異世界転性少女
ヴィンセント・オーマー / 白田英雄
彼が目を覚ましたのは森の中だった。
空気が澄んでちょっと冷たい感じがする。
ゆっくりと起き上がった彼は、頭が少し引っぱられるような気がした。
ぼんやりとした頭をひと振りして、彼は自分の髪がいつのまにか長く伸びてしまっていることに気付いた。しかも細くさらさらとした銀髪だ。
はっとして粗い繊維で編まれた布で作られた貫頭衣からのぞいている手足を見ると、記憶よりも華奢で白っぽいピンク色をしている。
どうにもここで倒れている前の記憶がよくわからない。
学校に登校してる途中だったような気がするが確証はない。
どっこいしょと立ち上がった彼は、またすぐに腰をついた。
獣の皮を身に纏った何人かの巨人が彼のことを見下ろしていたのだ。
巨人、だと思う。
なにせぱっと見、彼よりも頭二つ分は高いのだ。
彼は平均よりもちょっと高めの身長だったので、男たちはかなり背が高いということになる。
男たちはがっしりとした顔付きで、黒い入れ墨を顔や体にしていた。
ここが日本じゃないのは確かだ。
いや、世界中を見渡してもこんな人達がいるという話を聞いたことがない。
ということはここは異世界かなにかなのだろうか。
男たちは狩りをしてたわけではなさそうで、草かなにかを編んだ籠に木の実を入れて持っていた。
彼らはにっこり笑うと彼のことを手招きした。ついて来いということらしい。
このままここにいてもどうしようもないし、他に行くあてもない。それに彼らの様子から彼を攻撃するような意図は無いように思えた。
彼はうなずいて彼らのあとに付いて行くことにした。頭が重く感じられるのは、慣れない地面で寝ていたせいだけではなさそうだ。 歩くたびに長い髪がゆらゆら揺れるのが感じられる。
彼が案内されたのは十数人が集まる小さな集落だった。
すぐにわかったことなのだが、彼らの言葉は彼には理解できなかったし、彼の言葉も彼らには通じなかった。 なんとなくどこかで聞いたことがある気もするが、覚えの無い言葉だ。
彼らが持ち帰った木の実は留守をしていた者たちが引き取って、円錐形をした、草かなにかで屋根を作った家の中に運び込んで行った。
彼は尿意を覚えたので彼らに身振りでそのことを伝えてから木のむこうの目が届かないところをめざした。
そこで彼は驚愕の事実を知ることになった。
自分は女になってしまっていたのだ。
異世界召喚というと、時々そういうことがあるものだと、彼はラノベを読んで知っていたので、ショックを受けたけどその事実を受け入れることにした。
すると召喚した神官のような人が彼らの中にいるのだろうか?
とてもそうは見えなかったが………。
しばらく彼らといっしょにすごすうちに、彼らはやたら大きい図体をしてる割に、 おそらく木の実をつぶして焼くかなにかしたみたいな塊が主食みたいだった。 よくそれだけで腹を満たせるものだ。女になってしまった彼女(彼)には丁度良い量みたいだったが。
ごくたまに外から魚が運ばれてくることもあった。 魚はごちそうの部類だったが、彼女(彼)は木の実の焼き物も色々な味付けがされていて結構おいしいと思った。
村の人たちは彼女(彼)に手を出すことなかった。どちらかというと村には若者が多いような気がしたが、 大抵彼らは番となっていることに彼女(彼)は気付いた。
数日たったところで、見覚えの無い男たちが村に集ってきてすぐにでかけて行った。
一昼夜ほどして彼らは猪か何かをつかまえて来た。まったく肉を食べないというわけではなさそうだ。 でも、彼女(彼)が最初想像していたように、男たちが狩りをメインにしてるわけでは無いことだけは確かなようだ。
村の男たちの狩の現場には連れていってもらえなかったが、魚を獲るところはみせてもらえた。
案外と進んだ技術を持っていて、村人たちは罠を仕掛けたり、釣り針を垂らしたりもしていた。
彼女(彼)が釣り針の材質が石なのかなんなのかわからないでいたが、 ある時村の女性が動物の骨を削ってるのを見てようやっとその正体に気づいた。
村には当然トイレのようなものは無いが、住居から少し離れたところに木のシャベルのような物で穴を掘って用を足し、 すぐに穴を土で埋めてしまうので、衛生面で問題があることは無いようだった。
場合によっては川に流してしまうこともあるようだ。
なかなか慣れることができなかったのは、彼らが下着の部類を身につけていないことだった。 彼女(彼)も粗末な布の貫頭衣以外に下着をつけていなかったのだが、 やがて用を足したあとでそのままにするのでかえって都合が良いことがわかった。結局動物といっしょなのだ。
そして、神官の類いが彼らの中にやっぱりいなかったことに軽いショックを彼女(彼)は受けていた。じゃあ、なんで彼女(彼)はここにいるんだろう。
ここでは彼女(彼)は全くの役立たずだった。彼らが持っている火をおこしたり土器から家まで作り上げるような技術はもちろん彼女(彼)には無い。
かと言って彼女(彼)の持っている知識もここでは何の役に立たないことがわかってくやしい思いをした。 彼女(彼)が文明的な生活をしていられたのは、所詮は便利な道具を買ってきたりしていたからにすぎない。 何かを作り上げることは全然できないのだ。こんなことだったら子供のころの夏休みの自由研究で役にたちそうなことをやっておけば良かった。
村の中に腹のおおきくなった女がいたのだが、数ヶ月したところで臨月をむかえたようだ。
そこで彼女(彼)は久しぶりに大きな驚きを味わうことになった。
赤子がやたらでかいのだ。
村の人たちは見る限り、人種や身長は違うけど彼女(彼)と同じ人間にしか見えなかった。
ところが赤子もでかいのだ。
彼女(彼)は気付いてしまった。
彼らがでかいのではない。彼女(彼)が小さいだけなのだ。
彼女(彼)は女になってしまっていたはずなのに胸の膨らみがほとんど無いことが少し気になっていたが、 何のことは無い、自分の体が幼く、まだ胸が大きくなってなかったからだけなのだ。彼らが彼女(彼)に手を出さないのにも理由があったわけだ。
その夜、彼女(彼)が川で水浴びをするときに、自分の胸を見てあらためて納得した。 そうか、そういうものというわけじゃないのか。
彼女(彼)は当然ながら女性の胸を直接見たことはなく、半ばこんなものなんだろうかと思い込もうとしていたのだ。 男たちの裸を見ても何とも思わないが、さすがに自分の裸体を人に晒すのは抵抗があったので、 いつも人が寝静まったあとで近くの川で彼女(彼)は汗を流していた。 川には一人で行っていたので、他の女たちのことも全然彼女(彼)は知らなかった。
それから彼女(彼)は自分の腕の流さや掌で色々な物の大きさを測ってみた。 そんなに多くのことを知らない彼女(彼)だったが、なんとなく体を使って長さを測れることぐらいは知っていた。
元の世界の物の正確な寸法はわからないが、彼らの使っている道具はそんなに巨大なものでは無かったことに彼女(彼)は気付いた。 もちろん作りが大雑把なので、全体的に大き目のサイズにはなっているが。 この道具もまた、彼らが巨人ではないかと彼女(彼)が誤解した理由のひとつでもあったのだ。
彼女(彼)がこの世界に来てから結構時間が経った。
この世界は彼女(彼)が元いた世界と同じように四季があるようで、2回ほど寒い季節を過ごしたことを彼女(彼)は記憶していた。 寒いさなか、家の中の囲炉裏の回りで暖を取ったり、草を編んだ敷物の上に寝転んだりしながらのんびりとすごすのは、 彼女(彼)にとっても思ったより楽しい経験だった。
体だけは女性に近付いてきたが、それでも元の世界で男としてすごした年月の方が女になってからよりも長い彼女(彼)は、 いまだなんとなく自分の体に違和感を感じることがあるのも事実だった。
それでも体も大きくなってきて、さすがにここに現われたときの布の貫頭衣では小さくなってきたので、 村の女のお下がりの皮の着物をもらって身に纏うことにした。
胸も心無しか少しだけ膨らんできてたような気がする。
このころになると、彼女(彼)は周囲の村から狩りなどで来る男たちに、村の人とは明らかに風貌が異なる人が混じることがあるのに気付いていた。 目がぎょろりとしてる人もいれば、細長い人もいる。 色白の人も、ほとんど褐色みたいな人もいる。この村、というかこの世界には思ったよりも色々な人種が集っているみたいだ。
髪の色や肌の色からして、今の彼女(彼)の姿は周囲の人から浮いてるのでは無いかと思っていたが、案外と彼らは気にしてないのかもしれない。 それでも、村に集まる人たちの中に彼女(彼)のように銀髪の、透けるように白い肌を持つ者はいなかったが。
他の村から移り住んできた男のひとりが彼女(彼)のことを特にかわいがってくれていた。
彼女(彼)の印象では、この村はとても平和で、いつも笑いの絶えないところだった。
こんなことがある。
魚の漁に連れて行ってもらった時、村人がやっていることの見様見真似で魚を捕まえようとした彼女(彼)は、 石に足を取られてバランスを崩してしまい水の中に尻餅をついてしまった。
村人たちが笑ったのにちょっとむっとして見せたが、何か込み上げてくるものがあって彼女(彼)もつられて笑い出した。
それを見ていた村人たちもさらに大きな声でいっしょに笑っていた。
彼らの話す言葉は相変わらずわからないが、結構身振りで意味は伝わった。
このころには、彼女(彼)はすっかり言葉によってコミュニケーションを取ることをあきらめてしまっていた。 時々独り言を言うことはあるが、もはや自分が正しくしゃべれてるか確信も持てなくなっていた。
夜中に彼女(彼)は村の人にたたき起こされた。
薄暗い中、村人がみんな怯えているような顔をしているのが見て取れた。
女子供を中央にして、彼らは何かから逃げるかのように村を後にした。
彼女(彼)も訳がわからないながらもそれに付いていくしかなかった。
彼らの歩みは周囲に突き刺さる弓矢によって突然遮られた。
何人かの入れ墨をしていない男たちが、弓矢を手に村人を取り囲んだ。
明らかに弓矢の男たちは村人とは人種が違うようだ。
それに彼らは村人のように獣の皮の服ではなく、彼女(彼)がかつて着ていたのと同じく布で作られた貫頭衣を着ていた。 彼女(彼)自身は弓矢の男たちと同じ人種で無いということだけは断言できた。銀色の髪の色白の人間はそこにいなかったから。
弓矢の男たちは村人たちを威嚇しながら取り囲むようにして近付いてきた。
リーダーと思われる男が彼女(彼)のことに気付いて彼女(彼)の手を乱暴に掴んで引き寄せようとした。
何も抵抗のできない彼女(彼)は恐怖に体中が震えるのを感じた。
突然、彼女(彼)のことをかわいがっていてくれていた村人が彼女(彼)の手を弓矢の男から振りほどいて、彼女(彼)の手をつかんで逃げ出した。
彼女(彼)はちらっと後ろを振り向いてみたが、弓矢の男たちのリーダーをはじめとする何人かが彼女(彼)と村人のことを追いかけはじめていた。
びゅっという音がして隣の男が呻いた。
背中に矢が刺さって血が流れているのを見て彼女(彼)は心臓が止まりそうになった。
だが、すぐに彼女(彼)もそれどころではなくなった
腕かどこかに矢が刺さったのだ。
何で弓矢の男たちが彼らのことを弓で射ようとしているのかわけがわからなかったが、彼らは必死の思いで逃げ続けた。
隣の男がまた呻き声を上げてて転がった。そのときに、彼女(彼)を逃がそうとしたためなのか、男は彼女(彼)のことを突き飛ばした。
ところが、彼女(彼)はそこに地面が無いことに気付いた。
彼らは必死に走るうちにどこかの崖のはじまで来てしまっていたのだ。
彼女(彼)は何度も崖の途中でバウンドして、腕に刺さった矢は岩に当たって傷を掻き回した。
崖の底に叩きつけられた彼女(彼)はそのまま動かなくなった。
彼女(彼)は激痛の中、そのまま意識を手放した。
彼女(彼)が何でこの世界に飛ばされてきたのかは結局わからずじまいだった。
もしかして、彼女(彼)が弓矢の男たちにつかまるか、もしくは村人たちと生き伸びていたなら何かが変わっていたのかもしれない。
しかし、歴史の中では小さな命の痕跡が残ることは無い。
その後、彼女(彼)をかわいがっていた村の男はなんとか生き伸びたが、不自由な体をかかえ、 他の村人の生き殘りたちに養われながら彼女(彼)のことを思い出すことしかできなかった。
弓矢のリーダーは、この地を新天地にすべく他の土地から逃げてきた者たちの一人だったが、 どさくさにまぎれて散り散りになってしまった村人から何も得ることができずに手ぶらで帰還することになった。 村人たちの生活スタイルは特殊な技術のもとに成り立っていたので、村のあとに残されたものを弓矢の男たちはまったく活用することができなかった。 弓矢のリーダーは一生彼女(彼)のことを記憶したというが、それはそれだけだった。記録する物も無かったのだ、この世界には。
最後に。
彼女(彼)がどのような顔をしていたのかは、彼女(彼)にも最後までわからなかった。
鏡の見えないこの世界では自分の顔を確認することなどできはしない。
彼女(彼)が生まれ育ったこちらの世界の人種とは違うことは確かだが、ただそれだけのことだ。
2019.6.8