今週は残業が多かったせいか、少し先週よりも死亡予定日が早まっていた。
「ねえ、いつだった?」
母がこの結果を聞きに来るのも毎週恒例。ため息をついてスマホの画面を見せる。
「あら、短くなっている。働きすぎだよ。」
「知っているよ。仕事辞めてもいいなら長生きするだろうなあ。」
個人番号とアプリでなんでも管理される時代。毎日の睡眠時間や心拍数などの状態を記録され、AIによる寿命がアプリで報告されるようになった。その結果、予言の自己破壊的性質というやつで、生活の質が落ちたときに寿命が短く示されると、みんな健康に気を遣い、世の中的にはどんどん寿命は延びていった。
とはいえ、それは生活がある程度自由度がある人だからできることであって、私のように仕事して休みの日は寝ているだけの人間にはどうしようもない。忙しい時は文字通り命を削って仕事をしないといけないし、年次が上がれば求められる仕事のレベルも上がり、また忙しくなっていくのだから、こんな数字は気にしていても意味がない。
私の職場に、厚生局の職員とそのアプリ運営の会社の担当者が来た。実証事業を行うにあたり、地域に根差した食品会社であるこの会社に白羽の矢が立ったのだそうだ。この地域住民の寿命データを私の会社と共有し、余命が短くなっている人に健康に良い食品を案内することで、行政的には地域の魅力を高め、私の会社は地域貢献をしてさらに儲かる、そうしてお互いにウィンウィンとなれないか、という事業だ。
私の感覚では、利益誘導につながるし、そんなことを民間事業者がやってよいのか、という気もするが、人の役に立つなら、まあ悪いことではない。それくらいの気持ちで見ていると、上司から打ち合わせの場で言われた。
「君、本件のセキュリティを担当して。」
「え、私ですか?」
突然の指名に驚いた。また忙しくなる。地域の人の健康は気にするが、働いている私の健康に配慮はないのか。
「悪いんだけど、個人情報をいっぱい扱うから、ある程度仕事をできる人を配置しないといけないでしょ。うちの課はさ、ね、わかるでしょ。」
うちの課の職員は非常勤職員と出向者ばかりで、常勤職員でかつ役職もない、使いやすい私を使い倒すつもりだ。状況は理解している。そして、断れるわけではないことも知っている。
「承知しました。」
「持っている仕事は、任せられるなら非常勤さんに降ろしておいてね。」
できるならとっくにしています。あの人たちのクオリティでは私が持っている仕事はできないんです。残念ながら。
膨大な個人情報を見ることができる立場だからと言って、何でもできるわけではない。セキュリティレベルを上げてデータを管理する必要があるから、そこら辺の手続きを進めるだけ。
しかし、まさに個人情報、人の生のデータがここまで大量に集計されていると思うと、このスマホからどれだけの情報が回収されているのか、と怖くなる。ぼんやり名前を見ていると、聞いたことのある名前が多い。これは、私の小学生の頃の同級生、それに町内会でお世話になっていた人たち。今は関わらなくなった懐かしい地元の名前が続いている。記載されている住所を見ると、どうやらこのデータは、どうやらちょうど私の住んでいる地域の人のデータのようだ。
私の名前があった。そして、その上に私の母親…
「えっ…」
何かの間違いではないか。少し上に、母と私と別れた父の名前がある。住所が近い。別れて以来、一度も会ったことはないのに、こんなに近くに住んでいたのか。そして…、余命が異常に短い。次の私の誕生日が11月20日、その前日の19日が父の死亡の予定日。
列の後ろのデータを見てみる。数値が悪い。データの見方が完全にわかるわけではないし、医学の知識もない。そんな私でも、体調が悪いことは明らかだ。
周囲をさっと見回す。誰も私の方は見ていない。住所を急いでメモしてしまう。何も手に着かず、ふわふわした気持ちになりながら、それでも急いで仕事を進めた。今日は一刻も早く退勤したい気持ちだ。
ほぼ定時で退勤するのは、職場の飲み会でもない限りしないことで、家にこんなに早く帰ることはいつ以来なんだろうか。まだ日が沈み切らないこの時間に私が帰ってきたことに、母は明らかに驚いていた。
「今日は早いね。何かあったの?」
「聞きたいことがあるんだけど」
「怖い顔して、どうした?」
「お父さんのこと。」
母の顔がこわばる。もしかして、近くに住んでいたことも、病気らしいことも知っていたのだろうか。
「お父さんがどうしたの?」
「この近くに住んでいること、知っていた?」
「…この前、私も見かけた。」
「会って、話とかした?」
「いや、雰囲気が少し変わっていて、声をかけられなかったかな。すごく疲れていた感じで。」
どこまで本当なのか、その表情からはわからない。ただ、すごく気まずそう。この話を続けたくなさそう。でも、ここで話さないでよいのか、と思うから続ける。
「まだ、何か話したい、とか、思う?」
「まあ…時間が経ったしね、話したいことがないわけじゃないけれど。」
もたもたしていたら間に合わない。もしあのデータが本当なら、20日に死んでしまうのだから。そこまで死期が近い場合、AIの数値はかなり高い確率で当たると聞いたことがある。
機密情報をメモして母に渡すなんて、そんなことをしたら、本当は犯罪ものだと思う。だけど、これは何かの導きだと思った。
「これ。」
住所を書いたメモを破って渡す。
「え?」
「お父さんの住所。一緒に明日行こう。」
「なんで? それに、明日? 早すぎるよ。」
「もう間に合わないかもしれないから!」
思わず大きな声を出した。私の思いが、緊迫した気持ちがどこまで伝わったかわからない。母は黙って、メモをじっと見る。
「そんなに言うなら、まずはあなたが会ってきて。もし、あの人が、私に会いたい、と思っているなら、私も行くから。」
「お母さん、それでいいの?」
「いいの。」
それ以上、私は何も言えない。
父に会うため、今日は早退する。時間休取得のための手続きを済ませて、仕事を進める。仕事が増えたのに、父のことで頭がいっぱいで仕事にならない。その上、今日は早く帰るとなると、一連のことが終わった後が思いやられる。さらに面倒なことに、今日はアプリの運営事業者と打ち合わせをしないといけない。正直、時間をとられたくない。
「アプリ担当の佐藤です。よろしくお願いいたします。」
佐藤は人のよさそうな、可愛らしい男性だった。アプリの実績や仕組みについて説明しだす。
「この寿命については、健康状態などからのAIの予測ですから、日々刻刻変化します。ただし、ご病気等の場合で、病院からのデータをいただいていることもございまして、1か月、2か月後、となると、そのほかの要因がない限りはほぼ100%、お亡くなりになる日がわかります。なので、死に目に会えない、なんてことは、もう過去の話となったわけです。」
人の死ぬ日がわかるなんて、まるで地獄の閻魔帳だ。それを実績として語られると、正直不気味な気持ちだ。まして、身近な父親がもうすぐ死ぬと言われているのだから。
説明が終わり、打ち合わせのあと、佐藤さんと少し二人きりになる時間ができた。やや長めの沈黙のあと、佐藤さんの方から私に声をかけてきた。
「正直、このデータを扱うの、プレッシャ―ないですか? セキュリティご担当されるんですよね。」
「そうですね。」
私は何の意味のない返答をした。佐藤さんは続ける。
「僕も、正直今でもプレッシャーすごいです。人の寿命の管理なんて。」
「でも、これで余命が延びているんですよね。すごいと思います。」
「以前、このデータの数字をうっかり触ってしまった人がいまして。」
「え、それってうっかりでは済まないですよね。」
「いや、本当にそうです。僕じゃないですよ。そういう人がいて、怖いな、と思いましたよ。めちゃめちゃ急に数値が悪い表示とかになったら、大変ですしね。」
ふと、大学で聞いた、予言の自己破壊の話を思い出した。予言にはその逆の効果もあるのだ。
「予言の自己成就」
「え?」
「予言の自己成就説。例えば、この銀行が潰れそう、って噂が立つと、潰れないはずの銀行も、顧客の信頼を失って潰れてしまう、みたいな話です。他にも、プラセボ効果、みたいなものも近いかもしれません。」
「ああ、そういう話ありますね。」
「すぐ死ぬ、寿命が短い、なんて通知が来たら、本当に死んでしまうのではないですか。病気で亡くなる場合なら、数日前なら外さないんでしょう?」
私の言葉に、佐藤さんは一瞬言葉を失う。余計なことを言ってしまった、と思っているのかもしれない。なんでこんなに怒っているのか、自分でもよくわからない。彼が悪いわけではないのだけれど。こんなアプリ、やはり害悪でしかない気がしてきた。
「もしかして、死亡宣告が当たるのは、それを見て予言が成就しているからなんじゃないですか?」
「もっと自然科学的なことです。それに、もし、それがあなたの言う通りなら、ですよ? 常に寿命を1年長く表示すれば、みんな長生きするはずでしょう?」
佐藤さんの言うことはもっともだ。もっともで…もしかして、それはその通りなのではないだろうか。自然科学的ではないとしても、人の心と体のつながりってそれだけでは説明ができないのではないのか。
「だったら、試してみましょうか。」
「え? データに触ることなんてできませんし、しませんよ。まさか、やろうと思っておられるわけじゃないでしょ?」
佐藤さんが本当に焦ってきたところで、上司が部屋にやってきた。この話は終了。
私はデータを触ることなんてもちろんしないし、できない。むしろ、これは当たらない、ということを示したい。
父の住所として記載のあったアパートの部屋。古びたドアには表札の名前なんてない。裏に回ってみた。父の部屋であろう窓が見える。電気がついている。中にいるはず。顔が見えればいいのに。換気のために一瞬窓を開けるとか。
窓をじろじろ見ながら、こんな場所でうろうろしているのは相当不審なので、再び部屋のドアの前に戻った。インターホンを鳴らすとして、何て言ったらよいのだろうか。外で見かけた、とか? あるいは、もし何かの間違いで、全然知らない人が住んでいたとしたら。そもそも覚えていないとしたら。頭の中でシミュレーションをして、シミュレーションをして…。
「ふう…」
大きく息を吐いて、決心をつけた。インターホンに手を伸ばす。ボタンを、押す。
出なければ良い、なんて少し思う。私は何をしに来てしまったのだろう。
「はい」
声がする。最後に会ったのはいつだっけ。こんな声だったっけ。機械を通してでは、もうわからない。
「あの、高橋そらと言います。失礼ですが、青山田さんのお部屋でしょうか」
ドアが開いた。くたびれた様子の男が出てきた。確かに、この人だった、と思う。でも、感動とかなつかしさ、というよりは、どうしたら良いのかわからない気持ちが強くなっていく。
「そら、どうして…」
色々な返答のシミュレーションをしたのが、頭から抜けていった。ただ、伝えたいことを伝えるしかない。
「話したいことがあります。中に入っても…」
「あ、ああ…」
小さな部屋には、ほとんど物がなくて、死ぬ支度を済ませたのかな、と思わざるを得なかった。それだけ余命が短くなっているのだから、自覚症状もあるのだろう。今も苦しいのだろうか。
何を言えばよいのかわからないし、何か聞かれても正直困る。用件だけ一気に言うしかできない。
「お母さんと会いたくないですか。」
「今さら会えないよ。」
「どうして…どうして別れたんですか。私とお母さんは…」
うまく言葉をつなげず、変な沈黙が続く。父は大きく息をついて、穏やかな表情を見せた。
「すっかり大きくなったよな、そら。会えて嬉しいよ。最期に神様からのプレゼントかもしれないな。」
最期に、なんて言わないでほしい。たとえ、何年も会っていなくても、私のお父さんなのだから。
急に忘れていた記憶を色々思い出してきた。私がまだ小さい頃の、もっと純粋な頃。家族三人の頃の思い出。思い出される記憶の中では父も母も、そして私も笑っていた。父がいつからか帰ってこなくなってしまったときの、とてつもない辛さもまたよみがえってきた。
「ふとしたことで、こっちに戻ってきたのが正解だったよ。」
ふとしたこと、なんて言うけれど、体調が悪いから、死ぬのが近いからここに戻ってきたのではないか。そして、私や母に会いたいと思ってくれていたからなのではないか。
「別れた理由、お母さんから聞いていないのかい?」
「はい。」
「私の会社が不正を起こして、警察沙汰になってしまったんだ。私が何かしたわけではなかったんだが、そういう雰囲気ではなくて。それで、このまま一緒にいるとそらとかお母さんに迷惑をかけてしまうから、ということで、私の方から別れようと伝えた。私の自己満足というか、勝手な判断で、苦労をかけてしまったのなら、本当に申し訳ない。」
「全然知らなかった。てっきり、私…」
私たちは捨てられたのだと思っていた。小さい頃は突然父がいなくなって、理解が追い付かなかったから。
「だったら、お父さんは悪いことをしていないなら、お母さんに会って。お願いします。」
間に合わなかったら、きっと二人とも後悔する。
「しかし…もうね、今さら…」
「11月20日って、何の日か覚えていますか。」
「えっ」
父は少し驚いたような表情を見せた。
「私の誕生日です。」
「ああ、覚えているよ。あと少しか。一週間後だったね、おめでとう。」
「お母さんと会ってください。私の誕生日に。お願いします。私たち、お父さんと別れる前のアパートに今も住んでいます。必ず来てください。」
「…いや、しかし、彼女は会いたくないんじゃないかな。それに、もっと悲しませてしまうような気がするというか…」
父は歯切れが悪い。でも、ここで押し切らないといけない。もちろん、私がアプリのデータを覗いてしまったことは言えないけれど。それでも。
「18時に来てください。待っています。ご馳走を用意しておきますから。」
にこりとして、もう返事を聞かずに部屋を去った。
仕事を早く切り上げて、大量のパーティーオードブルとお寿司にケーキまで買ってきた私に、母は驚いた顔をした。時計を見ると17時50分。間に合った。
「そんなに食べられないでしょ。どうしたの。誰か家に呼ぶなら事前に教えてくれないと準備ができないでしょ。」
「私の誕生日だからいいの。これは家族で食べるんだよ。」
「何がいいのよ…」
時計の針を眺めつつ、そわそわして、でも、きっと来てくれると信じている。
18時、1分、2分、3分…
「時間を気にして、どうしたの? やっぱり誰か呼んだの? 掃除した方が良いかな?」
母は困ったように大量のオードブルを皿に分けている。
15分。やはりだめだったのか。死亡予定日は覆らなかったのか。こんなことなら、母を傷つけるだけだから、せめて父の家でどうだったか確認してから来ればよかった。こんな機械の示す死亡予定なんて、きっと外れると、外せると思っていたのに…。
「…食べようかな。」
母に悟られないように、ぎこちない微妙な笑みを浮かべて、お皿を準備しよう…。
「ピンポンピンポン」
チャイム。急いでドアを開けに行く。
父がそこに立っていた。前に会いに行った時よりもいくらか元気そうに見える。しっかりした服装をしているからか、それとも、何か今日という日の力か。
「お誕生日おめでとう。そら。」
奥から、母が歩いてくる音がする。
「あ、なんで…」
「久しぶりだな…突然すまない。」
喜びとか、怒りとか、そんなことでまとめられる感情ではないと思う。色々な感情が混じった沈黙が起きたけれども、私はきっとこれでよかったと思うから、にっこりしながら、沈黙を破った。
「中に入って。ご飯がいっぱいあるから。二人で食べきれないもんね、お母さん。」
「あなたの仕業なのね…。」
「いいでしょ、そんなの。」
「そら、君には感謝しているよ。」
父は小さなブーケを私に手渡してくれた。
結局、父はその2週間ほど後に亡くなった。後でこっそり確認したところ、私に会った後、数値が急激に良くなり、余命が延びたようだ。
たかが二週間、されど二週間。父が生きることができたその二週間は、私たち家族にとって、さりげないけれど本当に得難い幸せな時間だった。
だから私は、このデータを扱う仕事を続けないといけない。他にもこんな得難い時間を掴める人がたくさん出てくるように。