ホロ・ガール
ヴィンセント・オーマー / 白田英雄
技術的にはそんなに難しいことでは無いはずだった。
モーションキャプチャーの入力を機器を介ささないで直接神経信号を検知することに置き換えることも、 三次元モデルをディスプレイではなく空中に投影する技術も、すでに十分成熟したものだ。
唯一、脳波と共鳴させる電磁式の信号増幅機を汎用性のあるフォーマットに乗せることは未だにできていない。 人間の脳の個体差は大きく、どうしても個人にカスタマイズしたものを用意しないといけないのだ。
それに、キャプチャした脳波から人格めいたものを再現させ、 機械の中に人が入り込んだような錯覚をおこさせる技術は今回「彼女」の協力無しでは不可能だっただろう。
「彼女」、アラタ・カオルはその実正体が不明なところがあるいわゆるバーチャル・プレイヤーと呼ばれるパフォーマーをやっている。
動画配信サイトや様々な媒体を通して、 直接の肉体ではなくバーチャルなアバターを使ってコミュニケーションを行うという実験の一部なのだと彼女は説明してる。
アラタ・カオルはもう三十年ほどその業界でのトップランナーとして活躍してる人物で、 その活動期間の長さから、実は中で演じてる人が何度か変わってるのだろうというのが定説となっている。
今のスタイルになってからの十年はそれまでと打って変わって同じスタイルを通してることから、 いわゆるアラタ・カオルというと今の彼女のことを指すことが多い。
そんな彼女は多忙の中、意外なことにまさに私が研究している意識の仮想化への知見への直接的なアイディアを論文として出していて、 私がこの研究に打ち込むこととなったのも、彼女の研究成果を目にしたのがきっかけであった。
私のこれまでの研究の集大成である今回の実験は試しながらできるようなものではなく、 ある程度はぶっつけ本番になってしまうものだったが、 同じような研究と実体験を実績として積んできた彼女がサポートしてくれるのは安心材料のひとつと言える。
チャットアプリを立ち上げると、すぐに彼女の入室を報せるメッセージが来た。
> やぁ、カオル。今日もよろしくたのむよ。
> カ・オ・ル・ちゃん! ぶっとばすよ。
打ち終わるか終わらないかのうちにすぐに返信が来た。相変わらずの通常運転だ。
こちらはこれからの実験への不安からキーボードを打つ手がふるえるほどなのに。
> こちらはこれから接続の準備に入る。サポートのためのチャットは助手がやる。
> まどろっこしいね。ちょっとだけ時間を取れる? ボクをそっちにアップロードしていいかい?
> ? よくわからないがわかった。
そうか、これが彼女の強みのひとつの、自分のインタフェース用のアプリを相手の環境に送りつけるやつか。
当然この方法はウィルスのまがいの行為なので嫌われるものなのだが、 彼女のクライエントのほとんどはこの手のことに疎いのでいつもは問題にならないと聞いている。
彼女の研究に関しては大体がメールかチャットで済ますことができるので、やりとりに支障をきたすことは普段はほとんど無かった。
だが、今回のようなかなりセンシティブな実験のときに、彼女本人がここに足を運んでくれないのはかなり痛い。
何故アプリを介する必要があるのかは疑問だがいた仕方無い。彼女には彼女の理由があるのだろう。 少なくとも助手にチャットのやりとりをさせるよりはマシだ。
「てす、てす。どうもー、アラタ・カオルです! 聞こえますかぁ?」
端末の画面に彼女、アラタ・カオルのアニメチックなアバターが映し出され、スピーカーから若い女性の声が聞こえた。
「聞こえてるよ。でもこの端末にはカメラが無い、どうやってこっちの様子をモニターするんだ?」
「そこに部屋の中を撮ってるカメラがあるみたいだから、それで充分。」
見回してみると、カメラの一つがいつのまにかこちらを向いていたのでにらめつけてやった。
振り返るとディスプレイの向こうの彼女がにやっと笑った。
私は部屋の真ん中にある装置を指してみせた。
「この台の上にモデルを投影する。信号は隣の再生装置を通して部屋の端のベッドに横たわった俺の、 頭部に接続したアダプター経由で送られてくる。カオルの指摘によると、接続した瞬間に俺自身の意識は一旦落ちるはずだ。 理屈上は再生装置の中で俺ないしは俺の分身が目覚めることになる。そのまま安定性を確認してからアバターの動作試験に入る。質問は?」
「相変わらずいきなりだね。ボクはれーちゃんの様子と実験機のモニターをしてるよ。」
「れーちゃん言うな。」
カオルはにひひと笑ってみせた。
「知ってるもんね。君が若い頃にボクの動画のファンだったってこと。でも、あの頃とおんなじに話してくれるのは嬉しいねぇ。」
助手がぼけっとしてこちらを見てる。
咳払いしてからディスプレイをにらもうとしてから、思い直してカメラをにらみ直した。 カメラが元のポジションに戻っていたので肩透かしを食らった気がした。
「カメラのデータから部屋の中の様子は補完できるからディスプレイを見てればいいよ。」
気を取り直して説明を再開した。
「一応システムとデータのチェックは一通り終わってるが、カオルにもう一度チェックして欲しいんだ。」
「そうだね、一応危険はないようにシステムの設計はしてあるはずだけどね。」
「俺はその間にアダプターを装着するよ。」
私は助手の手を借りて手足と胸部に端子を貼り付け、それから頭部に脳波の共鳴を発生する装置を順に装着していった。 脳の各部の信号と同期する必要があるので、これはかなり大変な作業になる。 どの箇所がどの信号と同期するかまでは突き止めることができたが、 これらが総合的に働いてちゃんと「意識」を再現できるものなのかまではわからない。 ましてや、再現された「意識」が私自身とつながりがあるものなのかなどはもっと未知の領域となる。
装置の同期をひとつづつチェックしていきながら立ち上げたところで、私は助手に親指を立ててみせた。
ヘッドフォンから「彼女」の声が聞こえた。
「ボクの方のチェックは終わったよ。れーちゃんの方は………。大丈夫みたいだね。」
私は目を閉じて体の力を抜いた。
「始めてくれ。」
手順ではすでに共振状態だったいくつかのアダプターに、一つづつセンサーが加わっていくことになっている。 その過程でどのような感覚を生じるかはまだ試していない領域である。どの時点で意識を失うかも、もしくは失わないかも。 動物実験では途中から睡眠中の脳波に移行していたから、眠ったような感じになるのかもしれない。
余計な緊張は実験の妨げになるから、実験の目処がつき始めたここ数ヶ月はずっとリラックス状態を作り出すための訓練を繰り返してきた。 深くゆっくりと息をし、手足の力を抜いていく。
頭が少しだけモヤに包まれてるような気もしたが、それ以外は変化を感じない。意識の不連続も感じられない。寝入っては、……いないはずだ。
「れーちゃん、目を開けてみて。」
目? いや、力が抜けたまま、目を開けることはできない。
「じゃあ、実験の第一段階は成功みたいだね。」
私の意識が再生装置の中で目覚めたことになっているらしい。でも、自分の主観では自分自身が深いリラックス状態にあるのと区別がつかない。
「いま、れーちゃんはすべての感覚器官と隔絶してるから、何も聞こえないし何も感じてないのね。 ボクだけが持ってる方法でれーちゃんにアクセスできる。」
私から話すこともできないことになるが、カオルはなんらかの手段で私の意識をモニターしているらしい。 ここは彼女にもわからない、彼女の用いているシステムが構築された時からあったブラックボックスであった。 意識の領域をそのようなものに委ねるのに幾ばくかの不安があるが、この研究はカオルのシステムを解明することも目的の一つとなっている。
「実験用のアバターは、………。ちょっとデータいじってもいいかな?」
アバターはとりあえずそこに存在できれば良いという程度で作った間に合わせのものだから、手が込んだものでは無い。 実験にその方が都合が良いというのなら是非でもない。
時間を比較するものが無いのでどのぐらい経過してのかはわからなかったが、やがてカオルがOKを出した。
「実験の第二段階に入るね。」
被験者=私の状態をモニターしながら実験を進められるのはありがたい。
今、私の意識というか思考する部分が中継機と再生装置のどこかに存在してるはずだ。 この深さまで到達したことが無いし、それを説明できる理論も無いので漠としたイメージでしか無いが。
「アバターを起動するよ。目を開けてみて。」
まず意識にのぼったのは白い世界。すぐにそれが明るく照らされた白く塗られた投影台であることがわかった。 次いで自分がそこに立ってることが認識できた。
「酒栄先生、成功です。……、って、何ですかそのアバターは?」
上から巨大な助手がのぞき込んでるのが見える。助手がでかいのではなく、投影台が小さいのでそこにある私のアバターが小さいだけなのだが。
「アバター?」
私は自分の手が想像したよりもリアルな、人間の物のように見えることに気付いた。 もっとゴム人形みたいなものを想像していたが、カオルがデータをより実験に沿うものに改変したものらしい。
私の隣にカオルのアバターが唐突に現れた。元々三次元グラフィックとは言っても平面の表示を前提にしてるせいか、 どこか薄っぺらい印象がある。私のアバターはもっと簡易的なものだが。
「ぷぷぷっ。れーちゃん、良く似合ってるよ、そのバ美肉アバター。」
「バ美肉って、何のことだ?」
アバターの声がどうなっているかなんて設定していなかったから、どんな声が出るのかのイメージは無かったのだが、 自分の「口」から出る声は思ったよりも高かった。
「うん。何十年も昔に流行った言葉なんだけど、バーチャル・美少女・受肉の略ね。 美少女のアバターに入り込んで、ボイスチェンジャーで女声を出すことで女の子になり切るやつ。 れーちゃんに似合いそうなアバター発注しておいて良かった。」
どうやらこいつはさっきの時間を利用して私のアバターのデータを入れ換えていたらしい。
でも、より現実の人間のプロポーションに近いアタバーを使うのは、確かに精神との親和性を高めるのには良いのかもしれない。
「そうか、この方が実験の成功率を上げられると判断したんだな?」
「え? いや……」
カオルはそっぽを向いてちょっと口ごもって見せた。等身大のカオルと向き合って話をするというのも新鮮な経験だ。
「……。ただのイタズラのつもりだったんだけど?」
一挙に脱力した。
「多分、実験の成功率とは関係、……無いかもしれないみたいな?」
「何故疑問形?」
まぁいい。実験のデータが取れれば問題無い。
それからカオルと助手のサポート上でアバターの動作や感覚、反応をひとつづつチェックして行った。 実際はアバターが感覚を持ってるのでは無く、 再生装置に付いたセンサーがあらゆる情報を検知して私の意識にフィードバックしてるだけなのであるが、 タイムラグも無く、ほとんど生身でいるのと差異は感じられなかった。 むしろ、おそらく別の方法でこの投影台の上に投影されたカオルのアバターの方が作り物のように見えるほどだ。 画面の中ではあんなに生き生きとしてるのに。
実験の計測項目もあらかた終わり、残りのいくつかのチェックを行いつつ意識を元に戻す手順に入った。
この短い時間のうちにすっかり馴染んでしまった私の高い声でカオルに質問した。
「どうしよう。また目をつむった方がいいのかな?」
この分野ではカオルが先行者だ。彼女の意見は聞くに値する。
「どうなんだろうね? ボクにはわからないや。」
それでもカオルにも前例の無い実験には違い無いというわけか。
「分離手順を始めてくれ。」
私が助手に合図すると、彼女はサムスアップして見せた。いつもよりも慣れ慣れしい態度にむっとしつつ、私は目を閉じてみることにした。
手順は私がアバターに入ったときと似たものとなる。まずはアバターから感覚を切り離す。
だが、慣れない「身体」の感覚に手間取り、なかなかリラックスができない。 無いはずの肉体のどこかに力が入ってしまったり、意識が集中できなかったりする。 自分の身体で無いために、体からの反応を処理し切れてないのかもしれない。
突然ガクンという音が聞こえ、瞼の裏が暗くなった。ゆっくりと目を開けると白い空間の外側が暗くなっているのが見えた。
あわてて目を見開いて周囲を確認すると、投影台の外側が暗くなってしまっていて何も見えない。 停電が生じたようだ。実験装置は何重にも噛ました予備電源があるのでしばらくはシャットダウンはしないはずだが、 長引けばいずれ実験装置の電源も落ちる。
「大丈夫、かどうかはわからないけど、ボクもついてるよ。」
おかしなことだが、隣にはまだカオルがいた。
不思議な話だ。実験装置は実験の直前にネットワークから切り離してるし、 そもそも停電してるならこの実験室にもネットワークからの情報は到達しないはずなのに、依然カオルがいる。
「実を言うとね、ボクも実験装置の中におじゃましてるんだよ。」
思ったよりも混乱をしていないのは、混乱するような機能が残された自分に無いためだろうか?
「大丈夫、少なくともれーちゃんが消えてしまうまではいっしょにいられるから。ん。 でもそこまで心配する必要無かったみたいだね。電源が戻ったみたいだ。」
再生装置の上がまた再び白い空間になったような錯覚を覚えた。カオルはまだ隣にいる。 上からは泣きそうな顔をしてる助手がこちらを覗き込んで驚いていた。
「こっちは大丈夫。分離シーケンスを続けようか。」
だが、助手は涙をぼろぼろ流しながら首を振ってるだけだった。
「ちょっとごめんね。」
となりにいたカオルが消えていなくなったが、すぐに戻ってきた。
「何かいやなことが起きたみたいだね。ボクたちが実験に夢中になってる間に雷が来たみたいなんだ。そして雷が落ちたんで停電したんだけど……」
言いよどんで見せたカオルに続きを促した。助手は床にしゃがみ込んで声を上げて泣いていた。
「実験装置のほとんどは問題無いんだけど、重要な部分がやられちゃっててね。」
カオルは言いにくそうに視線をさまよわせていたが、助手の様子が目に入るとため息をついいてこちらをまっすぐに見た。
「中継機と再生装置は外部との電源が切り離されて無事だったけど、 急激な電源サージでアダプターに異常な電流が流れ込んでそのショックがれーちゃんの肉体に及んだみたい。」
「それってつまり?」
カオルはまた目を逸らして続けた。
「つまり、れーちゃんは肉体的に死んだということ。」
意味するところがわからなかったが、しばらくしてから何かが腑に落ちた。
「ちょっ、ちょっと待て。俺はここにいる。」
「不幸中の幸いなのか、それともまんま不幸なのか、今回のシステムにはボクに使われてるブラックボックスを流用してるよね。 ボクは実は実体が無い、つまり今のれーちゃんみたいな存在なんだ。」
理解が追いつかない。
「昔からボク、ボクたちは中身を入れ換えながら存在を続けてきたけど、 実際のところバーチャル・プレイヤのアラタ・カオルはそのままバーチャルで、 ネットワークの中の光量子のわずかなゆらぎの重なりとしてだけ存在してるの。 元々意識を実験装置の小さな処理装置に全部入れることなんてできなかったから、 この光量子的ゆらぎの理屈が応用できないか試してみたんだ。 でも、今のれーちゃんは装置の中にとどまってる一時的なデータのゆらぎでしかない。 だから、ゆらぎが減衰していくうちにれーちゃんの存在は消えてしまうんじゃないかな……。」
カオルは白い床にしゃがみ込んで私を見上げた。
「ボクが一度だけ使える方法があるの。ボクが先代のアラタ・カオルから入れ替わったときに、先代が使った方法なんだけど、 今あるれーちゃんの存在を切り離して独立した存在にすることができる。」
カオルはいつものふにゃっとした顔じゃなく、真剣な表情で見上げた。
「それはつまり、今までの酒栄澪という存在じゃなくて、 今れーちゃんがつけているそのアバターの存在そのものになるということなんだ。」
それからちょっと歪んだ微笑みを顔に浮かべて続けた。
「リアルバ美肉だね。バーチャルにリアルも何もないけど……。」
思うところは色々ある。でも、それを試すか、自分がいなくなるかしかない。
自分がいなくなる、ということは想像ができない。理解の範疇外だ。
「でも、それでいいの?」
カオルの顔は真剣なものに戻っていた。
私は頷いた。
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「それでカオルちゃん、ボクはれーちゃんのことうちの会社のバーチャル・プレイヤーにしようと思うんだ。」
「カオルはあなたでしょ、『アスカちゃん』?」
端末のディスプレイにむかっていた女性が答えた。
「今だに私のことをカオルちゃん呼ばわりするのはやめない? まぁ、いいわ。彼はそのことを承諾してるの?」
「れーちゃんのことはカオルちゃんの方が詳しいよね? だって彼がファンだったのはボクじゃなくてカオルちゃんだったあなたの時代のことなんだから。」
「そんな昔の一人のファンのことまで覚えていないわ。 でも、あなたから聞いた彼の印象ではそうね。結構動じない人みたいだし、彼さえ良ければいいんじゃない?」
「れーちゃんは自分の研究を平行して続けられるならって言ってたわ。あとは社長のあなたの決済が下りれば終いかな。」
女性はため息をついた。
「あなたは代々のアラタ・カオルの誰よりもアラタ・カオルとして馴染んでる。 だから他のアラタ・カオルを選ぶことをしなかった。 そして、アラタ・カオルのルーツを調べようなんて思ったのもあなただけ。あなたはただ研究仲間が欲しいだけなんでしょ?」
端末から変な効果音が聞こえた。
「で、いいの? 駄目なの?」
「……。あとで書類は回すわ。まぁ、あなたたちに形式的な書類は関係無いでしょうがね。」
端末のディスプレイからは嬉しそうな顔をしたアラタ・カオルが映し出されていた。
「それじゃあ、いつまでたってもれーちゃんというのもまずいね。 れーちゃんの澪の字って「みお」とも読むから、ミオちゃんでいこうか。うん、それでいいね。」