バーチャライズド・ガール
ヴィンセント・オーマー / 白田英雄
「えっと、橘明日香さん、それじゃあ、決まり文句になっちゃうけど、どうしてここを志望したのかな?」
普通に考えたらものすごく変な面接だ。
だって目の前にいるのは、いや「ある」のはアニメのキャラクターのような少女が表示されたタブレットと、 その他にそのすぐ横に静かに立ってる女性だけなのだから。
「はい、バーチャル・プレイヤーに以前からあこがれていましたし、少しでもその世界に関わる仕事をしたかったというのもありますが、 いずれは自分もバーチャル・プレイヤーをやってみたいと思ったからです。
「ほほう?」
画面の中の少女は目をきらりんとさせて、存在しない眼鏡のつるを持つような仕草をして見せた。
正直、こんな面接は想定外だ。
何の変なテストなんだろ。中の人が出てくるんじゃなくて、 配信のままの姿でタブレットの画面からこちらを見上げてくるその存在にボクは頭をかかえそうになるのを必死に思い留まっていた。
「それは重要な点ですね。私のとこの事務所はたくさんのVプレイヤーをかかえてますものね。」
少女はうーん、と悩むような仕草をしてからおもむろにボクを指差した。
「うん、けってい。シズカちゃんもいいよね?」
シズカちゃんというような歳でもないよね。彼女は傍らの女性マネージャーの方を向いていたんだけど、 タブレットのカメラがついて無い横の方がどうして見えるんだろうと、 思わずマネージャーさんとは反対側の壁の方を見てしまった。どっかに隠しカメラでもあるんだろうか。
「はい、それじゃ橘さんは今日から私のマネージャーね。アスカちゃんって呼んでいいかな? 私のこともカオルちゃんって呼んでね。」
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりマネージャーなんですか? いえ、確かにアラタ・カオルのスタッフ募集ということで来ましたけど……」
「カ・オ・ルちゃん」
少女、いや、アラタ・カオルちゃんは指をちっちっちっち、と振ってみせた。
「カオル、ちゃん?」
カオルちゃんは大袈裟にうなずいてからにっとしてみせた。
「そう、よくできました! ん、とね、このマネージャーのシズカちゃんがね、 どうしても都合でやめなくちゃならなくなったものだから、新しいマネージャーさんを探してたのよ。やっぱりあれ? この業界に少しでも興味や理解がある人の方がいいじゃない? いつか私たちと同じVプレイヤーになりたいっていうのは大きいかな」
それよりも、なんだか笑いをこらえてるみたいだけどさっきからだんまりの、このシズカというマネージャーさんが不気味なんだけど。
「はい、それじゃあ、これからよろしくっ」
正直、この仕事をなめていたんだなと今になって思う。
まぁ、なにせあのバーチャル・プレイヤーのリーダー的存在、アラタ・カオルのマネージャーだ。仕事がいっぱいあることは覚悟してるつもりだった。
でも、違ったんだよね。
彼女、カオルちゃん(そう呼ばないとまたおこられるので)は徹底して人前に中の人が出てこない。
自らをスーパーAIと呼んでるカオルちゃんだけど、あたりまえながらバーチャル・プレイヤーには中の人、 つまり声やモーションを担当するための人がいる。ところが、このカオルちゃんはその中の人の存在を全く感じさせないんだ。 それどころか、バーチャル・プレイヤーの動画を撮影するためのスタッフそのものが見当らない。 マネージャーという名の雑用係に任じられたボクにわからないようにしてるだけなのかもしれないけど、 ここまで人の気配がしないというのも、不思議を通り越して不自然なほどだと思う。 前マネージャーをやっていたというシズカさんも同じ感じだったんだろうか?
バーチャル・プレイヤーと今呼ばれてる存在は、以前は動画を配信する媒体の名前にちなんだ呼び名があったんだけど、 今は決まった媒体だけではなくて色んな方法で配信を行ってるのでいつのまにかそう呼ばれるようになったんだそうだ。
最初にバーチャル・プレイヤーという言い方をはじめたといわれてるのが、ボクが担当してるアラタ・カオル。
彼女は動画配信だけじゃなくて、元々、今ボクが運んでるようにタブレットを使ってあちこちに出現して、 直接視聴者たちと交流を積極的に行ってることでも有名。
ここまで徹底的にフットワークが軽くてバーチャルをつらぬいてる人は他にいなくて、 そんなこともあって彼女はパイオニアとも呼ばれるし、他のプレイヤーたちからも尊敬の眼差しで見られている。
でも、そのことはマネージャーにやたら大きな負担を強いることになるんだよね。
姿が見えない動画スタッフなり運営の人は何もやってくれないから、アラタ・カオルのスケジューリングから、 様々なイベントや番組の担当の人との折衝、果ては今やってるように彼女の「本体」の運搬まで全部ボクがやらないといけない。
タブレットのバッテリーの管理も大事なお仕事。
一度、彼女のバッテリー(いつのまにか「彼女の」なんて呼ぶようになっちゃった……)が切れかけて大騒ぎになったことがあるほどだ。 タブレットの電源が切れると周囲の人たちとの接触が一切できなくなるんだ、って彼女は言っていた。
他のVプレイヤーさんとのコラボの仕方もボクが思っていたのとは全然違っていて、 アラタ・カオルは必ずそのコラボ先の撮影現場へ直接足(実際はタブレットを運んでるボクの足だけど)を運ぶ。 コラボするVプレイヤーさんの中の人が演じてる姿が映ってるモニターのPCに直接タブレットをつなぐと、 彼女は「インストール」と言ってそのPCの中に「転送」される。 どういう仕組みで動いてるのかは相手のスタッフさんもボクもわからないんだけど、 彼女は直接その画面の中のVプレイヤーさんたちとやりとりしてるように動いてる。 今だに中の人の動きを完全にリアルタイムで反映するだけの技術はできてないらしいんだけど、 アラタ・カオルはコラボ相手のプレイヤーさんたちよりも必ず自然な動きをしてる、というのが業界でも謎となっている現象らしい。
シロウトのボクにだって、こんな他よりも進んだ動きをする存在をタブレットの外から遠隔で操作するためには よっぽどの回線の太さがないといけないことぐらいわかる。 でも、その割にはボクのスマホのアンテナの本数が少ないときでも彼女の様子は変わらないし、 彼女は必ずタブレットのこちらがわのボクらの目をしっかりと見て話をする。
さすがに最初の面接のときにあったみたいにタブレットのカメラの死角の方を見て話すようなことはあのあと一回もなかったけど、 カオルちゃんの言うには、あれはボクに対するデモンストレーションみたいなものだ、ということだった。
これはナイショなんだけど、実は以前はアラタ・カオルの配信をそんなに多く見たことはなかったんだよね。 そんなわけで仕事でいっしょすることになった人たちの言う、アラタ・カオルの性格がなんか以前とちょっと変わったという話に実感は持てなかった。 気になるのは彼女の性格が変わったとされるのはボクがマネージャーをはじめたあたりだということ。 一度はネット界隈でも心無い噂がたくさん立ったらしい。
それでも彼女は今も他のVプレイヤーを寄せつけないほどの人気があるんだよね。
「なんか違うんだよね」
カオルちゃんが突然そんなことを言いはじめたのは、ボクの部屋でポテチを食べながら彼女とだべっているときのことだった。
なんでもカオルちゃんの話では、マネージャーとカオルちゃんは一心同体だから常に行動を共にしないといけないということで、 こうして彼女のタブレットをボクのアパートの部屋まで運ばなければいけないことになってる。 一体、中の人はその間どうやってすごしてるんだろうか、というのは個人的な謎。 というか、このことは業界の誰も知らないこと。 動画スタッフは知ってるんだろうけど。多分。
「違うって何が?」
思いあたることが何もないんだよね。
「う~ん。これっていうのはないんだけど。なんっかやりたかったことと違うかなって」
「お仕事の内容が思ってることと違うっていうことなのかな?」
「そうだね、よくわかんないや」
そうか、がんばってやってるつもりだったけど、ボクが取ってくる仕事は彼女を満足させることができるほどのものじゃなかったみたいだ。
このごろはもう、この仕事にやりがいも誇りも持てるようになってきていたけど、 それだけじゃパイオニアたるアラタ・カオルのチャレンジ精神を満足させることはできなかったわけだ。
次の日からボクは何倍もがんばって彼女の仕事を取ってくるように休む時間も惜しんでがんばった。
でも心無しか彼女の表情は段々と曇ってきてるように思えた。
もっとがんばらないと。
そしてある日ボクは自分の部屋を出ようとしたところでふっと目の前が真っ暗になって意識を失ってしまった。
目を覚ますとまわりは白一色の世界だった。
まだ夢の中にいるの?
でも何かおかしい。
「あ、起きたみたいね」
なんか遠くのような近くのようなところから声が聞こえた。
突然白い世界の一角に大きな窓が開いて外の世界が見渡せるようになった。
そしてその窓から覗き込んでいるのは。
ボクだった。
「そろそろこの世界にも飽きちゃってきてたのよねー」
ボクの顔をしたその人はボクとは違う口調でそう話した。
ボクは自分の手を見てみた。そこには画面の中で見知ったものが映っていた。
ボクはもう一度窓の外のボクの顔を見上げた。
「……もしかしてカオルちゃん?」
ボクは、よく見慣れた、とてもボクとは思えない無邪気な笑顔で首を横に振った。
「ううん。今はアスカちゃんよ、アラタ・カオルちゃん?」
語尾が微妙に上がり加減になるその言い回しは確かにアラタ・カオルだ。何故だかわからないけどボクの中に彼女がいる?
「本当はちゃんと目標をクリアしないといけないって聞いたんだけど、どっかで知らないうちに達成しちゃってたんだ?」
「しちゃったんだって、一体……」
そこでボクははっと思い出した。ボクがマネージャーをはじめたあたりからアラタ・カオルの性格が少し変わったという噂を。
「もしかして、ボクの前にマネージャーやってたのって……」
「うん、そうだよ。前にアラタ・カオルやってた人。私も軽い気持ちでマネージャーの仕事引き受けたんだったけどねー」
これでわかった。いや、わからないけどわかった。
はなからアラタ・カオルの中の人なんていなかったんだ。
アラタ・カオルは「この」タブレットの中にしかいない人だったんだ。
動画スタッフなんていない。
何故ならばアラタ・カオルは動画なんかじゃないからだ。
タブレットの中にしかいないから、リアルに直接関係することはできない。
だから代わりにリアルに働きかけるためのマネージャーが必要だったんだ。
「でも、何故?」
「う~ん。何故なのかは私にもわからないのよね。前のアラタ・カオルの人に聞いた話だと、 最初のアラタ・カオルは別のVプレイヤーだったしいんだけど、 ある時突然マネージャーさんと入れ替わっちゃってリアルの世界に行っちゃったんだって。 それから何代にもわたって私たちはアラタ・カオルとして活動してきたのよ」
そんな。それじゃあ。
「うん、今から君があらたなアラタ・カオルね。次のマネージャーを選ぶところまではちゃんと面倒は見るわよ。 今まで散々お世話になっちゃったものね?」
どうもー、アラタ・カオルです!
今日はみなさんにちょっとお報せです。
最近ちょっとマンネリになってきちゃったと思ったんだよね。
だから今からちょっとイメージチェンジしちゃいます。
そうね。とりあえず私って言い方を変えてみようか。
それじゃ、今からボクがアラタ・カオルですー。